「死刑はんこ」失言
“岸田流”葉梨法相更迭の深層
「法務大臣は死刑のはんこを押したときだけニュースになる地味な役職だ」
法務大臣の職や死刑を軽んじるような発言に批判が集まった葉梨康弘が11日辞任した。事実上の更迭だ。
しかし、総理大臣の岸田文雄はギリギリまで葉梨を続投させる意向を示していた。
なぜ、急転直下の辞任となったのか。
野党だけでなく、与党内からも「後手に回った」と批判が出た岸田の判断。
その舞台裏を検証する。
(清水大志、山田康博)
政府内に異変
11月11日(金)朝8時半すぎ。政府関係者から、耳を疑うような情報が寄せられた。
「突然、総理外遊日程の変更調整が始まり、外務省が大パニックになっている」
「官邸の中が異様にバタバタしている」
この日の午後3時予定だった総理大臣・岸田の東南アジア歴訪出発が遅れそうだというのだ。日本の首脳外交にも影響が出かねない事態だ。考えられる理由は1つだと感じた。
「法務大臣・葉梨の辞任だ」
パーティーでの発言
その2日前の9日(水)の夜。
葉梨の問題となった発言は、同じ岸田派所属の議員のパーティーの席で出た。
「法務大臣になって3か月がたつが、だいたい法務大臣というのは、朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」
「今回は旧統一教会の問題に抱きつかれてしまい、ただ抱きつかれたというよりは一生懸命、その問題の解決に取り組まなければならず、私の顔もいくらかテレビで出ることになった」
「外務省と法務省は票とお金に縁がない。法務大臣になってもお金は集まらない。なかなか票も入らない」
政治家が同僚のパーティーでサービス精神を発揮したつもりが、取り返しのつかないことになるケースを何度も見てきたが、今回も同じだった。野党が批判も辞任否定
翌10日(木)。野党側は葉梨の発言を批判し、辞任・更迭を求めた。
(立憲民主党 泉代表)
「問題発言をした葉梨大臣の死刑執行の判断が信頼に足るのか、多くの方々が疑問を持つのではないか。任にとどまることはふさわしくない」
しかし、この日、葉梨は国会で発言を謝罪したものの、辞任は否定。任命権者の岸田も、午後7時すぎ、葉梨を交代させる考えはないことを明らかにした。
(岸田総理大臣)「官房長官が総理大臣官邸に呼び、厳重に注意をした。そのみずからの職責の重さをしっかりと感じて説明責任を果たしてもらいたい。これからも、職責の重みを感じて発言は丁寧に慎重に行ってほしい」
続投論・更迭論が交錯
しかし、この日の夜、岸田が葉梨の大臣続投を表明したあとになって、葉梨が10月のほかのパーティーでも同様の発言をしていたことが明るみに出た。
官邸はこの情報を把握していたが、報じられたことで、事態は悪化する。さらにこれ以外にも同様の発言をほかの場所で複数回していたという情報も官邸にもたらされた。
それでも、岸田は周辺に「辞めさせない」と漏らしていた。
複数の政府関係者への取材を総合すると、この日、官邸内では、続投論と更迭論が交錯していたことがわかる。
「総理は最初の時点では葉梨さんの発言にかなり怒っていたが、少し冷静になって世論や与野党の雰囲気をみようということになった」
「『勘弁してくれ』という感じだが、本人がしっかり説明していくことに尽きる」
「『辞めさせるべき』という雰囲気と『続けさせよう』という感じが、行ったり来たりしていた」
与党内からも批判・懸念
一方、与党内からは、対応の遅れを批判する声や、今後の政権運営への懸念の声があがっていた。
「世論を読み間違えている。ドミノ辞任を避けて続投させようというんだろうけど、世間が納得しないのではないか」(与党幹部)
「葉梨大臣のもとでは死刑は執行できなくなる」(与党ベテラン議員)
そもそも葉梨が法務大臣に就任して以降、死刑執行はない。
与党内からは、経験していないからこそ、こうした軽すぎる発言を繰り返したのではないかと指摘する声も聞かれた。
複数の法務大臣経験者に聞くと、死刑を判断する重みがひしひしと伝わってくる。
「死刑執行の書類には、表現しようのない緊張感の中で、命を削られるような思いで向き合い署名するものだ」
「あの発言はアウトだ。経験者として、死刑を冗談のネタにするなど、怒りを通り越して悲しい」
11日早朝の電話
与野党内や世論に反発が噴出するなか、迎えた翌11日。
政府関係者への取材で、局面が大きく動いたきっかけは、早朝の1本の電話だったことがわかった。
朝6時半、岸田と葉梨が電話で話をしていたというのだ。
世論の反発が大きくなる中、政権にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。身を引くことが傷を浅く食い止めることになる。それには岸田の外国出張前のこのタイミングしかないと考えたのだろう。
葉梨は岸田にこう伝えたと、国会で明らかにした。
「非常にご迷惑をかけました。率直に反省しています」
さまざまな思いが2人の間で交錯し、最後の判断は岸田が引き取った。
政府高官は、当時の葉梨の状況について、「本人の気力が、続ける気があるなら違った可能性もあったが、そうではなくなっていた」と語った。
辞任は午後に
その日の午前9時。
葉梨の発言について集中的に審議する衆議院の法務委員会が開かれた。
この日の午前には、参議院本会議が開かれ、感染症法などの改正案が審議入りした。新型コロナ対応をめぐり、地域の医療提供体制の強化策を盛り込み、岸田がとりわけ重視する法案だ。
この2つの審議が終わった午後1時すぎ。
岸田は、葉梨を辞任させる意向を固め与党幹部に伝えた。
この時間になったのは、国会審議への影響をできるだけ少なくしたいという思惑があったとみられる。
そして午後5時前、神妙な面持ちで葉梨は官邸に入った。
すでに2人で話はし尽くしていたのだろう。会った時間はごく短時間だった。
会談後、岸田は、急転直下の判断の理由を記者団にこう述べた。
「葉梨大臣から身を引きたいとの申し出があり、法務行政の根幹に関わる制度についての軽率な発言で、国民の信頼を損ねたこと、また、旧統一教会による被害者救済に政府を挙げて取り組む中、その重責の一端を担う法務大臣の発言によって重要施策の審議などに遅滞が生じることを考慮し、辞任の申し出を認めた。私自身の任命責任も重く受け止めている」
危機管理はどうあるべきか
問題発覚直後の10日ではなく、国会で説明させたあとの11日の辞任。
岸田に近い政府関係者は、こう説明する。
「すぐに辞めさせずに、きちんと自分で説明させて猶予を与える。説明責任を果たさせるのが“岸田流”なんだ。以前の政権の、問題が発覚したらすぐに首を切っていた“安倍総理大臣の手法”にみんな慣れているから、『なんでもっと早く辞めさせないんだ』と批判するが、これが岸田総理のやり方だ」
しかし、参議院本会議や衆議院法務委員会での審議が終わってからの葉梨の辞任には、「国会軽視」「質疑者や国会にとって信義にもとる行為だ」という批判が、与野党から出ている。
たった1日の違いだが、この時間がダメージを大きくし、政権の体力が奪われていったという指摘も多い。
政府内からも危惧する声があがっている。
「“岸田流”も今後はやり方を考えないといけないなという印象を持つ」
史上最長の政権だった安倍政権では、菅官房長官や今井総理大臣秘書官、北村内閣情報官らが政権を危機管理面でも支え、閣僚の失言には速やかに対処して“火消し”していた。政権の危機管理が今のままでいいのかどうかは再考の余地があるだろう。
今回の葉梨辞任直後のNHKの世論調査では、岸田内閣の支持率は10月より5ポイント下がって33%と過去最低となった。
岸田は、東南アジア歴訪から帰国すると、今年度の第2次補正予算案の審議が待ち受け、経済再生担当大臣だった山際に続く葉梨の辞任について、岸田は説明を求められることになる。
野党側は、政治資金をめぐる問題が相次いで指摘されている寺田総務大臣についても引き続き追及を強める構えだ。今国会では、旧統一教会の被害者を救済する法案をどう提出し、成立させるのかという課題も残っている。
岸田政権にとって厳しい局面が続くことになりそうだ。
(文中敬称略・肩書は当時)
- 政治部記者
- 清水 大志
- 2011年入局。初任地は徳島局。自民党・岸田派の担当などを経て官邸クラブに。
- 政治部記者
- 山田 康博
- 2012年入局。京都局初任。政治部では法務省や公明党の担当などを経験し、現在は自民党を担当。