Home > Regulars > アナキズム・イン・ザ・UK > 第16回:貧困ポルノ
今年の英国は、年頭からC4の『Benefits Street』という番組が大きな話題になった。
これは生活保護受給者が多く居住するバーミンガムのジェイムズ・ターナー・ストリートの住人を追ったドキュメンタリーである。が、ブロークン・ブリテンは英国では目新しくも何ともない問題なので、個人的には「なんで今さら」と思った。日本人のわたしでさえ何年も前からあの世界について書いてきた(その結果、本まで出た)のだ。UKのアンダークラスは今世紀初頭から議論され尽くしてきたネタである。
が、この番組で英国は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。デイヴィッド・キャメロン首相から『ザ・サン』紙まで、国中がこの番組について語っていた。よく考えてみれば、一部のコメディや映画を除き、あの世界を取り上げた映像は存在しなかったのである。
なるほど。アンダークラスは本当に英国の蜂の巣だった。というか、パンドラの箱だったのである。みんなそこにあることは知っているが、蓋を開けるとドロドロいろんなものが出て来そうだから、遠くから箱を批判することにして、中をこじ開けようとはしなかったのである。
当該番組がはじまったとき、メディアの多くが使ったのは「貧困ポルノ」という言葉だった。が、お涙ちょうだいの発展途上国の貧困ポルノと、アンダークラスのそれとでは質がちょっと違っていた。元ヘロイン中毒者や若い無職の子持ちカップル、シングルマザーといった「いかにも」な登場人物たちが生活保護受給金で煙草を吸ったりビールを飲んだり、犯罪を行ったりして生活している姿をセンセーショナルに見せ、国民の怒りを扇動している。と同番組は非難され、無知な下層民がスター気取りで自分たちの貧困を晒していると嫌悪された。
が、彼らがそれほど「貧困」していないこともまた視聴者の神経を逆撫でした。「他人の税金で生きているくせに、薄型テレビを持っている」、「フードバンクの世話になってるわりにはビールを買っている」などのツイートが殺到し、「働かざる者、食うべからず」、「子供を育てる余裕のない者は、子を産むな」といった、昨今ではPCに反するので公言でないような言葉を文化人でさえ口にした。近年の英国でこれほど人々を感情的にさせた番組があっただろうか。と思っていると、C4の番組としては、倫敦パラリンピック開会式以来最高の視聴率をマークしたという。
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昨年末、久しぶりに底辺託児所に行った。底辺生活者サポート施設には、もはやわたしが出入りしていた頃のような活気はない。労働党政権時代には政府の補助金のおかげで、PCスキルや外国語、アートなど様々のコースを無職者のために無料で提供していた施設が、保守党政権が補助金を打ち切ったためにコースを維持できなくなり、人が寄り付かなくなったという。
元責任者アニーが引退してから、当該託児所は複数の責任者たちによって運営されている。そのうちのひとりがわたしのイラン人の友人であり、年末は人員が不足するだろうと手伝いに参じたのだが、子供の数はたったのふたり。常にガキどもで溢れ返り、粗暴で賑やかだったあの底辺託児所はどこに行ってしまったのだろう。
「みんな、どこに行ってしまったの?」と言うと友人が答えた。
「生活保護を激減されて、ここに来るバス代すら払えなくなってるんだよ」
「じっと家にいるのが一番金はかからないけど、それって危険だね」
「うん。玩具や食料を車に乗せて、気になる家庭を定期訪問しようっていう提案もある。経費の関係でどうなるかわからないけど」
一般に、虐待や養育放棄などの不幸は閉ざされた空間で起きる。だから乳児や幼児のいる家庭を孤立させてはいけない。というのは、幼児教育のいろはである。ましてや食うにも困っている人々が子連れで閉じ篭っている状況はとても不健康だ。
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放送開始当初は「英国の恥部。あの通りの住民を皆殺しにしろ」などというヘイトまで生んだ『Benefits Street』だが、放送が進むにつれ議論も進化した。左翼系の団体や文化人は一貫して「貧困者を社会の敵にしている」と主張し、同番組の放送中止を求めたが、変容してきたのは右翼・保守系の論調である。ふだんは、豪邸をあてがわれた生活保護受給家庭がいかに地域住民に迷惑をかけているかだの、子供ばかり産む下層女はけしからんだの書いているウヨク新聞デイリー・メイル紙でさえ、「『Benefits Street』は貧困者のモラルの無さを描いているのではない。彼らを作り出した社会制度がモラルに欠けていたということを示している」と書いた。
わたしは日本にいた頃、ザ・スミスが歌っているから。という程度の知識で「サッチャーはダメだ」と思っていた。しかし、英国に住んでから彼女が犯した罪とは本当は何だったのかということがわかった気がする。それは、経済の転換によって犠牲になる人々を敗者という名の無職者にし、金だけ与えて国蓄として飼い続けたことである。
アンダークラスの人々を知った当初、「24時間自分の好きなように使えるのに、どうして彼らのライフタイルには幅がないのだろう」と不思議に思ったものだった。しかし人間というものは、HOPEというものを全く与えられずに飯だけ与えられて飼われると、酒やドラッグに溺れたり、四六時中顔を突き合せなければならない家族に暴力を振るったり、自分より弱い立場の人々(外国人とか)に八つ当たりをしに行ったりして、画一的に生きてしまうものののようだ。
「それはセルフ・リスペクトを失うからです」と言ったのは昔の師匠アニーだった。自らをリスペクトできなくなった人間に、もう国は貴様らを飼えなくなったから自力本願で立ち上がれ。というのは無茶な話だ。自力本願。というのは各人が自分の生き方の指針にすべき考え方であって、それを他人にまで強要するのはヒューマニティーの放棄である。自力を本願できる気概やスキルが備わっていない人間を路傍に放り出せば、英国だって餓死者が出る社会になるだろう。
アンダークラスを生んだのは、サッチャーだけではない。PR専攻の人気取り政治に終始したトニー・ブレアもまた、ドラッグ・ディーラーの如くに無職者に生活保護を与え続け、麻痺させて黙らせていたのである。2005年にカイザー・チーフスが“I Predict A Riot”という曲で「裸同然の少女たち」が、「コンドームを買うために1ポンド借りている」だの「ジャージ姿の男に襲われている」だのと歌ったとき、「1977年のパンクから影響を受けたというバンドが、デイリー・メイルお得意の『衝撃のアンダークラス!』記事から書き写したような歌詞を書いている」と嘆いたのはジュリー・バーチルだったが、ブロークン・ブリテンと呼ばれる階級は顔のない集団悪として描かれることが多かった。『Benefits Street』関連で個人的に一番吃驚したのは、C4主催の討論番組で、若いお嬢さんが「こういう生活を送っている人々が本当にいるということに驚きました」と語っていたことだが、ミドルクラスの人々にとって下層の世界はカイザー・チーフスの歌詞ぐらい現実味のないものだったのだろう。しかし、ジェイク・バグのようなアーティストの登場や、『Benefits Street』のような番組により、ようやくアンダークラスの人々もインディヴィジュアルな人間としての顔や声を出しはじめた。
そう思えば、UKのアンダークラスもまた、「そこにいるのにいないことにされていた人たち」だったのかと思う。世の中の癌であり、UKの恥部である階級が、自分たちと同様に個性や感情を持つ人の集まりであることを、この国の社会は認めたくなかったのだ。
人間の恥部を晒すことがポルノであるならば、アンダークラスを撮った番組は貧困ポルノと呼ばれる宿命を負っていただろう。
しかし、この貧困ポルノは「同情するなら金をくれ」と言っているポルノではない。彼らは金は貰ってきたのだ。そしてその金と引き換えに、それより大事なものを奪われてしまったのだ。
イラン人の友人から電話がかかって来た。
底辺託児所は春から家庭訪問サービスを始めるそうだ。
資金は全くないのだが、車を貸す人や運転する人、玩具を貸してくれる幼児教育施設、食料を寄付してくれる店などが見つかったらしい。
金だけではどうにもならないことを、金がないからこそ形にしていく人々がいる。
これを市民運動と呼ぶのなら、UKの地べたにはその屋台骨がある。