前文
2009年夏の総選挙で308議席を得て政権交代が実現した。多くの国民の期待があった。それが2012年暮れの総選挙では57議席、かろうじて野党第一党の地位は占めたものの、2009年総選挙の5分の1の議席しか得られなかった。比例区得票数では3000万票(2984万票)が、900万票と3分の1以下に激減した。これはとりも直さず、民主党政権下の3年3カ月の間に、国民の期待が幻滅・失望に変わったことの証左である。
私たちはこの現実を前に、まずすべての国民の皆様に、期待を裏切ったことを率直にお詫びしなければいけない。同時に私たちは、政権を支えてくださった都道府県連を始めとする地方組織の自治体議員・党員・サポーターの皆様との連携が不充分であったことを率直に認めなければならない。私たちは、政権運営、党運営、諸政策への対応について克服しなくてはならない多くの課題を突き付けられた。しかし私たちが1998年の結党以来目指してきた公正・公平な社会、機会の均等を保障する社会、競争至上主義ではない共生社会を実現する、日本社会の停滞の原因である旧弊を改革する、この方向性は今も正しいと考える。
民主党に代わって政権の座についた安倍自民党政権がはらむ格差社会の拡大・固定化、市場万能主義、排他的で狭隘なナショナリズムなどの危険性を考えると、民主党の日本社会、国際社会における存在意義はますます重要になっている。
ここは歯を食いしばってでも民主党を創生しなくてはならない。まさに「敗北の総括」の中にこそ、汲めどもつきない民主党改革・創生の糧がある。そんな思いから、党改革創生本部を立ち上げ、外部有識者、地域の連合等の支援組織、各種団体などから意見を聴いた。その上で、前議員、惜敗した候補者、民主党都道府県連、自治体議員、党員・サポーター、現職衆参議員から広く意見を募り、この民主党改革創生の第一次提言を取りまとめた。
I.政権運営の検証
1.政策(マニフェストに関する論点を含む)
- 我が党が掲げた2009年衆議院選挙のマニフェストは、時期や数値目標を具体的に示した日本の憲政史上最初の本格的なマニフェストであり、このマニフェストを掲げて政権交代を実現した。しかしながら、作成のプロセスにおいては、透明性の確保や意見集約の手法に問題があり、各部門からの提言の寄せ集めになったと受け止められ国民の期待を過度に高めた中で、立法化への見通しや財源の裏付けが不十分で実現性を欠くものとなった。
- 民主党政権のスタート時において、年度途中であるにもかかわらず政務三役が主導し、予算を組み替えてまで政策を実現できた背景にマニフェストがあったことは紛れもない事実である。しかしながら、マニフェストの文言に拘泥しすぎて、掲げた政策をなぜ実行しているかを理念に基づいて説明する責任をないがしろにした。理念抜きで個々の政策を説明することに終始した。2010年の参議院マニフェストにおける修正についても、国民に対する丁寧な説明を欠いた。党内でマニフェストが議論される場合にも、自分に都合のよいところだけを取り上げる傾向が見られ、国民の民主党とマニフェストに対する信頼を失わせた。
- 現実に政府を運営する以上、様々な変化に対応し、優先度の高い政策に取り組むためにマニフェストになかった政策を打ち出す必要はあったが、政策提示のあり方に問題があった。明確に共有された理念や将来のビジョンを打ち出して、なぜその政策が必要なのかを党内で十分に議論し、得られた結論を基に国民に丁寧に説明し、理解を求める努力を欠いた。その一方で、政権時に行ったマニフェストの検証と評価のプロセスおよび国民に対する説明は、政権与党として初めての試みとして実施された。今後も、国民との相互の意思疎通は継続されなければならない。
2.政府における政権運営
- 政権運営戦略が稚拙・未熟な印象を与えたが、これは、国と地方のあり方や財源の確保を仕切るべき国家戦略局構想の挫折が大きな原因である。また、政務三役の人員を大きく増やす「政治主導確立法案」などの官邸機能の強化のための取組みに、衆参で多数の議席を保有していた政権初期に優先的に取り組まなかったことも大きく、結果、民主党は決められない政党との印象を残した。子ども手当や社会保障などの重要政策も、優先順位をつけて実施できなかった。実現できなかったこと、新たに直面した課題についても真摯な説明を行わず、国民的議論が後追いになった。弱者に対する視線をもっていたはずの民主党が、政権に就くと役所の壁に阻まれて、時には主導権を取られ、次第に現場感覚を失っていった。
- 政務三役は政治主導の実現に真摯に取り組んだが、政治家と官僚の仕事の仕分けができず、官僚との意思疎通を欠いた。マニフェストを官僚と共有し、人事等の機会を捉えて実行へとつなげるノウハウ等、官僚を使いこなす現実的且つ具体的な政府のマネージメントができない様子も散見された。東日本大震災を契機に政官が一体になって取り組みを進めたことを評価する声がある一方で、官僚主導が強くなった側面も見られた。その結果、国民には、既得権益と官僚が結託した構造を変え真の政治主導を実現する民主党の闘う姿勢が失われたと受け止められた。
- 2010年の参議院選挙以降の「ねじれ国会」は政権運営や国会運営に大きな影響を与え、民主党政権が掲げた政治主導、行政改革、予算の組み替え等の多くの政策実現を妨げた。その一方で、衆参ねじれが明白であったのに、一部の省庁を除き水面下での野党対策も足りなかった。
- 野党時代の「次の内閣」の閣僚の多くは政権についた直後にそのポストで登用されることはなく、野党時代に培った経験を活かす場がなかった。また、当選回数や代表選挙の論功行賞人事等が先行して能力や人物本位の適材適所の人材配置が実現しないケースも見られ、閣僚の交代も頻繁であった。さらに、政務三役に社会での実務経験豊富な人材を活用することが少なかった。
- 改革政党としての立ち位置は正しく、事業仕分けの結果、予算の無駄遣いや官僚の天下りが大きく減少し、自民党政権でも行政事業レビューが制度として残る等の成果もあった。しかしながら、国の出先機関の地方移管議論などで政務三役が省庁の擁護者になったり、改革総論賛成の議員もしがらみの中で各論反対に回るケースも見られた。改革を断行するとの意気込みは失われてはいなかったものの、行革の優先順位付けが不明確になった。
3.党運営
- 党運営上で最大の問題は、まとまりの無さであった。政党のガバナンスが未熟であったために個々の議員の能力がチームとして活かされず、大事な時期に最高幹部までが分裂し、「ノーサイド」という言葉も掛け声だけに終わった。また、代表選が政策重視でなかったために、人的なしこりが後々まで影響すると共に政策合意の妨げにもなった。重要な局面での幹部たちのバラバラな行動や発言も大きなダメージとなった。党内結束が失われたり、分裂するたびごとに民主党政権に対する支持率は大きく下がった。
- 1998年の党綱領の存在にもかかわらず、明確な綱領がないとされたいわれなき批判は、全議員に理念が共有されていないことにより既成事実化された。党内にしっかりと理念と情報を共有し、議論できるシステムが無く、党外からの批判に対して十分に対抗する機能を欠いた。
- 開かれた場所で議論するよい文化が共有されている一方で、組織として決定したことはみんなで守るというルールが定着していなかった。与党でありながら政権を支えるという意識が希薄で、野党議員のような質問やメディアに向かって政府批判を繰り返す議員が、党内のバラバラ感を拡大し、さらなる政権の支持低下を導いた。重要で且つ意見が対立する問題については両院議員総会で決を採るとの提案が争点になるなど、執行部による一任の取り付け方は課題を残した。意思決定のルールが明確ではなく、テーマによって決定する機関を変えることもできなかった。
- 地方組織の脆弱さは、総選挙の敗戦をより深刻にした。都道府県連組織拡充の掛け声だけで現実的な具体策に取り組みが足りない一方で、地方にも組織拡大の意欲や議員増加のためのチャレンジ精神が欠如していた。また、2009年総選挙で国会議員だけが急増したこともあり、国会議員と自治体議員の間に存在した一体感が薄れ、国会議員中心の政党色が強まった。さらに、党本部や国会議員が都道府県連・自治体議員に対して十分な情報を提供せず、意思疎通を欠く中で、与党であることのメリットを生かす仕組みも不足していた。総支部と都道府県連等の地方組織の関係が曖昧であった。また、地方からの陳情への対応については、幹事長室に集まったデータを都道府県連に還元できるよう取り組んだが十分に機能しなかった。これらは、所属する自治体議員にとって党に所属するメリットを失わすことにつながった。
- 頻繁な首相・党代表交代が行われる中で、党員・サポーターの党代表選への参加の機会が少なかったことから、民主党および民主党政権への参加意識が薄れてしまった。また、政権交代以前に築いてきたNPO等の市民団体との関係が希薄になっていた。
- 選挙の候補者については、より良い人材を求めると同時に党の新陳代謝を促進する公募を不断に行う努力を欠いた。候補者選定についても、改めてそのあり方が問われた。また、立候補に際して誓約書を取り、離党の場合には公認料を返還させる等の制度を欠いた上に、人材育成制度も弱かった。
- 党運営や選挙の責任は執行部にあったが、けじめのある人事にはならず、人事のたらい回しも見られた。親執行部や反執行部という色分けが先行し、大所高所に立った人事も行えなかった。要職につかない議員が、マスコミを利用して政権・党を公然と批判することもあった。
- 重要法案の党議拘束に反した者の処分について、離党防止のために衆議院と参議院との間で一貫性が保てなかった。総選挙においては、離党者に対する対立候補擁立にエネルギーを浪費してしまった。
4.政府と党の関係
- 自民党は政府と党の役割を使い分けてきたが、民主党は族議員排除を目指しガラス張りの政府・与党一元化を進めた。しかしながら、フォロワーシップの不足等もあり、与党としての政府に対するサポート体制が充分でなかった。結果、党幹部は、政府と党全体を動かす手法を確立できず、主張がぶつかる場合に合意形成するすべを欠いた。党と政府、官邸の間に存在したコミュニケーション不足は、党分裂の一因となった。これらは、国民の政府並びに与党に対する信頼を後退させた。
- 内閣と与党の関係は試行錯誤の3年3カ月であったが、政策調査会と政府の関係を最後まで整理できず、各省政策会議の試みや政調復活以降の政調会長と大臣の兼務、政府民主三役会議も実効的な最終解とならなかった。政調内の意思決定ルールを始めとし、党運営全般に対する制度的裏付けも希薄であった。権力を持つ現実の与党でありながら、物事の決め方を改めて議論する姿は統治能力のなさを印象づけた。
5.国会対応
- 国会審議の抜本改革に取り組むことができず、政権にあったほとんどの期間が通年国会となる中で大臣が国会に拘束されすぎ、政策立案や調整に費やす時間が不足していた。自民党の負の遺産に必死に対応していたにもかかわらず野党に配慮するあまり反論を控え、あるいは国会軽視の問責乱発を正当に批判することまで控えてしまった。
- 議員定数削減については、改革政党としての主張ができなかった。大臣の海外渡航の事前許可の是非についてルール改正を求める等、旧弊を打破し改革を進めていくための挑戦の姿勢や工夫も見られなかった。
- 政権立ち上げの時期に起こった党幹部の政治とカネの問題は、民主党のクリーンなイメージを大きく損ねた。
- 2010年の参議院議員選挙以降の「ねじれ国会」では、野党を巻き込む等の努力と一貫した戦略が不足し、野党主導の国会運営となった。
6.対外広報
- 地方一括交付金をはじめとする地域主権改革、公共事業の三割減、社会保障や医療への予算の重点配分などの戦後初めての大規模な予算配分構造の組み替えや、失業率の低下や自殺者、高校中退者数の減少等、多くの実績はあったが、政策や党の立場、政権の成果に関する広報のあり方が稚拙であった。根拠の希薄な批判に対し、党として反論する努力が不足した結果、国民の民主党への不信感は増幅された。メディアとの関係においても、政権の成果を検証し、国民に広くアピールする努力が欠如し、自治体議員や支持団体に広報機材を定期的に行き渡らせることすらできなかった。
Ⅱ.第46回衆議院議員選挙の検証
1.大敗した理由
- 民主党内のごたごたは分裂騒ぎへと発展し、党内を治めることさえできない集団に国家の舵取りを任せられないとの評価が定着することになり、国民が政権交代可能な政党として寄せた期待は失望に変わった。選挙においては、候補者個人の努力が大きいが、候補者の努力で党への不信感を乗り越えるのは容易ではなかった。
- 民主党は自民党に敗北したのではなく、「チルドレン・ファースト」や「改革政党」といった基本的な立ち位置を明確化することができず、自身の理念を具現化する手法を欠いたことにより敗北した。
- 「普天間」、「政治とカネ」、「消費税発言」から、解散時期の見定め等、トップによる失敗の連鎖が続き、期待外れの政権というイメージを与え続けた。多くの実績にもかかわらず、普天間に代表される安全保障上の失策、八ッ場ダム建設再開等は、国民の不信感を煽る原因となった。
2.解散時期、衆院選に向けた戦略、準備の在り方、支援体制について
- 総理の大権である解散を妨げることはできないが、その時期は多くの国会議員にとって納得できないものであった。28年ぶりの年末解散は、繁忙期を直撃して商店主等の怒りを買い、税制改正並びに予算編成を放棄したことで、多くの業界団体は雪崩を打って自民党になびいた。一方で、常在戦場と言いながら、解散風を吹かせてはいけないとの党の判断は、候補者選定・公認決定を遅らせ、十分な準備や支援体制を構築することを妨げた。
3.争点
- 総選挙に際し、与党として魅力的でシンプルな争点を主導して提示することができず、他党との差別化も図れなかった。定数削減・脱原発・社会保障と税の一体改革という当然争点化すべき政策についても、民主党に対する期待がなくなっていたために国民の耳に届かなかった。マニフェストへの国民の期待を裏切り、書かれていないことをやったという批判は強く、まずはお詫びから訴え始めざるを得ず、前向きな政策どころか、釈明に終始した。
- 中小企業対策の強化や有効求人倍率の増加等の成果があるにもかかわらず、国民にアピールすることがかなわない中で、景気対策・経済政策に対する国民の期待に応えることもできなかった。決めるべき時に決められない政権運営や対立と分裂を繰り返した党運営は、民主党への拒否反応を促進させた。無党派層については、民主党政権三年の負のイメージが定着し、最初に選択肢から排除された。
4.「第三極」との関係
- 2009年選挙ではアンチ自民の受け皿となり大躍進へとつながったが、それが「アンチ民主」へと変わり「第三極」がその受け皿となった。「アンチ民主」の風は強く、2009年政権交代選挙で民主党に投票した層は、維新、みんなという「第三極」と大幅に投票率が低下したことに見られる投票をボイコットした有権者に代わった。改革政党の本家たる民主党が、改革の姿勢を堅持し、這ってでも前に進んでいれば、維新の大幅な躍進は無かったはずで、「第三極」勢力との差別化ができない中、自民党への批判票は民主党に向かわなかった。
5.党選対のあり方について
- 党選対に届く各県連の選挙分析等が、総選挙を始めとする他の選挙に活かされる仕組みがなかった。党の幾度もの各級選挙に対する調査が候補者に渡っていないケースもあった。また、新人選挙区や比較的組織の弱い都道府県連に対し、重点的な応援の派遣やノウハウを共有する等のきめ細かい対応ができていなかった。
6.広報戦略
- 与党時代の成果が議員の間で共有できていなかったため、有権者に伝えることができなかった。選挙直前に配布された広報機材は、時間的余裕が無く多くの有権者に届かなかった。
- ポスター等では、実行できた政策を全面に押し出すべきであった。インターネットの活用も円滑に行えなかった。
7.業界団体、支持団体関係
- 中央・地方の両方において、業界団体等に対し与党の強みを選挙への支援に変えることができなかった。政権与党の力を発揮できるような選挙戦術がなく、準備もなかった。年末の予算編成を放棄しての解散が業界の離反を加速させた。
- 地方連合とのつながりを強化する努力も中途半端であった上に、それ以外の支援団体とのより幅広い関係の模索も不足していた。従来の陳情システムにとらわれ、既存の組織以外の声なき声を拾い上げる努力を欠いた。
Ⅲ.党改革創生に向けた7項目の第1次提言
私たち民主党は、しがらみと利権、省益に代表される政治と決別し、弱い立場に置かれた人々と共に歩み、互いに支えあう共生社会を目指し、人の命と国民の利益を大事にし、改革を進めて未来への責任を担う歴史的使命を負っている。この使命と責任を果たすために、政権与党を経験した野党として民主党は、責任をもって国民の声に真摯に耳を傾け、歩み続けなければならない。
民主党による政権交代は、古い政治の継続が導いた歴史の要請であった。時計の針が戻されるのを看過するわけにはいかない。その一方で、民主党が政権担当能力を身につけ再生するのは容易ではない。それでも我々は、国民の生活と安心のために、決してあきらめることなく前進する。
次の総選挙において政権奪還を行いうる党として国民の信頼を勝ち取るためには、党に集う一人ひとりが危機感をもって意識改革に取り組む必要がある。以下は内外の関係者からのヒアリングを元にまとめた改革と創生のための第一次提言である。まずはこの第一次提言の実現を急ぎ、その後、上記Ⅰ.並びにⅡ.で指摘されたすべての事項について、改革創生本部で充分に咀嚼した上で、改革に取り組む。
(1)改革政党としての矜持
- 民主党に寄せられた改革政党としての期待を受け止め、与党の経験を生かして改革推進に向けた断固とした姿勢を示す。
- 改革実施に際しては、「率先垂範」の精神の下に「政治とカネ」の問題に根本的に対処する制度構築並びに国会改革に取り組み、まずは一票の格差是正を含む衆参両院の定数削減を実行するために具体的な提案を行う。
- 代表直轄で行財政改革組織を常設し、改革政党として具体的な取り組みを進める。
(2)明確な理念、ルールの確立
- 新たな綱領は、民主党の立場と目指すべき日本の姿を示している。この綱領は、簡潔で揺るぎのないもので、すべての党員がこの綱領の下に心を一つにし、団結する。
- マニフェストは、数値・期限・財源には柔軟性を持たせつつも検証可能な「政策パッケージ」とする。具体的な政策を作る際には、党の綱領の理念に沿って策定し、国民に対し説明を尽くす。国民のニーズをより正確に反映させるマニフェストの検証と修正を不断に実施する。
- 党の理念に従い、あるべき政党としての姿を常に追求し、国民の広範な層を代表する。
- 党全体で理念を共有して政策を練り、政策実現のために不可欠なチーム力を高めるために、自由闊達な党内議論を尊重しながらも党の意思決定の明確なルールを確立する。
- 党代表の解任制度、単独比例選出議員が離党する際の議員辞職規定等、国民に理解されうる、より民主的なルールを定め、透明でけじめのある人事を実行する。
(3)地方組織の強化
- 党の抜本的な改革のためには、各自治体議会で第一党となれるような地方組織の強化と意識改革が必須である。今後予定される自治体議員選挙では候補者擁立を積極的に進め、総支部の基盤となる自治体議員の拡大に全力をあげて取り組む。
- 以下の通り、党本部と都道府県連・総支部のあり方、総支部と自治体議員のあり方等についての見直しを組織的に実施する。
・地域主権の観点から都道府県連を戦略的単位と位置づけて、そのあり方に検討を加え、党本部との連携を強化する。
・総支部における党員・サポーター獲得を促進し、目標人数を達成するよう強く指導していくことを含め、県連、総支部等のあり方、総支部と自治体議員の関係について検討する。
・中央と自治体議員との関係を密にするため、地方組織と党の各種組織・団体とのパイプを強化し、陳情・要望への対応状況を開示できるよう情報を集約・整理する。陳情以外の意見書を受け付け、自治体議員からの質問・資料要求に応える自治体議員局(仮称)を新設し、そこにおいて一括して受け付ける。
・強力な選挙基盤を維持している議員のノウハウ共有を含め、戦える体制を構築する。
・自治体議員の代表がネット回線等を通じて党本部の様々な会合に参加できるようにする等、自治体議員団が党運営に一体となって参加し、現場の声を党全体で共有できる制度を構築する。
(4)発信の強化
- 広範な国民に開かれた市民参加型の運動組織を作り、強化する。既存の組織にとどまらず、声なき声に耳を傾け、「国民のための民主党」、「国民が作る民主党」との立場を堅持する。
- 党幹部は積極的に全国遊説を実施すると共に広報努力を強化する。
- メディア戦略の専門家を活用して戦略的な広報のあり方を再検討し、国民に対する丁寧な説明を実施する。
- インターネット選挙解禁をにらみ、新たなメディア媒体の活用に向けた戦略を構築する。
(5)人材の確保・教育
- 各級議員選挙において公募制度を活用し、男女を問わず常に優秀な人材の確保に努める。特に、女性議員、女性候補者の拡充を図る。
- 候補者選定に際しては、新人議員の場合に限らず、党外部の方にも参加いただき、透明性を確保し、候補者を擁立できる体制を強化する。候補者については、経験や識見を重視し、スペシャリストも積極的に登用する。
- 都道府県連主催の勉強会や総支部長のより積極的な地域活動への参画を通じ、優秀な人材を確保する平素からの努力を強化する。
- 党をあげた議員教育体制の構築に着手する。各級選挙の候補者育成とともに現職議員についても党の綱領・政策、政策や法案の立案と行政運営、日々の活動や後援会組織のあり方等についての教育を行うと共に、日本の真のリーダーを育成するための制度を整備する。その際には、議員外交への積極的参加を促す等、実地における経験を拡充させる措置を含める。
(6)国民の声を反映した政策作り
- 前議員や自治体議員も参加できる党のシンクタンク的機能を確立し、陳情等の国民の声を集積・整理し、開かれた議論の中で政策を練り上げ、あるいは既存の政策の検証を行う。
- 政策調査会においては、国民のニーズに応える議員立法と与党の政策に対する対案を適宜適切にまとめ上げ、争点として国民に提示する。中長期的な経済の構造改革等、困難な課題にも積極的に取り組み、国民はもとより国際社会にも信頼される中身のある政策を策定し、様々な視点から建設的で徹底した議論を行い、責任ある野党の役割を果たす。
- 党員・サポーター集会等を頻繁に開催し、党員・サポーターとのコミュニケーションを強化する。
(7)党改革創生の継続
- 党の出直しに向けては、すべての党員が抜本的な改革を不断に継続していくことが必要である。参議院選挙までに本第一次提言の実現に着手し、本年末にはその実行状況を検証・評価した上で、その次の目標である統一地方選挙に向け新たな改革の方向性を示す。
- 政権奪還に向けて代表直轄で改革創生本部を常設し、工程を明確にした上で戦える体制構築に着手し、二大政党の一翼を担いうる党の創生のために不退転の決意で臨む。
(2013年2月24日 2013年度定期大会)