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沖縄の「ジャーマンケーキ」 豊かさに憧れた戦後映す

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沖縄に暮らす人なら誰もが知っているのに、本土ではほとんど知られていないケーキがある。県内の洋菓子店やスーパーでおなじみの「ジャーマンケーキ」だ。ジャーマンとはレシピを考案した米国人の名前といわれ、ドイツとの関係はない。米国で親しまれているケーキで、チョコレート味のスポンジ生地にクリームなどをサンドし、刻んだココナツを甘く煮詰めた白いペースト状のフィリングをのせている。

沖縄では「家族の集まりやお祝いにはこのケーキ」という声をよく聞く。「みんなで集まっておしゃべりするときはこれが最高」と、楽しそうにジャーマンケーキをほお張っていたのは、宜野湾市内のレストランで出会った3人組の女性たち。高校の同級生で今年80歳になるそうだ。

フェンスの外にも豊かな食を届けたい

ジャーマンケーキを沖縄で初めて製造販売したのは、米軍統治下の1956年、宜野湾市にオープンした小さなマチヤグヮー(食品や日用品を売る商店)「ジミーグロセリー」といわれる。当時の店主、故・稲嶺盛保さんは、現在、沖縄県内に21店舗を展開するスーパーマーケット「ジミー」の創業者にあたる。

創業の地にある「ジミー大山店」を訪ねると、赤れんがの建物が濃く青い空に映え、屋根の上でシーサーがまぶしい夏の日差しを浴びていた。店に入るとハワイアン音楽のBGMが耳に心地いい。国内外のさまざまな食材や雑貨が並び、ベーカリーやデリカテッセンもある。店の奥の大きなケーキ用ショーケースにはアップルパイやチーズケーキ、レモンクリームパイ。中でもジャーマンケーキは一年中買い求める人が絶えない看板商品で、全店舗合計で1日100個以上売れているという。

ジミーを創業した稲嶺さんは、30年7月に那覇市で生まれた。戦後、16歳で北中城(きたなかぐすく)の米軍基地で仕事についたとき、何より魅了されたのが「夢のように豊かな」米国の食事だった。食堂に並ぶボリュームのある料理やケーキ、そしてその香り――。「戦時中、沖縄の人は飲まず食わずで、戦後も物資が足りず、勝った国と負けた国の落差は大きかったんですね。若かった父は強烈にアメリカの豊かさに憧れたんです」。ジミーの現社長・稲嶺盛一郎さんは父・盛保さんを、そう振り返る。

フェンスの外の沖縄にも豊かな食を届けたいと願った盛保さんは、お金をためて56年に米国の食品などを販売する「ジミーグロセリー」を開いた。戦前にパンや菓子の職人だった米兵をアルバイトに雇い、レシピを学んでパンやケーキの製造販売も始める。盛一郎さんによると、ジャーマンケーキはこの頃に生まれたという。店の名は2年後に「ジミーベーカリー」になった。

「米軍基地で、父の愛称がジミーだったんです。父は、特に基地で働くハワイの日系2世の人たちにとてもよくしてもらったと話していました。戦争が終われば復興と生活です。敵も味方もなくなって、波長があう人同士は仲良くなったんでしょう」(盛一郎さん)。ジャーマンケーキは米軍基地関係の人々の目にとまり、次第に沖縄住民の間で広がっていったようだ。

カットよりホールケーキが売れる風土

ジミーのジャーマンケーキは、刻んだココナツのシャリっとした食感を残して、練乳で炊いたフィリングに砕いたクルミを加えているのが特徴だ。スポンジはふんわり感を大切に焼き、側面に自家製チョコバタークリームを塗り、ふわふわの細かいスポンジのクラムをまとわせる。「初めて食べた時は衝撃でしたよ。アンダーギーみたいなお菓子はあっても、50年前にチョコとココナツのケーキなんてなかったですから」。店の近くに住む又吉信一さん(78)は、家族が集まる行事には、今も4世代でこのケーキを囲むと話してくれた。

沖縄が日本に復帰した72年には、多くの変化があった。ドルだった通貨が円になり、材料を量る単位のポンドとオンスはキロとグラムに変わった。小麦粉などの材料も米国産から日本産に切り替わり、従業員は全てのレシピを見直しながら、店の味を守ってきた。

76年にはスーパーマーケットに業態を変え、時代にあわせた商品が生まれた。卒業後に本土へ行く高校生が増えて「子どもにジャーマンケーキを送りたい」という声が寄せられたことから、2012年、配送可能なパウンドケーキタイプの「ジャーマンBOX」ができた。1人用サイズのカットケーキも売り始めたが、どちらかといえば「ホールケーキの方がよく売れます。沖縄には、季節ごとに家族や友人が集まる風習がありますからね、切り分けて食べたらすぐなくなりますよ」と盛一郎さんは楽しそうに笑う。近年は、SNS(交流サイト)やユーチューブをきっかけに若い世代も店を訪れるそうだ。

生前の盛保さんは、戦後も積極的にハワイや米国本土へ出かけ、新しい料理や菓子作りを学び沖縄に持ち帰って商品に生かした。ジャーマンケーキには、戦後、夢を追い求めて力強く生きた沖縄の人々の姿が重なる。かつて一人の青年の心を震わせた憧れの味は、沖縄の日常となり、人々の生活に溶けこんでいる。

ライター 市川歩美

吉川秀樹撮影

[NIKKEI The STYLE 2022年7月31日付]

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