典型的な成功例は Facebook です。最初はハーバード大学の学生だけ、という極端に際立ったコンテキストでのサービスとして小さく立ち上がり、それがハーバードと交流のある一流大学、そして、次に一般の大学と、少しづつコンテキストを広げつつも、当初の「排他的な空間の良さ」を失わずに急速に成長しました。
Facebook にとっての一番の危機は、それを一般の人たちに解放した時でした。それまで排他的な空間を楽しんでいたコアユーザーたちが、コンテキストの希薄化を嫌い、一気に辞めてしまうリスクが十分にあったからです。
Facebook 自身も相当の危機感を持って、丁寧にオープン化を進めましたが、結果的にはこのオープン化がさらなる成長を可能にし、今日の Facebook を形作ったという点に関しては、Facebook の経営陣を褒めるしかありません。
対照的なのが 、「若い日本人」というコンテキストでスタートした mixi です。日本で早々に上場してしまったため、非上場であるがゆえに思い切った Facebook のような戦略が取れなかった、というのも原因の1つだとは思いますが、一番の問題は、サービス当初のコンテキストから抜け出すこと(=ユーザーの幅を広げること)が出来なかったことにあると思います。
ハイコンテキストなSNSとして際立ったものは、私が2007年にスタートした PhotoShare です。運営側としては、今の Facebook のように色々な人が写真を通してコミュニケーションをする、という場を作りたかったのですが、実際にサービスを開始してみると、熱烈なファンのために、とてもコンテキストの際立った場が出来てしまいました。
その中心にあったのが、ユーザーたちの間で「PhotoShare Queen」と呼ばれた10代後半から20代前半の(主に米国の)女の子たちです。彼女たちが、自撮りを撮影し、それに男たちが懸命になってコメントを書く、という特殊な場が作られていったのです。今は、誰もがやっているスマートフォンを使った自撮り(Selfie)というムーブメントは PhotoShare から始まったのです。
あるユーザーからは、「PhotoShare はコカインよりも中毒性が高い」とのコメントをいただきましたが、一度はまると、1日数時間は PhotoShare を使い、勉強に手がつけられなくなり、親から iPhone を取り上げられる、という事例もあり、PTA で問題になったこともあったそうです。
PhotoShare の中には強いコミュニティが作られ、日米でオフ会も行われたし、カップルも生まれ、そのうち何組かは結婚にまで至りました。
しかし、こんな「濃いコミュニティ」にはどうしても排他性が働き、新しく入って来るユーザーにとっては必ずしも居心地の良い場所ではなくなったり、極端なケースでは「いじめ」すら起こりました。
PhotoShare の場合は、不適切な写真を投稿した人を自動的に排除する仕組みがありました、それを利用して組織的に気に入らない人を排除する、という行動すら見られました。
PhotoShare が初動で100万ダウンロードを超え、最初の2年間は「iTunes ストアでもっとも人気のある写真共有サービス」であったにも関わらず、最終的には後発の Instagram に負けた理由の1つは、この「濃すぎるコミュニティ」にあったと私は解釈しています。
最終的に Facebook に買収される形となった Instagram は、PhotoShare から「写真を共有して楽しむ」というコンテキストだけを上手に抜き出し、PhotoShare のような閉じた空間にとどめず、最初から Facebook や Twitter への拡散を前提に作ったのが成功に結びきました。
この PhotoShare と Instagram の違いに関しては、社会心理学の論文が1つ書けるぐらいの奥の深い話ですが、ひとことでまとめれば、「オフ会の開催、カップルの誕生、イジメ」にまで発展した PhotoShare と、「Facebook や Twitter を通じた軽いコミュニケーションスタイル」に乗じた Instagram の違いだと言えます。