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愛と放射能の天秤 3 ソ連の土壌汚染の考え方

1986年に原発事故が起こった時、国民に詳しいチェルノブイリ原発事故の汚染の詳細は伏せられました。
驚いたことに、ベラルーシをはじめとする汚染地図は3年間、ゴルバチョフでさえ手に入れることができなかったっと言われています。
ただ、この3年間、科学者たちは、汚染地域で汚染土壌を実測してまわっていました。
ベラルーシは平野です。
緑は放射能が何もない。
黄色は、1~5キュリー(セシウム)、オレンジは 5~15キュリー、紫は15~40キュリー、そして見えにくいのですが黒い斜線のようなものが事故後すぐにふうさされた40キュリー以上のエリアです。

「ウオッカ飲んでる間に収まりますよ」という報告以外、ゴルバチョフ大統領には詳しい話が届けられず、この汚染地図が公表されることはなかったといいます。
どうでしょう?すごいと思いませんか?
大統領をコントロールできる官僚社会。
核爆弾の開発や、核事故を隠してきたような偉大なる?科学者たちが専門性をたてにとれば、旧ソ連を束ねていた大統領など、いとも簡単に牛耳れたわけです。

これはストロンチウムの汚染地図バージョンですね。

とにかくこの汚染地図が3年たって、国民に公開されることになりました。

ロシア、ベラルーシ、ウクライナの三国の科学者たちが、科学アカデミーの大総会の最中に、そこに訪れたゴルバチョフに汚染地図を見せて「あなたはこれを知ってるのか?」と叩きつけたそうです。
このとき、本当に殺されていても不思議はなかったし、家族もともに、抹殺されていてもおかしくなかった。
誰に?ゴルバチョフというより、隠してきた科学者たち、責任者たちから。
しかし、ゴルバチョフは「これが私の知りたかったことだ」といって、その3人に、放射線の被害を調査する機関をそれぞれの共和国につくり、そこの所長になるように命じたそうです。
今だ、名前をあかして家族が安全かどうかわかりませんので、E教授としておきますね。

チェチェルスク地域の子どもたちの家庭訪問を終えて、ウラジミール先生から、「こんなことになったのも、日本のヒロシマの医者のせいだから、あなたたちは救援する責任がある!」と、圧倒され、日本では、「保養は辞めろ、子どもたちを連れてくるのは差別だ」と、反対してる人たちもいる。
そんなわけで、今となっては、私はどうして科学アカデミーのE教授を訪ねたのかすら流れを思い出せませんが、訪ねることになったのです。
つまり、保養の効果を教えてもらえるから、という現地のボランティア団体のコーディネートだったのかもしれません。

愛想の悪い、秘書さんがいて、にらむような感じ。
当時(1994)は旧ソ連が崩壊した直後で、どこへいってもみな仏頂面だったのです。レストランでも、お店でも、車の運転手も。どこへいっても肩をすくめて座ってるような雰囲気です。しかも、廊下も部屋もどこもかしこも暗くて怖い。
ようやく呼ばれて、E教授の部屋に入り、日本で保養をしてるけれど、反対されてるし…うんぬんかんぬんと自己紹介と事情を説明しました。
そして、ウラジミール先生に続いて、E教授は、日本のヒロシマナガサキの研究者たちがああああ、と怒り始めたのです。
「共同研究をしよう!と言いながら、こっちがどんな病気になったかを聞いてばかりで、自分たちがヒロシマナガサキの人たちの病気をどのように治してきたか?その質問には一切答えない」
と、かなり怒っています。
どうやら、私が訪問する前に、そのような不快な訪問者が帰ったようでした。

そして、彼は、怒涛のように、主婦の私に、被ばくのレクチャーを始めたのです。
そのときの講義のメモは読んでもさっぱりわかりませんでしたが、2011年のフクシマ原発事故のときに、ひっぱりだして読んでみると、主婦が話すには必要なことはすべて書いてありました。
ヒロシマナガサキ学派は何の役にも立たなかったけれど、チェルノブイリの学者は、未来のフクシマ原発事故の内部被ばくの予防策を伝え、多くの人々の予防に役立ったのではないでしょうか?
2011年以降、お話会でお話させていただいたことは、このときのメモに基づいています。

日本のヒロシマナガサキの研究は、チェルノブイリのとき、関係者をいらだたせ、混乱らせ、さらにIAEAの権威となって、彼らを苦しめていた…という全体像など当時の私にはわからなかったのです。

ただ、ゴルバチョフ氏に見せて、国民に公開した汚染地図が、彼のグラスノスチ(情報公開する)という方向性はいったいなんだったのか?
いい加減にしろ、もううんざりなんだよ、という多くの共和国の国民からこれまでの圧政もあったので、不満雲がモクモクをたちあがっていったともいえます。
このまま汚染地域に国民を住まわせていたら大変なことになる!という3人の科学者の願いの余波。

以下の地図は、土壌汚染の自然減衰の予測地図です。
2016年は、チェルノブイリ事故から30年、60年後の2046年の地図が作られています。
彼らは除染は作業者の健康をそこなうとして、除染をあきらめ、自然減衰によって、居住できる範囲が広がっていくことを待つ…というスタンスを選びました。
60年経過すると、居住禁止エリアが減り、移住の選択エリアに汚染レベルが低くなっていくことが予想されています。

空間線量を根拠にするヒロシマナガサキ学派と考え方はまったく違う科学のスタンスと言えると思います。
「原爆投下の被ばくと、原発事故の【被ばくの型】は、違うでしょ」、とあっさりと、E教授のお弟子さんと、フクシマ原発事故後に会話することがあり、そのときおっしゃっていました。
ヒロシマナガサキ学派が絶対だ!何がなんでもそのデータから言える例外があるわけないのだ!というのも、科学的に無理があると言える時代。
科学って前進するものですよね?

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