2024年8月15日で終戦から79年を迎えた中、戦争を直接知る世代は減少している。戦争記憶の継承に心血を注ぐ、広島の原爆被爆者の男性と被爆2世で初の被爆者の全国組織で代表理事となった女性を取材した。

語り部…亡くなった仲間たちへの償い

島根・松江市に住む小林一男さん、94歳。上官から突然「特攻」の意思確認をされたのは、陸軍の特別幹部候補生に志願し、訓練に励んでいた15歳の時だ。

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広島原爆の被爆者・小林一男さん:
「お前はもし特攻隊に行けと言われたら行くか」と、いきなり質問された私はびっくりして、とっさに「私は行く気がない」とか言ってしまって…。

質問の真意は今でもわからないということだが、その後、1945年7月に陸軍船舶司令部の通信部隊があった広島市へ配属された。

そして8月6日、爆心地から1.5kmほど離れた広島市千田町で被爆。朝礼に参加していた時だった。

広島原爆の被爆者・小林一男さん:
“赤い球”が降ってきた。すると同時に爆風。被っていた帽子が半分焼け焦げて、それから着ていた半袖シャツも左半分なくなって、焼けて吹っ飛んでいた。

少しでも安全な場所へと、小林さんは集合命令に背き、仲間5人と避難できる壕(ごう)を目指し歩き始めたという。しかし…。

広島原爆の被爆者・小林一男さん:
1人、2人と落後(らくご)していってしまってね。最後に一番仲の良かったのと2人になって、途中で歩けなくなって、「どうにもならないからとにかく一緒に行こう」と、でも「もうだめだ」と言われて。足をやられていたんです。誰もが、当時は半袖、半ズボン、足をやけどしている。私はその時、たまたま幸か不幸かズボンの洗濯が間に合わなくて、履くものがなくて、長いズボンを履いて朝礼に出ていた。

命運を分けたのは、洗濯が間に合わず履いた冬用の長ズボン。やけどを免れた足で、1人歩き続けたという。

小林さんは、今や県内でも数少ない語り部(べ)として、子どもたちに被爆体験を伝えているが、その根底には、亡くなった仲間たちへの償いの気持ちもあるとしている。

広島原爆の被爆者・小林一男さん:
見捨てていってしまったこともあるし、運よく自分は助かったが、あとのみんなは亡くなってしまって、このままにしてはいけないと。それが一番語り部になった気持ちですかね。今年いっぱいくらいが限界でしょうかね。来年になるとやれるかわからない。とにかくやれるだけはやっていかないといけない。

被爆者も2世も、共につなぐ記憶

8月6日、小林さんをはじめ、島根県内に住む6人の被爆者の体験が、広島原爆の日に合わせて松江市で開催されたパネル展「原爆と人間展」で公開された。

島根県原爆被爆者協議会が被爆者の証言を集めた「原爆と人間展」の展示
島根県原爆被爆者協議会が被爆者の証言を集めた「原爆と人間展」の展示

訪れた人は、「この中で生きられたことがすごいと思う。言葉にできない」と涙をぬぐっていた。

島根県は被爆者の平均年齢が91.17歳と全国で最も高い。2023年度も1年間で60人以上が亡くなった中、県の原爆被爆者協議会が被爆者の証言を未来に残そうと、2022年からこうしたパネル展などで紹介している。

“少しでも戦争や被爆の記憶を後世へ伝えよう”と精力的に活動する本間恵美子さん(74)は、被爆2世だ。島根県原爆被爆者協議会の会長を務めている。

当時広島市内に住んでいた母の淳(あつ)さんが、原爆が広島に投下された後、爆心地に入り被爆したという。

写真は本間さんの母・淳さん
写真は本間さんの母・淳さん

島根県原爆被爆者協議会・本間恵美子会長:
(母は)本当に詳しいことは言わなくて、1回「どうだったの?」と聞いたら「すごかったよ」の一言でした。他には何も言わなかった。思い出したくなかったのではと思います。

2024年6月、本間さんは原爆被爆者の全国組織「日本被団協」で、ブロックごとに選出される12人の代表理事の1人に選ばれた。被爆2世が代表理事になるのは初めてのことだ。

「体験した人たちの思いをどうつないでいくか、引き継いでいくかが非常に難しいところだが、途絶えさせてはならない」と本間さんは話す。

島根県原爆被爆者協議会・本間恵美子会長:
ちょうど今が過渡期なんです。まだ被爆2世には渡さないという思いは、元気な方はあると思う。「私は2世だから」、「被爆者だから」ということではなく、思いは同じなので、同じようにやっていく。

「平和の尊さを見つめ直してほしい」

8月12日、松江市で開かれた勉強会。定期的に地区の住民が集まり、地域の歴史を学ぶ集会だが、この会の責任者も務める本間さんが終戦の日を前に選んだテーマは、太平洋戦争末期の沖縄戦だ。

本土決戦に備える時間稼ぎとも言える日本軍の徹底抗戦で、民間人の死者は約10万人にものぼった。中にはテーマを聞いて初めて勉強会に参加することを決めた若い世代もいた。

初めて参加したという29歳の男性は「中東とかウクライナとかでは戦争が収まっていないので、いかに戦争を止めることができるかが問われていると思う」と語った。

今も世界各地で起こる紛争で、罪のない人たちが命を奪われている。2025年で戦後80年という節目も控える中、本間さんは改めて平和の尊さを見つめ直してほしいと話す。

島根県原爆被爆者協議会・本間恵美子会長:
原爆に限らず、戦争というものが決して人を幸せにするものではないというのは確か。私自身も戦争を知らない戦後生まれだが、そういう時代が日本にもあったということは、きちんとおさえていかないといけないと思っている。そういう今の私たちの幸せが、(戦時中に亡くなった)皆さんの犠牲の上になっていることを知っていかないといけない。

(TSKさんいん中央テレビ)

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