私の名前はローラ・シュブ。ニューヨークのブルックリンに住む高校3年生だ。
「若者世代はSNSに毒されている」とよく言われる。スマホ中毒の若者を指して、スクリーンとティーンエイジャーを組み合わせた造語、「スクリーンエイジャー(screenager)」なんて言葉で揶揄されることもある。実際私もその1人だったし、若者世代は自分たちのこの状況を肯定的に受け入れていると思われがちだ。
だが、それは必ずしも正しくない。少なくとも私と友人たちは皆、スマートフォンと、それに付随するお荷物、つまりは友人との自撮りや、SNS疲れ、タイムラインの無限スクロールなんかを嫌っていた。みんなこれ以上「スクリーンエイジャー」になりたくなかったのだ。
だが、みんながみんなスマホをすぐに手放せるわけじゃない。そこで私たちは、この小さなコンピュータを脇に置き、それが存在しない生活を体験できるよう、高校に「ラッダイト・クラブ」を立ち上げた。ラッダイトとは、19世紀初頭にイギリスで起こった機械破壊運動のことだ。
とはいえ、このクラブに参加するためにスマホを処分する必要はない。私を含め、メンバーの中にはフィーチャーフォン(ガラケー)に切り替えた人も多いが、まだiPhoneを持っている人もいる。クラブ活動中のルールはただ一つ。「スマホ禁止」だ。TikTokもInstagramもここでは見られない。
私たちは毎週決まった時間になると、ニューヨークのブルックリンにある大きな公立図書館に集合する。そこで、最近読んだ本や、クラブで推進するプロジェクトについて話し合う。ただ読書をしたり、絵を描いたりする人もいる。何よりも大切なのは、スマホを使わない時間をメンバーと過ごすことだ。
このクラブは、最初はたった1人から始まった。だが発足から半年が経った今、他校の生徒まで巻き込み、支部が生まれる勢いで成長している。以下ではこのクラブが生まれた経緯や、参加して得た感覚、仲間とのやり取りやデメリットについて詳細に説明したい。
失われた時間を取り戻した
ラッダイト・クラブは、友人のローガンが中心になって2021年にスタートした。彼女はその前年に自分のスマホを捨て去り、ガラケーに機種変更していた。
最初は、彼女の「実験」が続くとは思えなかったし、可能だとも思えなかった。現代のティーンエイジャーが、SNSなしでどうやって生きていけるというのだろう?
だが彼女はそれ以来、スマホやSNSを介すことなく私たちメンバー全員に大きな影響を与えてきた。その最初の相手が他ならぬ私だったというわけだ。高校2年生の2学期、彼女に説得された私はスマホを手放し、ガラケーに機種変更した。
iPhoneがポケットから消えて、すぐに気づいたことがある。地下鉄に乗っているときや、お店に並んでいるとき、トイレに行くときなど、いつもなら反射的にスマホを取り出してしまうような瞬間が、すべて沈黙の時間になったのだ。
代わりにすることと言えば、その日の予定を立てたり、5年前の思い出を振り返ったり、ストレスになっていた問題の答えを導き出したり……といったことだ。
以前ならスマホや時間を浪費するだけの動画にあっという間に意識を奪われていたのに、何を考えても、それがより鮮明で詳細に感じられるようになった。失われた時間を取り戻し、創造的な思考ができる余裕ができた。読書もするようになり、集中力も高まったように思う。全体として、自分の思考パターンが改善されたような気がした。
ただ座りながら考え事をするのが大変なことだというのは知っている。でも、これは実践し、その方法を学ぶ価値がある、本当に素晴らしいことだと実感した。
私はこの変革の情熱を持って、ローガンと共にスマホのない生活がいかに素晴らしいものかを布教し始めた。
友人の多くはiPhoneのない生活なんて考えられないと、私の話を無視した。でも何人かは耳を傾けてくれて、数週間のうちに友人のオディールもガラケーに切り替えた。このとき、私たち3人は同志だと感じ、ラッダイト・クラブが正式に誕生したのだ。
メンバーは半年で14人に
10代の若者の約84%がスマホを所有し、50%がスマホ中毒だと感じているという記事がある。
友人たちの日常では、常に他人と自分を比較したり、10代ならではの難しいニュアンスにとらわれたりと、SNSの悪影響がいたるところで見られた。これにはもう逃げ場がないようにも思えた。アプリを削除しても数日後にはまた再インストールする、というのもよくある光景だった。
だが、ラッダイト・クラブができてから、私は毎週の開催日を心待ちにしているし、メンバー同士の間にも血の通った交流が生まれていると感じる。
ラッダイト・クラブには現在、ガラケーに切り替えたメンバーが9人、ラッダイト流のライフスタイルが好きで、その時間だけ参加しているメンバーが5人ほどいる。ミーティングが終わった途端にスマホを手にすることもあるが、それでいいと思っている。
クラブの美徳は、ミーティングの外にも広がっている。私たちは、たとえガラケーといえども、他人の前では絶対に携帯電話を取り出さないと決めている。これは健全な意味での同調圧力になる。もし誰かが携帯電話を取り出そうものなら、「何してんの?今すぐ携帯しまってよ!」と怒鳴り声が飛んでくる。
また、メールをするときは、送信ボタンを押す前に自分の言葉が相手にどんな感情を抱かせるか、よく考えなければならなくなった。これは非常に価値のあることだと思う。ガラケーでは返信が来るまでに時間がかかる。最初はこれが不安だったが、時間が経てばその不安も消えるものだと学んだ。
また、グループ内のガラケー使用率がどんどん高まった結果、そもそもテキストのやり取り自体が稀になった。面倒だし、時間がかかりすぎるからだ。だから、直接会って話をするか、すぐに電話をかけることになる。
デメリットもある
正直なところ、スマホが恋しくなることもある。ある寒い夜、クラブの友人と私はパーティーに行きたかったものの、Instagramが見られないので場所が分からなかったのだ。
バスケットボールコートのそばで震えながら、私たちは何人かの友人に電話をかけた。結局、電話に出てくれた友人に同行することで事なきを得たが、時間はかかった。確かにトレードオフは存在する。
クラブのメンバーの中には、ガラケーに機種変した後でもまだInstagramのアカウントを持っている人もいる。彼女は、スマホを持っている人たちと一緒にいるときは、それを借りてInstagramにログインしているらしい。
彼女にはあまり「ラッダイトさ」はないが、私はそれでもその行動を害悪の軽減と呼びたい。そうやってパーティーの様子を見ることはできるし、Instagramという呪われたアプリに常にアクセスする必要はなくなる。
他校への広がり
ラッダイト・クラブが正式に発足して6カ月、私たちのクラブは好調なだけでなく、成長し続けている。
最初はローガンが通うブルックリンのエドワード・R・マロー高校の生徒が中心だったが、やがてローワー・イースト・サイド地区のエセックス・ストリート・アカデミーの生徒も加わった。今はブルクとオジーという2人の友人が、ヘルズ・キッチン地区にあるビーコン高校で支部を立ち上げの準備を進めている。
クラブのミッションを世の中に発信するためのプロジェクトもいくつか始めている。その一例として、「take a book, leave a book(本をどうぞ、本をどうも)」という名前のミニ図書館を作ろうと計画中だ。そのために、ブルックリンのプロスペクト・パーク周辺に、ラッダイト・クラブの手作り看板を設置した。今後、もっとたくさん作って宣伝していく予定だ。
最後に、私たちから他のティーンエイジャーにこう伝えたい。
「自分自身を知り、自分の周りの世界を探求することに時間を使おう。それは高価な小さな箱の中の世界よりも、ずっと充実していて、ずっとリアルなのだから」
(編集・野田翔)