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  • 2024年11月29日

過労死防止法から10年 命日反応に苦しむ遺族も 思い語る親たち

ラジオ深夜便より
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NHKの記者として働いていた娘を過労死で失った母親は、11年目を迎えたことしの命日の法事で突然、異変に襲われました。全身から汗が吹き出て、娘が自分に乗り移っているような感覚にとらわれたのです。「命日反応、命日症候群です」と医師から言われ、自らの命を守るため入院を余儀なくされました。
仕事に夢や希望を託していた人たちが、働き過ぎで命を落とす「過労死」。その根絶を掲げた過労死防止法が施行されて10年を迎えました。しかし、悲劇は繰り返され、遺族はやり場のない憤りと悲しみを抱え、日々を過ごしています。

取材/加野聡子ディレクター
聞き手/山田賢治アナウンサー

11年目の夏 法事の日に

異変に襲われたのは、NHKで記者として働き31歳の若さで過労死した佐戸未和記者の母親・恵美子さん。

これまでも7月24日の命日が近づくと精神的に不安定になったそうですが、この夏はより深刻な状況でした。

恵美子さん
「昨年、長女の未和が亡くなって10年の節目で納骨式をやりました。その時、大勢の方たちに来ていただいて非常に緊張して、なんとか10年目はやり過ごしました。

ところが、今年11年目の命日にあたり、7月27日に都内にある未和のお墓に親族で集まって法事をやりました。そうしたら、法事を始める直前に、私がいてもたってもいられなくなり、全身から吹き出すように汗が出て、手足が震え始めました。周りが見ていても分かるような症状だったらしいです。

その時に私は自分で、『私の体の中に未和が乗り移った』とおかしなことを言い出したそうです。実は私、当時の細かいことは覚えてはいないのです」

「このままではだめだ」

こう感じた恵美子さんは、かかりつけの医師に電話で相談しました。ただ、その説明もろれつが回らず、次女が電話を代わり状況を説明すると、医師はすぐにこう言いました。

「命日症候群、命日反応という症状です。すぐに入院させてください」

1か月の入院

その日は、法事に集まった親族との食事も予定されていました。お店に場所を移しましたが、恵美子さんの異変は続きました。未和さんが亡くなって以来、口をつけることがなかったお酒を飲み、出されたお肉をむさぼるように食べたのです。

未和さんは、生前誰もが認める肉好きで、お酒も仲間とよく楽しんでいました。

「やっぱり未和が私に乗り移ったんだ」

恵美子さんは、そう思って自分で自分を納得させました。

それでも入院はせず、数日は家で過ごしました。しかし、心落ち着くはずの自宅でも、死の淵に引きずり込まれるような感覚に襲われたといいます。

恵美子さん
「うちに帰っても、台所のレンジの火とか、包丁とか、それからマンションのベランダに目をやると引き寄せられるのです。死に引き寄せられる。包丁を見たら包丁のほうに体が行く。火のところに体が行く。ベランダに体が行く。

私は死んだ未和の運命さえ変えられなかった、その未和が私に乗り移ってきた。そしたら、私も死なないといけない。だけど、死にたいという感情とは違って、死なないといけないけども、今死にたくはないっていう気持ちが強くて強くて…。

それで、もう主人も次女も危ないと思って、結局7月31日に緊急入院することになりました」

入院して治療を受けた恵美子さん。1週間後にはようやく心の安定を取り戻しましたが、退院するには1か月ほどかかりました。
恵美子さんは、我が子を亡くした親を突然襲う心の異変について広く知ってもらい、「もし同じような異変を感じたらすぐに医師に相談してほしい」と、今回、自らの体験を語ってくれました。

佐戸未和記者について
2005年にNHKに記者として入局。初任地の鹿児島局では、県議会議員選挙をめぐって、志布志市の住民が公職選挙法違反の罪で起訴され、12人全員が無罪となったいわゆる志布志事件を取材したほか、北朝鮮による拉致被害者の家族の声を伝え続けました。
2010年、当時の首都圏放送センターに異動し翌年からは東京都庁の取材を担当。都政のほか、不登校の子どもたちや発達障害の当事者の取材も熱心に行っていました。
しかし、2013年7月の参議院選挙の後、自宅でうっ血性心不全のため亡くなりました。
亡くなる前の1か月間の時間外労働時間は、労働基準監督署によりますとおよそ159時間とされ、翌年5月に労働基準監督署から長時間労働による過労死と認定されました。当時31歳でした。

過労死防止法から10年 増える精神障害

過労死や過労自殺を防ぐために国などが取り組むことを定めた過労死等防止対策推進法、いわゆる過労死防止法は2014年11月1日に施行されました。

その後、働き方改革が進んだこともあって、長時間労働の雇用者割合は減少し、年次有給休暇の取得率も増加しています。ことし4月からは建設業や自動車運転業務、医師等にも時間外労働の上限規制が適用されることになりました。

しかし、昨年度、長時間労働で脳出血や心筋梗塞などになり労災と認められたのは216人に上っています。うち、58人が命を失いました。

さらに、長時間労働や仕事の強いストレス、ハラスメントなどが原因でうつ病などの精神障害になったとして、労災と認められたのは883人と過去最多になっています。

2か月前元気だった長男が…

このところ目立っている過重労働による精神障害。

会社の部署を異動し急速に変化した業務環境の中、自殺に追い込まれた会社員・安部真生(しんは)さん(当時30)もそうしたケースの一人です。

母親の宏美さんが、真生さんに最後に会ったのは亡くなる2か月前のことでした。

宏美さん
「亡くなったのが2019年11月ですが、その2か月前に私の誕生日だったこともあって、横浜で、家族みんなでレストランで夕食をしました。金曜日でしたが『仕事が終わったから』と来てくれて『今忙しいけども、将来はこうしたい、頑張るよ』と話をしていました。実際に会ったのは、それが最後になってしまいました。

11月16日に警察から連絡が来て真生が、『道で意識不明で倒れている』と。すごく忙しくしていたから『脳とか心臓とかが原因で倒れたんじゃないか』と思って『今どこの病院ですか』って聞いた時に『病院には運びません』と言われました。

マンションの屋上から投身自殺ということだったのですが、2か月の間にいったい何があったのだろうっていうことで、全然、訳がわからないっていう感じでした」

安部真生さんについて
安部真生さんは大学院修了後、2015年に東芝デジタルソリューションズに入社。語学力を生かして2016年の伊勢志摩サミットでは、自社製品をPRする通訳を務めました。入社5年目の2019年4月に部署を異動し、国が発注した介護に関するシステムの開発業務を行うようになりました。しかし、進捗の遅れもあって10月以降は、真生さんに作業が集中する状況になりました。
そして11月、30歳の誕生日を迎えた2週間後に、真生さんは自ら命を絶ちました。
亡くなる直前1か月の時間外労働は100時間を超えていて、翌年の12月に長時間の過重労働によるうつ病が原因だとして、労災が認定されました。

写真は海外旅行先での1枚。真生さんの名前は幼少期に過ごしたスリランカの公用語 ・シンハラ語でライオンを意味する「シンハ」からつけられた。

うつ病発症からわずか1週間で

宏美さんはその後労災を申請し、亡くなるまで何が起きていたのかも調べました。

浮かび上がってきたのは、異動とともに業務内容が急変して過重労働となり、自ら命を絶つほど精神的に追いこまれていった深刻な状況でした。

宏美さん
「息子の仕事は、システムの要件定義とか基盤構築といって、発注者側の要望を聞き取ってシステムに落としていくっていうもので、最初なのにリーダーみたいになっていたそうです。初めての業務でもともとスケジュールが遅れていて、やるとまた変更、大幅な変更があって、何度も何度も見積もりをしなければならなくてっていうことで、だんだん遅れていったと聞きました。やはり自分が責任を取らないといけないという思いもあったのでしょう。

あとで一緒に住んでいた次男や友人から聞いたのは、10月ぐらいからすごく帰りが遅くなっていたということと、それから11月に入るともう日をまたいで12時過ぎに帰ってくる。あとは「人が足りない」とか「胃が痛い」と言って通院をしていたということです。

労災が認定された時に開示された専門医からの意見書にも、亡くなる1週間前ぐらいの時に、うつ病を発症したと考えられ、それによる自死とありました」

あまりに急激な変化と取り返しのつかない結果。安部さんは、会社や周囲が気づくことはできなかったのかと指摘します。

「え、この1週間で?っていう…。

その前は胃が痛いとか言うけども理論的にちゃんと話していたとかで、うつ病とは皆さんそう思わなかったのかもしれない。けど1週間前は全然様子が違って、歩き方が遅かったとか夕食も食べられていないようだったと聞きました。

どうしてその時に産業医とかにつないでくれたりしなかったのかなと。周りの方も知らなかったのか、どうしたらいいかわからなかったのか…」

過重労働で“事故死”

長時間労働や過労自死に加えて、過重労働が続いた中で帰宅途中に事故死したケースもあります。

観葉植物の飾り付けなどを行う都内の会社に勤めていた渡辺航太さん(当時24)が事故にあったのは、2014年4月24日。22時間近い連続勤務を終えてバイクで帰宅中のことでした。

連絡を受けたときの様子を母親の淳子さんは、昨日のように覚えています。

淳子さん
「私は午前中、仕事で外回りだったので電車に乗りましたが、携帯を見たところ、何十件もの着信が入っていたので、驚いて次の駅で降りて長男に折り返しの電話をしました。

『航太が事故で亡くなった。お母さん警察署に来て』 と言われ、私は『いやいや、だめだよだめだめ、とにかく病院へ連れていきなさい。私が航太と入れ替わるからとにかく病院へ連れて行きなさい』と、ものすごい大声で叫んでいたのを今でも思い出します」

渡辺航太さんについて
渡辺航太さんは、奨学金を借りて大学の夜間部に通い、6年かけて卒業しました。ただ就職活動は難航して卒業後の2013年9月、ハローワークでグリーンディスプレイ社の求人票を見つけて10月からまずは試用期間としてアルバイトで働き始めました。
この会社では観葉植物のレンタルや商業施設での飾り付けを行っていて、その設営や撤去の作業に航太さんは従事していました。勤務は深夜や早朝を含む不規則なものでした。
航太さんは翌年の2014年3月に正社員になり、その1か月後の4月の朝、前日の昼から22時間近い連続勤務を終えて、原付バイクで帰宅途中に電柱に衝突して亡くなりました。
その後、淳子さんは事故は過労が原因だったとして会社に賠償を求める裁判を起こしていましたが、2018年2月、横浜地方裁判所川崎支部が長時間労働で睡眠不足になっていた航太さんの事故を防ぐための安全配慮義務を、会社側が怠っていたと指摘する和解勧告を行い、和解が成立しています。

航太さんと母親の淳子さんは、ふだんから仕事の話をしたり映画を一緒に見に行ったりするほど仲のよい親子でした。

航太さんは自身が手がけた飾り付けが街を彩ることにやりがいを感じていましたが、それは昼間に準備をして夜中、誰もいないときに飾り付けを行う長時間労働に支えられていました。

「新人に仕事の流れを覚えさせるためという名目で、航太は広範囲の仕事を任され、長時間の時間外労働が続いていました。それも不規則なので帰って数時間でまた出勤して、出勤場所も都心のデパートだったり商業施設だったり。

渋谷でも新宿でも街並みがきれいになって、朝来ると皆さんが『わー』って歓声をあげると思うんですけれども、あれは航太たちが夜中に飾り付けをしていたんです。夜中が主な仕事になり、日中はその準備というような形で仕事は続くのです。

でも航太はそういったクリエイティブな仕事に就きたいという気持ちもありましたし、やりがいはあったのだろうとは思います」

“親は働く子どもを守れない”

今、淳子さんは就職前の若い人たちを前に、自身の経験を話すことがあります。そこで強調するのは、勤務間インターバルのことです。

勤務間インターバルは、終業時刻から次の始業時刻の間に一定時間の休息時間を確保するもので、淳子さんは、勤務間インターバル規制の最低基準を日本でも法律で定めてほしいと国に申し入れています。

淳子さん         
「長時間労働の過労死ライン※は1か月単位ですけど、それだと過労死は防げない。月まとめて何百時間までとかで、そしたらこの病気だと認めましょうというのがすごく恐ろしいです。

私は日本なりのやり方で、1日当たりの休息時間を設定してほしいと希望しています。深夜労働に関しては8時間以下とか、その頻度を抑えるとか、それは医学的に命を守るための働き方だと信じていまして、これを実現していれば、航太もこんな制度に守られて、気に入った仕事を安全に行うことができたと疑いません。

働く子どもの命は、親が守ることはできません。私もできませんでした。一緒に住んでいて。近所のお友達ができますか、きょうだいができますか。できなかったですよね。できなかった人はみんなものすごく傷ついています。病名がつくほどの病気になっています。であるならば、やはり公的なところで研究者が考えて、そこでこういう法律を作ってやっていくべきだと思います。

そして勤務間インターバルは、ヨーロッパなど他の国で実現できていますよね。日本より産業が劣っていますか?日本は今、焦って無茶な働き方をして、人が死んでいるんです。おかしいじゃないですか。そういうことはもうやめることにして、ぜひ、こんな悲しい思いをしている者の意見に耳を傾けてほしいです」

※長時間労働の過労死ライン        
厚生労働省が定める基準で、心身の健康に悪影響を及ぼす可能性が高まる時間外労働の目安で大きく以下の2種類        
・発症の2か月前から6か月前における時間外労働時間の平均が月80時間を超える        
・発症前の1か月間における時間外労働時間が100時間を超える        
ただし、厚生労働省によると、時間外労働時間が月45時間を超えるあたりから、健康障害と長時間労働の関連性は高まるとされる

過労死防止法施行から10年

2014年施行の過労死防止法に基づいて設置された「独立行政法人労働者健康安全機構 労働安全衛生総合研究所 過労死等防止調査研究センター」の高橋正也センター長は、それぞれの親たちの思いを受け止めつつ、この10年の成果と課題を次のように語ります。

高橋正也センター長
「『過労死等』は、政府当局にとっては扱いにくい言葉でありました。それが当事者の方々の尽力で、『過労死』なる言葉が国の法律に入ったということはすごいことです。働き方改革とかブラックという言葉、それからパワハラといったことが、普通に語られるようになってきた。『それはいかんよね』『もっと働きやすい職場作らなきゃいけないよね』っていうムーブメントみたいなものにはつながっていると思います。  

ただ、10年での成果として、過労死はなかなか目立って減っていません。基本は1件でも起こしてはいけないんです。ところが企業によっては繰り返してしまう。それに対して時間外の上限規制ですとか、今年の春からは、繰り返した企業には、各労働局からの指導が入って、向こう1年ぐらいかけてどう改善していくかをフォローされるなど、対策は強化されてきました。

それでも本当に会社がよくなるか、組織がよくなるのか。過労死の遺族の方と話すと、『やっぱり他人事なんだね』と指摘される。やはり自分ごととして、我が社のこととして、こんな悲劇が起こった、あるいは繰り返したという時に、今までの働き方、あるいは会社のあり方をいったんリセット、ゼロに戻すことが必要です。小手先でちょっと工夫しました、だけでは過労死はなくならないと思います。

本当にゼロから出直すという態度で、会社の、あるいは組織の上から下までいくには確かに時間がかかると思いますが、それはもしかしたら遠い道かもしれないが近道かもしれないというふうに思います」

NHKと労災

11年前、東京都庁の取材を担当していた当時31歳の佐戸未和記者が心不全で亡くなり、翌年、長時間労働による過労死と認定されました。

5年前には、同じく都庁の取材を担当していた40代の男性管理職が亡くなり、おととし、労災と認定されました。今年3月には、別の職員が長時間労働による労災として認定されました。この職員はすでに職場に復帰していますが、東京労働局は、この3年間で複数の長時間労働による労災認定があったことから、NHKに対して行政指導を行いました。

NHKでは、労働時間に頼らない組織風土づくりや業務改革など、働き方の改善に一層取り組んでいきます。

今回の内容について

記事で紹介した内容の詳細は、ラジオ第1の「ラジオ深夜便」で11月30日(土)午後11時5分から、2部構成でおよそ80分にわたりお伝えしました。
 

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