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最終更新日:2024.09.30

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トピックス 2024.09.05

【研究成果】贈り物の交換による地位の競争と社会構造の変化――文化人類学への統計物理学的アプローチ――

2024年9月5日
東京大学

発表のポイント

  • 文化人類学で議論されてきた贈与による覇権争いを数理モデルで表現し、贈与の規模や頻度に応じて多様な社会構造が組織されることを計算機シミュレーションで明らかにした。
  • 文化人類学の現象に統計物理学のアプローチを導入することで、個人レベルの贈与の相互作用と、社会レベルの構造的類型の間に見られる普遍的な関係を示した。
  • 本研究成果は、なぜ特定の地域で特定の社会構造が見られるのかを説明するための一般的な枠組みを提供する。また、数理モデルにより人間社会の普遍的性質を考察する「普遍人類学」という人類学研究の新たな可能性をひらくものである。

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ミクロな贈与の相互作用とマクロな格差や社会構造の関係

概要

 東京大学大学院総合文化研究科の金子邦彦東京大学名誉教授と板尾健司 博士課程大学院生(当時)は、贈与の相互作用によって様々な社会構造が組織されうることを理論的に明らかにしました。本研究では、文化人類学で議論されてきた競覇的な贈与(注1)による人々の相互作用を数理モデルで表現し、贈与に対するお返しとして適切な利率と贈与の頻度という二つのパラメータが大きくなるにつれて、社会構造が血縁関係に基づくバンド、同胞意識により連帯する部族、社会階層分化が進んだ首長制社会、安定的な王室を持つ王国の順に遷移することを発見しました。これは、ミクロレベルの贈与の相互作用とマクロレベルの社会構造という、これまで文化人類学や考古学などの分野において別個に議論されてきた現象の間に深い関係があることを示すものです。本研究成果は、人類学の理論研究の新たな分野として、計算機を用いて人間社会の普遍的な構造を論じる普遍人類学の展望を描いています。


発表内容

 文化人類学者たちはこれまでに、世界中の多くの社会において、儀式的な場で贈り物を与えることにより、贈与者が名声を獲得し、受贈者がお返しの義務を課される競覇的な贈与の相互作用が見られることを報告しています。これは贈与が、単に物品を移動させる経済的な相互作用なのではなく、他者に義務を押し付けながら地位を向上させる社会的な相互作用であることを示しています。一方で、人々の社会関係の全体的な構造として、血縁関係に基づくバンド、同胞意識により連帯する部族、社会階層分化が進んだ首長制社会、安定的な王室を持つ王国などの典型的なパターンが知られています。本研究では、贈与の相互作用を数理モデルで表現して、それが引き起こす社会経済的な変化を計算機上でシミュレーションしました。それにより、贈与によって社会が上記の構造的類型の間を移り変わることが明らかになりました。

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図 1 贈与の相互作用の模式図
贈与者は誰かに富を贈与する。受け手が与え手に利子をつけてお返しできれば両者は対等な関係を結ぶ。しかし、適切な返礼ができなければ、受け手は与え手に従属する。

 本研究では、何倍してお返しすれば適切な返礼と認められるかという利率rと、生涯に何回贈与の相互作用を行うかという頻度lの二つのパラメータが特に重要であり、それらの積rlによって社会がとる状態が定まることを示しました。この値が増大するにつれ、まず経済的な格差が生じ、ついで社会的な名声の格差が生じ、その後圧倒的な名声を持つ「王」が現れるとともにその他の民衆の名声の格差が縮小します。同時に、社会はネットワークの構造として、クラスター性を失い、階層性を増すことも見出されました。こうした社会経済的な格差の程度とネットワーク構造の特徴は上記の社会構造の典型的なパターンのそれぞれと対応しています。


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図 2 シミュレーション結果の模式図
適切な返礼の利率rと贈与の頻度lが増大すると、まず経済的な格差が生まれ、ついで社会的な格差が生まれる。そしてついには、圧倒的に富裕な「王」が出現するとともに、民衆の社会的格差が縮小する。これらの格差の変化は、社会構造がバンドから部族、首長制社会、そして王国へと遷移することに対応する。

 これにより、以下のような人類史の進展のシナリオが提案されます。まず人類史の初期には婚姻関係によってバンドが組織されます。そこから人口規模が大きく、余剰生産物が豊かになると、贈与の相互作用が盛んになって、社会ネットワークは広がって、格差が生まれ、社会構造が部族、首長制社会、そして王国へと移っていく、というものです。このシナリオは単に余剰生産物によって非労働者を養えるようになるから分業が進むというのではなく、余剰生産物によって促される贈与の相互作用こそが分業を生むメカニズムなのだというふうに考える点で新しい歴史観を示しています。

 人間社会に一般的な個人レベルのミクロな相互作用をシンプルな数理モデルで表現し、それが多数の人々の間で長期間行われた場合に生じる社会レベルのマクロな帰結を調べるという本研究の方法は、贈与と社会構造以外のテーマについても適用可能です。モデルによる理論研究により、多様な人間社会に通底する普遍的な構造を解明する一連の研究の取り組みは、「普遍人類学」と呼ぶべき新しい分野をひらくことにつながると期待されます。


発表者・研究者等情報

東京大学 大学院総合文化研究科 広域科学専攻
金子 邦彦 東京大学名誉教授 現:コペンハーゲン大学 教授
板尾 健司 研究当時:博士課程/日本学術振興会特別研究員 現:理化学研究所 基礎科学特別研究員


論文情報

雑誌名:PLOS Complex Systems(創刊号)
題名:Emergence of economic and social disparities through competitive gift-giving
著者名:Kenji Itao and Kunihiko Kaneko*
DOI:10.1371/journal.pcsy.0000001
URL:https://journals.plos.org/complexsystems/article?id=10.1371/journal.pcsy.0000001


研究助成

本研究は、科研費「大自由度生命システムの次元縮減:検証、理論化、生物状態論及び神経系学習への展開(課題番号:20H00123)」、日本学術振興会特別研究員研究奨励費(課題番号:JP21J21565)、ノボ ノルディスク財団研究助成金(課題番号:NNF21OC0065542)の支援により実施されました。


用語説明

(注1)競覇的な贈与
 伝統的な社会においてとりわけよく見られる慣習で、儀式などの場で公的に贈り物を与えることで、贈り物の与え手が名声を獲得し、受け手がお返しの義務を負うもの。特に、受け手は一定期間内に適切な返礼を行えなければ、非難され地位を失うことがある。北米先住民のポトラッチの慣習などが有名。


―東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 広報室―

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