伝説
1952年、コロラド州の実業家でアマチュア催眠術師でもあったモーリー・バーンスタインは、地元に住む当時29歳の主婦、ヴァージニア・タイを誘い、催眠術の実験を行った。
実験でバーンスタインは、過去の記憶をさかのぼる退行催眠をかけるつもりだった。
いま、私たちは逆戻りしようとしているのですよ。時間と空間の中をちょうど本のページを逆にめくるように、逆戻りしているのですよ。
通常、退行催眠でさかのぼるのは子ども時代までである。ところがこのときバーンスタインは、ある決意を胸に秘めていた。年齢を1歳までさかのぼり、そこからさらに「関所をこえて」どこまでさかのぼれるか探ろうとしたのである。彼はヴァージニアに語りかける。
ずうっと、ずうっと、ずうっと、さかのぼって、今あなたは不思議なことだが、ある他の場面、ある他の場所、ある他の時間にいるのですよ。そして今度、私があなたに話しかけたら、あなたはそれについて私に話しかけてくれるのですよ。
長い沈黙があった。しかしそのあと驚くべきことに、ヴァージニアは静かなアイルランド訛りで話し始め、「ブライディ・マーフィー」と名乗るアイルランド人女性の人格が出現したのである。
催眠下の話によると、彼女は1798年にアイルランド南部のコークで、プロテスタントの法廷弁護士、ダンカン・マーフィーとその妻キャサリーンの娘として生まれたという。
ありふれた学校生活の後、20歳になるとコークの法廷弁護士の息子、ショーン・ブライアン・マッカーシーと結婚。2人は地元でプロテスタントの結婚式をすませた後、ベルファストの聖テレサ教会でジョン・ジョゼフ・ゴーマン神父によるカトリックの式を挙げた。
その後、夫のブライアンは法廷弁護士になり、1847年以降はベルファストのクイーンズ大学で教えるようにもなる。そして2人は大学のあったベルファストのドゥーリー通りで、木造の家に暮らし続けることになった。
ブライディは60代の始めに転落事故で腰を骨折。ショーンはよく面倒をみてくれたが、いつもひどく疲れた様子だったという。そしてついに1864年のある日曜日、ブライディは66歳で静かに息を引き取った。
この話を聞いたバーンスタインと証人として立ち会った人々は、ヴァージニアの語った内容は詳細を極め、圧倒的な説得力があると感じた。アイルランド訛りも本物のように思われたし、あるときには話だけでなくアイルランドの踊りを踊ったり、歌を歌ったりしたこともあった。
またバーンスタインによると、ヴァージニアは百科事典やその他の参考にできる本を一切持っておらず、図書館のカードもなければ本を読む習慣もなかったという。さらに、その後の調査ではヴァージニアがカトリックの式を挙げたという聖テレサ教会の実在も確認された。
これらを総合すれば、ブライディ・マーフィーの事例は生まれ変わりの事実を示す決定的な証拠であることは間違いない。(以下、謎解きに続く)
謎解き
「前世」や「生まれ変わり」の決定的な証拠として注目され、本では1956年に出版された『The search for Bridey Murphy』(『ブライディ・マーフィーを探して』)が100万部を超えるベストセラーとなったこの事例。
当然気になるのが、この話はどこまで本当なのか? という点である。もしその多くが本当であるならば、生まれ変わりの証拠と言えるかもしれない。ところが実際には、【伝説】でいわれる内容は、どうも出来すぎているようである。
一体、どういうことなのか。以下で個別に見てみよう。
記憶と事実が違う
ブライディは1798年12月20日にコークで生まれ、1864年のある日曜日にベルファストで66歳で亡くなった。
アイルランドでは1864年より古い誕生と死亡の記録は残っていないものの、幸い、1864年については記録があり、一部の教会にはそれよりずっと古い記録もある。しかしブライディの誕生と死亡の記録はどこにもいない。
また夫のショーン・ブライアン・マッカーシーの名も当時の弁護士名簿に載っておらず、コーク市の人名録でも1820年以降ほぼ完全に残っているが、ブライディの家族の記録はどこにもない。
ブライディは、ベルファストの聖テレサ教会でジョン・ジョゼフ・ゴーマン神父によるカトリックの式を挙げた。
1910年以前のベルファストにそのような教会は存在しなかった。またアイルランドの教会の記録に「ジョン・ジョゼフ・ゴーマン」という神父の名前も載っていない。
「ドゥーリー通り」で木造の家に住んでいた。
アイルランドの家はほとんどが石造りで、ブライディの家の記録は見つかっていない。また結婚後にずっと住んでいたという「ドゥーリー通り」も存在しなかったことが確認されている。
ブライディはストレインのデイ・スクールという名の学校に通っていた。
調査の結果、これと同じ、あるいはそれと似た名前の学校は存在していないことが判明している。またブライディの夫はクィーンズ大学で法律を教えていたとも語っていたが、夫の名前はもとより、同僚として名前を挙げられていた人々のうち、誰一人として大学に在籍していなかった。
知識や技能の源泉
このようにヴァージニアが詳細に語った前世の話は、ずいぶん事実と異なることがわかっている。一方、アイルランド風に思えたという訛りやダンスなどについては、知識や技能の源泉がどこかにあったのではないかと考えられている。
心霊研究の季刊誌『トゥモロー』の1956年夏号に、「存在しなかった女」というタイトルの論文を寄稿したエリック・ディングウォールによれば、催眠状態にある被験者は意識的な状態では忘れていることでも思い出すことがあり、ときに劇的な能力を発揮することも珍しくないという。
催眠状態で質問されると、自分の知識や技能をどこで身につけたのかを明らかにすることもしばしばあるのだという。
ディングウォールは次のように述べる。
通常の知識の源泉があって人並みの演技力を持ち合わせているということだけで、現象を合理的に説明できてしまう事例はいくらもある。この場合に限って、そうした平凡な事例とは明らかに違うという仮定を保証するようなものをヴァージニアの事例に見い出すことはできなかった。
やはり残念ながら、今回の事例を生まれ変わりの証拠とするには弱いようである。ブライティという女性は過去の時代に生きていたのではなく、バーンスタインの催眠によって生み出され、ヴァージニアという女性の中で生きていたような存在だったのもしれない。
【参考資料】
- モーレー・バーンスティン『第二の記憶: 前世を語る女ブライディ・マーフィ』(光文社)
- コリン・ウィルソン『コリン・ウィルソンの「来世体験」』(三笠書房)
- ポール・エドワーズ『輪廻体験―神話の検証―』(太田出版)
- 『OUT OF THIS WORLD』(Macdonald)
- ケネス・シルバーマン『フーディーニ!!!』(アスペクト)