SFCはなぜ期待外れだったのか――「リーダー不要論」の結末
なんと中高大と10年間SFCに通ったという加藤さんに写真を拝借。 |
25日のOB会にて、SFC創業メンバーのキーパーソンで総合政策学部の二代目学部長を務めた井関利明さんの、SFC創業に至る物語を、じっくり聞いた。
僕は第一志望でSFCだったし、SFCが鳴り物入りで創設され、まだ卒業生も輩出していなかった時代の3期生だから、アツい思いで入学した世代。思い入れも強い。
そのSFCがイマイチ結果を出せていないと私は感じており、その原因は何なのか、先進的であるはずのSFCがダメなら日本の大学は全て絶望的で国としてもヤバいだろう、というのが私の関心事であった。
私の仮説は、リーダー教育の欠落と、教員側のぬるま湯体質を温存した結果、活躍する人材を生み出せていないのでは、というもので、それは、井関さんの話を聞いて、より強まった。もちろんSFCは大学改革の先導者であり、他大学は概して、レジャーランドに過ぎない。私の分析はすべて「当初の期待値に比べて」という意味である。
卒業生の活躍
まず、教育機関としての大学は、卒業生の活躍度合によってしか評価されえない。それ以外に、どれだけ理念がすばらしかろうが、国や社会から見たら、自己満足にすぎない。
1~5期生の人たちは、もうみんな35歳以上で、キャリアという点では結果が出ていなければいけない年齢。客観的に、シビアに評価できる時期にきてしまっている。卒業生の活躍という点で見ると、左記のとおりだ。
■国会議員は、世襲以外の実力では1人も出ていない(小沢塾幹事で選挙活動ゼロで名簿当選した相原さんを例外として)。他大では41歳で大臣になっている者(細野氏)もいるのに、なりそうな者すらいないのだ。
官僚でも40歳前後は課長補佐クラスで第一線でバリバリ働いてる年代だが、特段、他大学出身者と異なる動きをしている人の話は聞かないし、ドロップアウトして何か特異な取り組みを始めたという話も聞かない。
■ベンチャーで上場まで行ったのは4~5期生の3社だけ(クックバッド、ネットプライス、フリービット)。1期~3期ではゼロだ。これは他大学と比べ、多くも少なくもない。twitter,facebook,gree, Lineといろんなサービスが世間でブレイクするなか、SFC卒業生は、それらにほとんど絡んでいない。日本発の独自サービスが世界標準に名乗りをあげられていないのは、最先端の環境を有したSFC卒業生が創れていない以上、当然の結果ともいえる。■NPOや社会起業家系では、9~10期生前後に何人か有名な人が集中しており、これは「問題を発見し、解決する」というSFCの理念をモロに体現しており、素晴らしい成果といえる。マザーハウス山口さん、フローレンス駒崎さんなどだ。
昨今では、2010年度の卒業生の就職先で、一番多いのが楽天と野村総研とのこと(いずれも2ケタ)。ほとんどITの専門学校に大卒の資格を与えたような実態になっている模様である。
ようは、総じて日本社会に大きなインパクトを与えるには至っておらず、良いスパイスを与えてはいるが、社会が抱える「問題を発見して解決する」勢力に、当初のもくろみに比して、なりえていない、というのが、事実認定としては正しかろう。
こうしたなか、特に1期生~3期生の不振が目立つ。入試の倍率も今の2倍くらい高く、一般入試の応募者は両学部とも6千人~9千人もいた。優秀で志の高い人も多かったと思うし、教員側も創業メンバーばかりで、ダイレクトに理念を共有し伝授できる環境にあったわけだが、どうして結果が出ていないのか?
私はもっと出てくると思っていたので、正直、不満である。
リーダー不要論と「目標はいらない」
そもそも、SFCには「問題を発見して解決する」という理念は明確だったが、リーダーを育成するという理念は存在していなかった。実際、SFCのカリキュラムには、リーダーシップのリの字もなく、座学ですらその重要性を学ぶ機会はなかった。
今となっては、問題を解決する上でリーダーは不可欠であり、そこに議論の余地はないと考えているのだが、どうしてなかったのか。井関さんの講演を聞いて、その理由が、やっとわかった。
なんと、「リーダー不要論」をとくとくと話し出したのである。井関さんによると、リーダーとフォロワーという関係は古い概念であり、これからの社会で必要なのは、カタリスト(触媒)やコーディネーターだ、というのだ。
SFCが目指したのがリーダーの育成ではなく、カタリストであったというのは、なるほど、と思う話だった。なぜなら、それでSFCの初期の卒業生に「ナンバー2&名参謀」が多いことを説明できるからだ。楽天創業時のナンバー2~4やサイバーエージェントの創業時ナンバー2はSFC卒業生である。ゴスペラーズの北山さん(3期生)もリーダーではない。
さらに井関さんは、「目標はいらない」とも断言した。「目標があると、それ以上はやらなくなり、予測不可能な成長を阻害するため」だという。そして、ノーベル賞を受賞した山中教授を例に、環境の相互作用で成功に導かれていくものなのだ、目標があったわけではないのだ、といった話をしていた。
これで、SFC初期の卒業生が現実世界でリーダーとして活躍していない理由を理解できた。そのような視点で学生を採用もしていなかったし、そのような教育もしていなかった、というわけだ。
問題を解決するのはリーダーである
「リーダー不要論&目標はいらない」は、現代思想論のような学問の世界でなら、概念的には理解できる。だが、それは実学を重視し、問題を発見して解決するというSFCの理念を体現するうえで、明らかにバッティングするどころか、有害であることは明らかだろう。問題を解決するのは、間違いなく高い目標を掲げたリーダーなのだから。
新しい大学を作るなら、どの分野にどういう人材を、何年後に何人輩出したいのか、という具体的な目標があるべきだと思う。たとえば、20年後に国会議員10人、地方議員30人、ベンチャー上場社長20人、ベストセラー作家10人、30年後までにノーベル賞受賞者輩出、などである。
目標があって、目標にコミットしてはじめて、どんな学生を採用するかの方針が決まり、教育内容のカリキュラムが決まるわけで、これは民間の組織運営としては当然のことである。カルロス・ゴーンのいう、コミットメント経営だ。民間で働いたことがない学者には、そのあたりが理解できないのだと思う。
卒業生に結果が出ていないことについては、「そんな厳しいことを言わせないでよ」とのお答えで、井関さんも僕も、認識は同じだった。ただ、その原因について、私はリーダー教育や目標設定の欠落が問題だと思うのに対して、井関さんはそうは考えていない、というのが違いである。
教授側に競争がない
井関さんには、もう1つ質問をした。成果が出ていない理由をリーダー教育以外に挙げると、SFCが教員サイドの既得権を改革せず温存しすぎたことが問題だと思っている、という件である。
去年、准教授や教授を匿名を条件にインタビュー取材したが、海外でテニュアといわれる終身教授の権利が、SFCだと30代で専任講師や准教授になった段階で持ててしまい、65歳まで特段、顕著な教育・研究成果がなくても、雇用が安泰なのだ。これはひどい。「ぬるま湯」である。
去年、竹中教授が講演で言っていたのは、日本の大学の問題は、教員の間で競争がなさすぎること、だという。教員が競争してないのに、そこで学んだ学生が社会に出て厳しい競争で勝てるわけないのである。
これは私もベンチャーやってるし、物書きをやってるから実感しているところであるが、民間は成果がなければ消える厳しさがある。だがSFCは、教員の雇用制度に、何も手をつけなかった。
なかでも、少なくとも授業評価の結果を教員の査定に結びつければよかったのに、それさえもやらなかった。高橋潤次郎さんが慶應病院の病床から説得して、やっと形式的な授業評価が導入されただけ。これは教員の査定とは未だに無関係なので、形骸化している、というのが学生と教員の共通認識である。
いったい、誰が抵抗勢力だったのか?井関さんの答えは、「当時、どこも授業評価を導入している大学はなかったという環境下で、導入することだけでも、大変なことだった。だって、評価シートに、本当に心ないことを書いてくる学生がいるんですよ…」。
まあそんなところだろうが、日本の大学がグローバルで評価される存在になりえないのは、このように教員の既得権を優先して、ダメな授業や教員が淘汰されず、授業の質が上がらないことに原因があると思う。
学生と先生の関係を、福沢諭吉の理念である「半教半学」だと言うなら、相互評価は必須であるはずだった。学生の評価能力を過少評価し、怯え、既得権を守った結果、大学の教員サイドの「ぬるま湯」はSFCにおいてさえ、改革されなかった。
学際的な知識の融合だけでは問題は解決しない
リーダー教育を掲げ、そういった素質を持った人材を高校から集め、カリキュラムにリーダーシップ教育を導入し、教員側とも相互に評価しあっていくような大学であれば、「問題を発見し解決する」という理念を体現したリーダーを、SFCは、もっと生み出せたはずである。
理念や知識だけはすばらしかった民主党政権が何もできなかった事実をみれば明らかなように、実行力がないと、リーダーシップがないと、現実社会の問題を発見して解決するには至らない。
学際的な知識の融合だけでは、社会の問題を発見し解決するリーダーを輩出できないのだ、ということを、SFCの20年は教えてくれたのである。
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「評価シートに、本当に心ないことを書いてくる学生がいるんですよ」それを書く立場だったので猛省。そりゃわけの分からん学生から辛辣な評価を受けるのは辛いし、無駄だ。本筋とは無関係だけど。
“国会議員は、世襲以外の実力では1人も出ていない”, "ベンチャーで上場まで行ったのは4~5期生の3社だけ(クックバッド、ネットプライス、フリービット)", "日本発の独自サービスが世界標準に名乗りをあげられていな
環境のせいにするのは愚であると百をも承知で、それでも恥を忍んで言えば、確かに、SFC生同士で何かを動かす時はツーカーでやれる。でも、それを他の環境の人へ波及させていくのは本当に苦手なんだと思う。
SFCに、というか大学に期待しすぎだからでは?
SFCに入学していたらどんな人生を送っていただろう、と思うことはあるが。
これだからセガ派は
自分が受験生だった頃(20年前)、数学+小論文のみの入試だったような。。。
私は大学人なので大学一般が好きだが、それにしてもこの筆者は大学に大きなものを求めすぎてないか?
”「リーダー不要論&目標はいらない」は、実学を重視し、問題を発見して解決するというSFCの理念を体現するうえで、明らかにバッティングする”
SFC
反論もあるだろうけどなるほど。
学生は上手いこと集めたけど、結局教授陣がなーという印象。学際的なところばっか田舎に集めてしまったのも間違いで。
論考そのものも興味深いが、SFCへの一番の違和感は、図書館と生協書籍部が貧弱なこと。8年ぶりに訪問してみて、悪化しているように感じたが。
RT"@masanork: 手厳しい批判。アウトカムの判断基準が世俗的なのと、リーダー教育を志向すればリーダーが育つって考え方は甘い気も。あと初期の卒業生は... / “SFCはなぜ期待外れだったのか――「リーダー不…”
手厳しい批判。アウトカムの判断基準が世俗的なのと、リーダー教育を志向すればリーダーが育つって考え方は甘い気も。あと初期の卒業生は日本社会に受け入れる懐の深さがなく苦労したのかも
このへんが渡邉さんのセンス悪いところ
「問題を解決するのはリーダーである」問題が解決しても部分最適してると、継続も途絶えて道具化してくのか。
他大学出身者からみれば、SFCは優秀な人が多いなという印象。
"海外でテニュアといわれる終身教授の権利が、SFCだと30代で専任講師や准教授になった段階で持ててしまい、65歳まで特段、顕著な教育・研究成果がなくても、雇用が安泰"
SFCの授業はどれも面白かったけど?もちろん問題意識がない中で受けても面白くない。それにピラミッドのトップ発想のリーダーシップが時代遅れ。自律分散協調がSFCでしょう。リーダーよりもリーダーシップが重要です。
スーファミは神ハードだったダロガ!(読んでない
90年代後半に、生協書籍部に「これからはSFCの時代!東大はいらない」という内容の本が並んでいたのを思い出す。/教員間の競争がないのは日本中の大学の大問題。本当にどうにかしてほしい。
N64とは比べものにならないくらい良かったですよ
問題を解決するカタリストでもいいんじゃない?
ふーん
もし共立薬科をもっと早めに飲み込んでさえいればこんなものなんて作らなくて済んだのだ。卒業生には悪いが湘南藤沢高校も含めて「吹き溜まり」なんだよ、今でも。
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読者コメント
SFCの教員だけではないですが、慶應での教員は何を勘違いしているのか(福沢諭吉の考えと相反していて)かなり威張っている人が多いです。FSCの説明会で教授がかなり、高飛車な感じで話すので、怖くて保護者も質問できませんでした。
リーダーって
組織の一番先頭で前から引っ張ってくカリスマ系のファシリテータと、組織の一番末尾で後ろから実務の面でメンバーをフォローするハイスキル職人系の実務型。
リーダーなんて2人で十分ですよ。そんなにたくさんいらないし、なるやつは勝手になる。
リーダーシップというのは、無いところに種を植えて育てるものではなく、既にある種が経験の中で勝手に育ってくるものです。
あらかじめ種を持っていない人間に対してまで育成・教育次第でどうにでもなると考えるようでは、どうしようもありませんな。
残りの98人は、調整屋からスペシャリストまで幅広くいれば、それなりに組織は回ります。
むしろ、リーダーがゴロゴロいるような組織こそ、意見がぶつかり合うだけで、結局前に進まないんですよね。人間的な摩擦もまた増えて、メンタル疾患増やす要因だし。
湘南は都心から遠すぎる。大学の4年間を都心から離れて過ごすデメリットが大きいのではないか。
情報収集や人脈も限られたものになる。だからではないだろうか。
高橋潤次郎は高橋潤二郎さん、ですね。
ポイントを突いていますね。パワポとプレゼンが上手な卒業生は多いようですが....
ICUに勝てないと聞いて
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