物理的には距離がある親と精神的にも距離を取るために、個人的にやってきたことを挙げてみる

 

 

 

物心ついたときから定位家族のことで悩んできて、精神疾患や自殺未遂も経験してきたが、現在は親のことはストレスの上位ではない。この精神状態に至ることができたのは多くは幸運によるものだ。とりわけ物理的に距離を取り得たことによるアドバンテージは大きい。その上でこの記事では、物理的には離れることができた親と精神的にも距離を取るために、わたしが過去にやってきた/現在もやっていることを言語化してみた。異なる状況にある他者が行動レベルでそのまま実践することは難しいだろうが、発想としては再現性があるものも多いのではないか。

なお、タイトルに「毒親」の文字は入れていない。定位家族に苦しんでいる人たちのコミュニティはどうしても親のクソ度による不幸比べになりがちで、平たく言うと不毛であるが、不毛なコミュニティ自体が悪いわけではまったくない。自分の精神状況に合わせて適切に利用すればいいというだけの話だ。停滞感にこそ癒される状況というものはある(わたしにもあった)。しかし今のわたしはインターネット上の既存の毒親語りにコミットする必要性を感じていないので、タイトルから「毒親」の文字は外した。わたしが親から具体的にどのような被害を受けたのかも一切記述しない。今のわたしは、すべての親子関係は毒であるとする立場である。家庭によって毒の強度には著しい差があるが、根源的に毒でない親子関係はないことを大前提として、毒とどのように付き合っていくかを個々人で考えていくことが大事だと思っている。親との向き合い方は、同居/別居や親からの経済的依存度合い、自らの経済的依存度合い、介護の必要性などによって大きく違ってくる。一律の正解はない。考え続け、実践し続けていくしかない。

 

繰り返すが、わたしが今そこそこ穏やかに生きられているのは幸運だったからである。わたしは親しい友達二人を自死で亡くしているが、二人ともわたしとは比べ物にならないくらい壮絶な被虐待経験を持っていた。しかし、かれらほど強毒の親ではなくても、わたしも家族との関係において主観的な苦痛を現に感じていたので、生き延びるためには対処行動を取るしかなかった。親が悪いとか自分が悪いとか、原因は置いておいて、現につらいのなら誰しも対処行動を取る権利がある。少しでも参考になれば幸いだ。

 

 

 

 

大前提の心構え

まずは抽象的なことを。

親と精神的距離を取るためには、前提とすべき心構えが2つあると思っている。

 

①いい子のまま距離を取るのは不可能

わたしがこれを心底思い知ったのも21歳くらいのときだから、偉そうなことは言えないのだが、早く気づくほどいいだろう。親の機嫌を取り続けていい子のまま距離を置くことは決してできない。いい子のままだと、親はこちらの苦痛に決して気づかない。親は他人なのだから、なにも言っていない・表現していないことに気づかないのは当然である。親と精神的に距離を置くためには、多かれ少なかれ「悪い子」としての自己表現をする必要がある。ともに生きることを自分で選んだわけでもない、強制的に近縁にさせられた他人の機嫌を取る必要はない。自分の人生の主役は自分である。

 

②距離を取るための営みは仕組化する

常日頃から親のことばかり考えて生きるのは馬鹿らしいので、ただ生きているだけで勝手に精神的に自立していくような仕組みを作るのが望ましい。逆にいうと、ただ生きているだけで親との距離を補強してしまうような構造の中にいるのなら改善の余地がある。

 

以上2つの前提は、以下に挙げる具体的な行動によっても補強される。前提に基づいて行動し行動が前提をより強固にする、よりよいループを志向するといいだろう。

 

 

 

やってきたこと

1.親を変名でメモする

親との電話連絡や会食などをスケジュール帳にメモするとき、「父」「母」とは書かず、名前で書く。親の本名の下の名前でもいいが、わたしはまったくべつの名前を勝手に決めてメモしていた。これは、親が他人であると自分自身に言い聞かせるための仕組化された行動の一つである。親以外の他者にするように名前呼びすることで、父母は相対化され、自分の中で特別な人間ではなくなっていく。些細なことだが、些細なことの積み重ねは大きな力を持つ。

わたしは11歳ごろから、父親は鶴喜、母親は杏子と決めてメモしていた。それぞれ由来があるのだが、鶴喜は画数が多くて面倒だったのでもっと簡単な漢字にしたほうがよかった。

わたしは親とLINEをしていないが、LINEをしているなら、表示名を勝手に変更するのもいいだろう。

 

2.趣味・友達の話を避ける

10歳ごろから実践していた。親と雑談するにしても、敵方に渡す情報は少ないほうがいい。趣味や友達など、自分の一部を形成するような大切なものの情報を敵方に明け渡すべきではないと思っていた。結果的に功を奏したと思う。自分のことをなにも知らない人間の優先順位は自ずと下がるので、自分の中での親の優先順位を下げるのに役立った。自分の人生の主役は自分である。親ではない。

 

 

 

3.シンプルに帰省しない

18歳で一人暮らしを始めてからは、できる限り帰省を避けた。基本中の基本だと思っている。帰省するにしても2日とか、爆速で帰る。もちろん2日しかいられないと言うと文句を言われるので、5日間いるという体で帰って、2日目くらいで口論をきっかけにブチギレた体で勝手に帰っていた(思い出してほしい、いい子のまま距離を取るのは不可能である)。荷物は当然最小限とし、いつでもひっつかんで飛び出せるように整理しておく。離れたあとの実家は敵地である。くつろぐ場所ではない。くつろぐ場所としての機能を期待してしまうと、傷つくのは自分である。

 

4.シンプルに電話に出ない

要件はメールにさせる。当然自分からもよほどの事務的必要性がない限り電話・メールしない。

ただしこの技は、連絡をマメにしないと家に押しかけてきたり余計ヒートアップしたりするタイプの親には使えない。わたしの親はたまたまそのタイプではなかった。

 

 

 

5.実家と同じメーカーの日用消耗品を使わない

台所洗剤、石鹸、シャンプー、ティッシュペーパー、トイレットペーパー等々、日用消耗品すべてにおいてそうする。実家で使っていたメーカーのほうが見慣れているだろうが、べつのメーカーのものを買うように無意識レベルで習慣づけた。べつに実家と同じティッシュを見るだけで苦しくなるほどの心的外傷を負っていたわけではないが(そのような友達もいる)、徹底的に違うものを買った。実家の生活様式を脱して自分優先の生活様式に作り替えるためのエクササイズである。

 

6.実家に荷物を残さない

19歳から短い帰省のたびに整理整頓に精を出し、22歳のときに完遂した。つまり、実家にわたしの荷物は一つもなくなった。

趣味と友達の話をしないのと同じように、大切なものを実家に残さないように意識した。べつに実家と完全に縁を切るつもりはなくても、いつでも縁を切られる状況を作っておくのが心のお守りになった。大事なものは一人暮らしの部屋に持ってきて、持ってこられないものは潔く処分した。

 

7.親の誕生日になにもしない

18歳から現在に至るまで実践している。プレゼントを贈らないのはもちろん、メールもしない。これも親の優先順位を下げるためのエクササイズだ。親は当然寂しがったり怒ったりするだろうが、自分のためには必要な行動だった。今もわたしは、そろそろ30歳も近いというのに親にプレゼントの一つも贈らない薄情な子であるが、それでいいと思っている。不義理や幼稚のそしりを恐れていては自分の人生を生きることはできない。

ただ、親のタイプによっては、逆に誕生日くらいは接待して日ごろの「不義理」をうやむやにして丸め込むのもアリ。いずれにせよ、自分がどちらの戦略を取っているのか意識的であることが大事だと思う。自分の人生の舵を取るのは自分である。なんとなくプレゼントを贈ってお礼という名目で連絡が復活して嫌な思いをしたり、なんとなく贈らなくて罪悪感を抱き続けたりする中途半端な状態が一番よくない。

 

 

 

以上、親と精神的に距離を取るために実践してきた具体的行動でした。ぱっと書けるのはこの7つだが、ほかにもたくさんあるので、思いついたらまた書きたい。

いずれも一つ一つは些細な行動で、親に直接的に働きかけるものではない。しかし、些細なことでも自分で考えて決める経験を積み重ねることで、人生の舵を自分自身に取り戻す助けにはなると思っている。各位の健闘を祈ります。

 

 

過去に父親について書いた記事はこちら。

 

www.infernalbunny.com

 

 

 

 

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