中学生の野球大会開会式で始球式を行ったタレントの稲村亜美さんが、グラウンドで球児の集団から“襲撃を受ける事件”があり、運営側の対応や一部マスコミの報道が炎上しています。
インターネット上で実際の映像を見た人もいると思いますが、群衆がジリジリと稲村さんに詰め寄り、一気に押し寄せる様子は非常に恐ろしい光景です。
今回は先に結論から述べてしまいますが、この事件は女性への暴力が止まない日本の縮図だと思います。以下のように、中学生自身、大会運営側、芸能事務所、マスメディアのいずれの点においても、女性への暴力に抑止が働いていないわけです。
(1)男子への性教育が崩壊していて、女性への暴力を行うことに歯止めが効かなかった男子がたくさんいる。
(2)重大な事件が起こったにもかかわらず、運営側は大会続行の意思決定をする=女性への暴力の加害性を過小評価している。
(3)芸能事務所が所属する稲村さんの人権や尊厳を守るために毅然とした態度を取ったようには見えない。
(4)マスコミは稲村さんが不問にした対応を「神対応」と表現し、女性への暴力被害を告発しにくい社会を幇助している。
男子への性教育が崩壊している
まず、実際の映像を見て、女性への暴力をいとも簡単に行ってしまう状況にいる日本の男子中学生が、これほどまでに多いという事実をまざまざと見せられて、青ざめた人も多いと思います。
このような“暴動”が起こってしまったのは、やはり「同意なき身体的接触=暴力かつ人権侵害だから悪いこと」という教育が徹底されていないからでしょう。「マナー違反だからやっちゃダメ」程度にしか捉えられていないため、全体でマナーのタガが外れたことで、「みんなでやると悪くない」になってしまったのだと思います。
これは決して教育関係者だけの問題ではありません。男性による女性への暴力が「いたずら」「やんちゃ」と過小評価される社会です。セクハラ等もそれを規制する特別な法律は存在せず、世界各国と比べて対策が甘過ぎます。
「男子中学生は“性欲の塊”なのに、アイドルを投入するほうがおかしい」と指摘する人もいましたが、それは全然違います。性欲とは相手の同意があった上で性的なコミュニケーションをしたい欲求であって、相手の同意なくとも接触したいのなら、それは「加害欲の塊」です。また、「稲村さんの服装が問題だった」と指摘する人もいましたが、服装は全く関係ありません。どのような格好をしていようとも、襲うほうが100%悪いのです。
なお、私は中学高校での性教育講演の仕事がピークを迎えている時期なのですが、「男子はオオカミだから(女の子を襲いたくなっちゃうのも仕方ないよね)」みたいな大人の言説を聞いたら、「男というのはそんな暴力的な存在じゃない!」と言えるようになってほしいと伝えています。焼け石に水かもしれないですが、どうか稲村亜美さんを襲った人たちのようには絶対にならないでほしいです。
むしろ本来は女子のためだけではなく、男子の人生のためにも、このような「加害予防教育」を全国で徹底してやるべきでしょう。それもスポットではなく、日常から親や学校が一緒になってしっかりと叩き込んで行く必要があると思います。
運営の大人たちは加害者を甘やかしている
次に、今回最も問題だと思うのが、運営側(日本リトルシニア中学硬式野球協会関東連盟)の事後対応です。既に連盟はお詫びの文章をHPに掲載していますが、これを読んでも自分たちの問題を理解しているとは思えませんでした。というのも、まるで「事前検討」が不十分だったことが炎上の原因かのように書かれているからです。
ですが、今回は事前対応(たとえば警備員の配置等)以上に、事件が起きた後も大会続行の意思決定をしたことや、重大事件なのに炎上するまで公式謝罪なしという事後対応の酷さが批判を浴びているのだと思います。
たとえば、選手が飲酒や喫煙を行ったのなら、チーム全体が参加停止処分になることでしょう。それなのに、集団による女性への暴力というケースでは平然と大会を続行したわけで、それは運営が飲酒や喫煙という他者の直接的な加害ではない行為よりも、女性への暴力の重大性と加害性を軽く見ていることの証左です。
本来“襲撃”に加わった子供たちに自分たちの行った「事の重大さ」を分からせるために、大会は即座に中止するべきでした。それなのに、続行したということは子供たちに対して「あなたたちのしたことはそれほど問題のあることではないですよ」というメッセージを伝えていることと同義です。
先の謝罪文では選手の教育を徹底して猛省を促す旨を宣言していますが、女性への暴力の加害性を甘く見た対応をしてしまう大人たちに、いったい何が教えられるのだろうという疑念しか湧きません。子供は大人を映す鏡です。一番変わらなければならないのは運営の大人たち自身なのを分かっているのでしょうか?
マスコミの“神対応称賛”はセカンドレイプです
最後に、マスコミの報道も本当に酷いものでした。私は炎上する前にTwitterのフォロワーさんから“通報”を受けたので、ネットでニュースを漁ってみたのですが、始球式に稲村さんが登場した様子を伝えながらも、“襲撃事件”については何も触れていない記事しかありませんでした。
炎上が起こった後には“襲撃事件”について言及するメディアも出てきましたが、その扱い方が最悪です。とりわけ、稲村亜美さんがSNSで「大丈夫」と発信したことに対して、マスコミ各社がもろ手を挙げて称賛を送ります。
たとえば、スポーツ報知の記事は見出しに「神対応」と表記。Business Journal(株式会社サイゾー)の記事も、「心配の声を一蹴。プロっぷりを見せつけていた」と締めくくる。
ですが、女性への暴力を自ら不問に付して告発しないことは神対応ではありません。大人の対応でもありません。プロでも何でもありません。ファンや顧客への「神対応」も問題だと思いますが、相手はもはや顧客ですらないただの加害者です。本来、稲村さんや所属事務所が取って称賛されるべき行動は毅然とした「法的対応」です。
一方、世界で絶大な人気を誇るアメリカのシンガーソングライター、テイラー・スウィフト氏は、性暴力被害に遭って「賠償金1ドル」の裁判を起こし、見事2017年に勝訴をもぎ取り称賛されました。戦う被害者が称賛される国と、戦わない被害者が称賛される国。いかに日本のマスコミ各社に人権の概念がない人が多いか強烈に感じる比較でしょう。
もちろん告発しなかった稲村さんが悪いわけではありません。ですが、被害者が自分の人権や人としての尊厳を放棄することを第3者が「神対応」ともてはやすことは、「加害者にとって都合の良い告発しない女性」を賛美していることであり、人権や尊厳を守るためにしっかりと告発する人たちを「塩対応」と蔑んでいることの裏返しです。ですから、告発放棄の「もてはやし」は、ある種のセカンドレイプなのです。
このような各種報道を見て、改めて日本における女性への暴力被害がどれだけ黙らされているのだろうと想像することは難しくありません。
「神対応」こそ日本文化の闇だと思う
これは女性への暴力に限らず、日本の様々な問題に広く蔓延る文化的問題です。
たとえば、仕事や自分の好きなことを放棄して子育てに自分の人生全てを捧げる母親が「(子への)神対応」になるのも、夜遅くまで残業することや急な転勤命令も厭わない労働者がブラック企業の上司や人事から「(企業への)神対応」だと評価されるのも根っこは一緒。この国は21世紀になってもなお「切腹」のような自己犠牲賛美文化から抜け出せていないのは、さすがに異常ではないでしょうか?
今回の事件はTwitterのトレンドで1位にもなりましたし、ネット上ではかなり問題視されていると思うのですが、大手のマスコミがこの件について「重大事件」として報じる様子はありません。おそらく報じられても、「警備の不備ですね」のような表面的なコメントがなされて終わりでしょう。
海外在住の方からは「こっちでは大スクープレベル」との声が聞こえてきますが、日本では伊藤詩織さんのケースと同様、いかに女性への暴力が過小評価されているかがよく分かります。そのうち、伊藤詩織さんのケースと同様、海外の各メディアから「女性への暴力が蔓延る異常な日本の事例」として取り上げられるかもしれません。外圧にしか頼れない状況は本当に恥ずべき事態だと思います。
稲村さんの味方が誰一人いない
以上、稲村さん“襲撃事件”について、その問題点を論じてきました。
「稲村さん自身が大丈夫だと言っているのだから外野がとやかく言うのはおかしい」という批判がありますが、加害行為に及んだ中学生の集団、事件が起こっても大会を続行して処分もしない運営、自社の人材が暴力を受けたのに守っているとは思えない事務所、「神対応」「プロ」と表現して告発しないことを持ち上げるマスコミ…周りの全ての人が女性に対する暴力被害者の「敵」です。
ですから、本人は「大丈夫」と言うしか事実上選択肢がありません。それはもはや本人による自由な選択ではないと思いますし、それを真に受けてはいけないと思うのです。「本人が良ければ良い」の理屈で通せば、刑法も労働基準法も要らなくなってしまいます。
今回の“襲撃事件”で、少年野球の地位は地に落ちてしまったと思います。マトモな親ならばあのような加害行為を働いた集団に我が子を入れたくないと思いますし、加害者に甘い指導者に教育を任せられないと思うのです。「野球愛が素晴らしい!」と稲村さんの被害を告発しない対応を称賛する記事も多いですが、自浄作用を働かせ、諸悪の根源を粛正しないほうが、長期的に見れば野球を貶めることになるのではないでしょうか。
(注釈)稲村さんの被害状況についての個人的予想
Twitterでは稲村さんの体を触ったことや抱き着いたことを自ら公言しているアカウントがいくつかあったようですし、現場にいたと思われる複数のアカウントも「抱きついていた奴もいた」との証言を書いていました。一人なら嘘っぱちかもしれないですが、証言は複数であるため、「集団痴漢」はある程度の信ぴょう性はあるのだと予想しております。
一方、稲村さん自身は「体に触れるということはまったくなかった」と否定しています。両者の証言に矛盾が生じているわけですが、おそらく稲村さんの発言は「胸やお尻等のプライベートゾーンへのあからさまなわいせつ行為を受けた実感はない」という意味だと推測されます。もし本当に身体への接触ゼロであるならば倒れるはずがありませんから。下敷きになって怪我人が出るほどもみくちゃになっているわけですから、おそらく稲村さん自身もどこの部分に身体的接触があったか分からなかったのかもしれません。
あくまで個人的な見解になりますが、以上の情報から推察すると、もし稲村さんの証言が本心であるならば、本人はあからさまな痴漢被害に遭ったという意識はないものの、パニックに紛れて何かしらの身体的接触を試みた男子が数名いたというストーリーが最も考えうる状況だと思われます。ただし、事実は不明ですので、今回の記事は押し寄せた事実のみに限定して「襲撃」という表記を用いました。
(勝部元気)