あなたが知らなかった(かもしれない)東電福島第一原発事故の16の事実
2011年3月11日から始まった東京電力福島第一原発事故。2021年で、発生から10年が経過します。あの時、何が起きたのでしょうか?そして、今何が起きているのでしょうか?あなたがもしかしたら今日まで知らなかったかもしれない、16の事実をまとめました。
- 2011年3月11日、東日本大震災で発生した14~15メートルを超える大津波*1で、東京電力福島第一原発は全電源喪失した。
- 電源喪失した1号機の建屋は、翌日の12日に水素爆発。3号機、4号機が続いて爆発した*2。
- 原子力施設の事故の深刻度を示す国際評価は、チェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」。推定で4〜90京ベクレルの放射性物質が放出*され、7~8割が海へ、残りが陸へ拡散した。 * Institute for Radiological Protection and Nuclear IRSN 28 February 2012
- 原発から20キロメートル圏内に、避難指示が出された。約40キロ離れているものの、大量の放射性物質が流れ込んだ飯舘村に、避難指示が出されたのは、原発事故発生から1カ月以上たった4月22日だった*4。
- 事故が起きるまで、政府は一般人の被ばく限度を年間1ミリシーベルトとしていたが、20ミリシーベルトへと20倍に引き上げた。
- 東電福島第一原発では、メルトダウンした原発を常に冷却する水が必要で、100万トンが放射能汚染水として溜まり続けている。東京電力は、溜まり続ける汚染水を処理して太平洋に放出しようとしているが、すべての放射性物質が取り除けるわけではない*5。
- 東京電力の幹部は、東日本大震災の9年前に、大津波のリスクを報告されていたが、対策を怠った*6。しかし事故当時の幹部3人の責任を問う刑事裁判では、無罪になっている。
- 放射性物質で汚染された土地の除染は、事故発生から10年経つ2021年でも続いていて、総額で20兆円かかるという試算も*7。除染作業にあたる人には、元路上生活者なども多くいる。
- 福島県の7割を占める森は、道路から20メートルまでしか除染されない。森をすべて除染することは不可能。
- 除染されていない森から、雨や台風によって放射性物質が流れ、一度除染された場所が再汚染されている箇所も確認されている*8。
- 回収された除染廃棄物や除染土は、2,200万立方メートルにのぼる*9。フレコンバッグに詰められて、所有者から借りた田んぼなどに保管されている場合もある。
- 政府は除染で出た放射性廃棄物の体積を減らすために、処理施設で焼却しており、燃やした後には、放射性物質が高度に濃縮した灰が残る*10。
- 環境省は、除染で剥ぎ取った土を、全国の公共事業や農地で利用できるようにする方針を示している*11。
- 除染して避難指示解除、という方針で住民の帰還が進められている。避難指示が解除された地域の住民には賠償金は支払われなくなり、帰還しないことを選んだ人は自費で避難生活や移住をしなければならない。
- 原発事故によって避難を続けている人は、2021年でも約4万人いる。避難を続ける権利と補償を求めて、全国で、民事訴訟が起きている。
- 原発事故で発出した原子力緊急事態宣言は、今でも取り下げられず、続いている*12。
2011年の悲劇を境に、ドイツや韓国で脱原発が進められる中、日本では、事故を繰り返さないために原発をなくすどころか、古くなっていく各地の原発の再稼働を繰り返してきました。2021年2月現在でも、4つの原発が稼働しています。
次の10年こそは、原発の危険のない、誰も犠牲を強いることのない社会を作るために、動き出さなければなりません。
政府は、2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにすることを目指していますが、それを口実に、原発を再稼働させようとしています。
これからの日本の電力の方針を決める「エネルギー基本計画」を政府が作っている今こそ、
「東京電力福島第一原発事故を教訓に、原発なしで、CO2ゼロを実現することを目指して欲しい」と、私たちの声を伝えませんか?