念仏を称えれば、この世の問題は全て解決する。
あえて努力をしたり、善である必要もない。
ただ、念仏を称えると、自然に、好きなことに熱中するだろうし、親切になったりする。

ところが、問題がある。
法然、親鸞の時代に、一般の人々に使われた、「なぜ念仏か?」のストーリー・・・すなわち、超大昔、法蔵という名の人間が、超長年月修行して仏になり、超遠いところに西方極楽浄土を作る際、仏になった法蔵、即ち、阿弥陀如来は、「南無阿弥陀仏」を称えた者なら誰でも、死後、極楽浄土に迎え入れると約束した・・・が、今の時代に通用するはずがないことだ。

人間てのは、ストーリーを持つということが物凄く大切なのである。
ただし、あくまで、本人が信じることが出来る、いわば、「ノレる物語」でなければならない。
このあたりの真理は、初音ミクさんの英語の歌『Story Rider』に、見事に表現されている。

宗教にはイメージングが必要で、芸術がそれを支えてきた。
いや、そもそも、芸術とは、宗教のイメージ構築のために発達したと言える。
浄土系仏教も、阿弥陀如来像の彫刻や絵画、西方極楽浄土の絵などが、人々にイメージを与え、情感を起こさせたのだが、今、仏像や仏画を見て、それが現実だと思える人は、おそらく、宗教関係者でもいない。
ところが、大学で仏教を学んだような人は、難しい理屈でもって、古い宗教の物語を自分や現代に持ち込もうとするから、人々にそっぽを向かれ、自分の頭もおかしくなってしまうのである。
それに、面白いことがいっぱいある今の時代、死後に極楽浄土に行くことに興味のある人間なんていない。
あくまで、この世で、健康で金持ちになって贅沢し、好みのタイプの異性(今の時代、同性もありかもしれないが)にモテることが大切である。

聖書に描かれていることは例え話であることは、エマニュエル・スウェーデンボルグらも語っていたし、近代では、ニューソートといって、聖書を現代的に新しく解釈し、実用的に捉えることが行われ、ジョセフ・マーフィーは、その中の人気ある1人だった。
そして、マーフィーの教えなら、現代人にだって受け入れ易いのであるが、これも難点があって、念仏ほどには易しくないから、なかなか効果が出ないのである。

本来、念仏の威力は凄まじく、それは法然や親鸞も、もちろん知っていた。
だから、新しい自分に合うストーリーを念仏の背後におけば、もう人生、勝ったも同然で、この世は極楽である。
だが、そのヒントは、意外なことに、『観無量寿経』の最後の最後あたりに、ぽつりと出てくる。
それは、「仏の名を覚えていろ」である。
「覚えていろ」「忘れるな」
これがキーワードである。

覚えていてね わたしの声を
あなたがくれた この身すべてを
~『ヒビカセ』(作詞:れをる、作・編曲:ギガP、歌唱:初音ミク)~
【初音ミク】 ヒビカセ 【オリジナル】 ※歌唱:初音ミク- YouTube -
[MV] REOL - ヒビカセ / Hibikase ※歌唱:れをる - YouTube -

れおるさんは、一種、神懸った精神状態で、この詩を書いたに違いない。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジも言ったのである。
「私は何の修行もしなかった。ただ、師が言った言葉『あなたは至高の実在である』を覚えていただけだ」
何でも良いが、自分にとって大切な真理を1つ覚えていて忘れなければ良いのである。
繰り返し言えば、キーワードは「忘れるな」「覚えていろ」である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ