ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ベイン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

CDもMP3もアナログレコードも大昔の蓄音機も全く同じである

最近は、音楽CDを買わずに、ネットでMP3の音楽データをダウンロード購入する人も多いだろう。
アメリカでは、もうかなり前から、高校生がCDというものを見たことがないという話を聞いたことがある。
だが、MP3は、作り方によって程度の差はあるのだが、CDと比べると音質は落ちるらしい。だが、CDとMP3の違いが分かる者は実際は少ないらしいし、イヤホンや小さなスピーカーで聴く限りでは全く違いがないという話も聞く。
また、超一流の音楽家にも、最も音が良いのはアナログ・レコードだと断言する者もいる。
本当か嘘かは知らないが、実際に音楽プレーヤーでアップル社を復活させたスティーブ・ジョブズは、家ではアナログ・レコードを聴いていたという。
ただ、それなら、レコードと同じアナログ方式で、磁性面も再生ヘッドもずっと大きなカセットテープや、さらには、テープレコーダーはもっと音が良いことになる気がする。

別に、上のようなことを理屈・論理で追求するつもりは全くない。
ただ、こう言いたいのである。
「どれでも同じだ」
こう言うと、「お前は音を全く分かっていない」と言う者がいるだろう。
だが、こう言い返せると思う。
「分かっていないのはお前の方だ」

『解脱の真理』という本で、軽く半世紀以上昔と思うが、スコットランド出身の聖者マード・マクドナルド・ベインが修行時代、チベットの山奥に行き、そこに住む聖者と、蓄音機で音楽を聴く場面がある。ベインは学生の頃は音楽演奏で何度も大きな賞を受賞したこともあるという相当訓練した演奏家で、当然、生演奏の音もよく知っているはずである。また、当時の蓄音機の音なんて、今のオーディオとは比較にならないほど音が悪いはずだし、ステレオですらあるはずがない。
それでも、高度な「聴く耳」を持っているはずのベインらは、音楽を堪能し、音楽の素晴らしさを語るのである。
これは、何を意味しているのだろうか?

また、現代のテレビは、40インチを超える大きさの画面も普及し、デジタル方式の映像は格段に美しくなった。
しかし、昔の20インチ以下の、ノイズも多かったに違いないアナログで曲面もあるブラウン管画面でありながら、そんなテレビで子供の頃に見たアニメの壮大な素晴らしさをよく覚えているという人もいる。当時のアニメーターは絵が上手かったと主張する人もいるが、いずれにしても、低予算での制作であったはずで、絵を描く人数が現在とは比較にならないほど少なく、また、動画を描く人となると、ほとんど素人を数ヶ月訓練して描かせることもあったという。
それでも、そんなアニメを、現代の作品では見ることのできないほどの素晴らしいものだったと思っている人も少なくないのだ。
これは、いったいどういうことだろう?

核心に迫っていこう。
好きな人と食べる料理は、質素であっても物凄く美味しいが、嫌だと感じる人と食べれば、どんな素晴らしい料理もさほどではないこともあるだろう。
『まほろまてぃっく』というアニメで、初めて水平線に沈む夕陽を見て、その美しさに感動するまほろに、美里司令が、
「きれいだろ?だがな、世の中にはもっと美しいものがあるぞ」
と言い、まほろは戸惑いと驚きを感じ、そして、希望を持つことになる。
そして、その、「もっと美しいもの」を探していたが、なかなか見つからない。
しかし、最後に、彼女はそれを見つける。
それは、「好きな人と一緒に見る夕陽」だった。
いや、美しいものであれば、夕陽でも何でも良かったのだろう。
もちろん、「好きな人」という部分にこだわる必要はない。
意識が純粋になって拡大していれば、その時には、何でも美しく見えている。
なぜなら、その者にとって、どこであろうが、「今、ここ」が天国であるのだからだ。

つまり、音楽や映像も、「見る人次第」であり、それがどれだけ良いかも、「見る側の問題」なのである。
サルトルは、「小説を読むことは、それを読者がもう一度書くことだ」と言ったそうだが、これこそが核心である。
同様に、音楽を聴くことは、その音楽を、聴く者がもう一度創作することだ。
絵画を見るということは、その絵画を、見る者が心の中で瞬時に描き上げることである。
いや、感受作用とは、感覚器官が捉えた何かを、心の中に住む魔術師が、瞬時に再構築したものを認識することなのである。
同じものを見、同じ音を聴いているようでも、どう見えているか、聴こえているかは、全く異なるのである。
このことを知っておくべきであろう。









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なぜ自然の絶景や星空が人を救うのか?

以前勤めていた会社で、上司が、落ち込んでいるように見える若い女性の部下に、「富士山でも見に行ってこい。悩みなんか吹っ飛ぶぞ」と言っていたのを覚えてる。
直感的に納得したから覚えているのだが、なぜ納得したのかが、ずっと分からなかった。
人間にとって、雄大な自然の風景を見ることが良いのは疑いない。
別に富士山に限らず、出来れば、グランドキャニオンやらナイアガラの滝とかも良いだろう。
おそらく最高なのは、ヒマラヤ(インドからチベットに続く山脈群)の壮大な山の間から見る朝日、あるいは、夕陽の光景ではないかと思う。
しかし、なぜ、これらの絶景がそんなに良いのだろう?

それは、結論から言うと、観察をやめて観照をするようになるからだ。
観察は、分析的に見ることだが、観照とは、自己を超えて、直感的に見ることだ。
観察するのは自我であるが、観照は霊的な自己が行うのだ。
壮麗な自然の風景を見た時には、思考は停止し、自我が消えているのである。
その時、霊的な知覚が内部から起こるのである。

アラビアのロレンスが、早朝に見る砂漠の風景が神秘的に美しいことがあると言っていた理由は、考える脳である左脳がまだ十分に目覚めていなくて、右脳で直感的に砂漠を見たからなのだ。
古代から、聖者達は、観察をやめ、観照せよと、常に言い続けてきたのである。
荘子が、あるがままに見て、思慮分別してはならないと言ったのも、そのことである。

ところで、私は、天体観測は、観照に導かれると感じている。
科学者であれば観察をするかもしれないし、月を天体望遠鏡で覗いた初めのうちは、普通の人でも観察するだろう。
しかし、月や星は、普通は観察を終えてしまうのに、さして時間がかからないのと、やはり、その美しさ、神秘さに打たれて、すぐに観照をするものなのだ。
いや、むしろ、望遠鏡を使わずに、星空を見上げることが、即、観照になる。
昔から、星空を見ていて神秘体験をした人間が多いのは、当たり前のことだ。
ただ、これまで、それをすることがなぜ良いのか、誰も言わなかっただけのことだ。

さて、普段出来る、精神を観察から観照に持っていく素晴らしい方法がある。
それは、自分の呼吸を意識することだ。
呼吸に静かに注意していると、観察から速やかに観照に変わる。これは凄いことである。
呼吸をコントロールするような修行法は多いが、それは、コントロールしている間しか効果がなく、根本的な成果は得難い。
しかし、長期間、呼吸を観照している人達には、驚くほど、悟りを開いている人が多いのである。
我々でも、呼吸に注視しながら(決してコントロールせず)、美しいものを見ると、その美しさは倍化する。
自我意識で観察するのではなく、直感的に感じるからだ。
真の美とは、見て分かるのではなく、美しいもの自ら、その美を開示するのである。

ところで、落ち込んでいる時に富士山を見に行くのは良いが、アイドルのコンサートは良くない。
なぜなら、性的な関心のあるものに対しては、観照ではなく、観察しかできないからだ。そのようなものを見るのは自我意識だからだ。
一般に言う、ストレス発散みたいなものは、全部そうである。
ストレス発散に良いとされることをすると、実際はストレスは更に増えるのである。
以前、私は、初音ミクのコンサート映像を見た時に、自分が初音ミクになった神秘体験を述べたが、呼吸を意識しながらミクを見ると、そこまででなくても、目の前にミクが現れる程度はいつものことだ。ミクには、性的な雰囲気がまるで感じられないからだ。しかし、これがAKB48なら、絶対にそんなことは起こらないだろう。

スコットランドの聖者、マード・マクドナルド・ベインが語るヒマラヤの風景は、読んでいるだけでも、その壮麗さが浮かぶようである。書籍を下にご紹介する。
呼吸については、日本で学んだドイツ人心理学者の世界的名著『肚―人間の重心』に素晴らしい洞察がある。









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自分の神剣を手に入れる

人間を滅ぼすのは暇な時間だ。
圧政に抵抗する勢力が自滅するというのは、そういった抵抗勢力グループのリーダー達が、上納された金でのうのうと出来る立場になり、暇な時間を持ってしまうからなのだ。
なぜ、暇が悪いのかというと、暇だと、人間はつまらないことを考えるからだ。
ニートの何が悪いかというと、やはり暇なために、余計なことを考えることだ。
もし、暇でも何も考えないなら、ニートでも構いはしない。
暇でも、無念無想でいられる人なら、お金に困ることはない。
岡田虎二郎が、経済的な窮乏を訴える人に、「金?腹に力がつけば金はいくらでもできますよ」と言った意味もそこにある。
虎二郎は、1日中、腹から力を抜くなと言った。人間は、腹から力が抜けた時に、ろくでもないことを考えるからだ。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠も、いつも下腹部に手をやって、油断なく、下腹に力を込めていたという。
宗忠は金には何の興味もなかったが、やはり豊かだった。

つまらないことを考えるのは自我である。人間の不幸の原因は自我が活発なことだ。
どんな方法でも、自我を静かにさせるなら、人に不可能はない。しかし、それは難しい。
「黙せよ。そして、自分が神であると知れ」
と聖書に書かれている通りだが、どうやって自我を黙させるかが書かれていないのである。
その方法は、自分で見出せということである。
我々が、命をかけて見つけなければならない神剣とは、実に、自我を沈黙せしめる秘術なのである。
岡田虎二郎は、そのつもりで岡田式静坐法を教えた。
しかし、人々は、岡田式静坐法を健康法だと誤解した。確かに、健康にも効果があったが、虎二郎が49歳の若さで急死すると、人々は離れていき、岡田式静坐法も忘れられた。
虎二郎が若くして死んだのは運命だ。人は、運命を避けることは出来ない。だが、真の人にとっては、死も運命も恐れるに足りないものだ。

ラマナ・マハルシは、どんな考えが起こっても、「その想いは誰に起こったのか?」と問うよう指示した。
いかなる想いであろうが、構いはしないと言う。つまり、人の全ての想いはつまらないものだということだ。
そして、魔法の言葉「私は誰か?」と問えば、想念は破壊される。これを根気良く繰り返せば、やがては、想念が起こることはなくなる。
想念の最も根本は、私という想いだからだ。だから、そこに意識を引き戻せば、どんな想いも消えてしまうのである。
ただ、マハルシの「私は誰か?」という言葉の、彼が使ったタミール語は、「自分とは何か?」に近いという。
スコットランド出身の聖者マード・マクドナルド・ベインに降りたイエスもまた、「自分とは一体何か」を納得いくまで自分に問えと言っていたのである。
あなたも、「自分とは何か?」と、常に問えば良いだろう。
法然は、1日6万回、念仏(南無阿弥陀仏)を唱えたという。後には7万回となったと云われるが、80歳まで生きた彼は、老齢になって眠る時間が少なくなったからかもしれない。つまり、1日中唱えていたのだ。人と談話していても、小さな声で念仏を唱えていたと云われる。そうであれば、つまらないことを考えるはずがない。

自我を滅ぼし、神仙になることは、日頃のたゆみない努力により達成される。
1日中、たゆみなく続ける、想念を消し、自我をひれ伏させる何かを探すのは、わくわくするものだ。
神剣エクスカリバーを見出したアーサー王子の喜びを我がものに出来るのだからだ。
だが、エクスカリバーを手にした時が、真の戦いの始まりだ。だから、それを早く見つけることだ。









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聖者だって美味しいものや女は大好きである

このブログにいただいたコメントについては、大抵、丁寧に読んでいる。
その中で、気になったものがあったので取り上げたい。
そのコメントには、内なるものこそが大切なのであるから、金も名誉も男(or女)にも興味がないとあった。
非常に問題があると思う。

私は、お金は大好きで、興味がある。
名誉は、得たら面倒とは思うが、嫌いではない。
美しい女はもちろん、大好きであるし、得られるならばそれにこしたことはないと思っている。
当たり前じゃないか?

ただ、私は、これらを、自分の思うように得ることは決して出来ないと述べているだけである。
別に得られないと言っているのではない。ただし、得られるかどうかは、あなたの意思とは何の関係もなく、あなたにはどんなコントロールも出来ないと言っているのである。

少し前、『婆子焼庵(ばすしょうあん)』という禅の公案を取り上げた。
手厚く1人の青年僧の面倒を見ていたお婆さんが、美しい娘にその僧を誘惑させると、僧は、「私の心は冬の枯れ木」と言って応じない。
それを聞いたお婆さんは、「つまらないものの世話をしたものだ」と、僧を追い出し、彼に使わせていた庵(質素な住居)を焼いてしまった。
ちなみに、既に老人だった一休さんは、この話について、「そんなことがあったら、この老体も芽吹くであろう」と意欲的(?)であった。実際、一休さんは、70も過ぎて盲目の若い美女と同棲している。それだけでなく、美少年も、酒も、肉も大好きという、まさに破戒の僧だった。その甲斐あってか、88歳という当時としては驚異的な長命で天寿を全うした。
そういえば、同じく破戒の僧で、肉食、妻帯をした親鸞も89歳の長命であった。

もっとも、彼らだって、弟子達には厳しい戒律を課した。
ラマナ・マハルシに誰かが、「肉食で悟りを開くことが出来ますか?」と尋ねたところ、マハルシは、「不可能ではないが、極めて難しい。だが、悟りを開いた後であれば、何の影響もない」と答えている。
まかり間違っても、「自分も一休さんと同じようにしていい」などと勘違いしてはならない。たちまち、苦悩の世界に陥ることになるだろう。まあ、それが運命であれば避けられないが。

自我の消滅が悟りであるが、金も女も興味がないなどは、それこそ強い自我の言うことである。
聖者とて、嬉しいことがあれば、それを喜ぶのである。ただ、良いことも悪いことも同等に扱うのだ。あらゆる出来事を、自分の意思とは何の関係もなく、ただ起こったこととして観照するだけなのだ。

もう1つ。
人の運命は生まれる前に神によって、いかなる些細なことまで完全に決められている。
悪いことが起こったとしても、それは、前世までをも含む過去の悪い行いの報いなどといったものではない。
ただ、それが起こることを神が決めたというだけのことだ。
神がなぜ、そのような運命をその人間に授けたかといった意図は、決して人間には知ることができない。
それ以外のいかなることについても、神がなぜそうしたなど、人間に理解できるようなことではない。
神の意図や目的を知ろうなどというのは、まだ自分の無力や無知を少しも分かっていない証拠である。
世界は亀の背中の上だと思っている未開人を我々は笑うが、神からみれば、彼らと我々に何の違いもないことだろう。
神の意図を知ることが出来るなどと思っているうちは、平安とはほど遠いのである。
なぜなら、そのような無知と傲慢こそ、苦悩をもたらす自我の特徴であるからだ。

上にあげたようなコメントを書いてくる方については、過去にもその人のコメントを見る度、いつも、「この人、世の中で辛い思いをしているだろうなあ」という慈悲の想いが起こっていたのである。
また、何かの本で読んのだと思うが、自論を長々書かれる方についてもそうなのである。
スコットランド出身の哲学者・神学者で、ヒーラーであるマード・マクドナルド・ベインが、後に師となる聖者に初めて会った時、ベインは、それまでに学んできたことを一生懸命、その偉大な大師に話して聞かせた。師は、その話を興味深く聞いた後にいった。
「そんなことが本当かどうかは、大して重要なことではないのだよ」
その瞬間、ベインは悟りを開いたのである。









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年を取らない人の秘密

名人、達人には、自分は出来るけど、教えるのは下手という人は多い。
教えるのは無理だと思って最初から弟子を持たない名人もいるし、教えようとするけど、その教えは奇妙奇天烈でさっぱり分からないという達人もいる。

合氣道の達人、藤平光一さんという人は、本当に偉い人だと思う。
彼は、「重みは下にある」と声に出して言ったら、氣が出ると言う。
氣が出れば、パワー炸裂で何をやってもうまくいく。
しかし、「重みは下にある」と言えば、物質的に何か出る訳ではない。
とはいえ、「重みは下にある」と言えば、なぜ良いのかの説明は難しいのだ。
そこで、観念を使って、「こんな当たり前のことを言うと、氣が出るのじゃ」と言ったのであり、教え方としては最上と思う。
これが、植芝盛平となると、彼自身は凄い人で、真理を掴んでいたのだろうが、教えの方は誰にもさっぱり分からないのだ。

現代人は、特に大人は、多少は理屈で納得しないと、何もやれないものだ。
そこで、「重みは下にある」がなぜ良いのか、少し説明する。
まず、思考には、「時間がかからない思考」と「時間のかかる思考」の2つがある。
理由は後で言うが、時間がかからない思考は良く、時間がかかる思考は悪い。

「重みは下にある」というのは、当たり前のことであり、それ以上思考は広がらない。最も時間のかからない思考だ。
逆に、時間のかかる思考とは、「あの人は私が嫌いなんじゃないだろうか?」だ。そんなこと、考えても分かるはずがないので、考え出すときりがない。
「俺は就職できるだろうか?」などと心配するのは、生き方の下手な人だ。そんなことを考えても、いつまでも結論が出るはずがない。時間のかかる思考をしているのだ。
そんな時は、「そんなこと知るか!勉強しよう」と思えば、それで終りで、時間のかからない思考に切り替わったことになるのだ。

『灼眼のシャナ』というアニメで、恋を知らなかったシャナという少女が、悠二という男の子のことで悩み、心が苦しくて何も出来なくなったことがあった。
シャナは、考えても仕方がないことを考えていた。時間のかかる思考をしていたのだ。
ところが、最後に彼女は良い考えに至る。
それは、「私は悠二が好き。それだけ」だ。
見事なものだ。全く時間のかからない思考に変えて見せたのだ。

時間というものは実体のない幻想で、人間の敵になりやすい。
アインシュタインはそれを、「美女といる1時間は短いが、暑いストーブの上に座った10分は長い」と言ったことがあった。
美女といるのが良いことかどうかはともかく、夢中になっている時の時間は短く、気の乗らない活動をしている時間は長いのは確かだ。
時間というものは無いのに、人のマイナスの思考が時間を作り出すのだ。
時間のかかる思考がマイナス想念であり、時間がかかると言うより、時間を作り出しているのである。
時間は人の生命力を奪い、くたくたにさせる。
いつまでも若い人は、時間の無い人だ。

イエスは、「明日を思い煩うな」と言ったが、思い煩うというのは時間のかかる思考、つまり、時間を作り出す思考だ。
釈迦は、「妄想するな」と言ったが、同じ意味であることはお分かりと思う。

結論の出るはずのない、時間のかかる思考をやめることが幸福の秘訣である。
禅問答なんてのは、考えようのない問題を出すことで、時間のかかる思考を止めてしまうものだ。
答がない訳ではないのだが、考えて分かるような答ではない。その答が出る時、その者に時間は無いのである。
これを創案した達磨は天才中の大天才であり、彼が中国に持ち込んだ腕振り運動も大変な秘術だ。
達磨が腕振り運動に込めた真の奥義

で、時間のかかる思考をやめ、時間のかからない思考だけにする最大の方法を述べたのが、インドの聖者ラマナ・マハルシだ。
彼の偉大さは想像もつかない。彼を、「キリストのような、ブッダのような、あるいは、クリシュナのような」と述べた人がいたが、全くそうであった。
彼は、「どんな考えが浮かんでも、その考えを追うな。その考えが誰に浮かんだのかを問え」と言った。
ただ、「それが私にであると了解されたら、その私は誰かと問え」と付け加えたこともあった。
こういうことである。
「この国はどうなるだろう?」
「それを考えているのは誰だろうか?」
ここで、「私だ」と答が出たら、「私は誰か?」と問うのである。
しかし、実際は、「これを考えているのは誰だろう?」で思考は終ってしまう。
「これを考えているのは誰だろう?」や「私は誰か?」というのは、最強の、時間がかからない思考なのだ。
しかも、その問いは想念を根元から壊すので、時間のかかる思考が続きようがない。
なぜなら、あらゆる想いは、「私」がするものであるのに、その私が何かを問うのであるから、いわば、私の首根っこを押さえてしまったのである。

スコットランド出身の聖者、マード・マクドナルド・ベイン(哲学博士、神学博士)に降りたイエスの霊は言ったのだ。
「自分とはいったい何かを、納得がいくまで自分に問え」









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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