モネとロダン

1840年11月12日と14日、わずか二日の時を隔てて、ふたりの芸術家が生を受けました。——そのふたり、オーギュスト・ロダンとクロード・モネは、フランス近代を代表する彫刻家と画家であり、国立西洋美術館のコレクションの核をなす存在でもあります。

ふたりの友情がいつ始まったのかは定かでありませんが、おそらくは1880年代に共通の友人を介して知りあい、遅くとも1888年頃には、自身の作品を贈りあう仲になっていたようです。さらに1889年には、モネによる奔走の甲斐あって、パリのジョルジュ・プティ画廊においてモネとロダンの二人展が実現します。モネの初期作品から最新作まで実に145点と、完成したばかりの《カレーの市民》を含むロダンの作品36点を一堂に会した展覧会は、大きな成功を収めます。この二人展をめぐっては両者のあいだで多少の諍いが生じたものの、彼らは終生、たがいに友情と敬意を抱き続けました。

絵画と彫刻、風景と人体。異なる媒体、異なるジャンルで制作に取り組んだモネとロダンは、しかし、ともに芸術における直接性や可変性といった概念を追求しました。彼らは伝統よりも自然を優先し、対象のもつ生命感を損なわぬままに、自然に対する自らの知覚を——それが絵具であれ粘土であれ——素材にとどめようと試みたのです。そうしたふたりの関心は、しばしば仕上げを欠いた筆触や手の痕跡として作品の表面にあらわれます。19世紀後半にその重要性が俄に取りざたされた「装飾」芸術もまた、彼らの共通の関心のひとつです。モネ晩年の一大プロジェクトである《睡蓮》大装飾画とロダンのライフワークとなった《地獄の門》は、「自然」と「装飾」をそのもっとも個性的な形式において融合させた、ふたりの芸術の極致といえるでしょう。国立西洋美術館では、現在パリのオランジュリー美術館が所蔵する《睡蓮》大装飾画の関連作と、世界に7点存在するブロンズの《地獄の門》のひとつを見ることができます。