Ryuichi Sakamoto Diary 9th Installment: January & February, 2019 Never Too Busy to Meet People

教授動静 第9回──坂本龍一、怒濤の映画音楽制作の日々と新しい才能たちとの出会い

“教授“こと坂本龍一の動向を追うライター・編集者の吉村栄一による「教授動静」。第9回は、1月17日に誕生日を迎えた教授の、2月までの怒濤の日々をお届けする。(この連載は、毎月末に更新します。お楽しみに!) 文・吉村栄一 写真・KAB America Inc. Ryuichi Sakamoto
教授動静 第9回──坂本龍一、怒濤の映画音楽制作の日々と新しい才能たちとの出会い
世界的音楽プロデューサーのフライング・ロータスと坂本龍一。

映画音楽制作とスタジオの想い出
坂本龍一のよく使う言葉に「機(はた)織り」がある。

できつつある音楽を誰にも聞かせたくない時は、民話の『鶴の恩返し』にあるように、ひとりスタジオに閉じこもり、黙々と仕事をする。もちろん、民話の鶴とはちがって、とくに秘密ではないので、その仕事の内容については教えてくれる。

そんな「機織り」が続いた教授の2019年1~2月の動静をお知らせします。

真剣なまなざしで映画音楽ミックス・ダウン作業。
旧スカイライン・スタジオ(現レザボア)で合唱のレコーディング。
1月17日の誕生日に行きつけのヘアサロンのチームが誕生祝いを届けにきてくれた!

「前回もお話ししたフランスの女性映画監督の仕事をずっとやっていて、いまようやくミックスの段階にまで進みました」

この新作の映画音楽はオーケストラものではなく、ほぼ全編、シンセサイザーのみで仕上げている。興味深いのは、そのシンセサイザーの音楽に、合唱が加わるところだ。教授の映画音楽で合唱というと山田洋次監督の『母と暮せば』(2015)の エンディングで大きくフィーチュアされたことが記憶に新しい。

「そう、あれ以来かな。ぼくの音楽に合唱を取り入れることは珍しいですね。この映画は母と娘の関係を題材にしていて、主人公は娘を育てているワーキング・マザー。監督自身も小さい娘さんを育てていて、映画の仕事と家庭の両立にかなり苦労されているらしい。そのあたりの苦労が作品の骨子になっていて、主人公の女性の人間性をどう表現しようかと考えたときに、合唱を使うのはどうだろうと思いついたんです。人間性、人の心の琴線に触れる場合に人の声はすごく効果的なんじゃないかというアイデアです。ですので『母と暮せば』で合唱を使ったのは山田洋次監督からの、たってのリクエストがあってのことでしたが、今回はぼくが自発的に合唱を取り入れようと思いました」

この合唱のパートの録音をしたのはマンハッタンの36丁目にあるレザボア・スタジオ。音楽ファンには旧スカイライン・スタジオという名前のほうが馴染みであるかもしれない。1979年にオープンしたスカイライン・スタジオはナイル・ロジャースやルー・リード、デヴィッド・ボウイがよく使用していたニューヨークの名門スタジオだ。教授も1980年代からソロでのレコーディング、あるいは1993年の再生YMOのレコーディングなどで愛用していた場所だ。

「1991年のアルバム『ハートビート』でタッグを組んで仕事をした友人で、いまはヒップ・ホップ系の大御所エンジニアになっている、パット・ディレットがパートナーと一緒にスカイラインを買い取って、リノベーションしてレザボア・スタジオと して再オープンしたんです。新しい機材も入っているのだけど、昔のスカイラインの頃の雰囲気も残っていて懐かしかったなあ」

ニューヨークも東京と同じくレコーディング・スタジオをめぐる環境は厳しく、どんな名門スタジオといえども明日の運命はわからない。無事に存続が決まったパワー・ステーション・スタジオ(旧アバター・スタジオ)同様、名門スカイラインが名前は変わっても健在というのは心強い。

「先日、ある記事で新宿の御苑スタジオがまだ健在ということを知って驚きましたね。あそこに初めて行ったのは1976年ぐらい。大滝詠一さんのコンサートのリハーサルのために呼ばれたんです。午後1時に来てくれということで行ったら、誰もいない。スタジオの人すらいなくて鍵がかかって入れない。時間をまちがえて聞いたのかなと、近くの喫茶店で1時間ぐらい過ごして帰ってきても、まだ誰も来ていない!(笑) ぼくも暇な時代だったのでその場でずっと待ってたら、やがてスタジオの人は来て中に入れてもらえたのだけど、大滝さんたちは誰も来ない。えんえんスタジオで待っていてやっとみんなが来たのは午後5時でした。ロックの世界ってすごいなと思ったことなど、ひさしぶりに思い出しました(笑)。あの場所がまだあるなんて…」

ある記事というのは、YMOと新宿のゆかりを綴ったこちら。

懐かしのスタジオで合唱パートをレコーディングした本作は、この映画が4作目となるフランスの女性監督によるもの で、アメリカの映画音楽のエージェントを通して音楽の依頼があった。

「なぜぼくが指名されたのか、実はよくわかっていなく、監督に訊いてもはっきり教えてくれないんです。なぜなんだろう」

おそらく完成した映画を観るとその理由もきっとわかるのだろうと思うので、完成と日本公開を楽しみに待ちたい。

エージェントを通さずに、直接依頼が来ることもある。

フランスの母と娘の映画が終わったら、すぐにとりかかるイタリアの映画監督の短編映画だ。30分ぐらいの作品で、この映画もやはり母と娘の関係を描いているという。

「こちらは年老いた元画家の母とその娘の物語。母と娘の過去の確執を振り返りながら現在を描くという作品ですが、はっきりとした一直線のストーリーがあるのではなく、もっとファンタジー的な要素が強い」

この映画は友人のイタリア人映画監督と、とある老舗ファッション・ブランドとのコラボレーション企画で、音楽の依頼も監督から直接あった。また、このイタリアの映画監督のパートナーも若い映画監督で、このパートナーからも新作映画の音楽を依頼されているそうだ。いまちょうどその内容や音楽の方向性についてメールでやり取りを開始したところだという。

ロスアンジェルスからやってきたフライング・ロータスが表敬訪問。
メトロポリタン美術館のコンサートで常静 (Jiang Chang) さんと。

才能たちと出会う
と、このように映画音楽に没頭していたこの1〜2月だが、その気晴らしとなったのが、1月半ばにスタジオにフライング・ロータスが遊びにきて歓談したこと、そして先日、メトロポリタン美術館で行われたコンサートの観覧だった。

「中国の春節を祝う行事の一環で行われたコンサートで、先の12月に北京で会ったばかりの中国箏の奏者 常静 (Jiang Chang) さんと、中国の古琴(グーチン)の女性奏者巫娜(Wu Na)による演奏。ぼくは巫娜さんのファースト・アルバムを聴いた時から、すごく好きだったんです。とても才能のある人で、古琴を使って中国の伝統的な音楽もやりつつ実験音楽も同時にやっている。すごくおもし ろくて、そのうち一緒になにかできればと思っているぐらい。常静さんと一緒にやった今回のコンサートも予想以上におもしろくて刺激になりました」

近年は中国の演奏家に興味を持つことも多いという。

「4〜5年前に大友良英くんがニューヨークで、アジア人の実験音楽の演奏家を集めた実験音楽バンド“FEN(ファー・イースト・ネットワーク)”のコンサートをやって、それを観に行ったらやはり中国人の顏峻(Yan Jun)というミュージシャンがいて、その人もすごく刺激的な音を出していた。そうか、中国にもこういう最先端の実験音楽のミュージシャンが出てきたんだとびっくりしたのですが、なんとこの顏峻と巫娜さんは10年ぐらい前から一緒にバンド活動もやっているそう。世界中みんな繋がっているということがわかっておもしろかったですね」

オープニング・セレモニーの撮影でアナ・スイさんに会う。

アジアのネットワークといえば、アジア系アメリカ人のファッション・デザイン&クリエイティブ・ディレクションのコレクティブであるウンベルト・レオンとキャロル・リムによるアパレル・ブランド“オープニング・セレモニー”の2019春夏コレクションのルックブックのモデルも務めた。

「彼らはKENZOのクリエイティブ・ディレクターでもあるのですが、数年前にKENZOとH&Mのコラボレーションがあった際にキャンペーン・モデルとして声を掛けてくれて、そのときに知り合ったんです(亡くなったデヴィッド・ボウイの奥さんであるイマンやチャンス・ザ・ラッパーも参加した大きなキャンペーン)。その1年 後くらいだったかな、KENZOのメンズ・コレクションからぼくの写真がプリントされた服が出たこともあって。今回、彼らから突然メールが来て、来週の月曜日に1時間だけ空いてないか? と。オープニング・セレモニーのルックブックで、アメリカで活躍しているアジア人をモデルにして写真を撮りたいとのことで、ぼくにも声がかかった。1時間ぐらいならということで出向いて、彼らの選んだ服を着て、本当に1時間で撮影が終わりました。似合ってたかな?(笑)」

*このルックブックはvogue.comでご覧いただけます。
https://www.vogue.com/fashion-shows/fall-2019-ready-to-wear/opening-ceremony/slideshow/collection

仏メッスのゲスト・ハウスにて気になった窓を撮影。
ニューヨークのフルムーン。

坂本龍一の3月は?
教授はいまちょうど、前回お伝えしたフランス・メッスのポンピドゥー・センターで行われる現代美術家の李禹煥(リー・ウーファン)の個展の音楽の設置作業のためにフランス滞在中。3日ほどの駆け足の滞在となるが、それが終わるとさらにニューヨークで映画音楽の作業を続ける。

「そんな中、3月の頭に楽しみなことがあって、京都のバンド、空間現代のニューヨーク公演があるんです。アメリカの人に空間現代の演奏を体験してもらいたいというのは、以前からのぼくの願いだったので、それがやっと実現します。こちらで話題になってくれるといいな。ぼくももちろん観に行きます」

そして3月 中旬からはいよいよ日本。

3月23、24日の『No Nukes 2019』、3月30、31日の東北ユースオーケストラの公演への参加のほか、4月頭にはこれも前回お伝えした図書室のオープンもある。

これらは次回の『教授動静』で詳細をレポートするので、どうぞお楽しみに!