新時代の組織のあり方 ~人的資本経営と「心理的安全性」~
2025年2-3月号
(本稿は、2024年11月21日に東京で開催された講演会(オンラインWebセミナー)の要旨を事務局にて取りまとめたものである。)
1. はじめに
2. 産業構造の変化と必要になる人材
3. 人的資本経営の実現に向けて
4. 「心理的安全性」とは何か
1. はじめに
私は、企業向けメンタルヘルス対策の専門会社に10年従事した後、組織としてのメンタルヘルス対策が進みにくい中小企業を支援するために独立しました。今では会社規模に関係なく、働く人が「どう生きていくのか」を理念に掲げ、心理学の専門家としての知識を活かしたメンタルヘルス全般・ハラスメント対策を中心に、企業が抱える課題解決をサポートしています。これまで支援してきた顧客企業は200社以上に及びます。今日は、これからの時代の組織作りに欠かせない人的資本経営、「心理的安全性」の重要性とその施策のポイントをお話しします。
2. 産業構造の変化と必要になる人材
日本の高度成長期は、冷蔵庫・テレビ・洗濯機のいわゆる三種の神器を手にすることに価値がある時代でした。その後、モノに高性能を求める時代が続きますが、今その動きは停滞しつつあります。データをみても明らかで、2009~2022年の家電量販店大手5社の売上高の推移は横ばいで、今後伸び悩む傾向にあります。
これに反して店舗数とともに売上を伸ばしているのがホームセンターです。1973年に全国で28店舗だったホームセンターは、現在では約4,900店舗以上に上ります。この背景には、自分の嗜好に合ったものを作るDIY市場の活況があります。低価格で上質、均質な商品を提供するファストファッションも、現在ではデザイナーとのコラボによるオリジナリティのある新商品が増え、コンセプトが変化しています。今や「私だけのオリジナル」を求める時代へと移行しているのです。
このように、私たちが求めるものが変われば産業構造も変わります。2022年、経産省は「未来人材ビジョン」を掲げました。産業構造のさらなる変化を見据えた人材戦略の見直しや未来人材会議の設置等の対策がまとめられています。この中で2020~2050年における業界ごとの人材需要予測では、デジタル化と脱炭素化が加速しAIが業務効率を向上させる一方で、医療や福祉、教育など人を介する産業の需要が増加するとされています。
こうした変化に伴い、必要になる人材要件も変わってきています。人に求められる要件として、これまでは、注意深さやミスがない、責任感を持って真面目にやる真摯な姿勢、マニュアルどおりの仕事ができることが求められていました。しかし今は、何が起こるのか予測不能なVUCA(プーカ)の時代ですから、予測を立てたマニュアルは通用しません。その中でアドバンテージを取るには、これまでとは異なる視点が求められるのは当然です。同ビジョンでは、2050年に必要な人材要件として、問題発見力、的確な予測、革新性の3つの要件を挙げています。
国際経営開発研究所(IMD)のデータを基に経済産業省が作成した資料によると、日本の競争力は1990年代に1位でしたが、現在は31位に低下し、中国に大きく差をつけられています。企業アンケートでは、「スキルと人材能力のギャップ」がすでに顕在化している企業が43%、2年以内に危なくなると思う会社が22%、3~5年以内ではさらに22%と、約9割の企業が5年以内のギャップ拡大を懸念しています。技術の習得には企業の人材投資が必要ですが、日本はその水準が低く、自発的に学ぶ人も少ないのが現状です(図1)。さらに、仕事への意欲はアジアで最下位という結果が出ています。後半は、この課題への対策についてお話しします。
3. 人的資本経営の実現に向けて
産業構造の変化に伴い必要になる人材要件が変化するなかで、経産省は企業に対し「人的資本経営」の考え方を提唱しました。2018年にはISO30414が公表され、人的資本に関する情報開示報告のガイドラインが策定されました。
日本の競争力低下は、賃金の停滞、従業員エンゲージメントの低さ、人材投資や学習意欲の不足、スキルと構造変化のギャップ、固定化した組織構造が要因とされています。日本型雇用や終身雇用は変化しつつありますが、大学3年生での就職活動や安定志向は依然根強く、これが国力や企業成長を阻んでいます。それを打破するため、国は「雇用人材育成システムの聖域なき見直し」を掲げ、人的資本経営を推進しています。これは、人材戦略を経営戦略に結びつける取組みですが、日本全体での意識改革はまだ限定的です。
人的資本経営とは、人材をコストではなく資本と捉え、その価値を最大化することで中長期的な企業価値向上を目指す経営手法です。従来は人材をコストと見なし、成長を個人の努力任せにしていましたが、これでは悪循環が生じていました。今後は人材を投資対象とし、教育を通じて社員と会社の成長を促進する考え方が求められます。
4. 「心理的安全性」とは何か
組織開発の第一人者であるアメリカのエイミー・エドモンドソン氏によると、これからの人材は体制順応型ではなく、問題解決や自発的行動のできる人が求められているといいます。マニュアル重視の教育は時代遅れで、行動から学び、成果を言語化できる能力が重要視される時代です(図2)。作業体制にも多様性が必要です。同質な集まりではなく、外部の視点を取り入れた横断的なチームを構築し、社員に権限を移譲して主体性を育むことが、人材育成の鍵となります。
これから求められるのは、学習しながら変容する組織です。そして、その鍵となるのが「心理的安全性」です。恐れずに発言でき、建設的な議論を通じてメンバーが共に成長できる環境が重要です。2020年、Google社は、成果を上げるチームの最重要要素として「心理的安全性」を挙げました。同社の研究プロジェクトでは、圧倒的に成果を上げているチームに共通する5つの要素(心理的安全性、信頼性、構造と明瞭さ、仕事の意味、インパクト)を特定し、その中で「心理的安全性」が最も重要としています。
慶應義塾大学の研究によると、「心理的安全性」が担保されている組織は、話しやすさ、助け合い、挑戦、新「奇」歓迎の4つの因子が備わっているといいます。子どもに対して使うような言葉で一見簡単に思えますが、組織が困難な状況にあるときこそ、この4つの因子を守ることが鍵となります。実際に、不祥事やパワハラの背景にはこれらの因子が欠如しているケースが多くみられます。ではなぜ、この4つの因子を守ることが難しいのでしょうか。
その原因の1つに、対人関係のリスクがあります。人は無知や無能、否定的と思われることを恐れ、集団から排除されるリスクを避けようとします。その結果、「知らないのかと思われたくないから相談しないでおこう」、「ミスを隠そう」、「邪魔に思われたくないから助けてほしいけれど声をかけずにおこう」、「否定的だと思われたくないから意見は言わずにおこう」といった行動に繋がってしまいます。
この対人関係のリスクを克服するためには、意識的に逆の行動を取ることが重要です。無知だと思われない環境では相談ができ、無能だと思われない環境ではミスを報告できます。邪魔者と思われなければ助言が求められ、否定されない環境では意見が言えます。「心理的安全性」の4因子は一見簡単そうですが、意識しなければ実現できません。この意識の有無が、企業やチームの在り方に圧倒的な差を生みます。日本生産性本部の調査によると、2023年の心の病は大幅に増加しています(図3)。リスクを隠す行動がその一因とされ、これを防ぐには「心理的安全性」が必要です。
「心理的安全性」は世界中で研究されていますが、「心理的安全性」を高めるためには、リーダーや管理職の育成が重要になります。また、従来のマニュアル型ではなく、KPIやデータに基づく教育、定点観測、評価制度の整備も必要です(図4)。
「心理的安全性」を土台に、トップが明確なメッセージを掲げ、社員を巻き込みながら具体的に実行することで、人的資本の成長と多様なアイデアの創出を促進し、組織の成長に繋げることができるでしょう。
〈ディスカッション〉
鍋山 「心理的安全性」と個人の意欲向上について、詳しくご説明いただけますか。
小島 先ほどご紹介したエドモンドソンは、医療分野を起点に多様な職種が短期間で成果を出す方法を研究し、「心理的安全性」がチーム成功の鍵であることを発見しました。個人に裁量権や自由度があることは、メンタルヘルスの観点で重要な要素とされています。
鍋山 ウェルビーイングの1つの要素でもありますね。伊藤レポートでは、上からの一方通行ではなく、現場と対話をする双方向の対話が重要とされています。この取組みができている組織とできていない組織では、差は生じていますか。
小島 大きな差があります。経営者に現場の実情が届いていない会社も多く、その場合、経営者に社員の実態が伝わらないために具体的な戦略を立てられません。結果、上意下達の一方通行になり、社員の働く意欲は生まれません。
鍋山 経営に哲学を取り入れて、根本から考える姿勢が重要です。また、日本の教育はしつけ重視(インプット型)ですが、企業では個人の意欲を引き出す教育(アウトプット型)が求められます。
人材不足が深刻ですが、中小企業の跡継ぎに関する相談は多いですか。
小島 中小企業では事業承継が課題となっており、若手経営者からは、組織のあり方や新旧人材の融合、離職、心理的問題への対応について多くの相談が寄せられます。エドモンドソン著『恐れのない組織』に「心理的安全性」の有無を問う7つの設問があります。ぜひ参考にしてください。
鍋山 小島さんが支援している企業の中での好事例をご紹介ください。
小島 建設業の健康経営プロジェクトを3年前から支援しています。社員巻き込み型で部署間の対立を解消し、横断的な連携を強化しました。以前は社長が全てを担っていましたが、現在は社員主体で解決策を実行しています。組織風土が変わり、社長は調整の手間が減り経営に集中できるようになったと話しています。
鍋山 大企業でも部署を越えたプロジェクト型組織が増えています。こうした取組みが広がれば、多様な価値観が共有され、日本の国際競争力向上に繋がるでしょう。