水木しげる「人を土くれにする時代だ」 出征直前の手記で語った戦争への思い

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漫画家の水木しげるさん

 漫画家の水木しげるさん(93歳)が太平洋戦争へ出征する直前に記していた手記がみつかり話題となっている。手記には、押し寄せる死の恐怖に自己の未来を憂いながらも、自分はこうありたいと願う20歳の若者の葛藤がみずみずしい筆致で描かれていた。

 手記は2015年5月末、水木さんの長女・原口尚子さん(52歳)が古い書簡の整理をしていたときに発見した。原稿用紙38枚に書き連ねられた内容から、水木さんがラバウルへ出征する昭和18年の前年、昭和17年10月から11月にかけて執筆されたと推測される。当時水木さんは満20歳で徴兵検査を受け、合格通知が届いており、近いうちに召集され入隊することを予想していた。翌春には鳥取連隊に入営し、やがて南方戦線へと送られることになる。

「ゲゲゲの鬼太郎」などの妖怪や怪奇もので有名な水木さんだが、当時の戦争体験を基にした戦記ドキュメンタリーも長年描き続けていた。NHKの朝ドラにもなった妻・布枝さんの著書『ゲゲゲの女房』などで描かれるひょうひょうとした人柄の水木さんが戦争のさなか、どのような苦悩を抱えていたのかが赤裸々に語られた手記となっている。

 今回その手記が7月7日発売の文芸雑誌「新潮」8月号(新潮社刊)に全文掲載されることとなった。

■人を一塊の土くれにする時代

 手記の冒頭はこう始まる。

《静かな夜、書取のペンの音が響く。その背後には静かな夜のやうに死が横はつてゐる。この心細さよ。》

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『水木しげる出征前手記』原稿1。水木さんがラバウルへ出征する昭和18年の前年、昭和17年10月から11月にかけて執筆されたと推測される。

 20歳の水木青年は、太平洋戦争の只中でその時代をこう記す。

《将来は語れない時代だ。毎日五萬も十萬も戦死する時代だ。芸術が何んだ哲学が何んだ。今は考へる事すらゆるされない時代だ。画家だらうと哲学者だらうと文学者だらうと労働者だらうと、土色一色にぬられて死場へ送られる時代だ。》

《人を一塊の土くれにする時代だ。》

《こんな所で自己にとどまるのは死よりつらい。だから、一切を捨てて時代になつてしまふ事だ。》

 出征すれば死ぬ、と考えていた水木さん。水木さんが1959年に発表した戦記ドキュメンタリーの短編「ダンピール海峡」には南方への出征を迎えた弟を見送る姉が登場する。とても無事では帰れないと気付いていた弟と、今度会うときは白木の箱に入って帰るのだろうと弟の乗った船を見送り涙する姉。皆わかっていたのだ、出征すれば生きて帰れないということを。現実に水木さんの所属した部隊は多くの仲間が戦死し、水木さん自身左腕を失った。

■煩悶を繰り返す

 残酷な現実を前に水木青年は煩悶を繰り返す。

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『水木しげる出征前手記』原稿2。

《一切の自分ていふものを捨てるのだ。》

 しかしその後に自分の言葉を否定する。

《吾は死に面するとも、理想を持ちつづけん。吾は如何なる事態となるとも吾であらん事を欲する。》

 芸術を志しながらも救いを仏教や基督教に求め、また哲学が芸術を支える杖となるのかと悩む。

《吾を救ふものは道徳か、哲学か、芸術か、基督教か、仏教か、而してまよふた。道徳は死に対して強くなるまでは日月がかかり、哲学は広すぎる。芸術は死に無関心である。》

《俺は画家になる。美を基礎づけるために哲学をする。単に絵だけを書くのでは不安でたまらん。》

 かと思えば

《前に哲学者になるやうな絵描きになるやうな事を書いたが、あれは自分で自分をあざむくつもりに違ひない。哲学者は世界を虚空だと言ふ。画家は、深遠で手ごたへがあると言ふ。(中略)之ぢや自分が二つにさけねば解決はつくまい。》

 当時の水木さんは哲学書や宗教書を読みあさっていたようだ。漱石やゲーテ、ニーチェの言葉を引用しながら、自身の揺れる心境を綴っている。絵に対する情熱や才能を確信しながらも、荒波のような時代のなかで何を信じてゆけばよいのか苦悩する姿が、現実味をもって感じられる。手記を読んだ誰もが自分の青年時代を思い起こさずにはいられないだろう。

■己の道を造るのだ

《時は権力の時代だ。(中略)こんな時代に自己なんて言ふ小さいものは問題にならぬ。希望だ理想だ、そんなものは旧時代のものだ。(中略)時代に順ずるものが幸福だ。現実をみよ。個人の理想何んて言ふものは、いれられるものではない。恐ろしい時代だ、四方八方に死が活躍する。こんな時代には個人に死んでしまふ事だ。》

 後に水木さんの所属した部隊はニューブリテン島聖ジョージ岬で圧倒的な米軍の戦力を前にし、玉砕を命じられる。その悲劇を描いた『総員玉砕せよ!』で戦争のなかで個人が虫けらのように扱われ、日本軍の美学や信条を支えるための無謀な突撃により、犬死にを果たす一般兵の姿が描かれる。

 そんな状況のなかでも水木さんを勇気づけ、生へと導いたのは絵画への情熱だったのかもしれない。

《私の心の底には絵が救つてくれるかもしれないと言ふ心が常にある。私には本当の絶望と言ふものはない。》

《唯心細さと不安の中に呼吸をする。なにくそなにくそどんなに心細ても、どんなに不安でも己の道を進むぞ。四囲の囲ひを破るのだ。馬鹿、馬鹿たれ、馬鹿野郎。(中略)黙れ、黙れ、吾が道を進むのぢや。己の道を造るのだ。》

《生は苦だと言ふ事。明白に知る事が必要だ。生ある限りは戦である。休息は死だ。本当に死程幸なものはないだらう。(中略)生とは活動である。死とは休止である。生ある限り戦ふ事だ。》

 この力強い言葉の数々。生きて戦う努力を放棄せず、生ある限り己の信じた道を進むのだという、水木青年の決意が伝わってくる。

 今回手記を掲載した「新潮」の矢野優編集長は手記の意義や価値についてこう語る。

「一読して、震えるような感銘を覚えました。後の国民的漫画家が、戦争の残酷さと迫り来る死にいかに苦悩し、どのような思いで戦地に向かったのか。この血のにじむような言葉は一級の歴史的資料であるのみならず、戦争をめぐる『表現』として、高い文学的価値があると確信します。現代のすべての日本人、とりわけ若い方々に読んでいただきたいと願います。」

 戦時下の日本で一人の若き芸術家が何を感じていたのか、その生々しい言葉は戦後70年を迎える日本においてもまったく色を失わず、切実な魂の叫びとして私たちの心を揺さぶる。

デイリー新潮編集部

デイリー新潮
2015年7月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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