1999年11月6日(土)
“放送禁止歌”という呼称は恐らく誰もが一度は耳にしたことがあるはずだ。
テレビやラジオなどマスメディアの電波には乗せられない曲、そこから想い起こすのは猥褻な歌であったり、差別用語を使っていたり、特定の組織や個人を誹謗中傷しているといったイメージかも知れない。
かつてフォークソングが時代の花形だった1960~1970年代には体制を批判したり、揶揄したりする数々のプロテストソングが生まれ、“放送禁止歌”の烙印を押され、いつの間にか闇へと消えていった。そう、あの数々の歌は一体どこにいってしまったのだろうか?
この番組では闇に葬りさられた“放送禁止歌”を様々な角度から徹底取材し、規制の背後に隠されたニッポン及び日本人の本質に迫る。
岡林信康の『手紙』という曲をご存知だろうか? 同和問題を扱ったこの曲は折角レコーディングされたにも関わらず、放送では決して流れることのなかった“放送禁止歌”の大本命とも言うべき曲だ。この他にも高倉 健が唄う『網走番外地』、なぎらけんいちの『悲惨な戦い』、高田 渡の『自衛隊に入ろう』、フォーククルセーダーズの名曲『イムジン河』などが様々な理由から“放送禁止歌”の烙印を押され、闇へと葬り去られてきた。ちょっと驚くかも知れないが、実はピンクレディーや北島三郎の持ち歌にも“放送禁止歌”は存在していたという。
番組を取材した森 達也ディレクターは「現在はメディアがタブーを醸成する時代であるとも言われています。こうした“放送禁止歌”にはまさに時代のタブーが集約されているはずで、その歴史的変遷を追えばきっと日本の戦後が新たな視点から見えるのではないだろうか?そんな想いからこの番組の取材を始めました」と番組を企画した動機について話す。
そして、取材を始めると昭和40年代に規制された曲が今だに規制の対象になっているという事実に気づく。だが、不思議なことに“放送禁止歌”を検証しようとしても規制している主体がなかなか見つからないというのだ。規制をしているのは一体誰なのだろうか・・・? そして、そんな疑問符を解くべく様々な人や場所を取材する過程で思いもよらなかった規制の本質が少しずつ姿を現し始めた。これらの放送禁止歌の背景には日本人が抱える極めて典型的なメンタリティーが隠されていたのだ・・・。
森 達也ディレクターは「タブーにはきっと本質が隠されている。そんな発想がこの企画のそもそもの始まりですが、ヘアヌードを例に出すまでもなく、タブーは時代によって変遷します。ならば、放送禁止歌の系譜を辿ることで時代の隠された本質が露呈するのではないか、そんな想いで取材を続けていると、なぜかメディアの放送禁止歌への扱いは昔も今もほとんど変わっていないことに気づきました。変わらない理由は何なのか、一体誰が今も規制を続けているのか、この疑問符に対しての答えを最後に見つけました。その答えは・・・・・番組の中でご覧下さい」と意味深に話している。
なお番組では、局内での調整を経て、これまで封印されていた“放送禁止歌”の数々をあえて電波に乗せることにした。実際に歌を聞いてもらうことで、規制することの意味を改めて問いかけることが狙いだ。
“放送禁止歌”の様々な角度から検証し、日本人の本質に迫る。
『スキンシップ・ブルース』 |
『SOS』(昭和51年発売) |
『イムジン河』(昭和42年発売) |
『傷痍軍人の歌』 |
『自衛隊に入ろう』 |
『ブンガチャ節』(昭和37年発売) |
『悲惨な戦い』(昭和48年発売) |
『竹田の子守唄』 |
『網走番外地』(昭和40年発売) |
『支那の夜』 |
『放送禁止歌』(昭和47年発売) |
『手紙』(昭和45年発売) |