戦時中、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(熊本県合志市)の入所者に対し、陸軍が「虹波」(こうは)と名付けた薬剤を投与する人体実験を行い、9人が死亡したことを示す文書群を、同園が初めて開示した。同園での人体実験で死者が出ていたことは知られているが、1次資料の全容が明らかになったのは初めて。死者や重体患者が相次いでも軍嘱託の医学者たちが投与を続けたことが記されており、専門家は「当時の医学倫理に照らしても残酷な人体実験で、文書群を検証すべき」と話している。
京都新聞社と熊本日日新聞社が情報公開請求した。虹波は写真の増感材として開発された感光色素を合成した薬剤。防衛研究所戦史研究センター(東京都)所蔵の旧陸軍資料によると、虹波の研究目的は「戦闘に必要なる人体諸機能の増進」「極寒地作戦における耐寒機能向上」などとされている。実験は機密軍事研究の一環だった。
今回開示された恵楓園の虹波関係簿冊は25点あり、兵器の開発研究に当たっていた第7陸軍技術研究所(7研)に提出された秘密印のある報告書や草稿、投与データ記録などが綴じられた簿冊が複数あった。戦時中に作成された簿冊が20冊、戦後分が5冊あった。
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7研の研究嘱託だった宮崎松記園長(京都帝大医学部卒)名で1943年10月10日作成の「効果試験報告(概要)第1報」によると、42年12月から6~67歳の同園入所者370人以上に投与され、死亡9人。効果として「手指の運動機能」「視力」などが列挙してあるが、病原菌に作用しないと明記され、全快例はない。
44年5月の報告では、37歳の男性患者が注射約10時間後に「全身の血管に針の差入した様な」痛みや頭痛を訴え、けいれんを起こした末に意識が混濁し死亡した例を記載。有効数はわずか2%で、副作用発現率は22%だった。草稿には患者を「材料」と呼び「実験は苦痛のため困難」と記載しているものや、逃亡患者2人との記録もあった。