音楽教室対JASRAC事件最高裁判決を解説 カラオケ法理は採用せず

知的財産権・エンタメ
東條 岳弁護士 Field-R法律事務所

目次

  1. 控訴審の判断 – 生徒による演奏には使用料請求権なし
  2. 音楽教室事業者とJASRACの上告理由
  3. 最高裁における争点と結論、理由付け
  4. 最高裁判決の意義 - 著作物の利用主体を「管理支配」のみで単純に判断しない
  5. 実務への影響

 2022年10月24日、音楽教室事業者249名および個人の音楽教師2名が原告となり、JASRAC(一般社団法人日本音楽著作権協会)に対して、「音楽教室における演奏については著作物使用にかかわる請求権がない」ということの確認を求めた事件について、最高裁判決が出されました。音楽ビジネスに関する法的助言に豊富な経験を有する東條岳弁護士が、本判決の読み解き方を解説します。

概要
音楽教室事業者である原告ら(「音楽教育を守る会」の会員団体249社ほか)が、JASRAC(一般社団法人日本音楽著作権協会)に対して、原告らの運営する音楽教室における教師による演奏、生徒による演奏は、著作権法22条で定める演奏権の対象となる「公衆に直接見せ又は聞かせることを目的」とする演奏に該当しないことなどを理由として、JASRACは原告らの音楽教室に対してJASRACの管理する音楽著作物の使用に係る請求権を有しないと主張し、当該請求権の不存在確認を請求した訴訟。

 第一審:東京地裁令和2年2月28日判決
 控訴審:知財高裁令和3年3月18日判決
 上告審:最高裁(一小)令和4年10月24日判決

控訴審の判断 – 生徒による演奏には使用料請求権なし

 最高裁判決を検討するにあたって、知財高裁令和3年3月18日判決をおさらいしてみましょう。
 知財高裁判決においても一審判決同様、音楽教室における音楽著作物の使用についてはJASRACに使用料の請求権が一切ないとする音楽教室事業者側の主張は退けられました。
 しかし、音楽教室における演奏のうち、生徒による演奏については、

「生徒は、専ら自らの演奏技術等の向上のために任意かつ自主的に演奏を行っており、控訴人らは、その演奏の対象、方法について一定の準備行為や環境整備をしているとはいえても、教授を受けるための演奏行為の本質からみて生徒がした演奏を控訴人らがした演奏とみることは困難といわざるを得ず、生徒がした演奏の主体は、生徒であるというべきである。」

 として、その演奏主体は生徒であるとして、生徒による演奏には使用料の請求権を認めませんでした。

音楽教室事業者とJASRACの上告理由

 本件は、原審原告の音楽教室事業者側、原審被告のJASRACの双方から上告(受理申立て)がなされていました。

 原審原告の音楽教室事業者は、

  1. 著作権法第22条(演奏権)に定める「公衆に直接聞かせることを目的」とした演奏に該当しないこと
  2. 音楽教室事業者は既に著作物使用料を支払っていること
  3. 権利保護・利用促進・演奏家育成のバランスをとること

 を理由として上告を行ったようです 1

 一方、原審被告のJASRACの上告理由は、

「生徒は被上告人らとの上記契約に基づき教師の強い管理支配の下で演奏しており、被上告人らは営利目的で運営する音楽教室において課題曲が生徒により演奏されることによって経済的利益を得ているのに、被上告人らを生徒が演奏する本件管理著作物の利用主体であるとはいえないとした原審の判断には、法令の解釈適用の誤り及び判例違反がある」

 として、生徒の演奏は教師の強い管理支配の下でなされたものであり、生徒がした演奏の主体はあくまで音楽教室事業者であると主張するものでした。

最高裁における争点と結論、理由付け

 双方からは以上のような上告理由が出されましたが、争点は「レッスンにおける生徒の演奏に関し、音楽教室が利用主体であるか否か」に絞られています
 そして、最高裁は、音楽教室は、レッスンにおける生徒の演奏主体ではないと結論付けています。

 その理由付けとしては、まず、

「演奏の形態による音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、演奏の目的及び態様、演奏への関与の内容及び程度等の諸般の事情を考慮するのが相当である。」

 との判断方法の一般論を示したうえで、以下の点をあげ、結論を導いています。

  • 音楽教室のレッスンにおける生徒の演奏は、教師から演奏技術等の教授を受けてこれを習得し、その向上を図ることを目的として行われるのであって、課題曲を演奏するのは、そのための手段にすぎないこと
  • 生徒の演奏は、教師の行為を要することなく生徒の行為のみにより成り立つものであり、上記の目的との関係では、生徒の演奏こそが重要な意味を持つのであって、教師による伴奏や各種録音物の再生が行われたとしても、これらは、生徒の演奏を補助するものにとどまること
  • 教師は、課題曲を選定し、生徒に対してその演奏につき指示指導をするが、これらは、生徒が上記の目的を達成することができるように助力するものにすぎず、生徒は、あくまで任意かつ自主的に演奏するのであって、演奏することを強制されるものではないこと
  • 音楽教室事業者は生徒から受講料の支払を受けているが、受講料は、演奏技術等の教授を受けることの対価であり、課題曲を演奏すること自体の対価ということはできないこと

 知財高裁判決においては、

「音楽教室における演奏の主体の判断に当たっては、演奏の対象、方法、演奏への関与の内容、程度等の諸要素を考慮し、誰が当該音楽著作物の演奏をしているかを判断するのが相当である(最高裁平成21年(受)第788号同23年1月20日第一小法廷判決・民集65巻1 号399頁〔ロクラク Ⅱ 事件最高裁判決〕参照)。」

 との判断方法が提示されており、基本的には知財高裁判決の判断手法を踏襲するものと考えられます。

最高裁判決の意義 - 著作物の利用主体を「管理支配」のみで単純に判断しない

 以上のとおり、最高裁判決は知財高裁判決を踏襲したシンプルなものですが、その意義は小さくないものと思われます。

 前述のとおり、JASRACの上告理由には「管理支配」という言葉が使われていますが、これはいわゆる「カラオケ法理」を意識したものと思われます。カラオケ法理は、「物理的な利用行為の主体とは言い難い者を、①管理(支配)性および②営業上の利益という2つの要素に着目して規範的に利用行為の主体と評価する考え方」と説明されます 2

 JASRACとしては、知財高裁判決で採用されなかったカラオケ法理が採用されるべきと改めて主張しましたが、最高裁においてもカラオケ法理が正面から採用されることはありませんでした

 これまで、カラオケ法理によりJASRACは多数の勝訴判決を勝ち取ってきましたが、あまりにその外縁が広がり過ぎて不明確であるとして、カラオケ法理に対しては少なからず批判的な意見もありました。
 あまり意識されませんが、著作権侵害には刑事罰も伴いますので、罪刑法定主義の観点からも、本来は何が違法で何が違法でないのか明確でなければならず、「管理支配」といった抽象的な要件により違法であるか否かが判断されてはならないでしょう

 たとえば、MYUTA事件では、CDに収録された音楽データをユーザーのPC上で携帯電話で利用可能な形式のファイルに変換したうえで、インターネットを経由して事業者の運営するサーバーのストレージにアップロードし、ユーザーが登録した特定の携帯電話にダウンロードできるようにするサービスにおいて、サーバー上で生じる複製行為の主体が、サービス提供事業者であるのか、個々のユーザーであるのかが争点となりました。

 東京地裁はMYUTA事件において、「管理」「支配」という概念に基づき、複製主体も公衆送信主体もユーザーではなく事業者であると判断しました(東京地裁平成19年5月25日判決)。本判決には、限定的な解釈がなされるべきであるとの批判も数多くありましたが、著作物を扱うクラウドサービスを展開するにあたっては、一定の躊躇をさせる裁判例になっていたことも確かです。

 ロクラクⅡ 事件判決(最高裁平成23年1月20日判決・民集65巻1号399頁)においても、金築誠志裁判官が以下のような補足意見を述べています。

「このように、「カラオケ法理」は、法概念の規範的解釈として、一般的な法解釈の手法の一つにすぎないのであり、これを何か特殊な法理論であるかのようにみなすのは適当ではないと思われる。したがって、考慮されるべき要素も、行為類型によって変わり得るのであり、行為に対する管理、支配と利益の帰属という二要素を固定的なものと考えるべきではない。この二要素は、社会的、経済的な観点から行為の主体を検討する際に、多くの場合、重要な要素であるというにとどまる。にもかかわらず、固定的な要件を持つ独自の法理であるかのように一人歩きしているとすれば、その点にこそ、「カラオケ法理」について反省すべきところがあるのではないかと思う。」

 補足意見からは、最高裁としても、当時から、「カラオケ法理」が「固定的な要件を持つ独自の法理」として一人歩きしていることに、懸念を示していたことがうかがわれます。
 しかし、ロクラク Ⅱ 事件最高裁判決以後も、クラブキャッツアイ事件を引用し、「管理支配」を理由として結論を導く判決は出され続けていました。

 本事件の最高裁判決において、カラオケ法理が明確に否定されたわけではありませんが、カラオケ法理の基礎となったクラブキャッツアイ事件判決(最高裁昭和63年3月15日判決・民集42巻3号199頁)を引用しないという点からは、今後、最高裁としては「管理支配」といった概念のみで著作物の利用主体を判断せず、総合的な考慮により判断するとの認識を改めて示したものと考えられ、地裁レベルにおいてもカラオケ法理を正面から採用するケースはなくなるのではないかと考えられます

 これにより、管理支配性のみに注目し、侵害主体を拡大することにより著作権侵害が成立する範囲を拡張するという、これまでの裁判所の判断の傾向に、一定のブレーキがかかるものと考えられます

 なお、第一審、第二審で争点になった「公衆」概念については、特に最高裁において判断は示されませんでした。

実務への影響

 最高裁判決が出されたことにより、教師がJASRACの管理楽曲を演奏するにはJASRACへの使用料の支払いが必要であることが確認されました。その意味では、音楽教室事業者側の「負け」ともいえますが、音楽教室における主要な音楽の利用である生徒の演奏について、演奏権が及ばないとの判断を得たことは、実質的な「勝ち」とも評価できるものと思われます

 「音楽教育を守る会」においても、「今後、JASRACとは、音楽教室における講師の演奏と録音物の再生演奏についての適切な著作物使用料率を求める協議を始める所存です。」との声明が出されています 3
 JASRACの定める音楽教室における使用料は、JASRACの楽曲を利用した講座の受講料金総額の2.5%ですが、これは教師の演奏と生徒の演奏、録音物の演奏のすべての利用が含まれることが前提の料率です。したがって、最高裁において、生徒の演奏には演奏権が及ばないと判断された以上、この料率から相当程度減額した料率で、音楽教室事業者とJASRACとの間で合意がなされるのではないかと思われます

 また、カラオケ法理は、著作物の利用者側にとっては著作物を利用したビジネスを萎縮させるものであるとして、批判の対象になってきました。実際に、著作物(特に、音楽著作物や放送番組)を扱う新規事業を行うにあたっては、カラオケ法理を踏襲する多くの裁判例からは、かなり消極的にならざるを得ないところもあったようです。
 ただ、判断基準には、「諸般の事情を考慮する」というあいまいな部分は残されていますので、最高裁判決が出たことにより、それらの著作物を利用するビジネスがドラスティックに加速するかというと、そういうわけでもないでしょう
 今後、最高裁判決を踏襲した裁判例が積み重なることで「諸般の事情」としてどのような要素が考慮されるか、また、どの程度の重み付けがなされるのかなどの精緻化が進むことで、著作物を利用するビジネスが促進されることは十分考えられるところです。


  1. 音楽教室訴訟原告および弁護団 音楽教育を守る会「音楽教室訴訟 最高裁判所に上告(受理申立てを)しました」(2021年4月1日) ↩︎

  2. カラオケ法理と、それを最初に示したクラブキャッツアイ事件最高裁判決については、「音楽教室対JASRAC事件 知財高裁判決の読み解き方」参照。 ↩︎

  3. 音楽教室訴訟原告および弁護団 音楽教育を守る会「音楽教室訴訟 最高裁判所判決について(事件番号 令和3年(受)第1112号 上告受理申立て事件)」(2022年10月24日) ↩︎

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