富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館は、1995(平成7)年に開館し、来年30周年を迎えます。私が学芸員として配属されたのは2010(平成22)年で、ちょうど後半の15年間、職員として館の運営に関わってきたことになります。本欄が皆さまにアートや博物館施設を「ちょっと身近に」感じていただく機会になればと思います。

 当館は、富岡市北西部の丘陵地にあるもみじ台総合公園内、県立自然史博物館の西側にあります。アーチ状の屋根を連ねた特徴的な建築設計は、東京都現代美術館や新国立劇場などを手がけた柳澤孝彦+TAK建築・都市計画研究所によるものです。周囲の山並みとの調和を意図してデザインされましたが、富岡製糸場から繭の形を想像する方も多いようです。

 館内は2階建てで七つの展示室があり、延床面積は約4千平方メートルと、人口5万人程度の市の施設としてはかなり充実した規模と言っていいでしょう。開館当時は県内の市町村立としては初の本格的な博物館・美術館だったこともあり、大きな話題となりました。

 当館の特徴は建物だけではありません。一番の「押し」は、富岡出身の画家・福沢一郎(1898~1992年)の画業を顕彰する記念美術館を併設していることです。

 長い館名のため、時々「二つの施設が併設されているのですか」と聞かれることがありますが、別棟があるわけではありません。七つの展示室のうち三つを「福沢展示室」として福沢の作品を常設展示しています。現在、資料などを含めた福沢に関する収蔵品は400点を超え、年間1、2回展示替えをして、その一部を紹介しています。

 没後30年以上たっていることもあり、地元でも福沢を知らないという方が多くなってきたように感じます。「福沢一郎」という存在が歴史の一部となりつつある今、彼の作品を守り、その画業を語り継いでいく責任の重さを痛感する日々です。

 時折、「福沢作品はよく分からない」という声を耳にすることもあります。確かに、予備知識なしでは何を描こうとしたのか分かりにくい作品も存在します。

 文化勲章受章者、名誉県民、富岡市名誉市民というそうそうたる肩書が物語るように、福沢が群馬の美術だけでなく、日本の近代美術史を語る上で決して看過できない功績をのこしたことは紛れもない事実です。しかし、美術作品は必ずしも知識がなければ楽しめない、理解できないというものではありません。実際に福沢作品の前に立てば、時代を超えた普遍的な「力」を十分に感じてもらえると思います。

 ぜひ一度、「分からない」というまなざしのフィルターを外して、福沢一郎という画家に出会ってみませんか。

 【略歴】2010年から富岡市立美術博物館に勤務。専門は近現代美術。企画展の他、福沢一郎の常設展を担当。群馬大教育学部卒、同大大学院教育学研究科修了。