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2015-06-30

■ []教職 07:00 教職 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教職 - 西川純のメモ 教職 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今後の仕事は大きく変わります。というか、もともとあったものが鮮明になったと言えます。その一つのキーワードはグローバルとローカルです。グローバルというと海外で仕事をするか否かではありません。顧客が特定され、その特定された顧客に対する知識で勝負する仕事がローカルです。顧客から言えば、値段はさておき、「その人」ならばと思うような仕事がローカルです。だから、海外の数十人の顧客を相手をしている人は、グローバルではなくローカルです。グローバルはその真逆です。顧客が特定されず、商品・サービスで勝負する仕事がグローバルです。

 ネットが発達した世の中です。グローバルはどんどん広がっています。顧客に対する知識で勝負しないところは、値段で勝負のグローバルに負けます。地方の商店街がシャッター街なのは、ただ単に物理的にローカルであり、顧客に対する知識で勝負しなかったところ、新たな特定される顧客を開拓していなかったからです。ちゃんとローカルなりの仕事をしているところは生き残っています。

 保護者の顔を思い浮かべて下さい。圧倒的にローカルで生活している人です。相対的にはローカルは小さくなったかもしれませんが、今後も、ローカルが主であることは確かです。

 さて、教職はどうでしょう?

 残念ながらグローバルでもなく、ローカルでもありません。町の商店街と同じで、それで生きていけました。しかし、ネットが発達しグローバルな競争相手が出てきたのです。芸人並みの話術を持つ教師が、チームで作成した教材を使って授業をするのです。多くの教師が憧れるカリスマ教師がいます。でも、その人があなたの同僚だったら、あなたには災難ですね。保護者や子どもから、絶えず比較されるのです。それが全国各地に広がるのです。

 どうしたらいいでしょうか?ローカルとして生き残る必要があります。私の勤めた定時制高校には十年以上勤めた先生がおられました。その先生は、子どもたちの姉も兄も教えたことがあります。それゆえ、保護者のことをよく知っています。地域コミュニティにも精通しています。ローカルの強みを持っている人です。今後は広域人事を考え直し、基本的に2、3の中学校区単位で人事交流するような人事枠を設ける必要があります。会社で言えば一般職と総合職のようなものです。

 私立もグローバルで勝負する学校とローカルで勝負するところが出来るでしょう。ローカルの場合は、現在の児童・生徒に繋がる親戚一同を巻き込んだコミュニティを形成する必要があります。

 日本の雇用はどんどん変わっています。教職も埒外にいられるとは思えません。

■ []違い 05:35 違い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 違い - 西川純のメモ 違い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が受ける代表的な質問に、「学びの共同体との違いはどこにあるのですか?」というものがあります。今までは考え方のレベルの説明(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20081124/1227514428)をしていました。でも、最近はもっと簡単なレベルの説明をしています。それはマニュアルがあるか、ないか、です。

 『学び合い』には様々なマニュアルがあります。言葉がけの仕方、見取りの仕方、課題作りの仕方のマニュアルがあります。そしてそれらの仕方の背景にどのような考え方があるかを書いてあります。また、理論に関してもネットブックでアップしています。だから、私や私に直接指導を受けた人に問わなくても、『学び合い』の実践は出来ますし、その質は判断できます。そして、そこに書かれているノウハウはシンプルです。起こるであろう失敗は出尽くしていて、分析され、対応策も整理されています。だから、経験のない教員でも安心して出来るマニュアルがあるのです。

 学びの共同体で目指す教師の姿は、現状の一斉指導における教師の究極の姿です。たから多くの教師の心をとらえます。ただ、カリスマ教師に憧れる人は多いですけど、カリスマ教師になれる人は少ない。だからカリスマ教師なのです。

 『学び合い』は子どもを一人も見捨てたくないけど、教師も一人も見捨てたくない。だから、マニュアルがあります。だから、学校で取り組めます。

追伸 違いを問われるたびに思うことがあります。学びの共同体とは何か?と。随筆ではなく理論書が無いのでその実態が捉えられないのです。例えば、学力という言葉があり、教師の間で普通に使われます。しかし、学力の定義はありません。各人が別々なことをイメージしている。浅い議論で済ますだけならいいのですが、具体的にいっしょにやると同床異夢になります。理系人間の私にはそれがとても「いずい」(仙台言葉)のです。