そのほか様々な縁で「なつぞら」と結ばれていたことはインタビューの前編を読んでいただくとして、じつは佐藤さん、それ以外にも朝ドラと縁があった。「あさが来た」のヒロインのモデルである広岡浅子のアニメCMが世界名作劇場ぽいと話題になったことがあることを覚えている人もいるだろう。このCMを作ったのが佐藤さんだった。インタビュー後編ではCM制作の裏話やジブリでの経験など、佐藤さんのアニメ人生を聞いてみた。
(前編はこちら)
東映、日本アニメーション、ジブリ
──佐藤さんと絵の出会いはいつ頃ですか。
「小学校の低学年の頃から……幼稚園だったかもしれませんが、白黒の『狼少年ケン』(63年)や『魔法使いサリー』(66年)が白黒からカラーになったものを見て真似して描いていたんです。それを学校にもっていてすごいねって褒められた覚えがあります。ほかにも『鉄人28号』(60年)や『鉄腕アトム』(63年)も描いていました。美術や図工の成績も良いほうでした」
──アニメを仕事にしようと意識したきっかけは。
「やっぱり『アルプスの少女ハイジ』(74年)です。
──それでアニメスタジオに就職された?
「アニメーターに興味はあったけれど、なるきっかけがわからなかったところ、『アニメージュ』創刊号に月岡貞夫さんと大工原章さんによるアニメの学校──いまでいう専門学校のようなものですね──の募集が載っていたんですよ。それに応募して試験が受けて大工原さんのクラスに入りました。一年間通った後、スタジオカーペンターという東映動画が100%出資でつくった子会社に入りました。カーペンターは“大工”原さんの名前からとっていて。
──そのときの入社試験に“杭打ち”動画もあったんですか(詳細は前編ご参照ください)。
「それとあといくつか課題がありました。花瓶か花のデッサンもあったと記憶します。それと、積み木の飛行機の絵が一枚描いてあって、それが動いているところを上からカメラが撮っているとして、ほかの位置に映ったときの絵を描きなさいという課題。あとは、森さんの書いた文章があって。男の子が犬に追われて慌てて逃げたすえ電柱にのぼるというような……正しい文章はもう覚えてないんですが、そういう文章に合った絵を描くということをやった覚えがあります。なんにしても新鮮でしたね。カーペンターで描いていた絵と全然違うもので、僕はこちらのほうが性に合っていると感じました」
──当時、森康二さんの存在を知っていたんですか?
「いまみたいに情報がたくさんあったわけじゃないから、アニメの絵を誰が描いているかは知らなかったです。『長靴をはいた猫』(69年)の絵が森さんだったことを知らなくて、日本アニメーションに入って、あのキャラクターを森さんがつくったんですか! と驚くという失礼さで(笑)。『狼少年ケン』だって、あとから月岡さんがやったことを知りました。
──『アニメージュ』が創刊されてようやくアニメのスタッフが注目されるようになっていくんですね。やがて佐藤さんは日本アニメーションからジブリに入られます。そこで森さんから聞いていた高畑勲さんの厳しさを体験されるんですか(前編ご参照ください)。
「高畑さんの要求に沿うようにヒルダを描くことが難しいという話は聞いていたけれど、具体的にどういうことかわかってなかったですし、実際、ジブリに移っても、高畑さんの作品は『おもひでぽろぽろ』(91年)しかやっていないうえ、それは近藤喜文さんの手伝いだったから、高畑さんから直接なにか言われることはなかったです。近藤さんはいろいろあったかもしれませんが。ぼくは宮崎駿さんと仕事したことのほうが多いですね」
──『おもひでぽろぽろ』で主人公が朝ドラの『おはなはん』のテーマ曲に乗って空に上っていくシーンがありますが、ちょうど時代が66年で『おはなはん』を放送していたときの話とはいえ、なぜ『おはなはん』だったのかご存知ないですか?
「それは僕はわからないなあ。眼の前の近藤さんの手伝いで追われていて全然そこまで気が回っていませんでした。近藤さんか高畑さんに聞かないとわからないと思います」
──おふたりとも亡くなってしまったのでもう聞けないですね(アニメージュロマンアルバムによると、“テーマ曲を編曲して使用。音合わせをしてみると偶然にも曲の終わりと、シーンの終わりがぴったりあったという”とある)
「あの場面は近藤さんが作画監督です。『トトロ』は宮崎さんがチェックしたものをすべて僕が見ていますが、『おもひでぽろぽろ』には三人の作監がいて、完全に分業していました」
──佐藤さんは『おもひでぽろぽろ』のどこをやりましたか。
「主人公が車に乗っているところが多かったです。
──なにげないながら細かい動きが必要なところですね。
「僕は近藤さんの助手みたいなものだったから、近藤さんが大変なところを手伝いました。僕のところには高畑さんではなく近藤さんからカットが来てそれを直してくださいって、そういう感じでやったんです」
世界名作劇場×朝ドラ?
──佐藤さんと朝ドラつながりはもうひとつあって。大同生命のCMは「あさが来た」(15年)のヒロインのモデルになった広岡浅子のアニメCM化です。あれを作られたときの思い出はありますか。
「お仕事で来たとき、朝ドラがあることを知らなかったんですよ。あとから朝ドラでやっていることを知ったんです」
この件はまず制作したトラッシュスタジオの釘宮陽一郎さんが代わって回答してくれた。
「最初、大同生命さんから創始者の一人・広岡浅子さんの功績を描くCMを佐藤好春さんのキャラクターでアニメを作れないかという話が来たのは、朝ドラがはじまる7ヶ月くらい前でした。その時は、広岡浅子さんがモデルのNHKの朝ドラ『あさが来た』が始まることは知らされてはいなかったんです。大同生命さんとしては、創始者のCMを作りたいのだけど、実写では朝ドラとイメージがかぶる可能性があるので、何かいい方法はないかと考えて、アニメという手法を選んでいただいたのだと思っています。制作をはじめたときは、資料がまったくなかったので、当時の写真を大同生命さんからお借りしたり、古本屋や図書館で明治時代初期の写真集や本を集めて検証したりしました。また、テレビドラマの時代考証をやっている方に監修をお願いしたりもしました」
佐藤「アニメCMではそんなに長い時間出てきませんが、当時の炭鉱の建物も細かいチェックが入りました。
──キャラの顔が波瑠さんと似ているように思ったのは偶然だったんですね。
「雰囲気が似ているのは、まったく偶然です。創始者のイメージを大同生命さんからいろいろお聞きして想像して描いていただけです」
──創始者をモデルに絵を描いた佐藤さんと、創始者をモデルに演じた波瑠さん。創始者の本質をおふたりが同じように感じ取ったのかもしれないですね。
「そういっていただけるとありがたいですね。広岡浅子さんは志の高い方なので凛とした表情を描くということには気を使いました。実際CMの中で、媚びたような笑顔はありません」
──あのアニメのCMが流れたとき、朝ドラが「ハイジ」や「赤毛のアン」などのシリーズ・日本アニメーションの世界名作劇場のようになったみたいだと話題になりました(注:朝ドラはあくまで広岡浅子さんをモデルにしたドラマでCMとは別物)。私たちが感じる日本アニメっぽさ、世界名作劇場っぽさというのはなんだと思いますか。
「いわゆる“生活演技”を描くことですよね。その礎を作ったのは宮崎駿さんや高畑勲さんだと思います。
──生活演技とは、食事をしたり、労働したり、歩いたり、走ったり日常の動作を描くことですか。
「アクションを描きたい人と、生活演技を描きたい人に分かれるんですよ。東映がアクション、生活演技の日本アニメ−ション、ジブリはアクションと生活演技が混ざっている……簡単に分けるとそういうふうです。生活演技は原画や動画の枚数を使うんですよ。だから劇場作品だとやれてもTVシリーズではなかなかできません。世界名作劇場で一年間にわたる生活演技のアニメを作っていたことは贅沢だったんです。一話で七千枚くらい作画枚数を使っていましたから(通常はその半分の三、四千枚ほど)。アクションは省略の技法を使うこともできますが、本格的にやろうと思ったら『未来少年コナン』(78年)みたいになってそれはそれで大変なんです」
──佐藤さんが、世界名作劇場のような雰囲気で作っているパンのCM(九州の製パンメーカーフランソアの「スローブレッド」)が好きなんですよ。生活演技なんでしょうけど、キャラクターの走り方に独特の俊敏さがあって気持ち良い。それこそ子どものときに見たアニメの動きの気持ちよさを思い出します。
「“宮崎走り”なんていうものもあって、動きにはアニメーターの個性が出ます。アニメーターは役者であると言うけれど、人間とまったく同じに描いてもつまらないですよね。それなら実写でやればいいことだから。アニメーターは、実際の人間の動きを観察し再現しつつ、アニメだったらどうするかってことを考える必要があるんです。だからこそアニメーターもいろんな個性があったほうが助かるし、その個性を監督が知って適材適所で使うと豊かなものができます。『トトロ』のときの宮崎さんはそういうことをやっていました。これからのアニメももっとアニメーターの個性を大事にしていく時代が来るかもしれませんね」
──ところで、佐藤さんはなにか運動していたんですか。
「運動はそんなにしてないですがテレビの影響で、『おれは男だ!』(71年)を見て剣道部に入りました。一年頑張りましたよ。あとは『サインはV』(69年)を見てバレーボールも一年間。そこでは走ったりうさぎ跳びしたりしましたよ(笑)。高校に入ったら漫画研究部で絵、一筋でしたね」
──やっぱりふだんから動きを観察しているのですか。
「同期にうまいやつがいると自分も刺激されてもっとうまく描きたいと思うので、そういうとき、なんとなく周囲の人を見ていて、こんなポーズ面白いなって思ったら記憶しますね。そのときだけですが、なんとなく頭のなかで原画何枚かなって考えます(笑)。なかにはアニメーターから演出家になっていく方もいますが、僕はアニメーターとして役者としてこれからも絵を描いていきたいです」
インタビュー中、身振り手振りを加えてお話してくれた佐藤さん。写真に撮るとひとつひとつの動きが決まっていて、自分がどう動いているかわかっているんだなと思った。わかっているからこそ絵にも描けるのだと思う。
俳優でも漫画を描くのがうまい人がいる。朝ドラ出演俳優だけでも、「あまちゃん」に出ていた松尾スズキさんは漫画家だったし、「半分、青い。」に出ていた河井克夫さんも漫画家をやりながら俳優もやっている。「ひらり」でお茶の間の人気を得た渡辺いっけいさんは漫画家志望だった。必ずしもそうとは限らないが、絵と俳優の演技は親和性があることを今回の佐藤さんの取材で確信した。
(取材・文 木俣冬)
(協力 ササユリスタジオ)
Yoshiharu Sato
1958年生まれ。スタジオカーペンターを経て日本アニメーションに入社。その後、ジブリで『おもいでぽろぽろ』『となりのトトロ』などの作画監督をつとめ、再び日本アニメーションへ。『愛少女ポリアンナ』『ロミオの青い空』などのキャラクターデザイナー、作画監督をつとめる。著書にに「佐藤好春と考えるキャラクターとアニメの描き方」がある。九州の製パンメーカーフランソアの「スローブレッド」のCMのアニメなども手がけている。
連続テレビ小説「なつぞら」
◯NHK総合 月~土 朝8時~、再放送 午後0時45分~
◯BSプレミアム 月~土 あさ7時30分~ 再放送 午後11時30分~
◯1週間まとめ放送 土曜9時30分~