要約
「世界には変な人たちがいる」と、高校の保健の先生は授業のはじめに言いました。そして男どうしの性交渉がエイズの大きな原因だから、同性愛者には近づかないほうがよいと言いました。先生からLGBTの人たちの話を聞いたのはその1回だけです。ゲイを笑いものにするような会話を小耳に挟むことはありましたが。
—サチ・Nさん(20、名古屋在住)、2015年11月
校長先生は言いました。「ダメだ、お前だけの卒業式じゃないんだ。お前1人のワガママで、学校の風紀を乱すな。」
—ナツオ・Zさん(18)、福岡、2015年8月.高校で男子用の制服を着たいと要望した際の校長の対応を振り返っての発言
子どもの安全と健全な発達が、理解ある大人との偶然の出会いに左右されるようなことがあってはならない。しかし、そうした状況が往々にして、日本の性的マイノリティ(sexual and gender minority)の子どもたち----レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー(LGBT)をはじめとするセクシュアリティ及びジェンダーについてマイノリティのアイデンティティを持つ子どもたちや、自分の性的指向やジェンダー・アイデンティティ(日本語訳は、性自認。以下、「ジェンダー・アイデンティティ」)に疑問を持つ子どもたち----の現実だ。
日本のLGBTの子どもたちがいじめや嫌がらせを学校の教職員に伝える時には、自分の運にかけるしかない。というのは、対応はその教職員の性的指向やジェンダー・アイデンティティへの個人的な考え方にまったく左右されてしまうからだ。包括的な教職員研修は存在しない。2016年4月に出されたガイドラインについても、拘束力のない指導・助言に留まり、ジェンダー・アイデンティティの尊重とそれに基づく配慮は、精神障害の診断に基づくことを原則とする内容だ。
日本全国14都道府県で50人を超えるLGBTの現役・元生徒、そして、教職員と学術専門家などを対象に行った聞き取り調査に基づき、本報告書は、日本の学校での性的指向とジェンダー・アイデンティティ、あるいはジェンダーの表明(gender expression)に基づくいじめと嫌がらせ、差別の現状を明らかにしている。そして、そうした事態への適切な対応と予防が求められるはずの学校が、実際にはまずい対応に終始することが多い実態も明らかにした。
政府は公式には認めていないものの、実際には、政策や教員研修が不十分であることや政策を実施に移す制度が脆弱であることなどがゆえに、その性的指向やジェンダー・アイデンティティを理由にいじめの標的とされるLGBTの生徒たちがいることを、ヒューマン・ライツ・ウォッチの本調査は明らかにしている。
日本政府は、LGBTの生徒特有の脆弱性に着目した効果的ないじめ防止策を策定していない。LGBTの生徒たちのニーズに対応するとともに教職員にその言動の責任を取らせるための教員研修をしっかり行っておらず、性的指向とジェンダー・アイデンティティに関する教育内容についての、国際人権上の日本政府のコミットメントを守っていないのだ。
ジェンダーやセクシュアリティに疑問を持つ日本の生徒たちは、危うい状況に放置されている。学校図書館など公式な情報源で調べても情報がないこともある。あるいは、ジェンダー・アイデンティティに関するあらゆる問題を精神障害とする書籍しか見つからないなど、限られた情報しか得られないこともある。教職員に疑問をぶつけても、叱責されたり、即いじめの対象になることもある。思いやりのある協力的な反応がある場合でも、教員研修がないため、教員の個人的な見解に基づきあり合わせの知識で対応されるのがせいぜいということになる。風紀と和の維持が強く望まれる文化ゆえ、LGBTの生徒の力になろうとした教員がかえって孤立することもある。ある元教員の言葉を借りれば「好意的であるがために孤立」してしまうのである。
嫌悪に満ちた反LGBTの言葉が、日本の学校のほとんどどこにでも存在し、LGBTの生徒を沈黙、自己嫌悪、時には自傷に追い込んでいる。生徒からも教師からも憎悪発言が至るところで発せられる実態と情報の欠如とが相まって、自らのアイデンティティとの格闘を、まずは恥と反感との闘いから始めざるをえない性的マイノリティの子どもたちも少なくない。
ジェンダーに不一致な子どもたち(訳注:原文はgender nonconforming children。訳については「ジェンダーに非同調性な子ども」なども存在するものの、今回は「ジェンダーに不一致な子ども」とした)は、性同一性障害(GID)の診断を受けなければ、自分にふさわしい性別に従った教育にアクセスできないことも多い。そして診断を欲するか否かにかかわらず、自らにジェンダー・アイデンティティを探し表現する支援が提供される代わりに、医療措置を必須とする成人用の性別変更(法律上の性別認定)制度に巻き込まれてしまうのだ。現行の日本の性別認定手続は、国際人権法と医療倫理基準の保障するプライバシーと表現の自由という基本的権利を侵害する制度である。
ジェンダー・アイデンティティを認めて欲しいと求める生徒や、性的指向やジェンダー・アイデンティティに基づく差別からの保護を求める生徒を学校が支援・配慮する場合でも、対応が一時的にすぎないこともある。学校側は、個々の生徒への配慮を示しつつも、弱い立場にある生徒の保護より、学校の風紀や和の維持を優先させがちな制度構造から抜け出せないのだ。いじめ防止政策は、LGBTの子どもなど、特定のカテゴリーの子どもに特有の脆弱性やニーズに触れていない。
教員が加わったいじめを受けて生徒が自殺した30年前の有名な事件について、日本の地方裁判所は1991年に、学校側はいじめによる自殺を予見することができなかったとして、学校の所属する地方自治体の自殺に対する賠償責任を否定した。政府側はいじめ問題にある程度の政治的資本を投入しており、注目の事件を受けて緊急会合を持ったり、政策立案を行うなどしてきた。しかし、政府は「いじめはどの子供にも、どの学校でも起こりうる」という紋切り型の立場にとらわれており、政策の効果的な実施はというとおぼつかないのが現状だ。この紋切り型の立場は、特に弱い立場におかれている一定の生徒が、嫌がらせや排除に遭いやすい構造を直視していない。
日本の学校には、権利よりも風紀と和の維持を優先する風潮がある。国のいじめ防止基本方針は、いじめは生徒の権利を著しく侵害するとしているが、いじめ防止対策の1つとして規範意識などを育むための道徳教育を推進している。個々の生徒の懸念やニーズは行き場を失ってしまう。
学校ではジェンダーに関するステレオタイプ的考え方が支配的で、ジェンダーに不一致な生徒が自らのジェンダーを自由に表現することは難しい。たとえば、教員研修や学校のカリキュラムでは通常、性的指向及びジェンダー・アイデンティティに関する情報がほとんどなく、種類や段階を問わずあらゆる学校で、同性愛嫌悪的な雰囲気が蔓延している。こうした中でいじめなどの人権侵害が発生し、学校が適切な対応を怠っているのであり、国・自治体の現在の対応は人権の侵害にも該当しうる。
LGBTの人びとの人権についての議論が大きく前進し、国のいじめ防止対策が見直しを迎える現在、国はいじめ防止対策を強化し、LGBTの子どもをはじめ、学校でいじめや暴力に特にさらされやすい人びとのカテゴリーを明示して、対応策に踏み出すべきだ。
政府にはすべての子どもに対して健康、情報、教育、意見表明の権利を保障する義務がある。トランスジェンダーとジェンダーに不一致な子どもへの対応が、日本では特に遅れていると言える。日本の学校では、制服が決まっていたり、男女別の活動があるなど、男女の分離が厳密に行われており、このことも、トランスジェンダーの子どもたちやジェンダーに不一致な子どもたちの学校生活の壁となっている。出生時に割り当てられた男女の性別に従った利用が求められる施設も、トランスジェンダーの子どもにとっての障壁だ。子どもたちはまた、性別変更(法律上の性別認定)のためには、差別的な年齢制限や、恐怖を感じさせうる医療条件にも直面させられる。
2016年は、いじめ防止対策推進法に定められた施行3年目の見直しの時期となっている。政府は、教育を受ける権利を含む人権上の国の責務に沿った形で、抜本的見直しを検討すべきである。性的指向やジェンダー・アイデンティティに基づく暴力と差別の廃絶に関して、2つの国連人権理事会決議(日本も支持)が近年採択されたところであるが、日本政府はこの機会に、国のいじめ防止対策をこの国連決議をはじめとする国際人権上の責務に沿った形で改善すべきである。そのためには、本報告書でも具体的に多くの指摘をしたとおり、いじめの原因となる構造上の要因を特定した上で対処することが必要と言える。
提言
文部科学省への提言
- いじめ防止対策推進法に定められた2016年の見直しの一環として、LGBTの生徒など弱い立場にある生徒のカテゴリーを特定・明記すること。
- 学校の差別禁止原則の遵守の状況をモニタリングし、対策が功を奏していない場合には介入を行い、学校でのいじめの統計をとる場合には性的指向とジェンダー・アイデンティティの要素を必ず含めること。
- 非政府組織(NGO)と協同し、LGBTの生徒の学校環境に関する調査を開発、実施すること。当該調査は、被害対象となる子どもたち自身から直接情報を集める形で行うこと。
- 2016年の「性同一性障害や性的指向・性自認に係る、児童生徒に対するきめ細かな対応等の実施について(教職員向け)」(以下、「2016年教員向け手引」)を基に、性的指向、ジェンダー・アイデンティティ及び人権についての教員研修教材を開発し、現役教師全員に受講を義務化すること。
- すべての大学の教員養成カリキュラムに、LGBTや自らの性的指向やジェンダー・アイデンティティに疑問を持つ生徒など、多様な生徒との関わり方に関する研修を義務として組み込むこと。
- 学校は、いかなる医療診断を求めることなく、生徒を自ら宣言するジェンダー・アイデンティティのまま受け入れるべきであるとの改訂通知を出すこと。学校は、性同一性障害の診断を求めることなく、生徒の教育への完全なアクセス(制服、トイレ、書類などを含む)を保障すべきである。またトイレについて、ジェンダー中立的または障がいのある生徒用に限らず、その生徒が気持ちよく利用できるトイレの使用も含まれるべきである。
- 法務省及び国会と協力し、日本の法律上の性別認定手続である性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(2003年。以下、「性同一性障害特例法」)を改正し、不妊などの屈辱的な強制手続に代えて、自己認識(self-identification)を基準とする性別認定手続を導入すること。
- 国連教育科学文化機関(UNESCO)及び国連人口基金(UNFPA)のガイドラインに基づく性的指向とジェンダー・アイデンティティに関する情報を、全国的な性教育カリキュラムに含めること。
法務省への提言
- 国会議員に助言するとともに、性同一性障害特例法改正案を国会に提出し、同法を国際人権上の義務と国際的なベスト・プラクティスの基準に沿った内容にすること。
厚生労働省への提言
- トランスジェンダーの人びとに影響を及ぼす全てのヘルスケア政策を改訂し、最良のケアをトランスジェンダーの人びとへ提供するために、国際的な保健・医療専門家が策定した基準である、世界トランスジェンダー・ヘルス専門家協会(WPATH)のケア基準第7版(Care-7)に沿ったものとすること。
- 教育委員会等に対する文部科学省通知と連動する形で、精神科医など精神保健専門家に対して、子どもが自らのジェンダー・アイデンティティに応じた教育を受けるためには、性同一性障害の診断を受ける必要はないことを明白にする指示を緊急に出すこと。
地方自治体と教育委員会への提言
- 地方自治体のいじめ防止対策に、性的指向とジェンダー・アイデンティティを明示した差別禁止条項を設けること。
- LGBTのNGOとのパートナーシップに基づき、文部科学省の2016年教員向け手引に沿い性的指向、ジェンダー・アイデンティティ及び人権に関する教員研修プログラムを早急に策定すること。当該プログラムには、教室用資料の配付、追加支援を必要とする教員向けの追加的参考情報も含むべきである。
- すべての教員に、性的指向、ジェンダー・アイデンティティ及び人権に関する研修を義務づけること。当該研修には、各教員がかかわる年齢集団にふさわしい教育へのアクセス関係の課題を含むべきである。
国会への提言
- 検討がされている反差別関連法案に、生徒に関する性的指向またはジェンダー・アイデンティティに基づく差別からの保護規定、そして管理職、教員、カウンセラーをはじめとする学校職員及びその他の学校スタッフを明示した性的指向またはジェンダー・アイデンティティに基づく雇用差別の禁止規定を盛り込むこと。
- 性同一性障害特例法を国際人権上の義務と国際的なベスト・プラクティスの基準に沿った内容に改正すること。
調査方法
ヒューマン・ライツ・ウォッチは本報告書のための調査を、2015年8月から12月まで日本全国14都道府県で実施した。
調査員が行った100件以上のインタビューのうち、13人が性的マイノリティとしてのアイデンティティを持つ18歳未満の子ども、37人が子ども時代の経験を語った18歳以上の性的マイノリティ、50人以上が学校教員及び職員、政府関係者、弁護士、子どもの親、いじめや精神保健、その他関連領域の学術専門家である。
学校でいじめを受けた経験のあるLGBTの人びとを探すため、ヒューマン・ライツ・ウォッチは日本の非政府組織(NGO)、インターネット上の募集フォーム、インターネット上のアンケート調査を通したアウトリーチ活動を行った。このアンケートは、本報告書でとりまとめた学校でのいじめや差別、LGBTへの嫌がらせの経験に関する基本データを収集するとともに、こうした話題を持ち出し、アンケート参加者にヒューマン・ライツ・ウォッチの調査員との詳しい対面インタビューへ応じてくれるよう促すために行った。アンケートはFacebookとTwitterを通して拡散した。
アンケート回答者のうち458人が25歳未満であり、これが学校で最近いじめを受けたことがあるLGBTの人びとの経験に関する本報告書での分析のサンプルとなっている。アンケート回答者への対面インタビューでは、圧倒的多数がアンケートをTwitterで知ったと答え、アンケートに応じることにした理由として、要請が著名な日本のLGBT団体やLGBTの著名人からツイートまたはリツイートされていたことを挙げた。
アンケート回答者や対面インタビュー回答者に金銭的報酬は一切支払っていない。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、インタビュー回答者が安全で秘密が保たれる場所で調査員と面会するために利用した公共交通機関の旅費を支払った。インタビューは日本語で行い、日本語・英語の逐次通訳がついた。学校でのいじめを経験した人びとのインタビューはすべて個別に、1回1人ずつ実施している。うち2回はインタビューに応じた子どもの求めにより、LGBTの若者に関する活動を行うNGOのカウンセラー1人が同席した。4回のインタビューはテキストと音声による会話を行うスマートフォンアプリのSkypeとLINEを用いた。これはLGBTや学校での暴力について安全な場所で話すこと、あるいは外出することに制約があるインタビュー回答者の求めに応じたものである。専門家、教員、ソーシャルサービス提供者とのインタビューの一部は集団で行い、ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査員が1対1のインタビューを後日追加で行ったものもある。
ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査員は、調査目的及びインタビュー回答者の証言の本報告書や関連資料での使用方法について、事前に説明を行ってインタビュー回答者全員から口頭で承諾を得るとともに、日本語と英語の説明文書も手渡している。インタビュー対象者はインタビューをどの時点でも中断することができ、また答えたくない質問には答えなくてよいとの説明を受けている。
本報告書では、実名使用を強く望んだ少数の成人を除き、インタビュー対象者については仮名を用いている。
本報告書は、英語オリジナル “‘The Nail That Sticks Out Gets Hammered Down’ : LGBT Bullying and Exclusion in Japanese Schools”の翻訳版である。
本報告書内の漫画は、ヒューマン・ライツ・ウォッチがインタビューした方々が、ご自身の経験を自らの言葉で語ってくださったお話に基づいている。いくつかのシーンでは、ストーリー展開に必要な文章が追加されている。© 2016 歌川たいじ
I.日本における性的マイノリティの子どもの現状
中学校では周りの生徒からLGBTを馬鹿にする冗談をたくさん聞かされました。私は大きくなる中で、周りの人はみな、LGBTの人びとは物笑いの種にしても構わないと思っているのだと考えていました。
—キヨコ・Nさん(20)、東京、2015年11月
ほとんどの先生は、ジェンダーに不一致な生徒は単にわがままか傲慢なのだと思っています。実際に生徒にそう話をしているし、私のところに来る子どもたちもそう言っています。子どもがそうした感情と既に格闘しているところに、先生からは傲慢だと言われ、さらに精神科医にあなたは障害があると言われる。最悪です。
—アイ・Kさん、LGBTの若者のカウンセラー、福岡、2015年8月
子どもと若者たちはヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、自分の性的指向やジェンダー・アイデンティティのことを知り始めた幼いときに、どうやって情報にアクセスし、自分自身を表現しようとしたかを話してくれた。
ほとんどすべてのインタビュー参加者が、自分のジェンダーに疑問を持ち探求し始めるか、同性の人に恋愛感情を抱き始めたのは、子どもの時だと答えている。わずか5歳で自分がシスジェンダーや異性愛者ではないことがわかっていたと話す人もいた[1]。
インタビューに応じた若者たちは、とても大変だったのは、自分が人と違うことと折り合いをつけることではなく、ステレオタイプや誤った情報、LGBTを否定する有害な論理が氾濫するなかで、ジェンダーとセクシュアリティに関する情報を探すことだったと語ってくれた。学校教職員がLGBTの生徒(訳注:原文はstudents。学校教育法上、小学生は「児童」、中・高生は「生徒」とされているが、本報告書では小・中・高校生も含め「子ども」ないし「生徒」とした)を応援した事例はほとんどなかったが、応援のあった数少ない事例の場合でも、その対応は完全に教職員個人の自発性にゆだねられており、方針や規則に支えられてはいなかった。暴力や差別の被害を受けた子どもへの補償や、誤った情報の訂正を行った事例もほとんどなかった。
例えばオサム・Iさんは高校生の時にゲイとしてカミングアウトしたものの、周りの生徒からの暴力と嫌がらせに遭い、教員らの無知と無関心にさらされた。インターネットでLGBTの権利について知り、自分にこっそりカミングアウトしてくれた同じ学校の友人の存在に勇気づけられて、オサムさんは全校集会で“I’m Gay”とプリントされたTシャツを着て、自分の性的指向を明らかにした。
「それまで周りでホモネタを聞くことが頻繁にあったので、他の生徒もLGBTの人たちが身近にいるのだということを知ってくれれば、そういうひどいことを言わなくなるんじゃないかと考えていたんです」と、オサムさんはヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。だがその勇気ある行動は同級生や教員の支援や理解にはつながらなかった。学校は本人に相談せず、母親にこの件で苦情を伝えた。「先生たちからは、僕がしたことは『学校の風紀を乱すことだ』と注意されました。」
この叱責は始まりにすぎなかった。
オサムさんによれば、みなにカミングアウトした数日後、体育教師がやってきてこう話しかけた。「お前がやったことは、他の生徒は冗談だと思ってると思うけど、それでもお前の隣にいるだけで俺までホモだと思われてしまう。」 同級生からは、今後は女子更衣室を使えとからかわれた。そして担任はクラスで性的指向と性同一性障害の違いについて説明した。
「その話のせいで事態が余計に悪化しました」とオサムさん。担任は思いやりや寛容、人権についてまったく触れなかった。そして生徒たちはオサムさんがI’m GayのTシャツを着ている写真を、悪意に満ちたコメントつきでツイッターで拡散し始めた。次の体育の授業では、男子生徒10人ほどがオサムさんを囲んで足蹴にし、ボールを投げつけた[2]。
数週間後、学校はオサムさんへのいじめ対策を作った。しかしその計画は一連の事件を一切調査せず、実行者を処罰もしなければ、学校全体へのLGBT問題やいじめに関する教育も実施しないというものだった。その代わりにオサムさんは毎週数人の教員と面会し、体育の着替えには保健室を使うように指示された。「体育の先生は僕に、『加害者の生徒は僕のことを友達と思っていて、蹴ったのは冗談のつもりでふざけていただけで、傷つける気はなかった』と説明しました」と、オサムさんは言う。
いじめは日本のあらゆる生徒のあいだに一般的に起きているが、LGBTの生徒はとくに標的になりやすい。1999年からゲイとバイセクシュアルの成人男性と少年について調査を行っている宝塚大学看護学部の日高庸晴教授によれば、2014年の調査に応じた11歳から19歳の1,096人のうち、約44%が学校でいじめを受けたことがあった。いじめに対し、全調査回答者の約18%、10代の回答者のみでは約23%に不登校の経験があった。また自傷行為については、全体の約10%、10代のみでは約18%が経験ありと回答した[3]。
日本でのLGBTの権利
日本の歴史を見るとLGBTの人びとに対するあからさまな敵意が表れることはまれで、憲法においても広く差別を禁止する条項がある。しかし、性的指向とジェンダー・アイデンティティに基づく人権保護を定める法律はなく、日本のLGBTの人びとはその他の人びとと平等な立場にあるとは言えない。平等でないばかりか、日本のLGBTの人びとの生活の特徴は、その存在がまるで見えないように世間で扱われているという点にある。性的指向やジェンダー・アイデンティティに基づく人権侵害からの保護、あるいは侵害に対する補償を明記する国内法は存在しない。これまでマスメディアは、LGBTの人びとについて、嘲笑の対象としたり、固定観念に捉われた描き方をしがちであった[4]。アウトライト・アクション・インターナショナル(OutRight Action International)によると「マスメディアは、一般的にLGBTの人びとを家族や友人、同僚、隣人としては描いておらず、日本社会一般の受け止め方も同様である」としている[5]。
日本のLGBTの人びとに影響を与える人権問題が最近脚光を浴びており、ジェンダーとセクシュアリティが公の場で議論される機会も増えている。2013年以降、2つの自治体がLGBT支援宣言を発表し、2015年には東京都の2つの区が同性パートナーシップ制度を導入した[6]。地方議会でも同性愛者やトランスジェンダーであることを明らかにした議員が活動している[7]。
こうした流れは、国政レベルにおける前向きな変化をもたらしている。例えば、自殺総合対策大綱は、2012年の改正版において、「性的マイノリティ」について特に言及を加えた[8]。また2011年の東日本大震災によって福島原子力発電所付近の住民が避難や精神的苦痛を受けていることをふまえ、政府はLGBTコミュニティを特に対象とした支援リソース配分を行った[9]。また、本報告書執筆の時点で、超党派国会議員連盟が、LGBTの人びとの人権に関する包括的な法律の制定を検討している。現在検討されている法案は、包括的なLGBT差別を禁止する法案から、LGBTの人びとへの理解を促すに留まる法案まで幅広く、この超党派議員連盟の提案する法律の内容や時期は、現時点では定まっていない。しかしそうした法案が成立すれば、日本で初のLGBTの人びとに関する包括的法律となる。
教育を受ける権利の領域でも前進があった。2015年に文部科学省は全国の教育委員会などに対し「性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について」という通知を出している[10]。この2015年通知ではトランスジェンダーの生徒に対して学校が行うべきいくつかの支援策が示されており、同時に、その他の性的マイノリティの生徒にも言及がなされている。2015年通知は、拘束力こそないものの、文部科学省からの真剣なメッセージを伝えるものである。また2016年に文部科学省は「性同一性障害や性的指向・性自認に係る、児童生徒に対するきめ細かな対応等の実施について(教職員向け)」と題する手引を発行した。これはLGBTの権利に関する理解の深まりを示すとともに、以下のようなLGBTの子ども・生徒の保護策を提言するものである。
- 「性的指向」と「ジェンダー・アイデンティティ(性自認)」についての定義を明確にし、教職員が両者を混同しないよう促す。
- 日本のLGBTの人びとに対する社会的偏見があること、またそれが職場での差別にどのようにつながるかを認識する。このため、2016年教員向け手引において、「まずは教職員が、偏見等をなくし理解を深めることが必要です」と言及。
- 2015年通知(詳細は、本報告書で後掲する「精神障害を基本とした通知」のセクションで触れる)を踏まえ、この2016年教員向け手引では、トランスジェンダーの子ども・生徒に医療機関の受診を強制しないよう明記。また年度初めに行われる健康診断をトランスジェンダーの子ども・生徒が受診する場合には、教職員は医師に対し、「個別に」検査を実施するように要請することを提案。
- 性的指向やジェンダー・アイデンティティの問題を人権教育で取り上げる可能性を検討[11]。
しかし、2015年通知は学校が子ども・生徒のジェンダー・アイデンティティを「性同一性障害」の診断なしに尊重するという重要な可能性を開いたものの、ジェンダー・アイデンティティを時代遅れの差別的な医療診断モデルで扱っており、自らの性的指向とジェンダー・アイデンティティを探求する生徒に有害なメッセージを送っている(「精神障害を基本とした通知」のセクションを参照)。2016年の教員向け手引は、多くの点で希望が持てるものだが、未だ病理学モデルに縛られている。さらに2015年の通知も2016年の手引とともに、LGBTの子ども・生徒の権利保護に向けた文部科学省の公約に関する明るい兆候ではあるものの、強制力のない提言にとどまっている。
全体として見ると、最近の政治的な議論には明るい兆しがある一方で、日本に住む、子どもを含めたすべてのLGBTの人びとの基本的権利を擁護するという点では、政府はまだまだ義務を果たしていない。
日本におけるいじめの蔓延の現状
ますます一般的かつ組織的で持続的になり、悪質で陰険になっている。
—いじめに関する言及。日本児童青年精神医学会等編集の学術書の記述より[12]。
1986年2月、当時13歳の鹿川裕史さんが岩手県盛岡市内の駅ビルで首を吊って自殺した。何ヶ月ものあいだ、鹿川さんは級友から容赦のないいじめを受けていた。からかわれ、殴られ、顔にペンで落書きされ、持ち物を壊されていたのだ。周りの教員たちは鹿川さんへの嫌がらせや暴力が頻繁かつ深刻なものであることに気づいていた。裁判の証人尋問で、鹿川さんが亡くなった責任が学校側にあるかと尋ねられた担任教諭は、こうした扱いを「悪ふざけ」であっていじめではないと考えていたと述べた。
知らなかったというのは単に見えすいた言い訳に留まらない。鹿川さんが亡くなる数ヶ月前、いじめを行っていた生徒たちによる鹿川さんの「葬式ごっこ」に、鹿川さんを教えていた教員の一部が実際に参加していたのだ。鹿川さんは死を選ぶ前の1ヶ月には、ほんの数日しか登校していない[13]。鹿川さんの死を受けて、文部省はいじめ問題を協議するための緊急会合を初めて開いた[14]。
鹿川さんの両親は、学校の所属する地方自治体を1986年に提訴した。5年後、東京地方裁判所の判決は、原告の主張のうち、学校側に過失があったとされるいじめにより発生した精神的損害に対する賠償責任のみを認め、鹿川さんについての事実関係からは、学校側がいじめの結果自殺することを予見することは非現実的であったとして、学校側の過失と自殺との因果関係を認めないものだった[15]。1994年に控訴審の東京高等裁判所は、いじめによる精神的損害に対し東京地方裁判所より大幅に金額の大きい賠償責任を認めたが、やはり学校側の過失と自殺との因果関係を否定した[16]。
この判決から四半世紀が経つ現在までに、日本政府はいじめに関する改革を行い、方針を定める一方、調査や啓発活動も行ってきた。だが問題の勢いは十分に和らいだとは言えない。文部科学省の調査では、2014年度のいじめの認知件数は188,072件だった[17]。
おそらくこのデータよりはるかに多くのことを物語るのは、現在のいじめのパターンが鹿川さん事件のような数十年前の事例ときわめて似通っている点だろう。執拗な言葉や身体による虐待行為、1人の子ども・生徒を集団で標的にするグループ、事態を傍観し、ときにはそこに加わる教員の存在である。
日本政府はいじめの原因に関する調査を大規模には行っておらず、根本原因に対処するかたちで方針を見直すこともしていない。つまり政府は、学校でのいじめ対策にリソースと政治的資源を投入してはいても、いじめの原因、または子ども・生徒の一部の集団がとくにいじめに遭いやすい状況を分析し、方針に列挙・明記することを怠っているのである。
こうした政府の対応は、いじめの防止と根絶のための国際的なベストプラクティスを無視するもので、子どもの教育を受ける権利、情報にアクセスする権利、表現の自由の権利に関するコミットメントを十分に果たしていないと言える。
日本政府のいじめ防止対策は国の政治的動向、文化的影響、経済・人口面での懸念と連動している。人類学者のアン・アリソンは現代日本の社会経済的不安定さを論じた著書で、いじめ及び学校教職員と親のいじめへの対応が示すのは、若者・子どもに従順さと優秀な成績を求める強い圧力だと述べている。
いじめられた子どもを甘やかすことを拒み、厳しく接する親は、日本の理想のようなものだ。こうした文脈で、子どもたちはこの世で暮らすだけでなく、負けてはだめだと鼓舞される。ジャパン・アズ・ナンバーワンというわけだ。
数十年に及ぶ調査から、アリソンは学校でのいじめが「日本ではきわめて残酷」とした上で、いじめがあったときに親に助けを求める子ども・生徒は少数だが、「学校でいじめられ、自己破壊的な態度に引きこもる日本の若者[の一部]は、親からの創意工夫にあふれる手助けによって退出戦略を見いだしている」と述べる。アリソンが詳しく記したある事例では、いじめられている娘を守るため、学校に行かなくてもいいよと娘に言った両親が、欠席理由を尋ねてきた教員に対し、娘を学校に行かせたら身の安全を確保してくれるのかと尋ねたところ、それはできないと言われている[18]。他の研究者によれば、長い間「いじめ事件は学級管理の失敗のサインと見なされていた。したがって多くの場合、担任は他の教員や管理職、カウンセリングの専門家の支援を仰ぐことに消極的だ」という[19]。
日本のいじめを研究する教育社会学者の米山尚子助教授は、学校が「いじめに対応できない機能不全のコミュニティになってしまった」と論じる[20]。このため、広範な「傍観者による暗黙の承認がいじめに正当性と、いじめはふつうのことだという感覚を与えている。」つまり「こうした機能不全のコミュニティにいる子ども・生徒たちは、集団の中で目立ったらどうしようと考えて恐怖にさいなまれている」のである[21]。米山教授らが調査した学校では「子ども・生徒たちがいじめを受けるのは、自己中心的、わがまま、あるいは行動が遅い、忘れ物が多い、規則に従わない、不潔である、[あるいは]異常な行動をするといった理由で他人に迷惑をかけると見なされることがきっかけとなっている。」
いじめがふつうという状況は、教員がいじめに荷担するとさらに常態化する。米山教授によれば、教員の加担は「それを行っている子ども・生徒たちの有力グループに肩入れすることで、いじめを学級運営の方法として用いる」ときに起こることがある。順応を強調しすぎることで批判されてきた日本の学校システムであるが、中学高校内の統制はピアプレッシャー----そこにはいじめも含まれる----などを通じて行われていることを研究者らは明らかにしている[22]。米山教授は「子ども・生徒自身は無自覚かもしれないが、いじめは非正規の『学校内』相互監視体制の一端を担っており、学校の規則の適用を徹底する上で役に立っている」と述べる[23]。
日本の若者研究を行う専門家らは、いじめを「独特かつ残忍で効果的な行動矯正策」と呼んでおり、「臨床心理の専門家によって、日本で非常に悪名高いいじめ事件を記録したデータの膨大な資料が収集されている」と述べる。しかし「新聞はこうしたきわめて悪質な[いじめ]事件をよく報道するものの、いじめのほとんどはよくあることなので世論の関心を引かない」のである[24]。
「私のところに診察に来る患者さんはみなどこかの時点で学校でのいじめに遭っています」と、これまでにジェンダーに不一致な子ども約2,000人の相談を受けてきた大阪の精神科医、康純准教授は言う。なかには石を投げつけられた子どももいる。だが「いじめが始まると、それが物理的な暴力にエスカレートする前に、ほとんどの子どもは学校に行かなくなります。言葉によるいじめだけで、ものすごい不安と恐怖を感じているからです」[25]。日本児童青年精神医学会が編集した書籍である研究者はこう書く。「いじめはますます一般的かつ組織的で持続的になり、悪質で陰険になっている」[26]。
しかしいじめ問題が研究者と報道機関の注目を集める一方で、政府は問題解決に必要な方針変更を行ってこなかった。その理由の一端は、国の社会構造と教育制度の現状に関する政府の大きな考え方にある。
例えば文部科学省は1998年と1999年に「教育改革プログラム」を改訂した際、いじめを地域社会の教育力低下と結びつけている。
めざましい経済発展を遂げて、教育の量的拡大が実現される中で、家庭や地域社会の教育力が低下し、過度の受験競争が生まれ、いじめや不登校の増加、さらには青少年の非行問題の深刻化[略]など、教育を取り巻く課題も少なくない[27]。
教科用図書検定調査審議会委員を務め、教育課程改革を検討している教育専門家はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、いじめに遭っている子どものタイプやその状況について議論する必要はないとの見解を示した。なぜならいじめの原因はいつでも同じ、周囲とは違う子どもがいて目立つという事実にあるからだ、という。そしていじめの解決方法は1つで、生徒同士で問い詰めることがそうなのだと、この専門家は述べた[28]。
国立教育政策研究所の総括研究官からも同様の見解が述べられた。
1つ、ハッキリさせたいことは、「ゲイだから」、あるいは「レズビアンだから」という理由で生徒がいじめられたというケースを、私は聞いたことは今まで一度もありません。いじめていた生徒に「なぜいじめていたのか?」と問うと、ほぼ必ず、いじめられていた子が他の子達と違うから、と答えるんですが、これは後付けの言い訳なんですよね。
被害者はどうすればいじめられなくなるか、といった議論がよくされますが、これが問題なのではありません。誰かがいじめの標的になる時、それはその人に原因はありません。むしろ、ストレスを感じていて、それを(いじめという形で)発散させているのは、いじめっ子の方です。ストレスを感じている、他の生徒をいじめる可能性のある生徒のケアこそが、この問題への解決策となりうる、考えなければならない課題です[29]。
しかし研究者や他の専門家はLGBTの子ども・生徒へのいじめや嫌がらせを、いじめはどの子どもにでもいつでも起こりうるという公式見解とは違う形で説明する。日本弁護士連合会のいじめ問題に関する取り組みを主導する水地啓子弁護士は言う。「LGBTであったり、LGBTのように見なされたりすることは、間違いなくいじめる側が子ども・生徒を標的にする根拠になりえます」[30]。いじめの標的になるという点で、LGBTの子ども・生徒が他と比べて不利な条件にあるかとのヒューマン・ライツ・ウォッチの質問に対し、日高庸晴教授はこう述べた。
LGBTの子ども・生徒は不利です。多くの困難に直面しています。どれくらい不利かについての正確なデータはありませんが、とくに男子が性的側面のあるいじめに遭ったことを訴えています。たとえば他の人たちがいる前でパンツを脱がされるといったものです。さらにLGBTの若者がいじめを経験するときには、助けを求めるのが難しいのです。というのはもし助けを求めたら、自分の性的指向やジェンダー・アイデンティティを明らかにしなければならなくなってしまうからです[31]。
本報告書で取り上げたLGBTの子ども・生徒へのいじめや嫌がらせの事例が示すのは、日本の学校には、政策面でのギャップ、不十分な教員研修、脆弱な執行メカニズムが原因となり、性的指向やジェンダー・アイデンティティを理由にいじめの標的となる子ども・生徒たちが存在するという事実である。
表現の自由を縛る様々な制約に加えて、日本のLGBTの子ども・生徒たちは、自らの存在が教育課程のなかに体系的に位置づけられていないなかで学校に通っている。こうした情報のギャップによって、情報を求める子ども・生徒は放置される。そして知識を与え、子ども・生徒の成長を支援する責任をもつ教員の側は、伝えるべき基本的な事実を知らないままに放置されるのである。
情報の真空
性的マイノリティの子どもたちはヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、学校図書館やインターネットを使って、またまれに周囲の大人に対して、性的指向やジェンダー・アイデンティティに関する情報を探し求めた経験を話してくれた。
教科書などの公式な情報源から若干の情報を得て、この話題をさらに調べても大丈夫と思うようになった子どももいた。だが学校教職員に尋ねた子どもたちは多くの場合、教員からの無知な、あるいは偏見に満ちた反応に出くわしており、そのせいで自分のアイデンティティを病的又は問題のあるものとして捉えていた。
この点について日高庸晴教授は、自らが行うゲイとバイセクシュアルの成人男性と少年への定期的な調査は次のことを示しているという。
(多くは)社会から性的指向とジェンダー・アイデンティティに関する適切な情報を得ていません。実際に得る情報はたいてい、どちらかといえば否定的なもの、性的マイノリティであることは異常だというものです。あるいはまったく情報が得られないこともあります。こうした傾向が長期間存在してきました。しかしごく最近は、若い世代のあいだで、性的指向とジェンダー・アイデンティティについてまったく知らないと答える人は減っています。ただし否定的な情報が増えています[32]。
子ども・生徒たちはこうした現状が、自分自身について知り、自らを表現することにどのような影響を与えているかを語る。例えば、Xジェンダー[33]としてのアイデンティティを持つ岡山在住のレイ・Nさん(14)はこう述べる。
(学校のカリキュラムの中でLGBTのことを教えることはLGBTの生徒にとって)すごくいいことだと思います。私の学校の保健の教科書では同性愛者のことも書いていたんですけど、HIV感染のリスクが高い、ということくらいしか書いてありませんでした[34]。
別のインタビュー参加者は、保健の時間に教員が同性間関係に関する唯一の記述を取り上げる際に「ホモ」という表現を使い、「俺は実際にこういう連中のことを聞いたことがないな」と言ったのを覚えていた[35]。
教員のこうした振る舞いによって、子ども・生徒は弱い立場に置かれる。沖縄に住むトランスジェンダー男性のバイセクシュアルであるアケミ・Nさん(18)は言う。「もし、学校の先生がセクシュアル・マイノリティについての知識を少しでも持っていれば、僕もそこまで悩まずに必要な知識が得られたと思う」[36]。しかし、ジェンダーとセクシュアリティの知識のほとんどは地元で売られていたマンガ経由だった、とアケミさんは話す。マンガはLGBTの話題がオープンに扱われる媒体としてますます一般的になっている[37]。包括的な性教育の代わりにマンガが用いられている現状について調査している研究者によれば「10代向けのマンガと雑誌はギャップを埋め、性に関する広範囲にわたる情報を若者に提供しているが[略]、こうしたインフォーマルな性教育の情報源は、教育的というより混乱を招くものであることが明らかになっている」[38]。
LGBTの教員たちはヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、学校でカミングアウトはできないと思うと言う。仕事を失うことを心配するからではなく、子ども・生徒や同僚からの信頼を失うことを恐れているせいだ[39]。その結果として、LGBTの子ども・生徒は身近にLGBTのロールモデルとなる大人がいない場合が多く、孤立感を深めてしまっている。
ジェンダーとセクシュアリティに関する正確で客観的な情報を子どもに提供していないことに加え、情報のギャップが教員にも影響を及ぼすことがある。教員にはLGBTの人びとに影響のある課題について、あるいは性的指向やジェンダー・アイデンティティの概念そのものについても学ぶことが一律に義務づけられてはいない。つまりLGBTの子ども・生徒の力になろうとする意欲のある教員ですら、防ぐことのできる間違いを犯してしまい、子ども・生徒と大人である教職員との不信感を悪化させる可能性もあるのだ。
子ども・生徒に直接支援を行うとともに、学校へのアウトリーチ活動にも取り組む福岡のLGBTの若者団体のカウンセラーは、これまで会った教員の大半がジェンダーに不一致な子ども・生徒を「自己中」と捉えていると説明する。
これが教員の対応の仕方です。子ども達はそう言われて、私たちのところへ相談に来るんです。まずは先生に「それは自己中だ」と言われて、精神科医には「性同一性『障害』」と言われる。これは、すでに混乱している当事者の生徒にとって、すごく辛い[40]。
偏見に基づく態度がそれほど強くなくても、子どもが強烈な影響を受けることがある。例えば、名古屋在住のレズビアン、ナオコ・Yさん(18)はヒューマン・ライツ・ウォッチに対して、幼いうちから自分の性的指向がわかっていたが、多大な労力と細心の注意を払って他人には隠していた、と語る。しかし16歳のときの高校の家庭科の授業で、教員が女子生徒全員に向かって、人生の責任とは男性と結婚して子どもを産むことだと述べた。ナオコさんは言う。「私は動転してパニックになってしまいました。息ができなくなり、泣き出してしまったのです。」家庭科の教員はナオコさんを保健室に連れて行くと、保健室の先生にナオコさんはレズビアンであると告げた。「保健室の先生はとても驚いていました」とナオコさんは言う。「先生は『私は全然LGBTについて知らないから教えてほしい』と言いました。[41]」
保健室の先生が何も知らなかったことは確かにナオコさんにとって負担にはなったが、今はその出来事が救いの綱になったと思っている。「1年間毎日保健室に通いました。ひとりでも自分をサポートしてくれる大人がいるということで、安心できました。」
世田谷区のトランスジェンダー女性(19)は、学校に安心できる場所が必要だと強く主張する。この女性は高校の保健室の先生に自分のジェンダー・アイデンティティのことを話したとき、「自分を責めないで。おかしくなんかないわ、あなたは1人じゃない」と声を掛けられたことで、この教員と定期的に話をするようになり、学校に居場所ができたと述べた。また1年後にはLGBTの人びとについての情報を探す手伝いをしてほしいと求めている。学校の教材にはそのことが一切書かれていなかったからだ[42]。
新潟県内の中学校に通い、今は東京の大学に通う学生はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、情報もなく、他のLGBTの人びとに会う安全な場所がなかったために、高校の時にゲイバーに入ろうとしたと述べた。次第にインターネットを使ってゲイに関する情報やネットワークにアクセスできるようになったとはいえ、「私が本当に望んでいるのは、授業でLGBTの問題が取り上げられることなのです[43]」と話した。
大阪のLGBTコミュニティ組織のカウンセラーは、この団体が運営する駆け込み寺にやってきたり、ホットラインを利用したりするLGBTの若者の多くから、学校教職員とのやりとりに恐怖を感じ、教員を信用できなくなるケースがよくあると聞かされる。「時
々、子どもたちから学校でカミングアウトするのが怖いと相談を受けます[略]。なぜなら、そうなるとクラスメイトの前でLGBTの問題を説明しなければいけなくなるという、大きなプレッシャーがかかってくるからです。」 そして2014年のある事例を挙げた。大学である女子学生が講義を担当する教員にカミングアウトしたところ、LGBTの問題を全学生の前で説明するように求められた。この学生は自殺してしまったが、それはプレッシャーのせいではないかとこのカウンセラーは考えている。「早急に周囲の目にさらされるのです。とくに若者にとってはそうです。[44]」
大学に通うトランスジェンダーのケンジさんは15歳の時、保健室の先生と自分の授業を受け持つ教員たちに、自分が女性であるとは思えないこと、そしてそうした感情は何が原因なのかと尋ねた。「保健室の先生やその他の先生たちは『一時的なことでじきに収まる』と言いました」と話すケンジさんは、こうした反応に接してとても悲しくなった。なぜなら「先生たちを心から尊敬していたのに、僕について何も理解していなかった」からだ[45]。他のインタビュー参加者からは、カミングアウトしたときの教員の反応として、LGBTであることで「普通のことをする」ことや、他の子どもたちと同じように学校の活動に参加することが難しくなるだろうと言われたとの指摘があった[46]。
東京都内で公立校3校のスクールカウンセラーを務めるサブロウ・Nさんは、教員が不十分な反応をする理由の1つに、継続的な研修が行われていないことがあるだろうと述べた。「LGBTを知ることは義務化されていないので、(教員は)何もしない。ただの無関心だけど、それが生徒を傷つけるんです[略]。教員養成のカリキュラムに何も入っていないから、理解しようにもその土台すらないんですよね。[47]」
3年間の教員経験があるカウンセラーは、意欲のある教員であっても研修がないせいで十分な対応ができないだろうと述べる。「先生方は何も知らないし、どうやって応えてよいのかもわからない。防止など言わずもがなです。[48]」
知識のなさが子どものケアの妨げになるとは限らない。東京のトランスジェンダー男性(19)であるタケシ・Oさんは、中学生のときに自分のジェンダー・アイデンティティに従って制服を変更し、それ以外の調整も行いたいとある教員に申し出たが、安心感があったという。「その先生とはすでに関係性があって、気に入ってもらえていた」というのがその理由だ。この教員は他の教職員と話し合いを行って、男女分離に関する服装やトイレ、課外活動などすべての問題に対処する委員会を作った。このとき教員側はタケシさんに自分たちの気持ちも伝えている。「LGBTのこととかは良くわからないけど、良く知っている自分という1人の生徒を助けたい、と先生は言っていました。[49]」
性的指向とジェンダー・アイデンティティに関する情報が入っていないカリキュラムは子ども・生徒の役には立たない。アドホックな又は選択的な教員研修プログラムは対応として十分ではない。日本の中学校の学校経営を調査する研究者によれば「生徒指導に『フレンドリー』な手法を導入すべきという提言を具体的な行動に移すことは難しい」と感じている。そして「詳しい一連の手続きがないために[略]、多くの教員がどうしたらよいのかわからない」のである[50]。
東京近郊の高校教員は「文部科学省は知ることを義務付けする必要があります」とヒューマン・ライツ・ウォッチに述べた。「LGBTについて書かれた冊子を読んだんですけど、ヒューマン・ライツ・ウォッチにインタビューされるから手に取ったものです。教員になるために受けた教育の中で教わったことは何一つないですし、私が今LGBTについて知っていることは全部自分の経験から学んだことか、何人かのゲイの友人から聞いたことです。[51]」 性的指向やジェンダー・アイデンティティ、ジェンダー表現に関する学問と人権を土台にした正規の教員研修や授業が行われる代わりに、日本の子ども・生徒は、同性愛嫌悪のレトリックやいじめによって情報を----それが自分自身に関する情報に初めて接する場合さえある----吸収することも多い。
言葉による嫌がらせ
国立教育政策研究所の滝充総括研究官は、典型的な言葉によるいじめとは以下のようなものと説明する。
誰かを社会の輪から排除し、その人が話している時に無視し、陰で悪口を言うものです。さらにもっと直接的な嫌がらせとしては、名指ししたり、脅したり、時には身体的な暴力に訴えたり、物を盗んだり隠したりします[52]。
ヒューマン・ライツ・ウォッチのインタビュー参加者がほぼ異口同音にLGBT差別の言葉を学校で耳にしている。LGBTの人びとを「キモい」や「ホモ」とさげすんだり、「こうした生き物は生まれてこないほうが良かった」と言い放ったりだ[53]。そうした言葉がインタビュー参加者当人に直に向けられたものではないこともあった。だがたとえそれが全体に向けられたもので、標的が実際に同性愛者であるからでなくても、同級生がお互いにそうした言葉でやり合うのを見て傷つく人もいた。また教員がこうした憎悪に満ちた中傷を黙認し、それに加わるのを目にしたことで、学校は風紀と和が、尊厳や安心、自由な表現よりも優先される決して安心できない場なのだとの思いを固めた人もいた。
「学校で、ホモネタはいじめの時によく使われていた」と東京のゲイ男性ダイチ・Lさんは振り返り、ある友だちが他の生徒を実際にそうでなくても「ホモ」と呼んでいたと言う。「少しでも男らしくない男子生徒がいたら、クラスメイトがその生徒に向かって『ゲイはキモい。お前は、マジでキモい』と言っていた。[54]」LGBT差別の侮蔑的な言葉が冗談のなかでよく用いられていて、そこで教員が対応しないのは、それが一般に子ども同士のふざけ合いと見なされているからだとの指摘もあった[55]。ヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、学校ではセクシュアリティがまったく取り上げられていないと述べた都内の高校教員は、ゲイ差別の侮蔑的な言葉を「かなりよく」耳にするものの「生徒たちは「ホモ」という言葉を、いわゆる“男性同性愛者”としての意味ではなく、ただの悪口として使います」と説明した[56]。
アンケート調査のグラフ[57]
教員がLGBT差別の言葉を放置したり、そこに加わったりすることで問題の一端となることもある。インタビュー参加者は、よくある冗談や侮蔑的な言葉として、教員が「ホモ」をはじめ、ゲイを差別する表現を口にしているのを見かけている[58]。アケミ・Nさんは、教員は授業でLGBTについて一切扱わず「先生たちがLGBTについて話す時は、決まってホモネタだった」と話す[59]。名古屋の高校生タダシ・Iさん(17)は、内気で、同級生よりも担当の男性英語教師のところで時間を過ごしがちだったが、そのことを教員にからかわれている。「あるとき、先生たちが話していて、その中の1人の先生が『おまえ、英語の先生が好きなんだったら、チョコレートでもあげたら?』と言ってきました。みんな笑いながら、『ホモ』という言葉を使っていました。[60]」
ナオコ・Yさんは小中高と同性愛嫌悪の侮蔑的な言葉を聞かされ続けた。「小学校の時から、状況は何も変わっていないように感じます。LGBTを馬鹿にする言葉がたくさん飛び交っています。私は、そういったものがない学校を知らないので、何が安全な場所なのかわからないのです。」ナオコさんの場合、教員からLGBTを侮蔑する言葉を初めて聞いたのは中学生の時だった。複数の教員がゲイを度々話題にし、気持ち悪いとか間違っているなどと非難していた。「先生の教えは正しいと思っていました。つまりどこでも誰もがそう思っていると考えていました。なので、私は自分がどう感じているかを話せず、ずっと黙っていました。先生たちの意見は、わたしにとって大きなことだったのです。[61]」
沖縄に住むレズビアンのタミコ・Aさん(19)は、教員からの人権侵害的な反応は小学校にさかのぼると話す。
小学校の最終学年の時、2人の男子生徒が手をつないでいたら、他の生徒が2人のことを「ホモ」と呼びました。そうしたら、その場にいた先生たちがそのことについてすぐに笑い始めました。先生が笑ったため、誰も、いじめを指摘することができませんでした[62]。
別のインタビュー参加者は中学生のときの出来事を覚えている。
僕が14歳だった頃、クラスメイトの1人が他のクラスメイトを指差して「こいつはホモだ」と男性教師に言いました。すると、先生はその生徒の方を向いて「こっちに来るな」と言い、別の女性教師は「もったいない」と言いました[63]。
キヨシ・Mさんはヒューマン・ライツ・ウォッチに対し「中学2年生の時、自分のアイデンティティと性的指向についてすごく悩んでいた時期があって、担任の先生に相談しに行ったんですけど、その時に別の先生がそれを聞いていて、後から『女の子が好きなの?どっかおかしいんじゃないの』と言われた事がありました」[64]と話した。
こうした経験は子どもに対し、つらい経験としていつまでも影を落とす[65]。名古屋に住むレズビアンのサチ・Nさん(20)は、保健の授業で同性間性交渉がAIDSの主な原因であり、それは「とても変なこと」だと教えられた。周りの生徒や教員がLGBT差別の言葉をいつも口にしていたことを、今も引きずっているという。
LGBTは気持ち悪いもので、そうなったのは前世で悪い行いをしたからだと教えられました。私は今自分がレズビアンであることを自覚していますが、まだ自分が悪い人間なんだと思う部分があります。これは私が悪いんだ、直さなきゃいけないんだと。別にそう思いたくないのに、ずっとそんな思いを引きずっています[66]。
あるスクールカウンセラーは、LGBTを差別する言葉を聞かされ続けることは、自分が受け持つ子ども・生徒にとって深刻な被害を与えていると述べる。「おかまとかホモという言葉が、LGBTの子どもに向けられているかどうかに関係なく侮蔑的に用いられることは、学校の子どもにとってきわめて有害です。」3つの学校での臨床経験によれば、子ども・生徒への被害は、学校の授業でジェンダーやセクシュアリティに関する客観的な情報が提供されておらず、LGBTへの差別的態度がその欠落を埋めるように浸透していることからもたらされている。
自分のことを説明する言葉をもたないままで私に相談しに来るんですよね。「同性の子が好きだ」とか、他の人に言われたネガティブなこととか、そういったことしか知らないんです。そういったことを通して自分のことを知っていく。学校生活の中で、(LGBTに対して)ポジティブな情報が何も無いから[67]。
名古屋に住むレズビアンのユリ・Lさん(19)はこの点を次のように指摘する。
学校の保健体育の授業で、女性は男性を好きになるものと教えられました。当時は自分がレズビアンだと認識はしていなかったのですが、すごくストレスを感じたことを覚えています。なぜかわからなかったけど、すごく嫌でした[68]。
LGBTを差別する言葉は、LGBTの教員にも影響を及ぼしている。都内の高校で教えるあるゲイ男性は、自分の性的指向を同僚や生徒に一度も明かしたことがない。上司はゲイとしてオープンになれば応援してくれると思うが、学校でゲイやトランスジェンダーの生徒が激しくいじめられているのを目にしていると、そうした偏見に満ちた雰囲気が自分にも向けられるのではないかと不安を感じるというのだ。「生徒たちからの私に対するいじめについては、上司も私を助けられることではないでしょう。それこそ私が経験したくないことで、だから黙っているのです。[69]」
国のいじめ防止基本方針は、いじめを子ども・生徒同士のからかい、悪口、仲間はずれなどを含むものとして明記しており、「教職員の言動が、児童生徒を傷つけたり、他の児童生徒によるいじめを助長したりすることのないよう」にしなければならないとさえしている。しかしこうした指示と並んで、学校に対しては「集団の一員としての自覚や自信を育むことにより、いたずらにストレスにとらわれることなく、互いを認め合える人間関係・学校風土をつくる」こととされている[70]。子ども・生徒の集団/グループで特に言及されているものはない。
LGBTの子ども、また自らのアイデンティティを探求する人への敵意をあおり立てる憎悪に満ちた言葉に加え、いじめを追及しないという日本の学校の根強い風土が、LGBTの子ども・生徒の教育へのアクセスをきわめて不安定なものにしている。
身体的虐待
聞き取り調査に応じた子ども・生徒の大半は、ひどい身体的暴力はあまりないと語る。いじめ問題全般をこの12年間追跡調査している文部科学省国立教育政策研究所からも同様の見解を得た。「欧米では、いじめはふつう殴ったり蹴ったりの暴力を、また言葉による嫌がらせを伴います。日本でのいじめは、主に暴力のない嫌がらせを指します」と、同研究所の滝充総括研究官は述べる。滝氏によれば、子ども・生徒が身体的暴力を行わないのは、教員がすばやく介入して止めさせるからだ。
日本の子は「暴力をふるえば罰される」ということを理解しています。からかいとか、言葉でのいじめをもし教師が目撃すれば、教師は叱りはしますが、身体的危害を加えた場合ほど厳重には注意しないことを、生徒はわかっています。暴力が絡んだ場合、先生方はとても深刻な問題として受け止めますが、それがないとたいしたことではないという風に見られます[71]。
しかしヒューマン・ライツ・ウォッチは、言葉による嫌がらせを越えたいじめについても証言を得ている。たとえば、1人を集団が取り囲み、ズボンを脱がせて恥ずかしい思いをさせられた経験を複数の人が語っている[72]。
2人の子ども・生徒はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、身体的な嫌がらせの経験があったと話す。キヨコ・Nさんは「女の子っぽくない」と中学のクラスメイトからいびられ、日常的に取り囲まれて、丸めた模造紙で叩かれていた。教員はこうした行為を何度も目撃したが何もしなかったという。掃除の時間に図書館を担当した際、キヨコさんはこっそりと同級生たちにどうすればよいかと尋ねた。すると、とにかくここは我慢して、高校になったら良くなるからという答えだった。「私がいじめられていたことは周知の事実でした。先生が助けてくれないこともまた、周知の事実でした。[73]」
都内の男子高に通うゲイのトシロウ・Yさん(17)はこう語る。
小学校のいじめはまだましでした。でも今は、男子たちは体も大きくなっていますし、エネルギーがありあまっていて、身体的ないじめがよくありました。例えば、通い始めた最初の頃、成績が下がるようにと、宿題が全部入ったファイルを盗まれてゴミ箱に捨てられました。僕にとって学校でいい成績を収めることは、とても大事なことだったんです。全部は覚えてないです。ただ、お昼休みの時に顔に食べ物を投げつけられていたことは覚えています[74]。
順応への圧力
日本では「出る杭は打たれる」ということわざがあります。みんな同じでなければいけないという意味です。ありのままの僕では受け入れてはもらえませんでした。すごく傷つきましたし、とても、とても辛かったです。
—トシロウ・Yさん(17)、東京、2015年9月
日本の学校での子ども・生徒の行動は厳しく監視、統制されている。校則の学術研究によれば校則は「共同責任」として執行され、「自分と同級生の振る舞いを子ども同士が監視することによって、校則に違反した子どもに大人が介入して矯正する必要がなくなるような」効果を持つ[75]。生徒同士による執行の対象となる校則には、見た目や行動に関する細かい取り決めなどがある。こうした状況は、LGBTの子ども・生徒にとって過酷な意味を持つことがある。子どもたちは、正しいとされる同級生による校則の強制と、ジェンダーとセクシュアリティについての無知が悪化させるLGBTへの差別的な偏見にともにさらされているからだ。
同級生によるいじめを訴えた日本の子ども・生徒に詳細なインタビューを行った研究者によれば、いじめの大きな動機には、被害者が「適切な振る舞い方がわかっていない」と見なされる、ということがある[76]。いじめ事件で生徒の代理人を度々務める都内の弁護士も似たような見解だ。
生徒たちにこう聞くんです、「いじめられる方にも責任があると思いますか?」と。びっくりするくらい「はい」と答える生徒が多いんです。「太ってるから」とか、「男らしくない」とか「迷惑をかけている」とか、何かが上手にできないからとか。あるいは、あるいじめっ子が言っていた言葉ですが、「あいつちょっとヘンだから」だとか[77]。
いじめられた経験があると話してくれたLGBTの子ども・生徒たちもほとんど同じだった。エイジ・Nさん(26)は言う。「小さいときには女の子は女の子らしく、男の子は男の子らしくするように言われます。男の子は体育やサッカーが好きでなければいけない。男の子は活発でなければならない。女の子は運動場や体育館できゃっきゃとしていなければならないのです。[78]」トシロウ・Yさんは小さいときから順応への圧力を感じたという。
自分が思うままの自分でいることはいけないことなんだと、僕は暴力によって教えられました。小学1年生の1日目から。本当に小さい時から、自分でいることはよくない、自分はよくないんだと、別の誰かを演じなければならないんだと[79]。
教職員の間には、こうした融通の利かないジェンダー規範を学校という制度の風土に染みついたものだと見る向きもある。それが結果的に知らず知らずのうちに子どもを傷つけていながら、そうした規範を押しつけている、というのだ。あるスクールカウンセラーは、教員が男子生徒に対してその子の振る舞いが「女っぽすぎる」と言ったり、女子生徒には男っぽすぎると言ったりするのを耳にしてきたという。
生徒を傷つける意図はないんですよね。ただ、自分から見た「ちょっと変わってる子」はこのままだと苦労することになるから、と思って、本人は本当に生徒のことを思って指導しようとしている。これが生徒にとってどれだけ傷つくことか、全くわかってないんですよね[80]。
規範意識の普及と維持は日本のいじめ対策の中心に置かれており、いじめ防止対策の1つとして明示されてさえいる。
日本では広範囲をカバーする国のいじめ防止対策が存在するが、ここには問題点もある。例えば、規範に従うことが基本的な価値として推奨されている。そのことは「いじめはどの子供にも、どの学校でも、起こりうる」という表現が繰り返されるなかで暗に示されているとともに、学校に対していじめ防止対策の一環として「社会性や規範意識、思いやりなどの豊かな心を育む」と明示して推奨してもいる[81]。
学校でのジェンダー規範の強制
日本の大半の学校では、厳格なジェンダー規範に従うことを学校の方針の一環として強調する。例えば制服、トイレ、授業で提示される情報、社会規範を強制するその他の仕組みなどに関するものだ。
子ども・生徒の活動は、学校によってジェンダー規範を強いる度合いは変わるにしても、概ね性別によって区分されている。こうした典型的な仕組みが、トランスジェンダーやジェンダーに不一致な子ども・生徒に引き起こす不安は強烈である。ある中学生は言う。「学校は性別で分けられることが本当にいっぱいあります。出席番号、制服、座席表や髪の長さまで。[82]」
日本の学校教育を研究する人類学者のピーター・ケイヴ氏は、すでに小学校の段階で、子どもたちの扱いと社会的な訓練のあり方が男女によってはっきり異なることを指摘する[83]。トランスジェンダーの高校教員はヒューマン・ライツ・ウォッチにこう述べる。
日本の学校制度は性別制度にきわめて厳しいです。生徒に対して、自分はどこに属し、また属していないのかをすり込んでいます。学年が進み、性別による区分が厳しくなると、トランスジェンダーの子どもたちはひどく苦しみ始めます。隠したり嘘をついたりするか、自分らしく振る舞っていじめと排除の標的になるかのどちらかです[84]。
東京都世田谷区のトランスジェンダー女性のカオル・Mさん(19)は、高校で男女が「厳密に区分されていた」ことで孤立したという。「高校ではもっと男女の区分けが緩いかと思っていたのですが、実際は完全に分かれていました。」カオルさんは女子の制服を着ることは認められなかったが、髪を伸ばし、本人の説明によれば「女の子っぽい見かけ」をしていた。女子の課外活動にはすべて参加することができたが、同級生からはけんか腰で詮索するような質問を受け、からかわれていた。「男子からも女子からも孤立していました。どこにも行き場がありませんでした。[85]」
ヒューマン・ライツ・ウォッチのインタビューの中で、学校側がトランスジェンダーの子どもの権利を守るためのアドバイスを求め、それに従うという立派な対応をとったと話す子ども・生徒もいたことも事実である。東京の弁護士は、都内の複数の学校がトランスジェンダーの子ども・生徒がいることに気づき、制服やトイレなどの問題でこの弁護士に相談を持ちかけ、子ども・生徒が自らのジェンダー・アイデンティティに基づいた制服着用やトイレ利用、授業などの学校活動への参加を認めることで合意したという[86]。ただし学校側によるこうした対策は一般的ではなく、例外的とみられる。
制服
日本の中学高校の大半が制服着用を義務づけている。制服は性別によって異なり、出生時に割り当てられた性別によって2つの選択肢、つまり男子用と女子用のどちらかが指定される。「服装規定は一般的にとても厳しいです」と、日本のLGBTの若者が直面する問題に取り組むトランスジェンダー男性の遠藤まめた氏は言う。「制服がどういうことを意味するかというと、ちゃんと着れない生徒はすなわち悪い生徒だということ。[87]」
ヒューマン・ライツ・ウォッチが記録した事例のなかには、生徒が制服の変更を求めることができた場合もあった。自らのジェンダー・アイデンティティに従って制服を完全に変更することが認められた事例も数件あった。「学校は非常に柔軟になりつつあります」と、都内の弁護士は指摘する[88]。
しかし多くの事例で、制服の変更要求が認められたのは、ジェンダー・アイデンティティを自由に表現するという生徒が持つ権利を尊重する目的で定められた方針が一貫して適用されたためではなく、学校教職員の思いやり、親による熱心な働きかけ、また時には生徒が性同一性障害の診断結果を提示したためだった。トランスジェンダーや自らのジェンダー・アイデンティティを探求している子どもにとっては、制服に関する杓子定規な規定は不安を生み出す深刻な原因であり、不登校だけでなく退学の原因にすらなりうる。大阪の精神科医康純氏はヒューマン・ライツ・ウォッチにこう述べる。
小学校から中学校に上がるときに、トランスジェンダーの子どもは問題を抱えるようになります。出生時に割り当てられた性別について幼い時に疑問を抱いていた子どもがカウンセリングを受診しに来ることは、制服を着なければならなくなる時まではあまりありません。その構造こそが子どもたちに否応なく罪悪感を生み出しており、不安をさらに強めるのです[89]。
例えば、タケシ・Oさんは、女子制服を着用しなければならないことへの不安はどんどん募っていったと話す。「中学校が始まった時、制服のことは最初のうちはなんとも思っていませんでした。次第に疑問を持つようになり、中3の頃には学校に行くのが毎日嫌でした。スカートを履かなければならなくなるからです。[90]」
制服の変更を申し出た生徒は様々な困難に直面する。沖縄のトランスジェンダー男性のアケミ・Nさん(18)はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、16歳の時に学校から、制服を変更したければ性同一性障害の診断書を持ってくるようにと言われたと話す[91]。それから数週間で性同一性障害の診断書を出してもらい、それを学校に提出すると、今度は制服変更の前例がないからと拒否された[92]。康医師は「私が診察した子どもの大半が、自らの望む性別で、服装を含め、自分を自由に表現できる環境にいたいだけなのだという思いを口にしています[93]」と指摘する。
アイデンティティに基づいて制服を選べると明確にされていないために、トランスジェンダーの子どもたちは独力で解決策を見つけなければならない[94]。大阪のトランスジェンダーの少女(12)は、友だちや両親には自分自身を表現しても平気だと思っているので、週末や家ではスカートを履くが、学校では男子の制服を着用しているという。仮に制服の変更を求めたとしても、教員側が賛同してくれるか確信が持てないからだ。「他の生徒にいじめられるのが怖いので、男子の制服を着ています」と、この少女は述べる[95]。
制服に関する規則が恣意的に運用されているために、複雑怪奇な規則に振り回されたり、制服変更の申し出への対応が混乱を生んだりすることもある。例えば、浜松のトランスジェンダー男性のミツ・Mさん(17)はこう述べる。「中学校の先生は、登下校はスカートの制服を着ることを条件に、学校生活では性差の出ない体操服の着用を許可してくれました。けれども、高校生になると一日中スカートの制服を着なければならなくなり、結局退学してしまいました。[96]」
レイ・Nさんは、中学生のときに制服変更の申し出が2年間許可されなかったという。「私は学校にこういう格好をさせてくれなかったら学校には行かないと言いました。」その後、上は女子用の制服、下は体育用ジャージを履くことで妥協したと述べた[97]。
福岡の通信制高校3年生のナツオ・Zさん(18)は、中学2年生で公立学校の退学を余儀なくされたと述べる。「制服を着ることが耐えられなくなった」のがその理由だ[98]。
制服って、軍服から来てるんですよ。同調するように圧力をかけて、人と違うことは悪なんだと暗に示してる。でも制服を着なければいけないちゃんとした理由は持ってないから、問い詰めると、学校の評判とか、風紀とか、道徳とか、曖昧な答えしか返ってこない[99]。
他のインタビューでも、制服に関する方針が原因で、成績に問題がなくても全日制の高校に進学せず、制服がない通信制高校など校則の緩い選択肢を選んだ体験が語られている[100]。
しかし制服がインタビュー参加者の間に不安を惹起する共通のきっかけである一方で、それ以外の見かけに関する事柄によって、日本の学校がよしとする根強いジェンダー・ステレオタイプが誘発されることもあった。
例えばあるインタビュー参加者は、中学の時から同級生から髪が長いことをことさらに言われ、つばを吐きかけるなどのひどいいじめを受け始めたと話す。「しばらくした後、髪を切って角刈りにしました。中学のときに。そうしたらいじめはやみましたが、もう自分自身でいられる気がまったくしなくなってしまいました。[101]」
トイレと着替え
性同一性障害と診断された子ども・生徒への対応に関する文部科学省の通知は教員に対し、トランスジェンダーの子ども・生徒を「職員トイレ・多目的トイレの利用を認める[こと]」で受け入れるよう示唆している[102]。
聞き取りを行った中には、この手法をとった学校が複数あった。例えば、大阪の中学校に通うトランスジェンダーの少女(12)は担任に対して、男子トイレをこれ以上使うのはやめにしたいと言ったところ、地下の職員用トイレの個室を使ってはどうかとの返事があったという[103]。
体育の授業用の着替え場所の変更で似たようなやり方をとる学校もある。ミナト・Jさん(18)は教員たちに自分のアイデンティティは男性だと告げたところ、職員更衣室を使って1人で着替えてよいと、体育教師が決定した[104]。
しかしこのやり方がすべての子ども・生徒にとって良いとは限らない。福岡のトランスジェンダー男子のヒロヒト・Oさん(16)は次のような経験をしている。
男子トイレを使おうとすると、男子に「女なのに」と言われて、女子トイレを使おうとすると「男なのに」と言われる。でも教職員用のだれでもトイレに行くと、今度は生徒みんなに「障がい者」と言われた[105]。
こうしたやり方によって、トランスジェンダーの子ども・生徒が他の子どもよりも不利な状況に置かれることがある。エミ・Tさん(13)は言う。「中1になったときに障がい者用トイレを使うように言われました。そこを使いなさいと言われたのです。でも1階から4階まで急いで上がるのは大変です。」そしてエミさんはこう続ける。
着替えの時には着替え場所として障がい者用トイレを割り当てられました。体育の着替えはそこでしています。遠いのですが、どうしようもありません。他の生徒と一緒に着替えることができないからです。水着に着替えるときには、水着のままそのトイレから歩いて行かなければなりません。先生やほかの生徒の前では恥ずかしいです。プールまでは職員室と図工室を越えて150mくらいあります[106]。
学校によってはトランスジェンダーの子ども・生徒に対し、名簿上の性別に従ったトイレや更衣室を使うように命じている。つまりたいていその子どもは、自分のジェンダー・アイデンティティとは一致しない設備を使うことになる。多くのトランスジェンダーの子ども・生徒にとって、こうした規則は自己の感覚と強く相容れないものであり、激しい屈辱感の原因ともなりうる。大阪のトランスジェンダー少女のマドカ・Rさん(15)は言う。「男子トイレに行くことに耐えられませんでした。だから女子トイレを使いたかったのです[略]。着替えの時には男子の裸を見たくなかったし、男子に自分の体を見られたくもありませんでした。[107]」
研究によれば、自らのジェンダー・アイデンティティによるいじめや差別が原因でトイレの利用に不便を感じる子ども・生徒たちは、学校でトイレを使わないようにしている現状がある[108]。こうした子どもたちが自らのジェンダー・アイデンティティに従ったトイレを安全に利用できない場合、脱水症状や膀胱炎、腎疾患になる可能性がある。
さらにトランスジェンダーの子ども・生徒は、思春期の発達に大切な体育の授業や運動への参加をためらわされたり、そこから排除されたりすることが多い。オサム・Iさんの事例では、体育教師がオサムさんについて、男子用か女子用いずれかの更衣室ではなく職員更衣室の使用を強制することを、本人にどちらが良いかを尋ねずに決めたことで、さらに頻繁にいじめに遭うようになり、体育の授業を欠席することになってしまった。
男女別の服装や施設利用の厳密な規則に縛られ続けながらも、勇気を出して自らのジェンダー・アイデンティティを表現した子ども・生徒にとって、その結果は時にとても辛いものだ。ミツさんは、「ある時、女子トイレを使っていたら、他の生徒がトイレの性別を再確認してからかってきたことがあります。『なんでそんなに髪短くて、もう男みたいなのに女子トイレ使ってんの』って聞いてきました。[109]」エミ・Tさんの母親はこう振り返る。
学校による扱い、状況への対処、トイレ、着替え、そうしたことが大問題になりました。私は子どもを女の子として扱っています。あの子にはこう言っています。「女子トイレを使ってまったく構わないのよ。そうしなさい」と。しかし先生たちがそれを止めるのです。イライラします。なぜあの子を止めるのですかと聞けば、学校の規則だという答えが返ってきます。世間にどう映るかを考えてください、というのです[110]。
こうした杓子定規な対応は、トランスジェンダーの子どもをいじめたり、嫌がらせしたりする子どもの対応を悪化させることがある。例えばマドカ・Rさんは、小学校6年生の時に起きたある事件のことを話してくれた。マドカさんは男子の格好をしながら女子トイレを使ったとして教員に怒られたのだ。
私と数分話したところでその先生は私を怒鳴りつけました。「女子トイレを使うなんて!」私は泣く泣く家に帰りました。誰もが私を男子だと思っていることに激しく動揺しました。その先生や他の子どもたちにものすごく腹が立つと同時にがっかりしました。男子として学校に通うという嘘を強制されている状態にすごく腹が立ちました。その先生は私を助けてはくれませんでした。そして私は小学校に行かなくなりました[111]。
授業等の受講
日本の学校の多くには男女別の授業が存在する。例えば体育は男女別が多い。子ども・生徒に自らのジェンダー・アイデンティティに合った授業に出席することを認めている学校もあった。例えばエミ・Tさんは体育の授業を女子と一緒に受けていると話した[112]。
しかし学校の名簿に基づいて授業を受けるよう指示されたトランスジェンダーの子ども・生徒たちもいた。例えばマドカさんは、自分は女性だと思っており、体育の授業を女子のものに変更したいと学校に伝えたところ、体育の授業から外されたという。
女子と一緒に体育の授業を受けたいと言いました。でも学校は私が別の部屋で個別指導を受けることにしたのです。授業の中身は、個別の先生と宿題をやることでした。だから私は体育の授業を実際にはまったく受けていないんです。女子が受けているクラスに変更したいと何度も言ってきました。でも2年生の終わりまでずっと認められませんでした[113]。
精神障害を基本とした通知
2015年に文部科学省が発表した「性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について」では、子どもに対する精神障害の診断が学校へのインクルージョンの手順として重視されるとともに、医療機関がジェンダーとセクシュアリティに関する主要な情報源として重んじられている[114]。
この通知は教員がトランスジェンダーの子ども・生徒の経験への理解を促進することを促し、「性同一性障害等を理由としている可能性を考慮し」生徒の服装や髪型などを認めるよう助言しているが、その内容はまだ不十分で、子どもに悪影響を及ぼす可能性さえはらむものだ。この通知は残念ながら、2003年の性同一性障害者特例法のトランスジェンダーに関する病理的かつ差別的なモデルに依拠している。日本でトランスジェンダーの性別変更(法律上の性別認定)を定めているのはこの法律だ[115]。
同法は自らにふさわしい性別への法律上の性別変更を望む人全員に、性同一性障害の診断を前提条件として課している。また性同一性障害を「生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者」と定義する。変更プロセスでは「その診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断」が必要となる[116]。
このプロセスは自らのジェンダー・アイデンティティについて知り、探求しようとする子どもに特に否定的な影響を強く及ぼす可能性がある。理由の1つは、この法律が法律上の性別変更を行うにあたり20歳以上であることを求めていること、また20歳未満がこのプロセスの第一段階である性同一性障害の診断を得る際には、さらに追加のステップが必要となる点などだ。さらに、「身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思」を持つという性同一性障害の診断要件は、自らの人格の一体性(インテグリティ)やプライバシー、自律性を犠牲としてでもジェンダーのステレオタイプに従えとの強い圧力となっている[117]。この問題はジェンダーに不一致な子どもに関する政府の性同一性障害特例法の解釈にも反映されている。例えば2015年の文部科学省通知には次の記述がある。
医療機関による診断や助言は学校が専門的知見を得る重要な機会となるとともに、教職員や他の児童生徒・保護者等に対する説明材料ともなり得るものであり、また、児童生徒が性に違和感をもつことを打ち明けた場合であっても、当該児童生徒が適切な知識をもっているとは限らず、そもそも性同一性障害なのかその他の傾向があるのかも判然としていない場合もあること等を踏まえ、学校が支援を行うに当たっては、医療機関と連携しつつ進めることが重要であること[118]。
ジェンダーを探求・表現するために情報や支援、安全な場所----インクルーシブかつサポーティブな学校のすべての要素----を必要とする若者にとって、年齢制限と厳格な医療的要件は逆に深刻な悪影響を与えるものである。
通知は制服の問題を「性同一性障害に係る児童生徒に対する学校での支援」の1つの事例として示し、教員には「自認する性別の制服・衣服や、体操着の着用を認める」ことを参考にするよう示している。トイレについていえば、通知は教員がトランスジェンダーの子どもについて「職員トイレ・多目的トイレの利用を認める」ことを参考として勧めている[119]。
今回の通知は、自らのジェンダー・アイデンティティを探求、表現する子どもを「障害者」と捉える医療モデルに基づいており、学校が従うべき通知の支援事例集は拘束力のある方針・指針ではなく、医療モデルから導かれた説明に留まった[120]。文部科学省が2016年4月に公表した「性同一性障害や性的指向・性自認に係る、児童生徒に対するきめ細かな対応等の実施について(教職員向け)」周知資料では、学校はトランスジェンダーの子ども・生徒に医療機関の受診を強制すべきではないとの立場を示し、また、性同一性障害の診断がなされない生徒にも支援を行うことは可能と改めて示している。しかし、その場合でも少なくとも医療機関との相談の状況等を踏まえて支援を進めるとする文部科学省の立場は変わらない上に、学校が医療機関から診断や助言を得て連携することが重要であるとする従来の立場を改めて示している[121]。
ヒューマン・ライツ・ウォッチによる日本国内のトランスジェンダーの子どもへの聞き取り調査からは、自らのジェンダー・アイデンティティに従った設備利用をしたいとのトランスジェンダーの子ども・生徒の申し出について、教職員の対応は人によってまちまちであり、2015年通知の発出後の事例はこの通知が断片的にしか実施されていないことの表れといえる。
マルタ:ジェンダー・アイデンティティに年齢制限なし ジェンダーに不一致な子どもの就学についてアイデンティティ・ベースの性別変更(法律上の性別認定)の重要性を認識した上で、そうした方針を子どもに配慮して実施するための手順を定めている国もある。 例えばマルタの「ジェンダー・アイデンティティ、ジェンダー表現、性的特徴法」(Gender Identity, Gender Expression and Sex Characteristics Act)では、ジェンダー・アイデンティティを尊重される普遍的権利が年齢制限なしにうたわれている[122]。子どもの申請は法定代理人が行い、子どもの最善の利益を検討することが義務づけられている。マルタ政府はこの他にも、就学しているトランスジェンダー及びジェンダーに不一致な子ども・生徒向けの包括的な教育方針を公表している[123]。 さらに「自分らしく学べることがすべての子どもの成功と福祉にとって不可欠な要素」であることを認めた上で、この方針は「したがって学校には、すべての子ども・生徒に安全でインクルーシブな環境を確保する義務がある」と定める。この方針に伴う手続では、学校に対し具体的な基準を定めた上で、制服、性別つきの人称代名詞、トイレ利用や事務書類について、当該のトランスジェンダーの子どもにふさわしい性別を尊重するよう指示されている[124]。 |
トランスジェンダーの若者が感じる性別変更圧力
日本の性別変更を定める法律(性同一性障害特例法)の結果、自らのジェンダー・アイデンティティに従った教育を望む子どもの前には大きな差別的な障壁が立ちはだかっている。家庭や学校で社会的な支援を受けているトランスジェンダー、あるいはジェンダーに不一致な子どもたちにとってすら、性別変更(法律上の性別認定)に関する厳しい要件と子ども向けの情報が限られる現状は、法的な性別変更(戸籍変更)のプロセスが不安と強制に満ちたものになりうることを示している。
インタビュー参加者はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、自らのジェンダー・アイデンティティを表現できる環境は大切であり、そうした場では生き生きできると語っている。しかしそうした状況にあっても、今後の変化には、それが進学であれ就職であれ、不安に駆られてしまうのだ。
たとえばアケミ・Nさんは16歳の時に「予備的GID診断」なるものを受けたと語る[125]。学校では男女の差がない制服を着て、男子トイレを使うことができた。アケミさんはこの診断で自分に自信を持ったものの、今後の法的な性別変更(法律上の性別認定)に向けた手続については気が重いが、他方でやるしかないと感じていると話す。現在18歳で大学に通うアケミさんは大学には男性として入学し、友だち付き合いをして、男女の区別のないサークル活動に参加している。「大学入学前、僕はいつも精神的に疲れ切っていて、男になるには本当に積極的に頑張らないといけないプレッシャーを感じていました。大学は以前ほど性別で分けられていないので、もしこんな環境に居られるのなら医療的に身体を変えなくてもいいかなと思ってます。」
アケミさんは今の自分を「このとおり幸せ」だと話しているが、今後には強い不安を抱いている。
就職するまでには手術を受けないといけないのかな、完全に移行しなきゃいけないかなと考えてます。人はそう思いますから。今はそれが息苦しく感じます。現状には満足してるけど、将来は暗いと感じてます[126]。
タケシ・Oさんはヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、高校でトランスジェンダーであることをカミングアウトして過ごした経験は、学校からの支援を受けたために前向きで安全なものだったが、法的な性別変更手続には不安があると述べる。
高校では、自分と自分の性自認にとっては(身体を変えることよりは)周囲の人たちに受け入れてもらうことの方が大事だったので、手術を受けたいとあまり思ったことはなかったです。手術嫌ですし。高いし、体にかかる負担が大きいので。
しかし現在は大学に通うタケシさんは、職に就くためには法律に定められた医療的処置を受けなければならなくなることが不安だという。「将来がどうなるのかはっきりしません。学校の先生になりたいけれども、法に定められた性別変更の要件をすべて行いたくはありません。でも性別が不一致な書類を出して雇ってくれる学校があるのでしょうか。[127]」
ミツ・Mさんは自分を「トランスジェンダーだけど、いまは100%確かなわけではない」と言う。自分のジェンダー・アイデンティティを探求する時間がもっと欲しいけれども「大学に行く前に、もしくは仕事を得るまでに診断書が欲しかった。だから自分の将来についてとても心配している」と話す。ミツさんにとっては、学校を退学していた時にアルバイトに応募することすら、ジェンダー・アイデンティティをめぐる不安で一杯だったのだ。
性別欄に「男」「女」しかない書類があるとすごく違和感を感じる。履歴書を書くと、戸籍上の女の名前を書いて、性別欄に「女」と書かなければならない。大学に願書を送る、あるいはバイトの応募する時点で2度この違和感を我慢しなければならないんです[128]。
ホルモン療法を受け、外科医の診察を受けているトランスジェンダー男性(24)はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、できることならすべての処置を止めて、そのまま法律上の性別を男性に変更したいと話す。ホルモンは気分が悪くなるし、手術が身体に与える影響についても不安があるものの、それ以外に安定した成人としての生活を営む方法はないとも考えている。トランスジェンダーのネットワークからの批判も不安だという[129]。福岡のトランスジェンダー男性、セイジ・Nさんからも同様の意見があった。
トランスジェンダー当事者の中でも圧力があります。例えばジェンダークリニックの医療ミスに対して声を上げたいと思っても、「せっかく好意的なドクターがいたのに、診てくれなくなったらどうする。他の当事者に迷惑かけるな」といった理由で黙らされます[130]。
II. 政府の方針
中学校ではいじめに遭いました。自分のことを説明できないけれども、自分が[違って]見えたせいで標的になったのです。それがいじめだとは思っていませんでした。私はただ、ともかく人と違っていれば、こうされるものなのだと思っていました。からかわれたり、押されたりするのはコミュニケーションの1つだと思っていたのです。
—ヒロシ・Kさん(28)、大阪、2015年8月
たぶん、僕がいじめられていると先生に言ったら、助けようとはしてくれたと思います。でも、LGBTの知識が全然ないので、何をしたらいいのかわからなかったとも思います。もしかしたらもっと悪い方向に行ってしまったかもしれません。
—タダシ・Iさん(17)、名古屋、2015年11月
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人の先生が「助けたい」と思っていても、学校側や教育委員会側はそれをサポートする体制がない。そうするとその先生は、当事者生徒に好意的であるがために孤立した存在になってしまう。—アイ・Kさん、LGBTの若者のカウンセラー、福岡、2015年8月
日本政府は、学校教職員と教育行政担当者が政府のいじめ防止対策を十分に実施できる環境を作り出せていない。このことはLGBTの人権に関する日本の対外的コミットメントを損なうものである。
文部科学省が2013年6月のいじめ防止対策推進法の成立を受けて発表した「いじめの防止等のための基本的な方針」は、いじめ問題への対策としては不十分であることが本調査を経て明らかになった。同法は文部科学省に対し、いじめ防止の基本的な方針の作成を義務づけている。しかし結果として出てきた方針は、子どもの権利や教員研修の義務化ではなく、生徒が従順であることや教員の自覚の促進を強調する内容となっている。
一部の生徒の支援よりも風紀と和を強く望むことによく表れているように、日本の学校にはいじめを処罰しないという文化があり、これは、子どもが事件について訴えることで、事件での被害と同様の不安と精神的なダメージを受ける恐れがありうるという考えなどに基づいている。
日本の学校教員は大きな尊敬を集めており、[他の教師や]生徒への影響力も相当ある。LGBTの生徒を支える形で実際に対応する教員ですら、ある元教員の言葉を借りれば、「好意的であるがために孤立する」のである[131]。
十分な研修を受けた教員の重要性
2011年~2013年にかけて、日高庸晴・宝塚大学教授は日本の6自治体において、保育園から高校までの教員約6,000人について調査を行った。回答者の63~73%は、LGBTの問題を授業で教える必要があると考えているが、実際にLGBTについて授業で扱った経験がある教員は14%に満たなかった。教職課程で同性愛について学んだ教員の割合はわずか8%で、性同一性障害については9%だった、という。また61%近くが、性の多様性に関する研修があるなら参加したいと答えている[132]。
この調査結果によれば、たくさんの教師がLGBT問題をカリキュラムに入れることに留まらず、自ら研修を受けることを望んでいる点では今後に期待が持てる一方、教育者に与えられている情報には大きな格差があることも明らかである。つまり意欲のある教員であっても、LGBTの生徒の力になるための十分な準備ができていない可能性を意味する。
教員養成の専門家は、たいていの教員研修には、性的指向やジェンダー・アイデンティティに関する情報が、ゼロではないにしてもほとんど含まれていない、と口を揃える。教育学が専門の渡辺大輔・埼玉大学准教授は、「性的少数者に関する授業は、一般的に先生へのガイダンスにはありません」と指摘する[133]。
教員の側からも同じ指摘があった。「クラスでLGBTについて話すことはほとんどないです。保健体育の授業がありますが、LGBTについて授業しているというのは聞いたことはありません」と、東京のある教員は言う[134]。
嫌がらせやいじめ、暴力を報告してきた子どもに対する大人の初動対応は、その子どもを守り、信頼を育み、その後のケアを行う上で極めて重要である。教員たちが生徒と一緒になってLGBTを蔑む冗談を言い合うのを耳にした後、保健室の先生にカミングアウトしたナオコ・Yさんはこう述べる。「保健室の先生に話してから、1年間毎日保健室に通いました。ひとりでも自分をサポートしてくれる大人がいるということで、安心できました。[135]」
しかし、ナオコさんが支援を受けられたのは、保健室の先生の個人的姿勢の結果だった。ナオコさんの事例は支援の重要性を示しているが、ヒューマン・ライツ・ウォッチが日本各地で数十件の事例を詳しく調べたところ、LGBTの生徒が学校教職員に勇気を持って自分の状況を話しても、反応が思わしくなかったという事例ばかりであり、ナオコさんのようなケースは例外的である。ナツオ・Zさんは、いじめを避けるためほとんどの日を高校の保健室で過ごしたが、ナツオさんが高校の校長に男子制服を着てよいかと尋ねると、こんな返事だったという。「校長先生は言いました。『ダメだ、お前だけの卒業式じゃないんだ。お前1人のワガママで、学校の風紀を乱すな。』[136]」
レイ・Nさんは、小学生の時、ある先生の対応が力関係を一変させたことを次のように振り返る。
私が男子生徒のグループとつるんでいるところに、先生が「お前らホモなのか」と言ってきたことがあります。いじめなんて全くしてない、いい子たちだったんですけど、先生にそういうことを言われて完全に変わっちゃいました。「違う」ということを証明するために同性愛者を侮辱するようなことを口にするようになりました。よく知らないことなのに、それに対して嫌悪感を抱くようになってしまったんです[137]。
ミツさんは、高校2年生の時に自分のジェンダー・アイデンティティを探求し始め、制服のブラウスからリボンを取って少しだけアレンジしたいと訴えた。「先生は「ダメだ」と言って、理由すら教えてくれなかった。それをきっかけに、先生たちが僕のことを助けてくれたり、理解してくれると期待することをやめたんです。」 1年後の2015年に男子トイレを使用したいと頼んだが、それも拒否された。法律上の性別に従い、女性用のトイレを使うべきというのがその理由だった[138]。
東京のトランスジェンダー男性であるカズオ・Lさん(20)も、知的障害児童特別支援学校の職業訓練の授業の受講を禁止されたという。その理由は、学校には女性として登録されていたが、その後に登録の名前と異なる男性名と「くん」で呼んでほしいと求めたというものだった。受講ができないと言われたとき、カズオさんは担任教員に対し、卒業に必要なこの授業を取らせてくれるよう校長に訴えるから力を貸してほしいと頼んだものの、この先生は首を縦に振らなかった。卒業が近づくにつれて不安を募らせたカズオさんだが、担任が実は自分のために動いてくれていることを知った。ただし、その担任教員は、卒業要件への例外を認めさせる方向で動いたのであって、必修科目の授業にカズオさんが出席できるように動いてくれたわけではなかった。「先生は自分が授業に参加できるように説得することはしてくれなかった。差別的な制度と向き合うより、一つ例外を認めさせる方が簡単だから。[139]」
カミングアウトした生徒への教員の対応が原因で、生徒の自信が完全に失われた例もある。コマコ・Dさんが高校の合唱部の顧問にカミングアウトした時、この男性教員は、コマコさんに性的指向ゆえに人生で参加できることや、達成できることの範囲が限られてくるだろうと言った。「ものすごくショックだった。他のことにも集中できなくて他に相談できる人もいなくて、そんな時に合唱部の顧問にもそんな風に言われて。本当に気が滅入っていました。自殺しようとしなかったのが不思議なくらいです。[140]」
LGBTの問題だけでなく、いじめ防止についても研修が不足しているために、教員はいじめに対処することを仕事の一部だと捉えていないことがある。勤務時間中に他にも様々な用務を抱える場合はなおさらである。学校の管理職からいじめ事件で頻繁に相談を受ける東京の弁護士はこう話す。
学校の先生は忙しいんです。授業の他に課外活動も担当しなければいけない。生徒が必要としている感情的、情緒的なサポートを提供する、一人一人を気にかける気持ちの余裕がないんです。この悪循環ですね[141]。
教員は自分一人でいじめの対応ができない場合、周りに助けを求めることを躊躇しがちだ、と教員その他の教育専門家は指摘する。能力がないと思われたくないからである。「自分のクラスでいじめが起こっていたとして、他に助けを求めるのは担任にとっては難しいことです」と、いじめ防止の分野で活動する水地啓子弁護士は言う[142]。
大阪のジェンダークリニックに勤務し、若いトランスジェンダー患者を診察する精神科医の織田裕行氏はこう述べる。
子どもへの対応は学校によって驚くほど違います。ですから、周りと明らかに違うと思われている子どもを差別する雰囲気を作り出す原因は、現行の規則や方針にあるとは限らず、むしろ、先生の振る舞いが原因となることもあるのです[143]。
明確な方針を欠いた思いやり
LGBTの生徒の力になろうとする教職員もいる。アイコ・Yさん(20)は、中学になって体つきが目に見えて変わり始め、性同一性障害と診断されたが、先生たちが専用のトイレを確保して力になってくれたときのことを思い出す。修学旅行の際には生徒が宿舎で一緒に寝泊りしたが、このときも配慮はなされた。「でも男子がやってきて嫌がらせを受けました」とアイコさんは話す。しかし「嫌がらせされたのは、精神障害者である自分への罰だと思った」ため、報告しなかったという[144]。
ヒューマン・ライツ・ウォッチが調べた事例のうち、個人の訴えに学校側の職員が適切に対応した事例が複数あったが、そうした事例においてさえ、包括的な対応はされていなかった。
大阪のハナコ・Nさん(9歳、自らのジェンダー・アイデンティティを「どちらでもいい、関係ないでしょう、私たちはみんな人間なんだから」と語る)の担任が学校でのいじめに腰を上げたのは、母親が教育委員会に訴えてからだったと言う。ハナコさんによれば、学校では頻繁にからかわれ、訴えるたびに担任は注意をするものの、いじめを防ぐ対策は全く取られていないという[145]。
タケシ・Oさんは、高校の教員と校長は彼のトランジションに協力的で、制服やトイレの対応も行ってくれたが、成績が良かったから特別扱いされたのだと述べている。もし仮に今もそうした対応が続いているのなら、それは自分の時の対応を学校側が覚えているからであって、明確な方針や規則に基づくものではないだろうと考えている。いまタケシさんは19歳で大学1年生だ。
LGBTの生徒にとって今の状況はそれほど良いものではないのではないでしょうか。校長先生も顧問の先生もいなくなりましたから。今いる先生の中で私のことを覚えている人がいるかどうかはわかりません。私が障がい者用トイレの利用を認められたり、制服を変更したりしたことを覚えている先生が1人はいるかも知れません。そのことが役に立つかも知れません[146]。
生徒たちはヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、学校での敵対的な雰囲気に加えて、性的指向やジェンダー・アイデンティティに関する教員の理解が十分ではないことなどから、LGBTに理解がありそうな教員と話をすることすらためらってしまうと指摘する。
タダシ・Iさんは、休みにアメリカに行き、LGBTコミュニティセンターのプログラムに参加した。帰国後にある女性教員にカミングアウトすると、返ってきたアドバイスは、LGBTの人びとに出会うチャンスがあるだろうから、大学で英語を専攻してはどうかというものだった。タダシさんは言う。
僕は学校でいじめられたら、自分のセクシュアリティのためにいじめられている、と先生に言うことはできます。でも、先生はただいい人なだけなんです。LGBTに関する知識はあまりありません。アドバイスも、「英語を使う多様性のある学校へ行ったら」と、状況を良くするものではありませんでした。たぶん、僕がいじめられていると先生に言ったら、助けようとはしてくれたと思います。でも、LGBTの知識が全然ないので、何をしたらいいのかわからなかったとも思います。もしかしたらもっと悪い方向に行ってしまったかもしれません[147]。
見えるケース、見えないケース
日本の学校教職員がLGBTの問題を理解していない現状は、LGBTの生徒がいじめや嫌がらせを訴える際に問題となるに留まらない。いじめに影響を及ぼす構造的な問題を覆い隠し、その結果、いじめなどの人権侵害を引き起こす原因に対処することが制度的にできない状況が生じているのである。
2013年の「いじめの防止等のための基本的な方針」は、学校で起こりうるいじめの態様をいくつも挙げている。またいじめの性質について詳しく検討し、学校側に、例えばけんかがいじめによるものか否かを注意深く見極めるよう促している。しかし、上記方針では、別の特徴、すなわち、性的指向とジェンダー・アイデンティティといった、社会的偏見のせいで子どもがいじめに遭いやすくなる特徴に関して、何ら言及がなされていない。
東京のあるスクールカウンセラーはこう述べる。
一見、性自認や性的指向に基づいているとわからない場合が多いです。例えば、男子の集団が1人の男子生徒を取り囲んで、ズボンを下ろすという行為があったとします。この男子は「女っぽいから」という理由で嫌がらせを受けていたとしても、たくさん話を聞いて、何度も質問して聞き出さないとこれは見えてこないんです[148]。
日本の学校のジェンダーとセクシュアリティを調査してきた沖縄の人類学研究者は次のように述べる。
日本の教育システムにおいて、ゲイやレズビアンに関する問題は全く可視化されていない。若者のセクシュアリティに関する情報は、無いに等しい。さらに、教員はいじめの被害者を追い詰めがちである。「(男子生徒に)いじめられないように男らしくならないと」と言うような具合に[149]。
前述のスクールカウンセラーは、「教師がいじめっ子を注意するとき、『性自認のために人をいじめてはいけない』と注意しないんですよ。学校の規律を乱したことを怒るんです」と指摘する。そして、教員たちは「問題の原因を突き止めて解決することよりも、臭いものにはフタをしようとする」と述べ、「結果、生徒はなぜそれがいけないのか学習しません。先生に「規律を乱した」とだけ言われて、黙って勉強することに戻ります」と指摘する[150]。
東京のある高校教師は、いじめを訴えるメカニズムには組織的な支援があるものの、教員が触れることに個人的に十分自信がない場合にはそうではないと話す。
生徒が勇気を出して自分は同性愛者だからいじめられていると訴えたとしても、その側面に言及するだけの自信が教員側にはないでしょう。そのことは方針のどこにも書かれていないし、研修でも一切触れられていないのですから[151]。
東京で教える別の高校教師はこう述べる。
ゲイの子に対するいじめへの対応は、先生によって違うと思います。大概の先生は、理解して状況がよくなるように努力してくれるとは思います。[略]でも、これまでに、そういった子に対して「自分のことなんだから自分で解決しろ」と言っていた先生を見たことがあります[152]。
福岡でLGBTの若者を対象とするカウンセラーを務める元教員のアイ・Kさんは「学校にはLGBTの問題を制度として扱う用意がありません。だからある先生に支援の用意があっても、学校側にその先生を支援する準備がないことが多いのです」と話す[153]。
Ⅲ. LGBTの生徒の保護に関する日本の法的義務
教育を受ける権利、知る権利及び表現の自由を享受する権利
LGBTの生徒が教育を受けるにあたって日本で直面する様々な障壁について日本政府が対応を怠ることは、多数の国際人権規範に明記された教育を受ける権利の侵害に該当しうる。また、生徒が性的指向とジェンダー・アイデンティティについて学校で得ることのできる情報が限定されていることは、生徒の情報に自由にアクセスする権利の侵害である。そして、性的にこうあるべきだとする期待を生徒に押しつけることは、当人の表現の自由を抑圧することにもなる。こうした問題は相互に関連しており、それらの全てが日本のLGBTの生徒が直面する敵対的な環境を醸成している。いじめの蔓延もその1つである。
政府がただちに対処しなくてはならない問題は様々である。例えば、性差を厳格に区分する学校制度における人権侵害への対処。年齢差別構造を抱え、かつ、濫用的で強制的な基準に基づく日本の性別変更(法律上の性別認定)制度への対処。すでに指摘したとおり、LGBTの生徒への学校での嫌がらせといじめに十分対応できていない問題への対処。学校のカリキュラムにおける性的指向とジェンダー・アイデンティティに関する明確な科学的根拠と人権に重きを置く教材の不足への対処、などである。
国連子どもの権利委員会は、子どもの権利条約(日本は1994年に批准)の履行状況をモニタリングする国際的な専門家機関であるが、LGBTの生徒へのいじめをこれまで何度も非難してきた[154]。子どもの人権の国際基準に関する解釈文書において、同委員会は、政府が性的指向とジェンダー・アイデンティティに基づくいじめに対処する義務を様々な側面で負っていることを明示している。こうした一連の基準に沿って、日本の改革が進められるべきである。
学校をジェンダーにかかわらず安全な場所にすること
マルタ政府の法律上の性別認定に関する2015年法(64頁囲み参照)が示すように、トランスジェンダーの子どものニーズに配慮することが、教育へのアクセスを保障する上で決定的に重要である。米国など他の国々でも性差別禁止政策は、トランスジェンダーの生徒もその対象に含めると解釈されている。
例えば、米国連邦法の教育改正法第 9 編(1972年)はセクシュアルハラスメントと性差別を禁止している。第9編は「トランスジェンダー」や「ジェンダー・アイデンティティ」という用語を特に用いてはいないが、米国教育省はトランスジェンダーとジェンダーに不一致な生徒への嫌がらせや差別は、違法な性差別に該当すると述べている[155]。
子どもの権利委員会は「教育を受ける権利の促進プロセス」の重要性をこう強調する。
他の権利を享受することを促進しようとする努力が、教育過程を通じてもたらされる価値観によって阻害されることがあってはならず、むしろ、強化されなければならない。このことには、カリキュラム内容だけではなく、教育過程、教育方法、また教育が行なわれる環境が含まれる[156]。
教育を受ける権利の擁護に関し、政府は学校がすべての生徒にとって安全な場所であることを確保する義務がある。
したがって、人種主義、人種差別、排外主義およびこれらと同種の不寛容主義に基づく重大事件が発生し、それに18歳未満の者が関与している場合、政府が、条約全般、特に[子どもの教育の方針に関する]第29条1項に反映された価値観を促進するためになすべきことを全て行ってはいなかったと合理的に推定されよう[157]。
不寛容がはびこっている事態に対しては、委員会は「したがって、第29条1項に基づく適切な追加的措置がとられなければならない。追加的措置としては、条約で認められた権利を実現するうえで積極的な効果を発揮しうる、あらゆる教育技法を調査し、採用することが含まれる」とする[158]。
性別変更(法律上の性別認定)に関する改革
現在、性別変更(法律上の性別認定)は、2004年7月に施行された性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(性同一性障害特例法)にしたがって行われている[159]。同法を人権面から抜本改正することが、日本の学校でのLGBTの生徒へのいじめ抑制を目指す上で不可欠な要素となろう。2016年に超党派の国会議員連盟が同法の性別認定要件を緩和する改正を検討している[160]。
性同一性障害特例法は、自らにふさわしい性別への変更(法律上の性別認定)を求める人全てに対して、性同一性障害の診断を前提条件として課している。同法において、性同一性障害は、「生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者」と定義されている。そのプロセスとしては「その診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致している」ことが必要となる[161]。
性別変更(法律上の性別認定)の審判を行うのは家庭裁判所である。申請者は、性同一性障害の診断書を提出するほか、次の要件を満たさなければならない。
- 20歳以上であること
- 現に婚姻をしていないこと
- 現に未成年の子がいないこと[162]
- 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること
- その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること[163]
これら全てのステップを完了した者が家庭裁判所に対し審判の申立を行うことができ、上記の条件を十分に満たしていることが認められれば、男性又は女性として法的に認定される。この法的な性別変更(戸籍変更)により、ある性別から他の性別へ完全に変更されたと法律上取り扱われるにもかかわらず、裁判例や日本のNGOの調査によれば、実際には、戸籍変更したトランスジェンダーの人びとですら、養子縁組や生命保険の加入などの際に差別を受けている[164]。
性同一性障害特例法の施行は、日本におけるセクシュアル・マイノリティ及びジェンダー・マイノリティの問題に関する公の場での論議にとって、極めて重要な契機であった[165]。しかし、その手続は、出生時とは異なる性別での法的認定を希望する人にとって、基本的人権を追求する際の大きな障壁となっている。義務的な精神科医の診断、強制的な不妊手術、義務的独身、生殖機能不存在、未成年の子の不存在を求めるという要件は明らかに差別的である。この方針の実施の結果、性同一性障害の診断を得ようと試みた日本のトランスジェンダーの人びとの経験を含め、恣意的で負担の大きい精神医学的テストが行われている。
法の下に認められる(法的認定)権利は、世界人権宣言、市民的及び政治的権利に関する国際規約、及び子どもの権利条約に明記されている[166]。自らのアイデンティティを保持する権利(外務省訳:個人の身元関係事項を保持する権利)は、子どもの権利条約第8条で保障されており、アイデンティティについては国籍、氏名、家族関係という3つが明記されているが、これらがアイデンティティの全てではない。市民権規約第17条などに規定されているプライバシーへの恣意的な干渉から保護される権利とともに、アイデンティティを保持する権利は、個人のアイデンティティが政府の発行する書類に反映されるという点にまで及んでおり、子どももその対象となる。
2016年2月にヒューマン・ライツ・ウォッチは、健康に対する権利に関する国連特別報告者と、拷問に関する国連特別報告者に対し、日本の性別変更(法律上の性別認定)手続に関する申立書を提出した。この2つの人権特別手続は、他の事例に関して、日本の現行法とは大幅に異なる法的な性別認定手続を強く推奨している[167]。
例えば、2013年に、拷問に関する国連特別報告者は、「多くの国でトランスジェンダーの人びとは、自らが望む性別変更(法律上の性別認定)の要件として、望まないことが多い不妊手術を受けることが義務づけられている」と述べている[168]。そして特別報告者は、こうした強制不妊手術を、差別禁止の権利や人格の一体性(インテグリティ)を含めた人権の侵害とみなす世界的傾向について指摘し、各国政府に対して、「あらゆる場合において強制又は強要された不妊手術を違法とし、周縁化された集団に属する個人への特別な保護を提供すること」を求めている[169]。
日本におけるジェンダー・アイデンティティの法的認定に向けた新たな法的枠組みを検討するにあたっては、その枠組みは子どもも対象とすべきであり、また子どもの権利条約に基づいて日本が負う義務を考慮に入れるべきである。したがって、トランスジェンダーの子どものジェンダー・アイデンティティの法的認定に関する決定は、まずもって、子どもの権利条約第3条に従い、子どもの最善の利益に基づかなければならない。
子どもに関するあらゆる措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益を第一に考慮しなければならない[170]。
子の最善の利益を決定するにあたっては、同条約12条に従って子ども本人の意見が求められなければならない。
- 締約国は、自己の意見を形成する能力のある子どもがその子どもに影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、子どもの意見は、その子どもの年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。
- このため、子どもは、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の手続において、国内法の手続規則に合致する方法により直接に又は代理人若しくは適当な団体を通じて聴取される機会を与えられる[171]。
子どもの権利委員会は第3条と第12条の関係を以下のとおり明記する。
第3条の目的は、私的若しくは公的な福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関によりとられる、子どもに関するあらゆる行動に関し、子どもの最善の利益が第一に考慮されることを確保することにある。それは子どものために行われる行動は全て、子どもの最善の利益を尊重するべきであるということである[略]。本条約は締約国に対し、第12条に明記されているとおり、こうした行動の責任者が子どもの意見を聞くよう確保することを求めている。この手続は義務である[172]。
日本政府は、20歳に達する前に法的な性別を変更することが、トランスジェンダーの子どもの最善の利益である場合もあることを考慮に入れなければならない。最低年齢を要件の1つとすることは避けなければならず、代わりに、子ども一人ひとりの個別事情に基づいて、法的な性別の変更がその子どもの最善の利益であるかが判断されなければならない。
子どもには情報アクセス権があり、ジェンダーとセクシュアリティに関する情報もその1つである。日本における性別変更(法律上の性別認定)に関する現行制度の副産物の1つとして、性同一性障害に関する1つの考え方だけが支配的で、ジェンダー・アイデンティティについての多様な情報源が存在していない現状が挙げられる。こうした偏りは、日本が性教育カリキュラムに関する国際基準を満たしていない状況によってさらに悪化している。
性教育改革
高校生がやってきて、キスでHIVに感染するのか尋ねられます。何を聞けばよいかすらわかっていない生徒が多いのです。真実とかけ離れたところにいて、何もわかっていないのです。
—マサ・T、LGBT駆け込みセンターのスタッフ、大阪、2015年8月
教育を受ける権利に関する国連特別報告者は2010年に、セクシュアリティ、健康及び教育は「相互依存的な権利」であることに留意し、「私たちは自らの健康に配慮し、セクシュアリティに肯定的に、責任と尊厳とともに対応できなければならず、したがって私たちのニーズと権利を自覚しなければならない」と指摘している。特に特別報告者は、もっぱら異性愛関係に基づいている性教育プログラムに警告を発し、「レズビアン、ゲイ、トランスセクシュアル、トランスジェンダー、バイセクシュアルの人びとの存在を否定することによって、これらの集団が危険で差別的な対応にさらされることになる」からと述べた[173]。
包括的な性教育プログラムの開発は、子ども及び女性の権利に関して政府が負う義務の一部であり、この点は、これらの権利に関する国際条約のモニタリング組織によって概略が示されている。子どもの権利委員会は各国に対し、青少年に対するリプロダクティブ・ヘルスケア(生殖に関する健康管理)に関する教育施策の向上を頻繁に勧告している[174]。女性差別撤廃委員会も包括的な性教育の重要性、特にHIV感染拡大の防止に関するコメントを行ってきた[175]。
到達可能な最高水準の健康を享受する権利は、経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約(日本は1979年に批准)に基礎づけられているもので、個人が性と生殖についての健康に関するものを含む、正確な情報にアクセスすることを求めている[176]。
国連の条約機関は、正確かつ包括的な性に関する教育と情報が、健康を享受する権利を保障する手段として重要であると繰り返し議論してきた。なぜなら、妊産婦死亡率のほか、中絶、若者の妊娠、HIV感染の割合を減らすことに役立つからである。性的指向やジェンダー・アイデンティティに関するものを含む、健康に関する情報を規制することは、国際法が保障する基本権の侵害となる可能性がある。これには、あらゆる種類の情報や考え方を探し、受け取り、与える権利及び到達可能な最高水準の健康を享受する権利も含まれる。
経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約委員会は一般意見で、健康を享受する権利は「時宜にかなった適切なヘルスケアだけでなく、その基礎となる健康に関する決定要素にも」及ぶと述べている[177]。これには「性と生殖の健康に関するものを含む健康に関連した教育と情報へのアクセス」も含まれている。子どもの権利委員会は、子どもの、実現可能な最高水準の健康を享受する権利について繰り返し述べている[178]。
子どもの権利委員会は「青少年は、自らの健康と発達、及び社会に意味ある形で参加するために不可欠な十分な情報にアクセスする権利がある」と述べ、各国政府に対し、「全ての青年期の男女に対し、学校の内外双方において、自らの健康と発達を守り、健全に振る舞う方法に関する正確かつ適切な情報が提供されること、そしてそのような機会を奪われないことを確実にすること」を求めている[179]。
国連児童基金(UNICEF)は、LGBTである子どもへの差別撤廃に関する2014年のポジションペーパーの中で、子どもの権利条約の締約国と調印国は、学校内におけるものを含む、「性的指向とジェンダー・アイデンティティに基づく差別について報告」すべきであるとし、また、「健康を享受する権利の実現を目指す取組みについて報告する際、調印国は、関連するLGBTの保健教育とサービスにまつわる問題を検討した方がよい」と述べた[180]。
日本の性教育に関する政策と実践は、教育を受ける権利に関する特別報告者、条約機関及びユニセフが勧告するアプローチを満たしていない。性的指向とジェンダー・アイデンティティに関する情報を含めるという課題については特にそのようにいえる。調査によれば、日本の学校教科書には「ジェンダー・アイデンティティとジェンダー役割について、型にはまった、ステレオタイプ化された表現を用いる根強い傾向」が見られる[181]。
日本の性教育カリキュラムを論じたある学術論文は、「健全かつ健康な社会の維持が日本の学校の性教育カリキュラムではとりわけ強調されている。結果として、若者が[略]同性愛を含めたセクシュアリティについて包括的に理解をしていることは滅多にない」と論じている[182]。文部科学省が2016年4月に公表した教員向け手引は、包括的な性教育プログラムに向けて期待の持てる動きだ。
一般論として、性に関することを学校教育の中で扱う場合は、児童生徒の発達の段階を踏まえること[略]等計画性をもって実施すること等が求められるところであり[略]他者の痛みや感情を共感的に受容できる想像力等を育む人権教育等の一環として、性自認や性的指向について取り上げることも考えられます[略][183]。
LGBTへのいじめの特定・明記の上での抑制
日本でのいじめに対する取り組みは、2013年の「いじめの防止等のための基本的な方針」による。いじめ防止に関する法律が制定されることとなった政治的なきっかけは、2011年に滋賀県大津市で13歳の男子生徒が自殺した事件であった。いじめ防止対策推進法及びいじめの防止等のための基本的な方針はともに、いじめを子どもの教育を受ける権利の侵害とし、いじめを次のように定義する。
児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう[184]。
いじめ防止対策推進法は、いじめ防止等のための基本的な方針に沿う形で地方公共団体に対し、地域社会や民間団体、医療専門家などと連携しつつ包括的ないじめ防止対策を行うことを推奨している。しかし同法は、地方公共団体に対し認知した重大ないじめへの対処を義務づけているものの、いじめ防止基本方針の策定は義務ではなく努力目標にとどまっているにすぎない。
加えて、いじめの防止等のための基本的な方針が、いじめ防止対策として社会規範への順応を露骨に推奨する立場をとっており、社会的な周縁化によって生徒がいじめを受けやすくなる可能性への言及がないことは、緊急な改善が求められる大きな問題である[185]。本報告書が示すように、現実の、また周りが考える性的指向とジェンダー・アイデンティティに関するスティグマなどの要素が、日本の学校でのいじめを引き起こす原因となっている。
いじめの防止等のための基本的な方針が運用されて3年が経つが、その効果には疑問の余地がある。文部科学省の記録によれば、2014年度にいじめによる自殺が5件発生している[186]。最も大きく報道されたのは、いじめを受けていることをノートに記載して教員側に伝えたが、何の対応も行われなかったため、2015年7月に自ら命を絶った13歳の少年の事件である[187]。
いじめ防止対策推進法が、附則で定められた施行3年後の2016年に見直し時期を迎えるにあたり、政府は教育を受ける権利を含む国際人権に関するコミットメントに沿って、抜本的改革を行うべきである。
例えば、いじめの防止等のための基本的な方針及びいじめ防止対策推進法のいずれも、いじめの構造的な原因と、学校がいじめの防止と対応に向けた明確な態勢を作ることの必要性に言及しているが、日本の学校で起きるいじめに関する極めて重要な構造的要素、すなわち、いじめを受ける生徒のタイプには一切触れていない。
その代わりに、いじめの防止等のための基本的な方針の中では「いじめはどの子供にも、どの学校でも起こりうる」という言葉の繰り返しが見られる。これには正しい部分もあるが、日本におけるLGBTの権利に関する議論が進歩的な角度から公の場でも行われるようになった状況下でも、なお根強い社会的偏見によってLGBTの生徒が経験する弱さを覆い隠してしまっている。
LGBTに対するいじめを扱う日本のNGO「いのちリスペクト。ホワイトリボン・キャンペーン」は、2013年の法律策定過程当初からこうした見解を示していた。同NGOは、いじめ防止対策推進法案が起草されていた2013年5月に、尾辻秀久厚生労働大臣(当時)に書簡を送り、同法の中で性的少数者の子どもに言及するよう要請している[188]。
他国での長年の経験から明らかになっているのは、カテゴリー列挙の重要性である。例えば、アメリカのNGO「ゲイ・レズビアン・ストレート教育ネットワーク」(GLSEN)は、LGBTの生徒にとっての学校環境について、1999年から調査を行っているが、いじめ防止策は、弱い立場にある生徒のカテゴリー、とりわけLGBTの生徒を具体的に列挙すべきであると強く勧告している[189]。
国際的な人権モニタリング組織は、性的指向又はジェンダー・アイデンティティに基づくいじめを含め、学校でのいじめを深刻に捉えている。心理的ないじめやしごきが子どもへの心理的暴力であること、また身体的ないじめやしごきが子どもへの身体的暴力であることを指摘し、子どもの権利委員会は、いじめがしばしば次のようなものであることを指摘している。
[いじめは]子どもが他の子どもに対して行うもので、子どもの集団によって行われることが多い。それは子どもの身体的かつ心理的な一体性と福祉を短期的に損なうだけでなく、中長期的な発達、教育及び社会統合にしばしば重大な影響を及ぼす[190]。
同委員会は、「教育的手段によって、子どもへの暴力を黙認、促進する態度、伝統、慣習、振る舞いへの対策が行われるべきである」と述べており、また政府は「子どもの権利一般、また特に意見表明権に関するエンパワーメント」を通して、子どもをこのプロセスに含めるべきであるとし、「子どもが[いじめに関する]一般的かつ学校での防止戦略、特にいじめの撲滅と防止に向けた取組みに参加することの重要性」を指摘している[191]。
国際人権基準は、子どもが自分たち自身に影響を与えるプロセスに加わることを義務づけており、人権モニタリング組織はいじめ防止策もその1つであることを明確に述べている。2015年のスウェーデンに関する審査の中で、子どもの権利委員会は、同国政府に対し、全ての学校が「いじめや嫌がらせに関する自らの経験について、生徒、教職員及び親を対象とした定期調査を行い、学校によるいじめ防止のための行動計画を当該調査結果に基づいたものとする」ことを確保することで、「いじめ撲滅を目的とするイニシアチブへの子どもの関与」を強く求めている[192]。
謝辞
本報告書はレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー(LGBT)の権利プログラム調査員カイル・ナイトが、子どもの権利局上級顧問マイケル・ボヘネクとともに2015年8月から11月にかけて行った調査に基づき執筆した。追加のインタビュー、アウトリーチ活動、文献調査は日本代表の土井香苗、アジア局上級プログラムオフィサーの吉岡利代、発展戦略・グローバル構想局ディレクターの趙正美、ヒューマン・ライツ・ウォッチ東京オフィスのインターンの小郷綾子、菊本寛、小田類子、高橋健太、及びヒューマン・ライツ・ウォッチ ロンドンオフィスのインターンのトイボネン菜穂が行った。
ヒューマン・ライツ・ウォッチ計量アナリストのブライアン・ルートはオンライン調査内容を検討し、その内容を分析して本報告書のデータを生成した。
本報告書の内容はマイケル・ボヘネク、LGBTの権利プログラム・ディレクターのグレーム・リード、土井香苗が校正編集した。法律及びプログラムの観点からは、法務・政策ディレクターのジェームズ・ロス及びプログラム・オフィス上級エディターのダニエル・ハースが校正編集を行った。作成支援はシェイナ・ボシュナー、出版アソシエートのオリヴィア・ハンター、総務マネージャーのフィツロイ・ヘプキンスが行った。
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、アンケート調査の拡散や調査方法の助言、インタビュー対象者の紹介等をして下さった日本国内のLGBT団体と専門家の方々に厚く御礼を申し上げる。柳沢正和氏、遠藤まめた氏、岳中美江氏、東優子氏、歌川たいじ氏、日高庸晴氏、重竹家の皆さま、石川大我氏、杉山文野氏、石崎杏理氏、岩本健良氏、砂川秀樹氏のお名前を特にここに挙げさせていただき、深く御礼申し上げる。さらに、判例や翻訳において法律的助言を下さったアンダーソン・毛利・友常法律事務所の梅津立弁護士、西谷敦弁護士、中野裕仁弁護士、そして、藤田直介弁護士、稲場弘樹弁護士にも深く感謝申し上げるとともに、本報告書のために個人的な体験を私たちにお話し下さった子ども・生徒、活動家などの皆様に心よりお礼を申し上げる。