「だれも教えてくれなかった」 新米ママにタブーの壁

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英国の詩人ホリー・マクニッシュさんのテーマは、母として子を産み育てること。題材はつわりや、人前で授乳すること、熱い紅茶を飲み干す時間が持てない慌ただしさなど、さまざまだ。出産や育児に関するタブーは未だに残っていて、なかなか大っぴらに話題にできないことは色々あるとマクニッシュさんはこの記事で書いている。

90歳になる私のおばあちゃんは3人目の子を産むまで、上の2人は自分のお尻から生まれたのではないかと思っていた。
私がBBCラジオ番組「ウーマンズ・アワー」用にインタビューした時も、おばあちゃんはその話を繰り返した。ただ今回は少し心配そうに、「BBCで話したりしないよね」と付け加えて。
私が思うに、おばあちゃんはつまりこう言いたかったのだ。「トランプ仲間に聞かれると困るから、どうかラジオでは流さないで」と。
この話が最初に出たのは、私が妊娠していた時だ。私は確か、体内で小さな命を育てることにまつわる山ほどの問題、例えば(負の)感情や吐き気や痛みについて、前もってほとんど聞かされていなかったとこぼしていた。
おばあちゃんは自宅の居間にあるひじ掛け椅子に私と座っておしゃべりを始める前に、いつもお茶をいれてくれる。「お尻から生まれた」という言葉をおばあちゃんが口にした時、私はそのお茶を吹き出しそうになった。
自分が娘を産んでから、私はもう一度その話をしてほしいとおばあちゃんに頼んだ。
その頃の私はますます、出産や育児に関するタブーに興味を持つようになっていた(かなり怒ってもいた)。例えば産後に経験するあの気分の浮き沈みは、赤ちゃんをひと目見て「恋に落ちた」という、素晴らしい物語に隠されてしまいがちだ。
セックスや母体の問題、孤独感、家に閉じ込められて息が詰まる感覚などは、なかったことにされてしまう。お約束の写真が写しだす、清潔な白いソファに白い麻のシャツ、まばゆい毛並みのラブラドール・レトリバーを連れて海岸を散歩する中流上位層の白人一家――というお約束の光景の下に、母親の問題は追いやられてなかったことにされてしまう。

私は自分で出産を経験してみて、赤ちゃんがどこから出てくるのか、それほど何も聞かされていなかった女性がいることにショックを受けた。少し悲しくもなった。確かに分娩(ぶんべん)の時には「お尻から押し出して」とも言われたし、それに近い感覚はあった。だがあの一部始終(というよりほか良い表現が見当たらない)について、事前に大量の関連情報を得ていた私としては、赤ちゃんが実際にお尻から出てくるなどという間違いは、ありえなかった。
そんなわけで、子どものいる母親や父親たちに出産や育児の経験について、2カ月かけて取材して欲しいと依頼された時、私はほとんど拝むようにして、自分のおばあちゃんも取材させてと頼み込んだ。いつものようにお茶を飲みながら、肘掛け椅子に座って。ただし今回は目の前にマイクを置いて。

おばあちゃんは初めのうちは、ものすごく緊張していたが、すぐに慣れてくれた。それでも、「露骨」で「下品」な話をしてごめんなさいねと、何度も謝り続けた。この65年間、言いたくても口に出せないことがたくさんあったようだ。お尻の話もそのひとつだった。
お尻の話は、最初の内はおかしかったけれども、次第にどんどんと悲しい話に変わっていった。出産の仕組みを知らなかったのは、だれも教えてくれなかったからだ。教えてくれなかったのは、だれも口にできないほど下品な話題だと思われていたからだそうだ。そして同じ理由で、自分から質問することもなかった。尋ねるのは「淑女らしくない」ことだったので。
「でも産後の出血はどうしたの」と、私は尋ねた。それについても話せる相手はいなかったという。おじいちゃんや周りの人がだれも赤面しなくて済むよう、ただ何事もなかったふりをして子育てに精を出すしかなかった。上品なほほ笑みを浮かべて、毎日きちんと上下そろいのスーツに身を包み、髪を巻く。出血なんてない。
私はおじいちゃんととても仲良しだった。10代の頃、母に質問したのを鮮明に覚えている。おじいちゃんはテレビがついている時、いきなり部屋を出ていくことがあるけれども、あれはどうしてなのかと。「生理用品のコマーシャルを見たくないのよ」と母は答えた。私はあの時も笑った覚えがある。
こういう違いは、年齢の違いのせいだと前は思っていた。おばあちゃんが出産したのは70年前。誰も出血について話題にしなかったし、「膣(ちつ)」という単語は思い浮かべるだけで罰が当たりそうな、そういう時代だった。でも今は違うと私は思っていた。6歳になった私の娘は恥ずかし気もなくその単語を口にしながら、おばあちゃんの居間を走り回る。おばあちゃんを身をすくめながらお茶を口にして、「昔と違って開けっぴろげなのは、いいことなんでしょうね。でもねえ……」などとつぶやいたりする。板挟みの私は娘ほど開けっぴろげでもないが、かといって祖母ほど固くもない。

おばあちゃんのインタビューを終えてから2カ月の間、私はアパートや一戸建てや宿泊施設を取材して回った。そして、これまでほとんど語られていないと思う子育ての体験談、メディアが描く母親像や子育て像にはまったく出てこないような話を聞かせてもらった。母親であるとはどういうことか、育児をするとはどういうことか。この話題にまつわるタブーは、最も大きくて有害な禁忌のひとつだと、私は今では確信している。しかも昔の世代にとってだけでなく、今も存在するタブーなのだ。
祖母の次にインタビューしたのは、若くて優秀な2人の女性だった。1人には乳児、もう1人にはよちよち歩きの子がいた。2人とも、高校時代に妊娠した。体の変化をほかの生徒に知られないよう、どれだけ必死になって隠したか、赤裸々に語ってくれた。膨らんでいくお腹を指差されたし、1人は地元のバスの「妊婦専用席」に座らせてもらえなかったという。たくさんの支援も受けたが、それ以上にたくさん傷ついた。
2人とも、体形をごまかすためにだぶだぶのセーターを着るようになったと言った。それを聞いて私はすぐに、おばあちゃんのことを連想した。おばあちゃんは私の妊娠中、「これで膨らみを隠して」とカーディガンを送ってくれたのだ。祖母はお腹を隠すためにどういう、だぶだぶの服を着たのだろう。妊婦の体は「人前で見せるものではない」と、おばあちゃんは私に繰り返した。
インターネットを眺めると、生き生きと輝く母親の姿が並ぶ。膨らみのラインに沿ったドレスやお祝いムードのインスタグラム写真を見ると、膨らんだおなかがひんしゅくを買った時代は昔のことのように思える。けれども、そうとも限らないと私は思う。
次に出てきたのは授乳の話だった。母乳が出るかどうかという身体上の問題についてではなく、乳房に対する社会的、文化的な態度の問題だ。取材した2人をはじめ、話を聞いた若い母親の多くが、そのせいで当な気苦労を強いられた。ここでもまた、おばあちゃんのことを思った。人前では決して授乳しなかったというおばあちゃんは、「そんな、とんでもない」と強調した。
取材した若い母親のひとりは、シャンテさんという。おしゃべりが終わりに近づいたころ、自分は保健師に「赤ちゃんをお尻から産むことはできないか」と尋ねたことがあると、私に打ち明けた。それができるのかどうか、正直分からなかったから、尋ねてみたのだという。2人でくすくす笑い合った後、私はシャンテさんにおばあちゃんの話をした。

それから2カ月の間、取材した女性たちは堰を切ったように話をしてくれた。私はお茶をすすりながら耳を傾けた。「ママ向けメディア」では見事に無視されてきた声がたくさんあった。
新米ママとしてアパートの5階に住まわされ、ベビーカーを引っ張り上げたり降ろしたり、汚れた共同トイレを使ったりする生活がどういうものか、私は教わった。
医師に焦燥感や病的な精神状態を訴えていたのに退院を許可されてしまい、自宅の屋根に立って自ら命を絶とうとしたことのある、新米ママの心境を聞いた。
スリランカを出なくてはならず、言葉も食品の種類も分からない国に放り込まれて、アパートを出るのが怖かったという母親と、学校の送り迎えについて語り合った。
自分の母親の育児法に逆らうのが怖いと言う、新米パパの不安も聞かせてもらった。
ロンドン郊外に暮らす17歳から、スコットランド・グラスゴーの町外れに住む90歳まで。多くの人に話を聞いた結果、これが単なる世代の問題ではないことを知った。母となり、親となることは、今でも話題として大きなタブーなのだ。私たちはこの話題について、もっと語り合う必要があると思う。決してごまかすことなく正直に。できれば熱いお茶を飲みながら。