
コロナ禍以前、ほとんどの経営者は在宅勤務が生産性を低下させると考えていた。オフィスに出社させてきちっと管理しなければ、従業員は自宅でパジャマ姿のままくつろぎ、ネットフリックス(Netflix)に夢中になって何もしないだろうと思っていたのだ。
だが、リモートワークと出社を混合させたハイブリッドワークが3年半にわたって実施されたことで、今ではこの考えが間違っていたことが分かっている。実際、ある研究によると、ホワイトカラーの専門職は、在宅勤務をすることで、仕事量を減らすどころかより多くの仕事をこなせることが確認されている。
しかし、生産性は労働の尺度の1つに過ぎない。しかも、それは限定的な評価だ。日常的に労働者がこなす仕事の「量」は、その仕事の「質」とは大きく異なる。
例えば、1時間あたりのアウトプットからは、イノベーションがあったかどうかは分からない。ここでいうイノベーションとはつまり、将来を大きく変えるようなイノベーティブな製品やサービスに発展するような新しいアイデアを、チームが生み出したか、というようなことだ。
生産性は、短期的にはビジネスを回していくうえで重要だ。しかし、刻々と変化する経済において、企業が生き残り、勝ち残る力をもたらすのはイノベーションだ。
ブレイクスルーが生まれやすいのはどちらのチーム?
それでは、在宅勤務は社内の協力関係を阻害し、イノベーションを妨げるのか。多くの経営幹部はそう信じているが、それを証明する優れた研究はあまり見当たらない。
結局のところ、リモートワークが大規模に行われるようになったのは2020年以降であり、新しいアイデアを現実世界で応用して展開するには、数十年とは言わないまでも数年はかかる。まだ起こっていないことを評価するのは難しい。
しかし、先ごろ学術誌『ネイチャー』に掲載された新たな大規模研究では、リモートワークがイノベーションに及ぼす影響について、新たな分析が行われた。
この研究の核心部分では、優れた手法が用いられている。リモートワークが企業で実施されたのは比較的最近のことだが、科学者や発明者は何十年にもわたって遠距離間で協力し合ってきた。そこで、オックスフォード大学とピッツバーグ大学の研究者たちは、世界中の過去半世紀にわたる2000万件の科学研究と400万件の特許申請を精査した。ブレイクスルーを実現して、より優れた成果を挙げたのは、遠隔で共同作業したチームと、同じ場所で一緒に働いたチームのどちらだったのか?
この研究者たちの発見は、注目すべきものだ。それは、経営者、特に事業が一瞬にして重要性を失うかもしれないシリコンバレーの経営者にとって重大な示唆を含んでいる。
この研究により、同じ場所で一緒に働いたチームは、遠隔で共同作業をしたチームよりも多くの成果を挙げていることが確認された。また、メンバー同士が離れていればいるほど、たとえ同じタイムゾーンにいても、画期的な成果を挙げる可能性は低くなる。
例えば、メンバーが同じ都市に集まっているチームは、メンバー同士が数百マイル以上離れているチームよりもイノベーティブな特許を生み出す可能性が22%高く、科学論文で先駆的な洞察を行う可能性が27%高かった。同じ場所で一緒に働くことが、遠隔での共同作業よりも大きく勝っていたのだ。
この研究論文の共同執筆者であるオックスフォード大学のエコノミスト、カール・ベネディクト・フレイ(Carl Benedikt Frey)は次のように話す。
「すべての企業が、オフィスでの勤務に完全に戻すべきだと言うつもりはありません。しかし、画期的な技術を開発するという観点から純粋に考えるのであれば、できるだけオフィスに足を運んだ方がいいでしょう」
なぜ同じ空間に集まったほうがいいのか
この研究をやり遂げるのには大変な苦労があった。まず、フレイと共同執筆者らは、2000万件の科学研究と400万件の特許のそれぞれがどの程度イノベーティブであるかを判断しなくてはならなかった。
これはまったく主観的な判断のように見えるかもしれないが、執筆者たちは賢明な手法を用いた。対象となる各研究について、その後の科学論文や特許に引用される頻度を調査し、同一テーマでそれ以前のものが、あまり引用されなくなったかどうかを確認したのだ。
当該研究が先行するものと一緒に引用された場合は、評価を下げ、革新性に欠けると判断した。それ以前の知識に基づいて組み立てられた数ある研究の一つに過ぎないと見なすわけだ。だが、当該研究が非常に画期的で、先行するものを凌駕する場合にはDスコアを付与した(例えば、DNAの二重らせん構造を発見したワトソンとクリックの1953年の論文は独創的であることから、非常に高いDスコアが付与された)。
次に、こうしてDスコアが付与された科学論文・特許それぞれに関わった研究者たちの居場所を確認した。これにより、チームメンバー間の距離に基づいて、関わった研究者たちが画期的な研究を生み出す確率を計算できるようになった。かくして、チームメンバー間の距離が近ければ近いほど、イノベーションを起こせる可能性が高いことが判明した。
問題は、その理由だ。従業員にフルタイムでのオフィス勤務に戻ることを求める経営幹部に尋ねれば、従業員をクリエイティブにしてくれる井戸端会議の魔法のような効用を言い出すかもしれない。
そして、それは大なり小なり正しいと言えそうだ。
フレイと共同執筆者らは科学論文のデータを調べ、関わった研究者が具体的に貢献した内容についてまとめた。同じ場所で一緒に働いたチームでは、研究者の多くが研究構想の初期段階から関与していた。
対照的に、遠隔で共同作業したチームでは、関与する研究者が独立した存在で、自分自身でアイデアを生み出す傾向があった。そして、研究の技術的な作業を、十分に状況を把握していないチームメンバーに任せていたのだ。
どうやら、初期の大局的な思考(いわば井戸端会議での議論)で、質の高い、協力的なやりとりをすることで、チームはより斬新なアイデアを追求するようになるようだ。
遠隔状態と同じ場所にいる状態との違いは、Slackで生煮えの考えを明瞭に伝えようとしたことがある人なら誰でも理解できるだろう。
「(論文を書こうとするとき)、それについて最初に交わす会話は、たいていそれほど明確なものにはなりません。すんなりとは進まないでしょう。誰かと同じ部屋にいると、何かがあればその人に質問をしたり、意見やフィードバックをもらったりすることができます。けれど、電話をしたりメールを送ったりしなければならないとなると、わざわざそんなことをする気にはならないでしょう」(フレイ)

慌ててオフィス出社を促す前に
さて、この1本の研究を参考にして、企業が慌てて職場方針を見直す前に、いくつか注意すべきことがある。
第一に、科学者や発明者の作業は、一般的な会社員のものとはかなり異なる。また、過去に遠隔での共同作業がイノベーションに役立たなかったからといって、将来もうまくいかないとは限らない。遠隔で共同作業するためのツールは、ここ数年で劇的に向上している。リモートワークやハイブリッドワークを促進するツールの市場がはるかに大きくなった今、今後数年間でさらに改善されるだろう。
しかし、対象データの驚くべき広さを考えると、この研究の結果は、リモートワーク時代の企業にいくつかのことを教えてくれる。
まず、従業員をオフィスに連れ戻す前に、自社の事業が「地道な改善」と「イノベーション」をどの程度必要としているのかを把握する必要がある。自社は革命的なイノベーションによってうまくいくのか、それともコツコツと改善することで成功を収めるのか。
専門職の仕事の大部分は、地道で派手さのないものだが、それは悪いことではない。「すでにプロダクトを生産している既存プレイヤーであれば、規模拡大と漸進的改善をサポートするテクノロジーに投資するほうが大きなメリットがある」とフレイは主張する。
それに、最も先駆的なテック企業でさえ、すべての従業員が、事業の中でイノベーションを必要とする中核部分、つまり刺激的な新しいものを創出する業務に関与するわけではない。
確かに、プロダクトチームのメンバーが直接顔を合わせれば、より良いアイデアにぶつかるかもしれない。しかし、経理、人事、ITなどの役割を担っている人たちは、イノベーターをサポートするためにそこにいるのであって、自分自身でイノベーションを起こすためにいるのではない。よって、在宅勤務でも問題ないはずだ。
これが、全社的なRTO(リターン・トゥ・オフィス)の義務化がほとんど意味をなさない理由の1つとなる。組織は、すべての人を同じように扱うのではなく、特定のチームや機能に沿って方針を実行するほうが賢明だろう。
全従業員を在宅勤務にしたい企業にとっても、この研究の結果には、イノベーションの機会を逃さないようにするためのヒントがある。それは、最上位の上司がアイデアを出して、部下に実行させるのではなく、全員がブレインストーミングに参加する方法、つまりオフィスでの井戸端会議のリモート版を作る方法を探すということだ。
Zoomで奇抜なアイデアを共有するのは恥ずかしいものだろう。しかしもしかしたら、そうしたアイデアの中には、ちょっとした才能を感じさせるものが含まれているかもしれない。目指すのは、リモートワークによるコスト削減や人材採用の利点と、オフィスで一緒に働くことによるイノベーションの追求という双方の強みを最大限に活かすことだ。
その両立を図ることは、個々の事業だけでなく、すべての人にとって不可欠だ。ゆっくりと着実に改善を進めれば、確かに経済は日々、活況を呈する。しかし、時間が過ぎていく中で生活水準を有意義に向上させるには、時には画期的な発見が必要となる。
だからこそ、エコノミストはテクノロジーにこだわり、彼らの多くが最近のアメリカの生産性の鈍化を懸念する。悲観論者は、人類は良いアイデアを使い果たしてしまったのだと断言する。
しかしフレイの研究は、皮肉なことに、過去数十年にわたって通信技術のあらゆるブレイクスルーにより促進されたリモートワークの台頭が、技術革新を低迷させる一因になっている可能性を示唆している。私たちが互いに離れて仕事をするほど、次の大きな機会の創出から遠ざかってしまう。
「馬車はいくらでも改良できます。しかし、自動車を作らないかぎり、個人が使う交通手段に革命を起こすことはできません。実際、このような根本的なブレイクスルーが必要とされているものの、その実現は十分とは言えないのです」(フレイ)