今年のドラフト会議を振り返る時、一年越しの愛が実った東海大・菅野智之とおじさん・原辰徳監督との熱い抱擁、そして背番号19のユニホームを羽織った姿は外せないワンシーンだ。
その出来レースっぷりにあきれたファンもいると思うが、一方で平成の大エース・上原浩治が付けていた番号を継承した、ということに更なる期待を抱いたファンも多いはず。古くは小林繁も背負っていた「19番」は、さらに昔、ある有名選手も付けていた番号である、ということをご存知だろうか。
その人の名は、関根潤三。
大洋とヤクルトの監督、もしくはプロ野球ニュースのご意見番としてのイメージが強い関根さんだが、1年間(1965年)だけ巨人軍に在籍し、その時の背番号が19だった、ということを今回のドラフトで思い出すことができた。
元々は近鉄パールス(後の近鉄バファローズ)に投手として入団(1950年)し、その後打者に転向。史上唯一人となる「投手・野手、両方でのオールスターファン投票選出」という偉業を成し遂げた伝説のプレイヤーである関根さんが、このたび14年振りとなる著書を上梓した。
『いいかげんがちょうどいい ~85歳、野球で知った人生で大切なこと~』。
出生届のエピソードも含め「関根潤三85年の歩み」を、「70の人生の金言」とともに振り返る一冊だ。
今なお、ラジオのニッポン放送やCSプロ野球ニュースで現役の解説者として活躍する関根さんだが、今年6月に行われた「ニッポン放送ショウアップナイター・ファンミーティング」というイベントで「関根潤三物語」が企画された際、主役にもかかわらず体調不良で欠席。健康面を心配していただけに、書店でこの書影を見つけたときにはなぜだかホッとしてしまった。
ところが、ページをめくると「第一章:老いは怖くない」でいきなり関根さんの死生観が登場し、ちょっとドキドキする。
《天国? 地獄? どうぞ、どこへでも。
《死ぬのは怖くない。それより変な寝言を言うほうが心配だ。》
《あ、今日も生きてらあ。》
江戸っ子口調で語られるメッセージは、重たい内容があったとしてもどこ軽く感じられるから不思議だ。
30代の筆者は関根さんの現役時代を全く知らない世代になるのだが、その現役時代の関根潤三像を窺い知ることができるのが「第二章:縁を力にする」。
《野球選手はヤンチャでいい。》
《祇園がなければもっとまじめに野球をやっていた。》
など、今の関根さんからは想像できない数々の武勇伝が語られていく。その一方で、
《甲子園に行くためだけの目的で野球部があるんじゃない》
《喜怒哀楽を顔に出すな》
などなど、ひょうひょうと自然体で、それでいて自説を曲げない江戸っ子気質の関根さん像もしっかり浮かび上がってくる。
関根さんといえばコーチ業3年、監督業6年を通して下位チームばかりを任され、勝利に縁遠かった一方で、数多くの名選手を育てたことで有名だ。
広島でのコーチ時代には山本浩二・衣笠祥雄・三村敏之ら後の広島黄金時代の中心選手たちを育て上げ、大洋の監督時代には高木豊・屋鋪要・加藤博一のいわゆる「スーパーカートリオ」誕生のキッカケを作り、ヤクルト監督時には池山隆寛・広澤克実・栗山英樹・ギャオス内藤・伊東昭光・荒木大輔ら若手を積極的に起用し、後の野村ヤクルト黄金時代の礎を築いた。
そんなコーチ・監督時代のエピソードについては「第三章:前に進む」に詳しい。
《若い選手が今にも死にそうな顔で練習してる姿はいいねぇ。見てるだけでうれしくなってくる。》
《シゴいて大丈夫なヤツはとことんシゴく》
と、サド的気質も垣間見せながら、
《怒って勝てるなら、苦労はしません。》
《ミーティングは好きじゃないな。説教するのも大嫌い。》
と、おなじみの放任主義の根底にある考え方も提示している。また、本書を通してなんでも前向きにあっけらかんと語る関根さんだけに《一茂の育成には悔いが残る》というエピソードはむしろ印象深い。
本書では他にも、盟友・根本陸夫との関係性、長嶋茂雄の気配り力、落合博満が池山・広澤に与えた助言などなど、60年以上たずさわるプロ野球球界についての裏話も数多い。だから当然、プロ野球ファンにオススメなのだが、それ以上に関根さんの自然体な生き様に癒される本だと思う。象徴的なのが「第4章:日常を豊かに」に収められた人生訓《野球も、人生も、1勝2敗でいい》になるだろう。
著書のひとつに『一勝二敗の勝者論』があり、監督時代から「1勝2敗」を唱え続けていた関根さんは、人生そのものも「1勝2敗」でいいと綴る。
《学生の就職なんて、何十社も受けて一つ決まればいいんだって? つまり、1勝30敗、1勝50敗なわけだ。
就職や目先の仕事でなかなか結果が出ないとき、人生の進路に迷ったとき、肩の力を抜きたいときにこそ『いいかげんがちょうどいい ~85歳、野球で知った人生で大切なこと~』、よろしくどうぞ。
(オグマナオト)