「テクノロジーによる失業」は昔からあった。大きかった11の波

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「テクノロジーによる失業」は昔からあった。大きかった11の波
Image: Shutterstock

AIに仕事が奪われる奪われると言われる今。

AIを生み出した人たちも警鐘を鳴らしていて、この先のことを思うと不安でいっぱいになりますが、過去を振り返ると、新技術の台頭とともに消えた仕事は山のようにあります。

これを1930年の論評のなかで「technological unemployment(テクノロジーによる失業)」と呼んだのは、かの経済学者ケインズ。16世紀から続く科学技術のイノベーションが結実して19世紀初頭から大量生産の時代が訪れ、路頭に迷う人も出ているが、未来はきっとよくなる、100年後の孫の時代になれば技術がさらに進んで週15時間も働けば暮らせていけるようになるだろう、と励ますように書いています。

今も置かれた状況は似ています。シカゴのChallenger, Gray, and Christmas, Inc.が発表した今年1~5月期の米レイオフ統計によると、テクノロジー業界のレイオフは本年5月22,877人に達し、1~5月でのべ136,831人(前年同期比2,939%増)。ドットコムバブルが弾けた2001年(丸1年で168,395人)以来最悪の水準となりました。5月の同産業のレイオフ数のうち3,900人はAIに仕事を奪われたものであり、AIの脅威はリアルで進行中です。

でも一度進んだ歯車は待ったなし。1940年代中期から1960年代に人権運動で活躍したWalter Reuther全米自動車労組創設者兼元会長も、進むか否かの岐路に立たされたとき、「新しい技術を使って新しい世界を創出するか、ボロッボロのT型フォードにいつまでもしがみついて経済的墓穴を掘るか」だと言っています。

先の見えない今だからこそ、今の技術に仕事を奪われた過去の仕事を振り返って少しメンタルトレーニングしておきましょう。


1811 織物工が織機を破壊しても時代は止まらなかった

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織物機を破壊するラッダイド運動の労働者
Image: Wikipedia

1800年代はじめラッダイト運動がイギリスで勃発。「機械に奪われてしまう」と織物工が蜂起し、各地で織機を破壊したり工場に火をつけて回りました。こんなものに長年磨いてきた手仕事が奪われてはたまらないと考えたのです。

でも機械なら羊毛刈りも糸紡ぎも一発だし、数人がかりの工程も1人で済みます。靴下が仕上がるまでの時間は6分の1に…。いくら機械を壊してもこの流れには抗えません。1813年には武力で鎮圧され、「機械設備を壊した者は死刑に処する」という新法ができただけでした。

1940 トラクターで農業人口激減

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Image: Aleksandr Rybalko (Shutterstock)

「大恐慌の不景気の元凶はテクノロジーだった」(経済学者ケインズ、1930年代)とされるように、機械で職にあぶれた人が路頭に迷う現象は、農耕機械・トラクターが登場したときにも起こっています。

トラクターが初めて世に出たのは1902年なので大恐慌とはだいぶ開きがありますが、最初に出た頃のトラクターはあまりにも巨大・高価で一般の農家さんにとっては遠い存在でした。それを変えたのがヘンリー・フォード。1917年発売のFordsonトラクターで一気に普及が加速したのです。

フォークリフト、タイヤ、ディーゼルエンジンなどの新技術が次々生まれて、トラクターは農業には欠かせない歯車になっていきます。それまではアメリカ人の3人に1人が農業従事者だったのに1950年を迎える頃には10%に激減(The Atlantic)。2010年には米全労働者の2%にまで縮小してしまいました。

1945 ストして戻ったら仕事が消えていた(エレベーターガールの場合)

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Image: Ned Snowman (Shutterstock)

1900年代に登場した最初のエレベーターは巻胴式だったのでオペレーター付き。止まるたびに人力で操作していました。

あまり安全とは言えなくて、床との間に隙間もあって、そこに人が落ちても、おいそれとは止まれない怖い代物でした。安全性向上のためバンパーや自動停止装置が導入されてやっと今の無人エレベーターに辿り着いたというわけです。

今では無人が当たり前ですが、最初はでも、あまり歓迎されませんでした。今でいう無人カーみたいなもので、みんなひとりで乗るのを怖がっていたんですね。「乗っても、中を見てすぐ出てくる人ばかりで、外に出て、オペレーターはどこ?と人に聞いたりするのが一般の反応だった」(NPR放送のLee Gray記者)のです。

それを一変させたのが1945年、ニューヨーク市のエレベーター運用会社の労働ストライキでした。これで1500万人の通勤に影響が出て市の税収は1億ドルの赤字に。ストで無人になったエレベーターがそのまま使われて定着し、気づいたときには戻るポジションそのものが消滅していました。

1950 機械化の波が自動車ワーカーを直撃

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Image: Frame Stock Footage (Shutterstock)

1950年代はじめになると、生産のスピードアップとコストダウンのためテクノロジー化が進んでいきます。たとえばオハイオ州ブルックパークに工場を移転したフォードも機械化で工員数を90%も削減。自動車分野はロボット導入で低~中賃金の単純労働人口が激減りするセクターとなりました。

2020年の調査報告書でMITのDaron Acemoglu教授が明らかにしたところによれば、米国では1000人規模の職場にロボットが1台導入されるたびに賃金は0.42%下がり、人口あたりの雇用が0.2%減るのだといいます(調査時点で40万人の雇用喪失に相当)。溶接の仕事だって時給12ドルの人に頼むより時給3.5ドルのロボットに頼むほうが安上がりだし、もっと効率よくできますからねぇ…。

1960年、時のケネディ大統領は、機械に仕事を奪われる問題をどう思うか尋ねられ、こう答えています。「機械化で生産量が上がって生活が豊かになったのみならず、労働時間・労働環境も向上した。1日8時間・週5日勤務の今のほうが、1日12時間週6日の祖父の代の2倍以上のものが生産できている」、「変化に順応して自分のスキルをほかのことに注ぐべき」。そりゃそうなんだろうけどシビア。

1960 倉庫では仕分けが自動化

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Image: Ground Picture (Shutterstock)

倉庫の仕事は消えたわけじゃないけど、1960年代まで手作業だったソートの仕事は、だいぶ自動化が進みました。企業は利益が増えてホクホクだけど、失業する人は大変。

このときもケネディ大統領は1960年6月7日の演説で変化を肯定し、「この先もテクノロジーは抗いようもなく進化を続けていく。いま人力で行なっている何千もの工程は、もっと安く効率的に機械がやるようになるだろう」と述べるに終始しています。

1965 大手電話会社ベルがどんだけ粘っても電話交換手は消える運命だった

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Image: Everett Collection (Shutterstock)

古い映画でおなじみの、19世紀~20世紀初頭の花形職種。

電話交換手に代わる技術はとっくの昔(1892年。グラハム・ベルが電話機の特許を取得した1876年のわずか16年後)に発明されていたのですが、米大手電話会社ベルが「受話器をただとって交換手に言いつけてかけるほうがラク。自分で番号を入力するのでは自動化というよりお客様に仕事をさせることなるではないか」と採用を見送ったため導入するのはもっぱら他社オンリー。大手不在では普及が進まず、20年経っても米電話利用人口1100万人のうち自動電話機の利用者は30万人ぽっちにとどまっていました。

ベル経営陣が自動化のよさに目覚めたのは第1次大戦後、交換手の賃金が高騰してから。1919年には新システム導入を決めたのですが、完全自動電話交換システムの第1号が導入されたのはさらに半世紀後の1965年のことでした。

このようにゆっくりと廃業が進んだ電話交換手。ピークには34万2000人いた電話交換手も1960年には25万人に減り、1984年にはたったの4万人に。その勢いで絶滅したかと思いきや。今もアメリカでは6万8000人前後の電話交換手がいて、電話を人力で取り次いでいたりします(米労働省統計)。

1980年代 高給とりのピンボーイも過去のものに

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Image: MAD.vertise (Shutterstock)

昔のボーリング場では、ピンを立てるのも球を拾って返すのも人力だったって知ってました? 名付けて「ピンボーイ」。日本でも最初期のボーリング場では見られた職業で、割と高給だったことが記録されています。

1980年代に機械化が進んで廃業となりましたが、元ピンボーイのRobert Petersonさんが1988年にSports Illustratedに寄稿した記事によると「ひと晩に1500本立てる」のもザラ。人力の頃はビリヤード場より少しハイクラスなイメージもあったのに、機械でガーっとやるようになってすっかり大衆化したと一抹の寂しさを漂わせつつも、「3ゲームシリーズで自動ピンセッターとスピードと作業効率を競わせたら負ける気がしない。自分なら絶対ピンボーイに賭ける」と自信をにじませています。

1989 文字を拾う植字工の作業もデジタル印刷へ

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Image: f o g a a s (Shutterstock)

デジタルになる前は、1884年生まれの植字機の活版印刷が1970年代まで新聞や雑誌を陰で支えていました。欧文のライノタイプでは、キーを打ち込むと1行1行鋳造されて、それを手作業で並べて固めていたのです。使うキーは大文字・小文字・空白・数字を合わせて107個。1文字1文字手作業だったときの毎時250EMSから毎時6000EMSへと大幅にスピードアップしたもののデジタル印刷の速さとコストには敵いませんでした。日本の活版印刷の歴史はこちら

1990 梱包もロボの得意分野なのです

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Image: vectorfusionart (Shutterstock)

コストダウンを図るメーカー各社が1990年代はじめに目をつけたのが梱包マシン。

今の梱包マシンはさらにすごくなっていて、Amazonが2019年に導入したイタリア製のマシンは、商品の寸法を測って段ボールをぴったりサイズに裁断してテープとラベルを貼るところまで全部やってくれます。スピードは人力の4~5倍。

2001 同時多発テロで旅行代理店も失速

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Image: Friends Stock (Shutterstock)

9.11が契機となって航空各社が直接オンラインでデータを公開して予約を受け付けはじめて、旅行者は旅行代理店に手数料を支払う必要がなくなり、1990年代初頭から2015年にかけて実店舗の旅行代理店の数は60%激減しました。

SNSとAirbnbPriceline、Booking.comの登場で旅が変わり、情報集めもネットの口コミやInstagramやTwitter、Facebookなどになって旅行代理店もオンラインに土俵を移しているのが現況です。2023年の最新データ(Statista)を見ると、今やオンライン予約を好む人が全体の72%に達し、旅の予約で旅行代理店を利用する人はたったの12%。

2010 大手レンタルチェーンの倒産でビデオショップ店員が大量に失業

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Image: Adwo (Shutterstock)

最初の会社の立ち上げで忙しくて『アポロ13』の返却が遅れたリード・ヘイスティングが「延滞料高っ!」と頭に来てNetflixを立ち上げていなかったら、今ごろはまだBlockbusterの売り場をウロウロして借りる映画を選んでいたかもしれません。歴史に「IF」はないけれど。

人気の絶頂期には全世界に9,000以上あったBlockbusterは2010年に破産。何千人もの店員さんたちが職を失いました。今もオレゴン州ベンドに1軒だけ細々と残ってますけどね…。創業直後にNetflixを買収しておけば(5000万ドルで買収を検討したこともある)こんなことにはならずに済んだのに…とほほ。