2023年の夏、NTTは京都大学大学院文学研究科の出口康夫教授と一般社団法人京都哲学研究所を設立。趣旨に賛同した日立製作所、博報堂、読売新聞といった企業も同研究所の研究活動に参画している。
なぜ総合ICT事業を標榜する通信企業のNTTが先頭に立って京都哲学研究所を始めたのか。
二人いる共同代表理事のうちの一人、NTT会長の澤田純にインタビューした。
もう一人の共同代表理事の出口康夫は、設立の趣旨について「哲学はいま再び、社会に向き合い、社会にエンゲージしなければなりません」と言っている。
※インタビューは4回にわたって掲載する。第3回となる今回は、世界で進む分断と哲学について。
分断が進んでいるのはアメリカだけではない

——澤田さんは価値多層社会を目指しているとおっしゃっています。しかし、世界では米中の対立が進んでいます。ロシアとウクライナは戦争になり、イスラエルとビスボラ、ハマスは戦闘を続けています。シリアの体制は変わりました。
世界の分断は進む一方だと思います。
先のアメリカの大統領選挙でも分断が表れていました。2大政党の民主党と共和党から代表が一人ずつ出て大統領を決めるというシステムは分断された党の政策を競う形になります。社会の分断は2大政党の代表が争うことに見て取れます。
澤田:二つの党があれだけ政策ベースで離れていると、それは分断になってしまう。それと、人間は「自分は偉い、自分はできる」と思えば、それは分断を生んでしまうのではないでしょうか。
アメリカに関して言えば、余計なお世話かもしれませんが、連邦の政治を決めるときには多様な価値の同時両立を認め合うパラコンシステントにした方がいいのではないかと思っています。
「もうAでもBでもいいのでは。実施に際してはそれぞれの州で決めればいい」
もしくは抽象化することでしょう。
「A、Bのどちらでもアメリカが繁栄する道にしましょう」と。
そう言えればいいわけですから。
今、分断が進んでいるのはアメリカだけではなく、日本でも同じではないでしょうか。
日本の状況に対しても建設的な対応は、パラコンシステントの考え方の適用だと思います。そして西洋の価値と東洋の価値を共存させるような、新しい哲学の実現です。現在のような分断する世界状況もまた京都哲学研究所の設立のきっかけになっています。
「人間は万物の霊長」ではない

—— 分断を促進するSNSの誹謗中傷が減りません。増えているようです。
澤田:コミュニケーションはかつてより、すごく便利になっています。1990年頃、うちの幹部の人たちは、「未来になっても一人1台コンピューターを持つ時代は来ない」なんて言っていました。ところが、今では一人1台どころか数台持つようになっている。
データを処理する意味では便利になっていっていますが、コミュニケーションそれ自体はプア(poor)になっている。
NTTではリッチコミュニケーションをもっと突き詰めるべきだと考えています。それで環世界(注・すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きていて、それを主体として行動している)の議論になっています。
人間が知り得ていない知覚世界の中で考える、赤外線でものが見える世界があるとか、そうした環世界がある。そして、環世界の技術を人間が活用できれば人間が知覚する世界はさらに拡張できる。
でも、拡張したからと言って「人間は万物の霊長」ではなく、ちゃんと利他の気持ちを持つ。また、自然というものを理解した文化的な思想を両立させていく。これが大事なポイントだと思っています。
「マインドセットを変える」ではなぜ伝わらないか

澤田:細谷功さんが『具体と抽象』という本を書いています。私はその本に触発されたのですが、哲学とは何事も抽象化していく議論かなと思います。
一般的な経営者はよく社員に「君たち、マインドセットを変えなさい」みたいな意識改革の重要性を説きます。しかし、実際には一向に変わらない。
先日、出口先生たちと話していて気が付いたのですが。いくら「意識を変えろ」と言ってもそれは変わらない。意識を形成している価値観が変わっていないのですから。
意識はどこから出てくるのかと言ったら、それは価値観であり、人間観です。そこは哲学が扱う問題なんです。
にもかかわらず、企業の人間は「意識改革をしないといかん」と言う。すると、その対処はマインドコントロールになってしまう。
人間をどう捉えよう、価値というのをどう捉えようという話にはならない。それは哲学だからです。企業の人間は哲学の世界へはなかなか踏みこもうとしない。
——分かります。哲学は難しいし、日々の生活には縁遠いからではないでしょうか。しかし、哲学を一度は学んでみたいと思う人は大勢います。
澤田:おっしゃったように難しいし、おっしゃるようにしんどい議論にはなるかもしれません。
でもひょっとしたらそうではなくて、具体と抽象の議論のように、ある問題や要素を抽象化できればそれは一つのブレイクスルーになります。嫌だなと思っていることが抽象化できたら、まあそれも一つだなというふうに思えてきます。
そして抽象化したこと同士で議論したら、さらに抽象化が出てきたりする。抽象化の議論を始めた段階で、それはもう意識が改革されているんですよ。
価値観が変わってきて、人の意見を受け入れるという価値観が入ってきている。
そこまでは誰でも自然にできるんじゃないでしょうか。
これは私の意見ですけれど、哲学とは困った問題を抽象化する議論であり、考えだと理解できれば、哲学は身近なものになりますね。
——そう言われると気楽になります。
澤田:京都哲学研究所は価値多層社会の実現を目指しています。
技術革新の成果をより豊かな社会形成に生かし、希望の持てる未来を創っていきたい。世界中の人々がなるべく分断することなく、多様な価値観を認め合い、共存し、協力し合う社会になっていくために力を尽くしたい。
西洋的価値観と日本・アジアの価値観が矛盾許容的に共存する価値多層社会、パラコンシステント・ワールドに向かいたいと考えています。
(文中敬称略。第4回に続く)
野地秩嘉(のじ・つねよし): 1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』『高倉健インタヴューズ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』など著書多数。