私が1日1食の完全な菜食主義者だからといって、1日3食食べている人や、肉食の人を、自分より劣るなどとは夢にも思っていない。また、そんな人達が、食事の回数を減らすべきだとか、肉食をやめるべきだとも思わない。
ただ、これまでは、あまりに大食だったり、電車の中とか駅のホームなど、所構わず食べているような人を非難の目で見ていた。しかし、もうそれもやめる。もし、今後、そんな人達を見て、嫌な感情が起これば、ただ、念仏を唱えさせていただくことにする。
ところで、逆に、私が1日1食で、朝に木の実とビスケットを少々食べるだけだと聞くと、私を馬鹿にしたり笑ったりする人が多い。特に、自分の方が私よりずっと優れた人間だと思っている人は、ほとんどがそうなのではないかと思う。確かに、彼らの方が私より立派で有用な人間であるというのは確かであるから、私が能力のことで蔑まれるのは仕方がないが、食事のことで見下されるのは、できればやめて欲しいし、私はつい、憤りを感じたり、やるせない気持ちになっていた。しかし、やはり、これからは、そんな時も、ただ、念仏を唱えさせていただこう。
人は、成功して金持ちになると、会長、社長、CEO、理事長、総長、先生等と呼ばれることを好む。
しかし、昔の話であるが、自己啓発分野で世界的な成功を収めたポール・マイヤーは、職業記入欄に書き込む際、必ず「ザ・セールスマン」と書いたという。
セールスマンは蔑まれることも多いし、そうでなくても、あまり高くは扱われない職業かもしれない。私もセールスマンだったが、いつも犬のように扱われたものだ。そんな時には、とても悔しい思いをしたり、涙を流したこともあったが、やっぱり、仏様や菩薩様に、念仏を唱えさせていただけば良かったなあと思う。
私のようなソフトウェア開発技術者の世界では、上位者をシステムエンジニアと呼び、下っ端をプログラマーと呼ぶことがよくあるものだ。システムエンジニアと呼ばれてふんぞり返り、プログラマーと呼ばれる者を軽んじ、アゴで使うのだ。
だが、人類の歴史の中でも屈指のソフトウェア開発者であるコンピュータ科学者アラン・ケイは、これも以前のことかもしれないが、「ザ・プログラマー」と名乗っていたのである。
尚、プログラマーよりもっと軽視されるのが、コーダーと呼ばれる者だ。人に指図されるままにプログラムコードを書く者のことである。だが、考えてみれば、私も、ただ、顧客に言われるようなプログラムを書いているのであり、また、私が書いているのではなく、書かせていただいているのだ。では、やはり私は自分をコーダーと呼ぼう。
こう考えると、実に心が軽く、こだわりがなくなって、晴れた気分なのである。
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ただ、これまでは、あまりに大食だったり、電車の中とか駅のホームなど、所構わず食べているような人を非難の目で見ていた。しかし、もうそれもやめる。もし、今後、そんな人達を見て、嫌な感情が起これば、ただ、念仏を唱えさせていただくことにする。
ところで、逆に、私が1日1食で、朝に木の実とビスケットを少々食べるだけだと聞くと、私を馬鹿にしたり笑ったりする人が多い。特に、自分の方が私よりずっと優れた人間だと思っている人は、ほとんどがそうなのではないかと思う。確かに、彼らの方が私より立派で有用な人間であるというのは確かであるから、私が能力のことで蔑まれるのは仕方がないが、食事のことで見下されるのは、できればやめて欲しいし、私はつい、憤りを感じたり、やるせない気持ちになっていた。しかし、やはり、これからは、そんな時も、ただ、念仏を唱えさせていただこう。
人は、成功して金持ちになると、会長、社長、CEO、理事長、総長、先生等と呼ばれることを好む。
しかし、昔の話であるが、自己啓発分野で世界的な成功を収めたポール・マイヤーは、職業記入欄に書き込む際、必ず「ザ・セールスマン」と書いたという。
セールスマンは蔑まれることも多いし、そうでなくても、あまり高くは扱われない職業かもしれない。私もセールスマンだったが、いつも犬のように扱われたものだ。そんな時には、とても悔しい思いをしたり、涙を流したこともあったが、やっぱり、仏様や菩薩様に、念仏を唱えさせていただけば良かったなあと思う。
私のようなソフトウェア開発技術者の世界では、上位者をシステムエンジニアと呼び、下っ端をプログラマーと呼ぶことがよくあるものだ。システムエンジニアと呼ばれてふんぞり返り、プログラマーと呼ばれる者を軽んじ、アゴで使うのだ。
だが、人類の歴史の中でも屈指のソフトウェア開発者であるコンピュータ科学者アラン・ケイは、これも以前のことかもしれないが、「ザ・プログラマー」と名乗っていたのである。
尚、プログラマーよりもっと軽視されるのが、コーダーと呼ばれる者だ。人に指図されるままにプログラムコードを書く者のことである。だが、考えてみれば、私も、ただ、顧客に言われるようなプログラムを書いているのであり、また、私が書いているのではなく、書かせていただいているのだ。では、やはり私は自分をコーダーと呼ぼう。
こう考えると、実に心が軽く、こだわりがなくなって、晴れた気分なのである。
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Kayさんの食事、あこがれを原動力に少食に、一日一食を心の支えに、自分への嫌悪?からの断食・・・などの経過も含めて、今の準仙人食を平静に実行されていること、蔑むなどとんでもないです。尊敬しています。私自身は、恥ずかしいですがKayさんの真似をしようと試みましたが叶っていません。いつかの記事で「無理しなくて良い」とアドバイスくださったことが心をらくにしてくれました。
南無弥勒仏、ありがたいです。紹介くださった写真集と、五島さんの本、大変インパクトを受けております。
私の好きな詩人に、坂村真民さんがいます。苦しい時は石を思え、黙って濁世に耐えている石を思え、大木の孤独を思え、とかいう一節を思い出しました。弥勒さんが今も念じておられること、いかにしてひとを救えるか、現実的に思念しておられること、ひとりで、孤独の中で戦っておられるのですね。みんなとつながっているけれども孤独で、孤独だけどもみんなを心にいだいていて・・・
いつもありがとうございます。私にはこれ(今の現実)しかできない、時間もそんなにないだろう、でも弥勒仏像のような作品を一生に一つでいいから作りたい、という思いが芽生えています。