親であれば誰でも、我が子には幸せに育ってほしいもの。だからつい、良いことをしている姿を見ると、手放しで褒めたり励ましたりしてしまいます。でも、ちょっと待って。その褒め方、正しいメッセージを送れているのでしょうか。その答えは、Yesでもあり、Noでもあります。
ある部分に関しては、Yesです。親である私たちは、子どもにとって最大の応援団。子どもが適度な自尊心を持つためには、親から励ましてもらう必要があるのです。
でも、そこで重要なのが、状況に応じた適切な褒め方を理解すること。
褒めることを水に例えてみます。それは、小さなどんぐりを大木へと育てる力を秘めた、いわば生命の源。すべてを緑に保ち、美しく成長させる力を持っています。ところがそれは、すべてをおぼれさせ、腐敗させ、カビを生やす力も併せ持ちます。つまり、ほかのすべてのことと同様、適切な使い方と使い時を知ることが重要なのです。
子どもが絵を描いて持ってきた場合
こんなシナリオを考えてみましょう。『Peaceful Parent, Happy Kids: How to Stop Yelling and Start Connecting』という本からの流用です。
ある平和な週末のこと。珍しく予定もなく、午前中をまるまる自由に使うことができます。あなたは、娘に好きなことをしていいよと告げました。娘は、絵を描きたいと答えます。
娘は驚くほどの集中力を見せ、あなたは邪魔されることなく家事を済ませることができました。そこに、誇らしげに作品を持った娘がやってきて、こう尋ねるのです。「ママ(パパ)、これ私が描いたんだ。どう?」
その絵がぐちゃぐちゃで、何を描いたのかすらわからないとき、あなたならどう答えますか?
悪い褒め方(とその理由)
これがよくない理由:
このような褒め方は、注目してもらえたという瞬間的な喜びを与えるだけなので、もっとも効果が望めない方法です。「うまく描けている」理由がまったく伝わりません。
こんな褒め方を過度に続けていると、子どもはいつか「褒められ中毒」に陥ります。「上手だね」と言われることによる即席の喜びを得たいがために、お粗末な仕事をすることもいとわなくなるのです。
さらにひどい副次効果もあります。私はときどき、忙しさのあまり娘の見せてくれたものに注意を払えず、お手軽な励ましの手段として「上手だね」と言ってしまうことがあります。でも、悲しいかなこの「上手だね」は、「あっちに行ってなさい」をオブラートに包んで言っているのと同義なのです。やがて、オオカミ少年のように、その褒め言葉はまったく違うシグナルを送るようになってしまいます。
これがよくない理由:
この種の褒め方は、固定的な考え方を植え付けてしまう原因になります。
このような言い方には、「人や物を素晴らしくするのは天性の才能である」という意味が言外に含まれます。子どもはこれを拡大解釈し、何かをするのに努力が必要だと感じたときに、自分は天才ではないのだと思いこみます。自分を特別にしているのは天性の才能なのだから、それを手放さないためには努力をしなければいいと結論付けてしまうこともあるのです。こうなると、どんなに才能を持っている子どもでも、それを開花させるだけの余地がなくなってしまいます。
さらに、この褒め方は、子どもにとってのプレッシャーにもなります。今後その子は、天才アーティストとしての期待を背負って生きていかなければならないのです。親はそんなことを意図していなかったとしても。クリエイティブなプロセスを純粋に楽しむことを、こんな方法で奪われてしまうのはあまりにも悲しいことではないでしょうか。
これがよくない理由:
子どもは子どもなりに、自分の作品があまり上手でないことをある程度認識しています。もしかしたら娘は、挑戦したことがうまくいかず、不満を抱いているかもしれません。自分の絵がヘタであることに気づいているかもしれません。娘があなたのところに来た理由は、慰めてもらうためだったのです。それなのに褒められた。自分の認識とそぐわない褒め言葉に、娘は混乱に陥ります。
親としてはよかれと思って言ったことかもしれませんが、それはむしろ子どもの判断力を奪ってしまう、有害な言葉だったのです。自分が内心ヘタだと思っているのに、親は自分の絵を描く「スキル」を高く評価していることが、恥ずかしいと思ってしまうことだってあるでしょう。
では、もう一歩踏み込んで考えてみます。娘がこう答えたらどうしますか? 「私は嫌い。ぜんぜん上手くなんかないもん!」
「すごく上手!」と言ってしまった手前、その褒め言葉を繰り返し、嘘を嘘で塗り固めるしかありません。子どもは自分の判断力のなさを嘆き、不満や恥の意識が深まるでしょう。
より良い褒め方(とその理由)
行動は言葉よりも雄弁です。している作業の手を止めて注目するだけで、親が子どもの行動を気にかけていることを伝えられます。これが、将来の自尊心へつながる基礎となるのです。
あなたの言葉は、絵を描くのに費やした時間に注目しています。それは、最終的な結果のうまい下手にかかわらず、子どもたちが誇れること。結果よりも努力に注目することで、外的な喜びを求めるのではなく、活動に取り組むこと自体が持つ喜びを見つけるための基礎を築くことができるのです。
これがいい理由:
先ほどと同様、子どもに完全に注意を払うことで、「あなたにはそれだけの価値がある」というシグナルを送っています。
ここでは、我が子の絵を明確に褒めています。それでも、固定的な考え方を与えてしまう褒め方と決定的に違うのは、天性の才能を褒めるのではなく、これまで積み重ねてきた努力を褒めているところ。才能は自分でコントロールできませんが、努力はコントロールできます。このような褒め方をすることで、子どもが得意なことをさらに伸ばしたいと思ったときに、自分で何をすべきかがわかるようになるのです。
また、説明的な言い方をすることで、子どもは自分の進歩を量的に把握できるようになります。それに、あなたがちゃんと見ていることも伝えられるのです。最後に質問を加えることで、さらなる議論の可能性を残しておくのもポイントです。
そこで、我が子の判断を認めてあげましょう。「顔を描くのって難しいよね......。画家の人でも、バランスの取れた絵を表現できるようになるまで、何年もかかるんだって」
上手くなる方法を提示するのもいいかもしれません。「うまく顔を描けるようになりたいんなら、アート教室に行ってみる?」 すでに教室に行っているのであれば、「来週のクラスのとき、先生に顔を描くときのヒントを教えてもらおうか」、「顔を描くテクニックのオンラインビデオがあるかもね。ちょっと探してみよっか」など。
子どもは、あなたの提案に乗るかもしれないし、不機嫌なままかもしれません。どちらの選択肢を選んでも、まったく問題ありません。子どもの不満がたまっているようであれば、それを発散させてあげましょう。
これがいい理由:
この対応は、正の強化における最高の目標でもあります。ここで重要なのは、親は問題から少しずつ手を引き、子ども自身の内発的動機付けを促すこと。親は、子どもの才能がその作品程度であること、自分の判断を信じること、自分の思い通りにコトが運ばなくてもいいのだということを教えてあげるのです。そして、親から見た我が子の価値は、作品の良し悪しでは変わらないこと、むしろ、我が子の人物と判断(このケースでは、その絵に集中して取り組んだという判断)が親にとっては価値あることを示してあげます。そうすることで、ハッピーで健全、そして安定した心を持つ人間に育っていくのです。
このように、結果ではなく努力を褒めること。ゆっくりと時間をかけて、それを何度も繰り返すことが、我が子の将来のためになるのです。
How to Praise Your Kids the Right Way Without Spoiling Them in the Process | A Fine Parent
Sumitha Bhandarkar(原文/訳:堀込泰三)