“男性特有の匂いが嫌い”や“おじさん詰め合わせ”は「差別発言」指摘も…男性への「ヘイトスピーチ」とはいえない明確な理由
在日外国人などのマイノリティに対する攻撃的・差別的な発言が「ヘイトスピーチ」と認識されるようになって久しい。大阪市や川崎市、相模原市など、一部の自治体ではヘイトスピーチを規制するための条例も制定された。
一方、最近のネット上では、マジョリティである「男性」を対象にした発言が「ヘイトスピーチ」として取り上げられ、問題視されるケースも目立ち始めている。
「男性に対するヘイトだ」女子アナやタレントが炎上
8月2日、東京都は、昨年9月1日に墨田区内で行われた集会における「朝鮮帰れ」などの発言を都人権尊重条例に基づく「ヘイトスピーチ」にあたると認定した。集会は、関東大震災の朝鮮人犠牲者を追悼する碑の撤去などを求める団体が、碑の近くで行ったものだ。
他方で、同月9日にはフリーアナウンサーの川口ゆり氏がX(旧Twitter)に「職場の男性の匂いや不摂生してる方特有の体臭が苦手すぎる」と投稿し、「男性に対するヘイトだ」などの批判が巻き起こる。8月11日、フリーアナウンサー事務所「VOICE」は川口氏との契約を解除したことを発表した。
この度は私の不用意な発言で不快にさせ、傷つけてしまった方が多くいたこと、大変反省しております。言葉を扱う仕事をしている者として未熟でした。
— 川口 ゆり yuri kawaguchi (@funifuniyuri) August 11, 2024
以後、言葉で誰かを傷つけてしまうことがないように精進してまいります。
本当に申し訳ございませんでした。
発言について謝罪する川口氏のX投稿
また、同21日にも、タレントのトラウデン直美氏が報道番組の中で自民党総裁選の広報用ポスターについて「おじさんの詰め合わせ」と発言し、Xでは「男性差別」などの批判が起きた。
法務省や国連の定義は?
川口氏やトラウデン氏が行ったような「男性」という属性・集団に対する批判的な発言や揶揄(やゆ)的な表現は、本当に「ヘイトスピーチ」と言えるのだろうか。
日本の法務省はヘイトスピーチを「特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に、日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの一方的な内容の言動」と定義している。この定義では、男性・女性などの性別を対象にした発言はヘイトスピーチに含まれない。
一方、国連の定義は「ある個人や集団について、その人が何者であるか、すなわち宗教、民族、国籍、人種、肌の色、血統、ジェンダー、または他のアイデンティティー要素を基に、それらを攻撃する、または軽蔑的もしくは差別的な言葉を使用する、発話、文章、または行動上のあらゆる種類のコミュニケーション」となっている。
この定義には「ジェンダー」が含まれているため、男性を対象にした発言もヘイトスピーチに含まれる可能性があるように思えるが…。
言葉の定義には「理由」と「目的」がある
『差別の哲学入門』(池田喬との共著、アルパカ、2021年)などの著作があり、ヘイトスピーチの問題にも詳しい倫理学者の堀田義太郎准教授(東京理科大学)がまず指摘するのは、「言葉の定義には常に『理由』があり、理由の中核には『目的』がある」という点だ。
ある定義が適切かどうかは、その定義を採用する理由と目的の内容、そして定義と目的が適合しているか否かで評価される。これは「○○関数」など理系分野の専門用語にも当てはまり、「言葉の定義」について一般的に言えることだ。
さらに、ヘイトスピーチのように社会的な課題に関係する言葉の場合、「理由」や「目的」には社会的な意義も含まれるという。
例を挙げると、ヘイトスピーチ事件に長く携わってきた師岡康子弁護士は以下のように定義している。
「ヘイト・スピーチとは、広義では、人種、民族、国籍、性などの属性を有するマイノリティの集団もしくは個人に対し、その属性を理由とする差別的表現であり、その中核にある本質的な部分は、マイノリティに対する『差別、敵意又は暴力の煽動』(自由権規約二十条)、『差別のあらゆる煽動』(人種差別撤廃条約四条本文)であり、表現による暴力、攻撃、迫害である」(『ヘイト・スピーチとは何か』岩波書店、2013年、48頁)
日本でヘイトスピーチが深刻な社会問題になったのは、在日朝鮮人に対する公共空間での攻撃や脅迫が急増した2000年代からだ。一部の人々が在日朝鮮人差別に対するカウンター活動を展開したことで、メディアや学者らもヘイトスピーチの問題を取り上げるようになり、行政が対応するに至った。
また、アメリカでは「社会的マイノリティ集団に対する差別を助長し煽動する、侮蔑的で攻撃的な表現」を批判する目的のため、1980年代以降に「ヘイトスピーチ」という言葉が使われるようになったという。背景には、アフリカ系アメリカ人や女性・性的マイノリティに対する差別事件が増え、対応の必要が生じたという経緯がある。
「つまり、『ヘイトスピーチ』という言葉には、社会的マイノリティ集団に対する既存の差別を背景としてそれを肯定し、差別や暴力そして殺害をも煽動する表現を、他の表現から区別して批判するという『目的』があります。差別などを煽動する表現には、その他の表現とは異なる深刻で甚大な害悪と不当性があるためです。
この目的は、2016年に制定された、いわゆる『ヘイトスピーチ解消法』(『本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律』)の第二条にも示されています。
他にも様々な論者や国際機関などが、『ヘイトスピーチ』の定義を提案しています。その中からどの定義を典拠として選択し、重視するかということ自体に、そもそも現状をどのように認識しているか、また社会的な課題として何が重要だと考えているのかが反映されているのです。
師岡弁護士をはじめとして、私自身も含め多くの人たちが重視するのは人種差別撤廃条約四条です。同条項には、差別煽動の特段の不当性と、対応の緊急性・重大性についての的確な認識が反映されています」(堀田准教授)
日本国内で「日本人差別」は成立する?
そもそも、「差別を煽動する」とは、具体的にどのような行為をさすのか。
堀田准教授は「特定の集団に対する差別とそれを正当化する言説が過去・現在を貫いて多数存在していることに依拠しながら、それらを総体として肯定し、未来に向けてそれを煽る行為」と表現する。
具体的には、「差別煽動」の実質的な内容は以下のようなものになるという。
「○○人が、過去に入店拒否や雇用差別、教育差別等を含めて様々な不利益・劣等処遇、侮辱や貶め、さらには暴行その他を受けたことは当然だった。今後、○○人には同じ扱いをしてもよく、またそうすべきだ」
そして、このような表現は、日本国内における「日本人」を対象にする場合には「差別煽動」にはあたらない。
たとえば、「日本人を叩き出せ」という言葉は、表面上は「日本人への差別煽動」のように見受けられる。しかし、日本国内では、過去にも現在にも「日本人」であることを理由にした迫害・差別・排除などは存在してこなかった。つまり、差別を成立させるための慣行や言説、背景や文脈が存在しないため、煽動される「日本人差別」も存在しない。
一方で、アメリカには日本人やアジア人に対する差別という歴史的背景や文脈が存在する。実際、第二次世界大戦時、1942年に太平洋沿岸の日系人約12万人が「敵性外国人」として強制収容所に収容されたという歴史がある。そのため、アメリカでは「日本人を叩き出せ」という発言は「差別煽動」となりえる。
「『日本人を叩き出せ』は、不快な発言ではあるかもしれません。しかし、日本社会では、在日朝鮮人や外国人、部落出身とされる人々などへの差別煽動と同等のものとして扱うことはできません。
明確な『差別煽動』表現と、そうではない表現を同等に扱うことは、マイノリティ集団の人々が置かれた状況の深刻さと甚大な害悪を無視または軽視することにしかなりません」(堀田准教授)
ヘイトスピーチの問題は「どっちもどっち」で済まされない
前段落のような議論に対しては「『日本人』や『男性』などのマジョリティに対してもヘイトスピーチが向けられる場合はある」と反論されることもある。
そもそも、現在では「ヘイトスピーチ」は専門用語ではなく、会話やSNS投稿などを通じて日常的にも使われるようになった言葉だ。日常語の用法には幅や揺らぎがあり、唯一の定義は存在しない。
「繰り返しになりますが、ある言葉をどのように定義すべきかは、どのような理由や目的を重視するのか次第で変わります」(堀田准教授)
そのうえで、「マジョリティにヘイトスピーチが向けられることもある」との主張について判断するためには、その主張がどのような立場から出されるものかを確認する必要があるという。
「そもそも、『日本人へのヘイト』などの主張は、ヘイトスピーカーに対して反差別のカウンターの人々が罵倒や侮蔑によって対抗したときに、ヘイトスピーカー側が言っていたことでした。ヘイトスピーカーが、自分のヘイト発言を棚に上げてカウンターの罵倒に対して、『それもヘイトスピーチだ』『日本人へのヘイト』などと言っていた、という経緯があることは確認しておく必要があります。
また、当時は『どっちもどっち論』と呼ばれる発想もありました。ヘイトスピーカーとカウンターの人々が怒鳴り合っている場面を切り取って『どちらも悪い』とする見方です。しかし、『どっちもどっち』とすること自体が、元々の社会的マイノリティに対するヘイトスピーチの重大な不当性を軽視することになります。
具体例を挙げると、京都朝鮮学校襲撃事件では、ヘイトスピーカーが『ウジ虫朝鮮人は朝鮮半島に帰れ』『スパイの子どもやないか』『お前らウンコ食っとけ、半島帰って』などと、子どもが学んでいる校舎に向けて拡声器で発言しました(2010年)。対応にあたった人たちは、子どもたちを守ることを最優先して、事態をエスカレートさせないために『何を言われても応対はしない』と努めて冷静に対処しました。その詳細は、中村一成さんの『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』(岩波書店、2014年)に書かれています。
こうしたヘイトスピーチは路上でも行われましたが、これに対して、カウンター側が『黙れクズ』とか『お前が帰れゴミが』などと発言したとして、私は、両者を本当に『どっちもどっち』と判断している人がいるとしたら、その人はヘイトスピーカー側に立っていると考えます。
ある人が、『マイノリティからマジョリティに向けられる侮蔑的な罵倒なども、マイノリティに対する差別煽動と同等のヘイトスピーチだ』と言うならば、その人はヘイトスピーカーの言い分を認める立場だと見なされることを免れません。
つまり、『マジョリティに向けられるヘイトスピーチもある』という主張をする人は、マイノリティへのヘイトスピーチの害悪の深刻さを軽視していることになるのです」(堀田准教授)
「男性に対するヘイトスピーチだ」と主張することの問題
それでは、「男性に対するヘイトスピーチだ」という言説についてはどのように判断すべきだろうか。
堀田准教授は、言葉をどう使うかは法律や他人が強制できないという意味で自由だとしながらも「自由には責任が伴う」と指摘する。
「社会的マイノリティ集団に対するヘイトスピーチと『日本人』や『男性』などマジョリティへの侮蔑や攻撃を同等のものとして扱う人には、以下のような問題があります。
(1)ヘイトスピーチという言葉が要請された経緯と現実の社会状況を知らない
(2)知っていて、あえて無視している
(3)『社会的マイノリティ』という存在自体を否認するような態度をもっている
いずれにしても、その人は、社会的マイノリティに対するヘイトスピーチの深刻な害悪を軽視する立場に立っていると見なされるでしょう。そう見なされてもよい、と本人が思うならば、『男性に対するヘイトスピーチだ』と言えばいいのではないでしょうか」(堀田准教授)
なお、実際には「男性へのヘイト」と主張する人の多くの場合が(1)に当てはまり、社会的マイノリティへの差別の歴史と現状について知識をもっていないのだろう、と堀田准教授は語る。
「私自身も、マイノリティへの差別について最初は無知でした。でも、知識がなければ、これから勉強すればよいと思います。
一方で、差別の歴史や現状に関する知識をもったうえで、例えば、『二足歩行で歩くな、チョンコの分際で』とか『ウジ虫韓国人を日本から叩き出せ』、『朝鮮人は保健所で処分してもらいましょう』などの発言と、男性に対する『男はクズだ』『おっさん臭に耐えられない』などの発言を『どちらもヘイトスピーチだから、まったく同等に悪い』と主張する男性もいるかもしれません。
仮にその理由を問われて、その人が『男はクズだなどと言われて自分は深く傷ついたからだ』と言うとすれば、私は、その人と話すのは時間の無駄だと思います。というのも、そのような人は他者の境遇への想像力が著しく欠けており、自分または自集団の『被害』を過大評価している、いわば自己批評性を欠いているので、まともなコミュニケーションが期待できないからです」(堀田准教授)
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