1974年、世界中の人々を虜にした映画『エマ二エル夫人』。50年の年を経て、官能映画を代表する名作が、新たなる陶酔を伴って生まれ変わった。
現代の香港を舞台に、一人の女性が真の快楽を追い求める姿を鮮烈なエロティシズムとともに映し出した新生『エマニュエル』。監督は『あのこと』でベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したオードレイ・ディヴァン。主演に『燃ゆる女の肖像』『TAR/ター』のノエミ・メルラン、共演にはウィル・シャープやナオミ・ワッツらが脇を固めた話題作だ。
2025年1月10日の公開を前に、映画ライターの児玉美月さん、映画・音楽パーソナリティの奥浜レイラさんをゲストに迎え、本作の魅力、そして監督の作家性を深掘りした。
編集部作品をご覧になった感想はいかがですか?
児玉美月さん(以下、敬称略)女性の監督が性を描く映画には、“エロい映画”ってあまりないですよね、もちろん、いい意味で。
奥浜レイラさん(以下、敬称略)世間一般でエロいとされているものって、一方から性的に消費する目線や偏った属性の願望を叶えるものとして描かれている傾向がありましたが、本作はそれらとは違う視点で描かれている。という点ではエロくなかったですね。
児玉1974年版のエマニュエルは、処女性がある若い女性でしたよね。男性が手ほどきすることによって解放されていくので、女性の性があくまでも男性ありきのもののように存在して見えました。でも、今回は年齢も上にあげて、成熟し経験値もある女性が目覚めていく話。その辺りの改変も現代的だと思いました。あと、職業がユニーク。ホテルの品質管理調査員で、ずっと人を観察している。〈見られる客体〉だった女性が〈見る主体〉になったことを、その職業の設定も使いながら上手く表しているところから素晴らしい。
奥浜「見る主体としての女性」を示唆する描写が、あちこちに出てくる。例えばエレベーターの中でケイ(ウィル・シャープ)の後ろ姿を見ているところとか。ノエミ・メルランが最初に登場した時に、映像表現の中で当たり前になっていた「見られる女性の身体」という既存のイメージを跳ね返すエネルギーが漲っていて、そこがある意味でとてもセクシーで。今まで消費され続けてきたセクシーさではなくて、新しいセクシーさを獲得しているな、いいなと思いました。
「female gaze」、つまり女性が眼差す映画は増えてきたけれど、本作には、視線と俳優の身体がちゃんと呼応している感覚があった。
児玉見る/見られるという構図に関わる話が、たわいのない会話の中にも頻繁に出てきますよね。これは意図的にやっているんだなと。1つ興味深いなと思ったのが、エマニュエルと親しくなるゼルダという女性は、セックスを覗かれるのがいいと言う。たんに見られる客体だった女性が見る主体へと変化したということだけでなく、見られることを主体的に楽しむ女性も出てくるので、女性の描かれ方が多面的になっている気がします。ゼルダというキャラクターは、この映画を奥深くしていると思う。
編集部本作で描かれている女性像や女性同士の関係性も興味深いですよね。
児玉74年版は、女性同士の性行為が美しさと神秘性をまとって見世物的に描かれるところもあります。女性同士の性描写ってバランス感覚が難しいけれど、今回は直接的な絡みがなく、相手に対しての感情だったり、気づいたらふたりで一緒に部屋にいたり、さりげない描写で親密性を見せていくのがいいなと思いました。
奥浜かつては品行方正なイメージを押しつけられがちだった女性を解放しているようにも感じました。例えばゼルダは、これまで描かれてきた女性のイメージからすると淫らというレッテルを貼られるかもしれない。その行いを善悪でジャッジするのではなく、女性の多様な性的快楽のあり方を描いている。偏見から女性を解放する描写をさりげなくやっているところに好感を持ちました。
児玉私はナオミ・ワッツ演じるホテル経営陣のマーゴとエマニュエルの関係が重要だと思いました。マーゴが「上層部は私たちを争わせようとするけど、私はそれに乗らない」とエマニュエルに言う。男性社会が構築したシステムによってキャットファイトさせられる女性たちという性差別的な対立構造を切り崩しているのが、この映画でもっとも好感を抱いたところです。女たちが戦わないっていうのが大事だなと。この二人の関係性をもうちょっと見たかったです。
編集部あの二人の関係性だけでも、良いドラマができそうですよね。
児玉マーゴもエマニュエルのような立場にいたときもあっただろうし、たぶんいろんな過去を持っているはず。まだ描ける余地がありそうですね。
奥浜やはり官能を描くだけの映画ではないですね。既存の映画で描かれ続けてきたものを解体しようとしている意欲的な作品だと、今の話を伺っていて改めて思いました。
児玉ディヴァン監督の作家性なのか、今回の新作も女性同士の関係性において『あのこと』と通じる特徴みたいなものがあると思いました。つねにそばにいるとかベタベタするわけじゃなくて、どちらの作品でも主人公は、最後はひとりできちんと立って、自分の望みを叶える。ときに助け合ったり共感し合ったりして一瞬の交差が互いをずっと支えていくような、そんな描き方が素敵だなと思っていて。
奥浜東京国際映画祭(TIFF)で本作のトークショーの司会をしたとき、監督にお会いしましたが、常に冷静で不必要なサービスをせず相手の言葉の本質を見つめながら言うべきことはきちんと伝える方だという印象を受けました。それは日本的なコミュニケーションに慣れていると厳しい人だと捉えられがちですが、媚びない姿勢がかっこよくて誠実さも感じました。物語の中に出てくる女性たちのイメージが監督自身と重なりました。
編集部監督が「2つの映画の共通点は女性に対する先入観」だと話していますよね。「女性のキャラクターは必ずしも好人物でなくても良いと考えている」と。それがこの作品を身近に感じられるところでもあるのかなと思いました。
奥浜これまでの女性主人公には、親しみやすさとか優しさ、包容力や従順さを求められがちでしたけど、それを女性ばかりに求められるのは現実と乖離していますよね。エマニュエルは、仕事を全うし、かつ自分がこれはしたくないと思ったら心に従う。その人間性がしっかり滲み出る人物として描かれていたので、監督の言葉にはすごく納得します。「いまだに女性の登場人物は優しく、親切なキャラクターに偏りすぎていると感じて、イラっとします」とも話していて共感しました。
児玉監督のフィルモグラフィーもすごく大事。女性の性の解放を描くと同時に、 自分の体のケアという観点が置き去りにされてはいけない。本作の前に『あのこと』があって、しっかりリプロダクティブ・ライツ(妊娠・中絶に関する権利)を描いていることによって、観客も監督はちゃんとこの視点や知識がある人なんだという前提に立てるので、安心して観られるかもしれない。そこがおそらく、男性監督が撮ってきた既存の官能映画とは一線を画すひとつのポイントになりうるのではないかと。リプロダクティブ・ライツやヘルスとの連続性の中で官能を描ける監督は貴重だと思います。
奥浜女性とセックスと言うと、どうしてもその先にある「生殖」と結びつけられやすい。そうしたテーマ以外の、女性がセックスによってどのように解放されていくのか。前作でフランス社会と中絶、主体的に将来を選びとる女性を描き、女性がセックスした先には何があるのかを作品ごとに多面的に描くディヴァン監督が、今後どんな映画を撮るのか気になっています。
編集部他に気になったことはありましたか?
児玉女性の自慰の描写って大事だと個人的に思っていて。男性や生殖のためではなく、自分自身の悦びのためにする行為。「ないもの」とされてきた女性の性欲を肯定する描写でもあります。1974年版からもそこをしっかり受け継いで作ってきたのは正解だなと思いました。
奥浜私は、女性とセックスを考えるとき、生殖と快楽と、あともう1つ、コミュニケーションという側面があると思っていて。挿入という行為が快楽に直結するのではなくて、言葉でコミュニケーションを取ることによって得る快感というか、自分が他者にしてほしいことをきちんと伝えられた時に得られる解放感もあると感じています。そこに言及する作品でこの映画を身近に感じたポイントでもありました。
児玉『エマニュエル』ではオーガズムやセクシュアリティが、自分と向き合うプロセスの中で開花されていく。矢印の向かう先が他者ではなく自分なんだっていうメッセージがいいなと思いました。
奥浜編集部うんうん。
編集部改めて自分の身体の主導権を取り戻すことが作品のテーマだったのかなと、お話を聞いていて思いました。
児玉それ、まさに『あのこと』のテーマでもありますよね。
編集部本作も比喩的、暗喩的な表現が多い作品ですよね。
児玉謎が多く鏤められた映画です。たとえばホテルの従業員が指先を切って流血して、仲間が手当てしていたり、ゼルダがエマニュエルの指のマニキュアを噛むようにして剥がしたり。あと、お風呂のシーンで、エマニュエルが紫色の痣を気にするとか。
奥浜剃毛しているとき、腰に痣がありましたよね。
児玉あれって飛行機でのセックスで?
奥浜私もそれ思っていました。
編集部飛行機の化粧室でのセックスについて話をしていたとき、「私の腰はシンクに叩きつけられた」、相手は気づきもしなかった、というセリフもありました。
児玉やけに怪我とか傷跡とか痣とか、そういう描写が鏤められている。『あのこと』ではまさに身体の痛みが前景化されていましたが、身体の快楽を描いている本作にも、前作で描いていたような身体の痛みの残滓が随所にあるという印象も受けました。
奥浜スパで聞く伝説のクラブの話も気になりました。女の子が目の前にあるダイヤモンドを飲み込んだ分だけもらえるだけど、それはとても痛みがある行為だから、みんな飲み込んだダイヤをトロフィーにしているっていう話も示唆的でしたよね。
編集部痛みを感じる登場人物は、女性ばかりですね。
児玉男性はどこか実在性に欠けるのに対して、女性は地に足付けている感じがある。映画で最初に登場するエマニュエルは機上で空中高くにいて、それが高級ホテルの高層階になって、最後は香港のアンダーグランドの街に出ていく。どんどん空間的にも降りてきているので、そこでも地に足の付いた女性を表現していると思う。対して男性陣はフェアリー感があって(笑)。最初に飛行機の中でケイが出てきた場面も、一瞬、幻かな?と。ケイはエマニュエルと目が合った後、そっと目を閉じるんですよね。序盤から、すでに見る/見られるの関係が開始している。そうした些細な描写にもテーマが込められている気がして、緻密に練られた1つ1つの描写の意味を考えると、すごく豊かな映画になると思う。
奥浜私は、本作のコミュニケーションによって得る快楽と解放というテーマのひとつに気付かされた欲求がありました。特に女性は自分が何をしたいか言うのが苦手な人は多いですよね。
児玉みんな、あまり言えてない気がします。でも、自分の願望をちゃんと言葉にするってすごく大事ですよね。
奥浜自分がしたいと思うこと、自分がどうすれば気持ちよくなるかをはっきり口に出して伝える。それはセックスに関わらず大事で、とても健康的なのではないかな。自分がコミュニケーションに何を求めているかを知ることができた映画です。
編集部官能を軸にしつつ、快楽によって女性の解放を多層的に描いている本作の魅力がよくわかりました。児玉さん、奥浜さん、本日はありがとうございました。
『エマニュエル』公式サイトはこちら
児玉美月
単著刊行予定。共著『彼女たちのまなざし』『反=恋愛映画論』『「百合映画」完全ガイド』/文學界/文藝/群像/朝日新聞/ユリイカ/Penほか多数寄稿。
奥浜レイラ
映画/音楽イベントMC。「GINZA」カルチャーページに寄稿。
『エマニュエル』は2025年1月10日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて公開。