“殺人アリ”と世間を騒がせた猛毒のある「ヒアリ」や、住居などへ大量に入り込む「アルゼンチンアリ」を撃退する“特効薬”となりそうな成分が見つかった。
その成分は、日本のほとんどの場所で普通に見られる「クロオオアリ」のフェロモンだという。
「ヒアリ」と「アルゼンチンアリ」はどちらも南米原産で、輸入物資に紛れて日本に侵入してきたと考えられている。
1993年頃に初めて日本で見つかった「アルゼンチンアリ」は体長2.5mm程度。繁殖力が強く、家屋などに入り込んで日常生活に著しい障害をもたらす。最初は港などの周辺で見られたが、物流とともに分布が拡大し、神奈川、愛知、京都、大阪などにも侵入しているという。
一方「ヒアリ」は2017年にはじめて確認され、働きアリの体長は2.5~6mm程度。スズメバチと同じくらい強力な毒をもつことから“殺人アリ”などと大きく報じられた。環境省によるとこれ以降、18都道府県で90事例が確認されているが、定着には至っていない。
どちらのアリも人の生命や体、生態系や農作物に被害を及ぼす特定外来生物に指定されており、アルゼンチンアリ対策は基本的に殺虫剤が使われているという。
一方のクロオオアリは、北海道、本州、四国、九州などに分布し、道路などで普通に見かける7~12mmほどの大きくて黒いアリだ。
なお、奈良女子大学などのチームが今回の研究で見つけた成分に殺虫作用はない。この成分は在来種・クロオオアリのフェロモンに含まれる「(Z)-9-トリコセン」で、アルゼンチンアリの触覚が触れた瞬間、後ろへ大きく飛び退き、必死に逃げ出すことを発見したのだ。
同じ実験をクロオオアリや他の在来アリに行っても、このような忌避行動は見られなかったという。
「(Z)-9-トリコセン」とは日本の在来種であるクロオオアリが体表に分泌している成分で、もともとは敵・味方識別フェロモンとして使われている。この成分を10段階の量に分けてガラス棒に塗り、アルゼンチンアリやヒアリの触覚に触れたところ、特にアルゼンチンアリでは50マイクログラム(100万分の50g)で、ほとんどが忌避行動をしたという。
この時のアリの脳内では、敵の匂いの情報を処理する部分が広く活動しており、このことから目の前に強大な敵がいるかのように勘違い(“仮想敵”効果)していると考えられるそうだ。
研究チームは、この「(Z)-9-トリコセン」を使って、アルゼンチンアリやヒアリが入ってこられない“バリア”を作る事ができるとして「再侵入を繰り返すアリとの消耗戦に終止符を打つことができる」と予想している。
「とにかくやってみましょう」と始めて発見
日本にいるアリのフェロモンに、外来アリが逃げ出す効果があるとはなんとも意外な気がする。自然界ではどちらが強いのだろうか?そして実用化までの道のりは?
奈良女子大学大和・紀伊半島学研究所の尾崎まみこ協力研究員に聞いてみた。
――そもそもアリのフェロモンを調べ始めたきっかけは?
私が大学の先生になった時に、上司の教授がアリのとてもユニークな研究をしてられたんです。アリはいろんなフェロモンを使って、仲間を寄せたり、協力したり、喧嘩したり、逃げ出したりするんですが、それを上手に使って例えばアリに小さな祇園祭りの鉾を引かせたり、運動会の綱引きをさせたり、サッカーをさせたりしてたんです。(笑) それを目の当たりにして、アリのフェロモンの研究のお手伝いを始めたんです。
――アルゼンチンアリがクロオオアリのフェロモンを嫌うことは想定していた?
これは想定して始めた実験ではないんですね。フェロモンは私が研究していたキーワードなので、とにかくやってみましょうと。そしたら、効いたからよかったなっていうことなんです。
――反応を見つけた経緯は?
クロオオアリをお風呂に入れるんですよ。元が体臭、体の表面に出してる匂いなので、クロオオアリをお風呂(有機溶媒)に入れて浮き出てきたニオイのもとをいっぱい集めて濃縮して、アルゼンチンアリにけしかけたんですよ。
例えば、AさんとBさんの家族をいっぱい捕まえて、お風呂に入れて、それぞれの湯垢が浮いたようなやつを濃縮して自分の仲間に垂らしても、「あ、この匂いは慣れてる」という感じで、でも相手の家族に垂らしたら「げっ」って思いますよね。
捕まえるのも、ちっちゃいアリよりクロオオアリの方がやりやすいし、第一、間違った種類が混ざってしまったら実験が成り立たないので、自分がよく知ってるクロオオアリを使ったんです。
――アルゼンチンアリの反応を見た感想は?
普通は、目が前についているので、前に進んで、回り込んで逃げるのが普通なんですけど、そんな考える間もなく飛び退いたでしょ。あれはびっくりしました。
自然界では、アルゼンチンアリがクロオオアリより優勢
――クロオオアリは本当にどこにもいる?
多分あなたも出会っていますよ。どこにでもいて極めて温厚。アリは行列を作るというのが幼稚園の頃からの常識かもしれませんが、あんまり行列作らないアリでね。
ただ頭が大きいから、噛まれると痛くて子どもは泣くことになるかもしれないけど、毒とか痒みとかはありません。クロオオアリは深い巣をつくって、いくら巣が大きくなっても女王アリは1匹なんですね。
――クロオオアリより、アルゼンチンアリやヒアリのほうが強い?
クロオオアリがアルゼンチンと出会った時は、もうめっちゃくちゃにやっつけられるんです。大っきいくせにやられて、殺されて、アルゼンチンアリの方が優勢になって、在来アリが1匹も住まない寂しい生態系になっちゃうんです。
ヒアリは100%想像ですが絶対強いでしょう。日本にヒアリは定着してないことになっていて、私が第2のフィールドにしている台湾の桃園国際空港がある地域にはヒアリがいっぱいいます。
だけどヒアリを持って帰るのはいけないし、クロオオアリを持っていくのもいけないので、ヒアリとクロオオアリが対峙したところは見たことがありません。
でもヒアリはもう「うわっ」て出てきて集団で相手を攻撃するんですね。間違って巣を踏み抜いたら何匹も足に上がってきて服の中から体中を噛みまくるから大変。そんなもんがクロオオアリに襲いかかってきたら勝ち目はないと思うんです。
現在のアリ対策と実用化は?
――現在、アルゼンチンアリの対策はどうなっている?
今のアルゼンチンアリ対策は、もう毒(殺虫剤)を撒くだけです。アルゼンチンアリのいるところに住んでいる方は、炊飯器をセットしていたら白いご飯ではなく真っ黒なアリだけになっていたとか、お風呂に入ろうとジェットバスのスイッチを入れたらアリが飛び出してきたとか、もういやになるほど被害に会われていています。
そういう地区では、1か月に2回、5メートルごとに毒薬を置いているんですが、10何年やってもまだ根絶宣言できていません。一旦対策を辞めると、またどっかから入ってくるんです。
――そんな迷惑アリを駆除できる?
人間が住んでるところにはフェロモンを使って、そうではないところは短い期間に集中して殺虫剤を撒いて、そういう使い方がどこかで試せるといいと思っています。
――このフェロモンは人間に害はない?
ないですね。
――フェロモンがあるところはアルゼンチンアリやヒアリが通らないということ?
ゴキブリ捕獲シートのような粘着トラップの周囲に この成分を塗りつけて、入ってきたアリがいたらペタッとひっつくという試験をしたんですけど、2週間ほっといて塗った方には1匹も入ってなかったんです。点々と見えるのはゴミです。
――実用化までの道のりは?
まずは実用化できるような企業や行政とかと話し合い、産官学のコミュニケーションをスムーズにしていかなければならないですね。またコロナ禍と平和が落ち着いたら是非ヒアリを研究するため台湾にも行きたいです。
実はこの「(Z)-9-トリコセン」、アリから取るだけでなく科学的にも合成していたのだが、その後、薬品会社から科学者が使う試薬として販売されていることがわかったそうだ。
ただし、クロオオアリのフェロモンに含まれていることや、ヒアリやアルゼンチンアリが嫌がることは今まで全く分かっておらず、今回の研究で初めて明らかになったとのことだ。