女性名から「子」が消えたワケ? 明美が分岐点
編集委員 小林明
女性の名前から「子」という字が少なくなってきたという話をよく耳にする。人によっては「~子という名前はやや古臭いイメージ」と感じることも少なくないようだ。
「~子」はやや古臭い?
たしかに名前ランキング上位を調べると、以前は「~子」という名前のオンパレードだったが、最近はほとんど見られなくなっていることが分かる。
いつごろから「~子」という名前が減ってきたのか?
一体、きっかけや理由は何だったのだろうか?
背後には興味深いウンチクが潜んでいるようだ。今回はその謎について迫ってみよう。
図1は日本の女性名の流行の変遷をまとめたものである(明治安田生命保険が調べた名前ランキングの1位の変遷)。次ページで詳しく分析する前に、大まかな流れをつかんでおこう。
「和子」「恵子」時代の後に「美」が付く名前
まず戦前に流行していたのは「千代」「文子」(このほか「幸子」「久子」なども含まれる)。医療環境が整っていなかったことなどの影響からか、子どもの長寿を願う名前が目立つ。
戦時中から終戦直後にかけては「和子」の黄金期。昭和2年(1927年)以降、ランキングトップが通算23年も続いた。「和子」は元号の「昭和」にちなんだ名前だと考えられている。
戦後復興が徐々に進んだ時期は「恵子」の時代。世の中が豊かさや恵み、努力の成果などを目指した風潮が反映した。続いて、昭和37年(1962年)から昭和45年(1970年)までは「美」が付く名前が"群雄割拠"した時代。「久美子」「由美子」などがトップに顔を出すが、「明美」という名前が登場したのをきっかけに、「直美」など「子」が付かない名前が目立ち始める。
そして、昭和40年代後半(1970年代前半)の「陽子」、昭和50年代前半(1970年代後半)の「智子」の時代などを経て、昭和末期(1980年代)に「愛」の黄金期が到来。その後、「美咲」時代、「さくら」「陽菜」時代を迎える。
これが大まかな流れである。
では、どのようなプロセスで女性名から「子」が消えていったのだろうか?
過去101年分のランキングトップを一覧表でさらに詳しく追い掛けてみよう。
表1は明治安田生命保険が明治45年・大正1年(1912年)から平成24年(2012年)までの女性名人気ランキングの1位の変遷をまとめたものである。「子」が付く名前に丸印を付けてみると、女性名の"子離れ"が進んだプロセスが一目瞭然だ。
「~子」という名前は、昭和50年代前半(1970年代後半)までは圧倒的に多かった。だが、それ以降はほとんど見られなくなる。
一体、何が起きたのだろうか?
"子離れ"は「明美」がきっかけ
変化の先駆けになったのが昭和40年(1965年)に首位に立った「明美」だった。
これがきっかけとなり、女性名のトレンドが大きく変わったといえる。「美」が付く名前がジワジワと勢力を伸ばしたのだ。つまり、「明美」に続いて「直美」「絵美」「恵」などの人気が高まり、「~子」という名前を劣勢に追いやったというわけ。
そして、昭和57年(1982年)の「裕子」を最後に「子」が付く名前が首位を占めることはなくなる。
「愛」がだめ押し、「~子」は姿消す
「明美」がきっかけとなり、女性名の"子離れ"が進み、トレンドは「明美」「直美」「絵美」などにシフト。さらに「愛」の黄金時代がだめ押しとなって、「~子」はランキングから姿を消すということになる。
「美咲」の時代や「さくら」「陽菜」の時代になっても、「子」が付く名前が復活する兆しは見られない。
実に大きな変貌ぶりだ。
ランキング10位までを過去101年分さかのぼったのが表2である。変遷が見やすいように、各時代の1位を色づけしてみた。これまで見てきたプロセスをより詳細に検証できる。
「明美」のトップ10入りは昭和32年
女性名の"子離れ"の先駆けとなった「明美」の推移に注目してみよう。
「明美」が初めてトップ10入りしたのが昭和32年(1957年)のこと。それまでは「~子」という名前がトップ10を独占し続けていた。やがて「明美」は徐々に順位を上げ、昭和40年(1965年)に首位に上り詰める。
「~子」は昭和60年の「裕子」が最後
さらに、「真由美」「由美」「直美」など「美」が付く名前がそれに前後するようにジワジワと勢力を拡大し、ついに昭和60年(1985年)に10位だった「裕子」を最後に「~子」という名前がトップ10から完全に姿を消す。そんなプロセスをたどったわけだ。
参考までに、実在の有名人と時代との関係を見ておこう。
これまで確認してきた傾向が裏付けられて面白い。
「明美」時代の申し子は?
分岐点になった「明美」で有名なのは、元女子マラソン選手の増田明美さん。東京五輪が開催された昭和39年(1964年)に生まれている。
同じく元女子マラソン選手でタレントとしても活躍する松野明美さんは昭和43年(1968年)の生まれ。やはり、どちらも「明美」の隆盛時代の申し子といえる。
芸能界ではテレビドラマ「男女7人夏物語」の主題歌「CHA CHA CHA(チャチャチャ)」のヒット曲で知られる石井明美さんが昭和40年(1965年)生まれ。「明美」が名前ランキングの首位に輝いた年に生まれた有名人だ。
千昌夫さんの名曲も誕生
やや脱線するが、千昌夫さんの名曲「アケミという名で十八で」(西沢爽・作詞、遠藤実・作曲)がヒットしたのは昭和48年(1973年)のこと。歌詞に出てくる女性は18歳という設定だから、単純に計算すれば「アケミ」さんは昭和30年(1955年)生まれ。これも「明美」時代の申し子ということになる。
ついでに言えば、東映ニューフェースの女優、三沢あけみさん(芸名)が「笛吹童子」でデビューしたのも昭和35年(1960年)。やはり、「明美」ブームに乗っていたわけだ。
こうして、名前の流行が有名人の名前を生み、さらに有名人の名前が名前の流行に作用しながら、流行が変遷してきたという様子がうかがえる。
ところで、この時期、どうして女性名から「子」が消えてしまったのだろうか?
「〈子〉のつく名前の女の子は頭がいい」(洋泉社)の著者、金原克範さんが興味深い分析をしている。テレビの登場や、ラジオの民間放送の開始、漫画や雑誌の普及によって社会の情報化、メディア化が進んだ時期と重なるというのだ。
その変化が家庭に影響を与え、名前の付け方が変わってきたのではないかと推測する。
"子離れ"はタレントが5年先行
大きく変化した時期は昭和29年(1954年)から昭和39年(1964年)までの10年間。
金原さんは紅白歌合戦に出場した女性歌手とその年の新生女児の名前の相関性を調べたところ、「子」がつく名前の比率は女性歌手が5年ほど先行する形で下がり始め、新生女児で「子」がつく名前の比率がそれを追い掛けるように下がり始める傾向が確認できたという。
つまり、「TVタレントの名前が新生女児名に影響を与えている」というわけ。
テレビを視聴する親ほど名前に「子」を付けない
母親に実施したアンケートでも、長時間テレビを視聴している母親ほど、娘に「子」がない名前を付ける傾向があるそうだ。
かつて、皇族・華族、上流社会に広がっていた「子」が付く名前は、「文明開化」「女権伸長」などの掛け声が追い風になり、社会的に活躍する女性らが好んで名乗るようになった。そして、大正、昭和期にかけて一般に普及した。
その際、「より先駆的なイメージとなることを当人たちも意識したに相違ない」と「名前の日本史」(文春新書)の著者、紀田順一郎さんは説く。
だが、社会が変化し、人々はやがて「子」が付かない名前に新しさを感じるようになった。それを後押ししたのがテレビ、ラジオ、漫画、雑誌の普及による社会の情報化、メディア化だった。そして、女性名は新時代の流行を取り入れながら、より個性的な名前を目指すようになった。
女性名の流行の変遷は、こうしたプロセスをたどったといえそうだ。
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