「Clubhouse」がなんか怖いんです、直感的に

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  • author ヤマダユウス型
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「Clubhouse」がなんか怖いんです、直感的に
Image: JLStock / Shutterstock.com

どうということはないことの積み重ねが、引っかかってくるのです。

最近話題の「Clubhouse(クラブハウス)」。SNSで話題になってきたかなと思いきや、地上波ニュースでも何度か取り上げられているようで、ちょっとその浸透スピードに驚いているこの頃。

サービスの内容についてはこちらの記事にゆずるとして、このサービスについて僕はちぃと思うところがあります。まず、僕は「Clubhouse」をやっていません。そして、やりたくありません。なぜなら、なんかこう、空気的に怖いからです

TwitterもLinkdinもPinterestもMastodonもTikTokも、とりあえず登場した新しいサービスには片っ端から手を出してきた僕ですが、どうして「Clubhouse」にはトキめかないのか。少し考えてみました。無論、この記事は「Clubhouse」を批判するものではなく、むしろ楽しめるマインドを持てなかった者のぐぬぬの正当化といいますか。

選ばれし感がしんどい

まず電話番号が必須であることや、退会がしにくい(メールで運営に問い合わせる必要がある)ことなど、節々にユーザーに対しての優しくなさを「Clubhouse」には感じています。

現在の「Clubhouse」は招待制です。Webサービスが乱立するこの時代、あえてユーザーを選抜することで価値体験を高めるやり方は、「先行○○万人だけ遊べるゲームorサービス」などにも通じる部分があり、上手くプレミア感を煽っていると思います。「Clubhouse」のアイコンが大文字のCで、かつ招待制でなく登録制だったなら僕もやっていたでしょう。

でも、「規約違反を犯した場合、そのユーザーだけでなく招待をしたユーザーにも罰則が与えられる」という、連座制のペナルティシステムにはゾワリとしました。サービスの質を高めリテラシーの高いユーザーだけを残すシステムとしては効果的な方法でしょうけど、インターネットがもつ本質的な混沌さと対立する思想です。同じような方法を用いている国やサービスはあるにしても。

全てのユーザーがお行儀よくあることは理想ですが、過去現在の歴史を振り返っても、善性を強制した文化の結末は儚きもの。むしろあえてそこを目指そうとしている柔らかジャイアニズムな姿勢や、選ばれた人だけが関与できる優越感などなど、噛み砕いて表現するなら「Clubhouse」ユーザーであることがステータスになるようなサービス像を形成しているのはお見事としか言いようがありません。サービス的にも、そうした意識の高い音声会話で色々と収集&学習したいのでしょう。


規約の踏み倒しやすさがこわい(今だけだと良いけど…)

規約についても思うところ、あります。規約によるとルーム内での会話は録音してはいけないとなっており、それがアプリ内会話の一期一会プレミア感にも繋がっているのですが、藤田ニコルさんが「Clubhouse」で話した内容が記事化されたってニュースが先日報道された次第。そりゃあ起こり得るでしょうよ、こういうの。例えば、「港区一人暮らし男たちの集い」みたいなルームで深夜に盛り上がって、ついNDAな内容を口走っちゃう起業家さんとか、それを目当てにルームに張り付く記者とか。誰しも言いたいことはあるものですからね。

さらに、アプリ内での会話を画面録画してそのまま動画としてアップしている人もいたり。

インターネット上でのやりとりをクローズにすることって、まぁ不可能ですからねぇ…。だからこそユーザーを絞ったり罰則を強くしたりってことなんでしょうけど、結局はリスクとリターン(情報の内容)になってくるんじゃないかなと。人前で話し慣れているプロの実況者でさえ生放送でポロっと失言してしまうこともあるのに、一般ピーポー大丈夫なのかしら。テーマ次第なのかしら。

ネットでまで現実のように話したいか

「Clubhouse」がバズっている理由に、もちろんコロナ禍も関係しています。「Clubhouseは人と話すことが減った現代において、第三者と繋がることの面白さを再提示した」。なるほど、確かに。僕は友人とルームシェアをしていますが、話し相手がいない一人暮らしや、話す内容が固定化しがちな家族暮らしの場合、どこかの誰かと話すことは刺激的な体験だと思います。ゆえに僕に「Clubhouse」の魅力は今ひとつ伝わらない、と。

「Clubhouse」は、運転中に誰かとおしゃべるできるサービスとして、アメリカで生まれました。長距離運転になりがちなアメリカ、しかもこのご時世だと誰かと一緒にドライブもしにくいですからね。個室性の高いクルマをおしゃべり空間に変えるサービスと言われれば、上手いなーって思いません?

このへんの感覚を理解っているユーザーは、「Clubhouse」をながら聞きorCB無線のように楽しんでいるように見受けられます。ところがどっこい、僕は生声実況も苦手でして。ゆっくり実況やボイスロイド、あるいはすでにながら聞きできるほど市民権を得ている声(声優、芸能人など)なら良いんですけど、そうでもない普通の人のトークは、ぬぁんかこう共感性羞恥に刺さるんですかね、しんどさがあるというか。うぅぅ。

思えば不思議なものですよ。個人の人格や個性を出すことなくコミュニケーションできたのがネット空間の利点(=匿名性)だったのが、今や現実と同じようなコミュニケーションを模索しつつある。「Clubhouse」は会話ベースのSNSですが、その会話スキルが不要だからネットで交流してた人にとっては楽しめないなと。

そもそもオブそもそも、ネットコミュニケーションと音声は相性が良くないように感じます。テキストでの交流は伝えたい内容をいったん整理し、文章として破綻のないかたちに成形して相手の渡します。渡してからは、あとはもう相手がどう捉えるか(リテラシー)次第。これがネット上の音声だけでやりとりする場合、語彙や話し速度、声質、間(ま)などが会話の心地良さを決める要素になり、得意な人とそうでない人のひらきはテキストのそれよりも大きくなると感じます。テキストの場合も得手不得手はあるものの、時間をかけて文章を考えることができるので、リアルタイムに応答を要求する対話よりかはフェアかなと。

調べてみると、「Clubhouse」のルームを語学学習に使ったり、あるテーマについての討論部屋に使ったりなど、複数人で議論できる環境として活用する向きもあるみたいですね。一方で、有名なスピーカーやインフルエンサーの御高説を聞くためのサロンのような環境としても使っているところもあるようで。

こうなると結局、話し上手な人の独壇場になってしまいます(それが心地良いという人もいるとして)。サービスとしては、輪になって話すのも講演会スタイルになるのもどっちでもOKな感じでしょうけど、講演会化してしまうと思想の伝播や商材トークなんて事案も考えられます。報道ステーションでもこのへんを懸念していました。読解力が必要なテキストのコミュニケーションと違い、会話スキルは説き伏せることで相手を自分色にすることもできてしまいますよね。アーカイブ化の心配も(規約を見る限りは)ありませんし。

結局のところ「Clubhouse」を使うなら、話が上手い人や集団には気をつけようってことですかね。え、現実と同じじゃないかって? インターネットは現実だからね、そらそうよ。え、なんでネット上で現実と同じノリでコミュニケーションしなきゃいけないんだって? そういう人たちが少なくないからじゃないですかね(すっとぼけ)。

急速に伸びるものとは適切な距離をとろう

オチとしてはそういうことで、どんなものでも急に流行り始めたものには注意を払おうってことです。

「Clubhouse」に飛びつくことも全否定することもなく、正しく理解して、使うようにしましょう。僕は色々調べた上で「電話番号渡すのやだな」っていう、いにしえの拒否感からやらないことにしました。いずれは招待制もやめるらしいですけどね。

うーん、でも切ないです、我ながら。数年前ならこうした新しいサービスには飛びついていたはずなんですけど、この頃のWebサービスや新興SNSって、どうも実在ベースじゃないですか。TikTokは動画だし、Clubhouseは音声だし、アカウントを通じて中の人が見えるでしょ? でも、きっとそれが良いという人が確実にいるわけで、その潮目が近づいてきてるんだと思います。

なんにせよ、ネットにおいての個人と、その人に関する情報が紐付けられることは、まだまだ危険です。テキストであれ発言であれ、重々気をつけましょう。本当に大事なことは、直接その人に言ってあげるのが一等良いんですから。

っていうかなんで「Clubhouse」なんて名前なんでしょうね。クラブとか怖いですよ。僕がやるならこっちの方が良いな。

210209crabhouse

そうだね、「Crabhouse」だね。非言語、非実在、非人間なコミュニケーション。そうそう、こういうので良いんだよ、ネットなんてのは(実際、会話できずともそこに人がいることを実感できる素敵なアプリだと思う。好き)。