去る1月11日金曜日、プログラマー兼活動家のAaron Swartz氏がニューヨーク市で自ら命を絶ちました。昨年の夏、Aaron氏は米Lifehackerに彼の偉業である「Raw Nerve」シリーズに関する記事2つの掲載を許可してくれました。彼のニュースを聞き、記事の再掲載を決めました。

1840年代の病院では妊婦の死亡が跡を絶ちませんでした。ウィーン総合病院に初めて設立された産婦人科では、産後の発熱により10%もの妊婦が命を落としていました。しかし、次にできたクリニックの死亡率は4%であったため、このクリニックへ入れるようにたくさんの妊婦が必死に願っていました。ウィーン総合病院に入ると聞いた妊婦の中には、道で出産する決断をした人までいたそうです。

ウィーン総合病院でアシスタントをしていたセンメルヴェイス・イグナーツ氏は何とかふたつのクリニックの違いを探そうとしていました。彼はあらゆることを試しましたが、全て失敗に終わりました。

1847年に、センメルヴェイス氏の友人で解剖担当のJakob Kolletschka氏が、誤ってメスでケガを負いました。幸いに軽度でしたが、Kolletschka氏は合併症を起こし、その後亡くなりました。センメルヴェイス氏は、Kolletschka氏と死亡した妊婦たちの症状が似ていたため、「これまでの死亡者と共通する死因はないだろうか」と考え始めました。

それを突き止めるにあたり、センメルヴェイス氏は自説に基づき、脱臭作用のある塩素水で医師に手洗いするよう主張しました。結果は衝撃的でした。センメルヴェイス氏が手洗いを推奨し始めてからというもの、1847年4月に18.3%だった死亡率は、5月中旬から6月までに2.2%へと激減し、さらにその翌年には前代未聞の0%になりました。

しかし、以降センメルヴェイス氏は冷やかしや攻撃の対象となり、病院から解雇され、ウィーンから強制的に追い出されました。「発表した医療関連の成果は、無視もしくは攻撃の対象となっていた」と本人は述べています。「私の研究結果が見向きもされなかった頃、ヴュルツブルク医学部が1859年に発表した研究論文が称賛されていました」。そして、その間にも彼の故郷であるウィーンでは毎年、何百人もの母親たちが命を落としていました。

センメルヴェイス氏はアルコールへと走り始めます。異様な行動を取るようになり、1865年に精神科病院へ収容。そこでは看守から暴力を受け、拘束衣を着せられ、暗い独房へと収監されます。その後、47歳で彼は細菌感染により生涯を終えました。(※1)誰しも失敗を恐れている

医師たちがかたくなにセンメルヴェイス氏を否定し続けた大きな理由は、恐ろしい数の死亡患者に対する責任でしょう。守るべき人々の命を奪ってしまったのです。なすべき仕事をするどころか、患者が路上での出産を選択したくなるほどにひどい状況を作り出していたのです。

人は自身の落ち度について聞かされることを嫌うことは何度も証明されています。人は間違いを認めるより、何かを妥協していると自分に言い聞かせることを選ぶ傾向にあるようです。自分の失敗について聞かされ、それを認めるよりも、行動を変えてしまいたいと思うのです。(※2)

明らかな失敗を具体的に指摘されることがどれだけ嫌かは、誰しもわかるでしょう。「この洋服を着ると太って見える?」という質問への答えは「イエス」であってほしくはありません。陰では友人の短所について冗談を言うかもしれませんが、それを顔には出しません。職場では上司から悪い評価を受けないように、たくさんの人が努力していることでしょう。 ここで学ぶべきことは、批判を受けるごとに5つの称賛をし、ネガティブな評価をポジティブな評価でサンドイッチのように挟み込むようにします。肝心なのは、自分自身で自尊心を保つことです。

しかし、センメルヴェイス氏が示したようにこれは危険を伴う習慣です。もちろん「自分の過ちが誰かを殺した」と聞くのは耐えがたいことです。しかし、それを知りながら何も改善しないのは、恐ろしくひどい行為です。怠け者と呼ばれることを好む人はいないでしょう。しかし、職場から解雇されて聞かされるよりは、早めに自覚して改善したいはずです。向上するには自分自身を客観視できなければなりません

真実は変えられない

センメルヴェイス氏はこれでもかと言うほどに打ちのめされました。しかし、医師たちが何をしようと事実は変えられませんでした。最終的には科学者により細菌感染説が証明され、今では大学や病院にセンメルヴェイス氏の名前が使われています。オーストリアドルの50セント硬貨に彼の顔が刻まれ、住んでいた家は博物館になっています。一方、彼を否定していた医者たちは冷酷な殺人者になりました。センメルヴェイス氏は正しかったのです。

彼を解雇し、国からも追放し、さらに彼を否定するために書かれた分厚い本ですら、真実は変えられませんでした。当時、彼に負けることはないと思っていた医師もいたかもしれませんが、大敗を喫したのでした。そして、彼らが過ちを認めなかったことにより、大勢の人が愛する家族を失ってしまいました。

仮に、彼らが過失を認めたものの、状況を改善できず、攻撃されるだけの立場になった姿を想像してください。 周囲からあらためて信頼を得るには立ち向かわなければならないでしょう。自分の過ちを受け入れることは「諦め」とも、「敵が正しいと認める」とも受け取れますが、果たしてそれは悪い行いなのでしょうか。

オプラ・ウィンフリー氏は、彼女が推薦したジェームズ・フライ氏のノンフィクション書籍に偽りの記述があったとメディアに詰め寄られ、自身のテレビ番組で謝罪しました。その謝罪は、評判を下げるどころか、彼女を救いました。スペースシャトル「コロンビア号」の爆発事故の際、発射の責任者であったウェイン・ヘイル氏は、「言われたことを間違って解釈した結果、コロンビアを爆発させた私に全ての責任がある」と非を認めたにも関わらず昇進しました。ピッグス湾事件について「他の誰でもなく、全ての責任は私にある」と認めたケネディ元大統領の支持率は上昇しました。(※3)

わが身に全く同じことが起こったらどうしますか? ひとりで会社の責任を負う上司、処置でミスをしたと正直に申し出る医師、政策が失敗であったと認める政治家、それらを隠ぺいしようとする人、どちらをより信用できますか?

感情的ストレスを受ける時、人間は悪い部分をさらけ出しても戦おうとします。しかし、戦術を学んでも解決にはつながりません。落ち着いて自分をコントロールし、人間の汚い部分を封じ込めなければならないのです。

自分を客観視するには

自らを客観視することが一番の得策といえます。人間は本能的に、自分の過ちを否定し、自らの良い点を誇張する傾向にあります。

例えば、昇進の候補に、あなたと同僚が推薦されているとします。絶対に勝ち取りたいあなたは、残業や休日出勤も惜しまないでしょう。しかし、その同僚も同じことをしていたらどうでしょう。あなたは同僚の努力に気がつくでしょうか。私たちは、あくまでも自分の視点でしか物事を見られません。残業のために約束を断らなければならなかったなどと、自分が犠牲を払ったことは自分ではわかります。しかし、同僚が同じ事をしているのを見ても何も感じません。それと同じように、自分の犯した過ちは、背景を把握している本人には「仕方がないこと」と思えるかもしれません。自分が失敗をする時、必ず原因があります。しかし他人の失敗は、その人が失敗したから「失敗した」としか認識しないのです。

自分を客観視することは容易ではありません。しかし、自分自身の改善にはとても重要です。それができないならば、中傷の対象となるか、「自分は完璧だ」と言い聞かせ続けるだけです。唯一の解決策などありません。自分の真の姿を知らなければ何も始まらないのです。

・自分の欠点に気がつく

たとえ、どんな欠点があろうと、それに気付き、改善しようとする意識こそが大切です。

・事実を曲げるような発言は避ける

人は自身が厳しい事実に直面した時、「やろうと思ったら、トラブルに見舞われて...」、「 後回しにしていたら、ニュースを見始めてしまったんだ」 など、その事実をできるだけ聞こえのよいように伝えようとするものです。

・人のふり見てわがふり直せ

他人への不満を口にするのは止めて、「自分も誰かに同じように思われていないか」と考えてみましょう。

・下ではなく上を見る

自分より劣っている人を探せば簡単に気分を晴らせますが、それでは根本的な解決には至りません。自分自身を改善するには、「なりたい人」を見習わなければなりません。

・自分自身を批判する

人は他人についての意見をあまり率直に伝えません。しかし、あなたが自己批判して「批判してもいい」という姿勢を見せると、相手から本当の意見を得やすくなります。

・正直な友達を作る

欠点を指摘してくれる友達が必要です。厳しいことを口にするのを好む人はあまりいないため難しいかもしれませんが、 中にはうまくやってのける人も存在します。

・批判に耳を傾ける

率直にあなたを批判してくれる人が話す内容は、注意深く聞きましょう。 彼らが他人について話す内容は非常に興味深いかもしれません。例えば、あなたの書いた小説を、一人は「つまらなかった」と答え、残り全員が「面白かった」と答えたとします。もしかしたら、初めの一人だけ異なる意見を持っているのかもしれません。しかし、良い意見だけを耳にしていると、真実を伝えようとしている唯一の貴重な意見を聞き逃してしまうかもしれません。

・外部からの視点を取り入れる

人は誰でも自分が納得することを基準に物事を考えがちです。他人の目に映る自分の姿を想像してみましょう。成功すると思うビジネスのアイデアが浮かんだとします。しかし、「なぜ成功できると思うか」を証明できる外部からの証拠がないかを考えましょう。

1. Wikipedia「Ignaz Semmelweis」より引用(閲覧日:2012年8月13日)

2. Carol Tavris、Elliot Aaronson氏の「Mistakes Were Made (but not by me)」からの引用。 「なぜ私たちは愚かな信念、間違った選択や悪に満ちた行動を正当化しようとするのか」(2007年)

3. 「Mistakes Were Made」社の研究結果では、過ちを認めた会社の株価は上昇すると発表された。Fiona Lee、Christopher Peterson、Larissa Z. Tiedens氏による「Mea Culpa: Predicting Stock Prices From Organizational Attributions」および「Personality and Social Psychology Bulletin」(2004年12月)から引用

Aaron Swartz(原文/訳:Rhyeh)