60年間エネルギーを供給しつづけるバッテリーを見て生きる意味を考えてしまった

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    60年間エネルギーを供給しつづけるバッテリーを見て生きる意味を考えてしまった

    長過ぎる時とはなんだろう、なんてさ。

    バッテリー、電池、何で今なのって時に必ず切れてしまいます。大急ぎで作業している時にマウスの電池が切れたり、迷子になった時に限って携帯の充電が切れてみたり、なんとも憎たらしい。ですが、憎たらしさの全くない実に働き者のバッテリーがあったのです。1950年からずーっと切れる事なく働き続けるバッテリー、1950年代からってことは約60年もの間ですよ!

    ルーマニア美術館にあるVasile Karpen氏によって作られた永久運動マシン、何十年も前にその動きを止めているはずなのに今だ現役、しっかりと動いています。マシン内のバッテリーは1950年に作られた時と同じ1ボルトを今も供給しています。

    こんなに長い間バッテリーが保たれているのはどうしてでしょうか? 熱量を変化させてエネルギー源としているという人もいれば、熱量に反してエネルギーを得ているという人も。つまり何がなんだかわかっていなかったのです。が、真相はどうやらこちら。

    このマシンは1950年代に作られたプロトタイプで、2つの繋がったバッテリーが検流計のモーターを動かしています。このモーターでスイッチにくっついている刃を動かします。半回転で回線をつなぎ、また半回転で回線を切る。このスイッチオンオフのための刃の回転時間が実によく計算されているようで、この間にバッテリーは電気を蓄えることができるという仕組みなようです。むむ、難しいな。永遠に動き続けるこの永久運動マシン、見てみたいですねぇ。

    数年前にマサチューセッツ工科大のミュージアムで、機械オイルを自身にかけ続ける動きを繰り返すだけというマシンが展示されているのを見て実に複雑な気持ちになったのを思い出しました。オイルがなければ錆びて動けなくなってしまう、しかしこのマシンの動きはオイルをかけるだけなのです。自身にオイルをかけて錆びないようにするためだけに存在するマシン。このマシンの生まれた意味とはなんだろう。このマシンの存在意義とは実に存在するということだけなのだろうか、終わらない時の中でその時を終わらせないために1つの動きを繰り返すとは、実はとても恐ろしいことだ、とか。

    これまた某ドラマの「人はなぜ死ぬの?」との問いに「人生を意味のあるものにするためだ。」と答えをするシーンも思い出しました。終わるということの安心さとでもいいましょうか。60年間保ち続けるバッテリーの話からなんだかずいぶん考えさせられましたねぇ。

    はぁ、考え過ぎちゃったわ。唐揚げとチョコレートでも食べて一休みしましょ。

    [IBTimes]

    Image Credit: bioconstructii

    そうこ(米版

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