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貧困と脳

2024.12.11 公開 ポスト

文章が読めない、言葉が出てこない…ただの疲れではない「脳性疲労」のリアルな症状鈴木大介(文筆家)

ベストセラー『最貧困女子』などで知られる気鋭の文筆家、鈴木大介さん。脳梗塞の後遺症で高次脳機能障害を抱えたことで、多くの貧困は「脳」に原因があることに気づき、貧困は決して自己責任ではないという確信を深めたといいます。約束を破る、遅刻する、だらしない……そんなイメージで見られがちな貧困当事者の真の姿とは? 鈴木さんによる話題の最新刊『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』より、一部をご紹介します。

*   *   *

いきなり訪れる「異様な感覚」

まず、瑞葉さんの言葉の中でたびたび繰り返されたものに「頭が白くなる」「紅茶にミルクを落としたようになる」と表現された状態がある。

彼女はその状態になると、人の話が聞き取れなくなったり、資料を読んでも意味が頭に入ってこなくなったりすると言ったが、これは「脳性疲労」の症状で間違いないだろう。まずはここから深掘りしてみたい。

「脳の疲れ」は医学的な根拠があるものではないが、発達障害の周辺で「脳が疲れやすい」は大変一般的に語られる特性として知られているし、うつ病の症状としても普遍的に語られる

ちなみに僕の抱える高次脳機能障害でも「易疲労性」(疲れやすさ)の用語で説明され、当事者がせっかく復職や新規就労にたどり着いてもその後に就労継続が困難になる主因が、この症状だ。

御多分に漏れず、発症から9年経つ当事者の僕にとっても、生活上で最も支障をきたす症状のひとつとして残っている。

 

では脳性疲労とは、瑞葉さんの言った「頭が白くなる」とは、当事者にとって具体的にどのように感じられる症状なのか?

翻訳を前に読者にお願いしたいのは「疲労」「疲れ」という言葉にまつわるイメージを一度頭の中で完全にリセットしてほしいということだ。

僕の場合、脳性疲労の状況が訪れると、まず感じるのは猛烈な頭の重怠さだ。唐突に頭が重く真綿で締め付けられたように感じ、後頭部の皮膚がしびれたように感じ、脳の中に濃い霧が降りてきたように感じる。それでも無理に頭を使い続けると、訪れるのは「脳を使うあらゆること」(特に読解、他者との対話)の崩壊だ。

いきなり訪れるこの感覚は、異様としか言いようがない

目の前のパソコンのモニターに表示されたものを読もうとしても、読むべき場所だけを明確に見ることができない。文書であれば、目的の1行を見続けることができずに視線がずれたり目のピントが合わなく感じるし、Excelの表のようなものであれば読むべきセル、記入すべきセルだけに目の焦点を合わせて見続けることが困難になる。

何とか指で読むべき場所を押さえたとしても、書いてある文字が読めない。いや、日本語なのはわかるし単語の意味もわかるが、それが連なった文章としての「意味」が、全く頭に入ってこないのだ。

「疲れる」で想像できる症状ではない

同様に、人の言葉を聞いたとしても、少しでも複雑な内容だったり、論旨のまとまらない話だと、相手が何を伝えたいのかがすぐには理解できなくなり、会話に置いていかれる。こちらの判断を仰がれても、そもそもいまの話題についていけていないし、何とか思考しようとしてもグルグルと無意味な思考が頭を巡るだけ。

自身の言葉も伝えたい単語がなかなか頭に思い浮かばず、思い浮かんだとしても相手に伝わる文として頭の中で組み立てることが難しくて、切れ切れの単語をしどろもどろで連ねることしかできない。

そうこうするうちに、顔の筋肉がこわばったようになり、頬が震え、表情が作れなくなってくる。手や膝に力が入らずフルフルと震えるのを止められず、立っていればしゃがみ込みそうになる。

何とかその状況を立て直そうと頑張れば頑張るほど、焦れば焦るほどに頭は混乱し、霧は濃くなり、読むことも聞き取ることも困難になる。それでも無理に頑張り続ければ、最終的に過換気の発作に陥ってしまうことまであるのだった。

これが、僕の体験している脳性疲労の症状。だが、ここで読者に問いたい。

これは果たして「疲れる」で想像できる症状・状況だろうか?

 

実は僕自身、健常だった頃の脳でこうした体験をしたことは一切なかったから、当事者となった初期の頃にこの症状を体験しても、それが「疲れた」なのだとは、全く認識できなかった

むしろ未経験の症状を前に、「これは脳梗塞の小さな再発ではないか」「別の病気を発症しているのではないか」という恐怖に襲われたし、このままでは死ぬかもしれないとパニックに陥った挙句、出先からしどろもどろの電話で妻に助けを求めて迎えに来てもらったことすらあった。

けれどこれが、「脳が不自由」な状況における、脳の疲れの症状なのだ。

もちろん、僕の経験した高次脳機能障害は脳外傷や脳卒中といった脳神経細胞を損傷するイベントをきっかけに「最も強い症状から始まって徐々に症状が緩和していく」タイプの障害だから、これが瑞葉さんをはじめとするかつての取材対象者たちが訴えたものと全く同じとは言えない。

けれど、たとえ表現は違ったとしても、これはかつての取材対象者たちから何度も聞き取ってきた、共通の訴えに他ならなかった。

*   *   *

Amazonオーディブル『武器になる教養30min.by 幻冬舎新書』の〈鈴木大介と語る「『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』から学ぶ脳と貧困の関わり」〉で著者と編集者の対談も配信中

関連書籍

鈴木大介『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』

自己責任ではない! その貧困は「働けない脳」のせいなのだ。 ベストセラー『最貧困女子』ではあえて書かなかった貧困当事者の真の姿 約束を破る、遅刻する、だらしない――著者が長年取材してきた貧困の当事者には、共通する特徴があった。世間はそれを「サボり」「甘え」と非難する。だが著者は、病気で「高次脳機能障害」になり、どんなに頑張ってもやるべきことが思うようにできないという「生き地獄」を味わう。そして初めて気がついた。彼らもそんな「働けない脳」に苦しみ、貧困に陥っていたのではないかと――。「働けない脳=不自由な脳」の存在に斬り込み、当事者の自責・自罰からの解放と、周囲による支援を訴える。今こそ自己責任論に終止符を!

鈴木大介『最貧困女子』

働く単身女性の3分の1が年収114万円未満。中でも10~20代女性を特に「貧困女子」と呼んでいる。しかし、さらに目も当てられないような地獄でもがき苦しむ女性たちがいる。それが、家族・地域・制度(社会保障制度)という三つの縁をなくし、セックスワーク(売春や性風俗)で日銭を稼ぐしかない「最貧困女子」だ。可視化されにくい彼女らの抱えた苦しみや痛みを、最底辺フィールドワーカーが活写、問題をえぐり出す!

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貧困と脳

約束を破る、遅刻する、だらしない――著者が長年取材してきた貧困の当事者には、共通する特徴があった。世間はそれを「サボり」「甘え」と非難する。だが著者は、病気で「高次脳機能障害」になり、どんなに頑張ってもやるべきことが思うようにできないという「生き地獄」を味わう。そして初めて気がついた。彼らもそんな「働けない脳」に苦しみ、貧困に陥っていたのではないかと――。「働けない脳=不自由な脳」の存在に斬り込み、当事者の自責・自罰からの解放と、周囲による支援を訴える。今こそ自己責任論に終止符を!

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鈴木大介 文筆家

文筆家。子どもや女性、若者の貧困問題をテーマにした取材活動をし、『最貧困女子』(幻冬舎新書)、『ギャングース』(講談社、漫画原作・映画化)、『老人喰い』(ちくま新書、TBS系列にてドラマ化)などを代表作とするルポライターだったが、2015年に脳梗塞を発症。高次脳機能障害の当事者となりつつも執筆活動を継続し、『脳が壊れた』(新潮新書)、『されど愛しきお妻様』(講談社、漫画化)など著書多数。当事者としての代表作は、援助職全般向けの指南書『「脳コワさん」支援ガイド』(医学書院・シリーズケアをひらく・日本医学ジャーナリスト協会賞大賞受賞)。近著に『ネット右翼になった父』(講談社現代新書、キノベス! 2024ランクイン、中央公論新社新書大賞2024第5位)、『貧困と脳』(幻冬舎新書)など。

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