川村カ子トアイヌ記念館(川村兼一館長・北門町十一)を支援する「友の会」が発足し二十日、同館で記者会見が行われた。
同館は開館から百二年の歴史を持つ。私費で運営していて、財政状況は厳しい。友の会は、同館を支援し、存続させるための活動を行っていく。
当面は同館の一般財団法人化をはじめ、こたんまつりやカムイチェプ・ノミの手伝い、同館の除雪や雪下ろしのボランティア募集などを予定。また来年度は歴史講座、上川アイヌ文化探訪の徒歩ツアー、バスツアーなどの開催を予定している。
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同館は一九一六年(大正五年)、上川アイヌの指導者だった川村イタキシロマが私設博物館として設立した。かつて川村兼一館長は、同館の起こりについて、大雪と石狩の自然を守る会(寺島一男代表)の講演会(二〇一六年四月二十三日)で、次のように語っている。
「明治時代、本州から来る七師団の軍人にはアイヌが珍しかった。軍人たちは、アイヌの子どもたちが通う旧土人学校・豊栄尋常小学校(現在の北門中の敷地にあった)をしばしば訪れ、子どもたちは強要されて儀式を見せるなどしていた」
「祖父・川村イタキシロマは、その状況を改善しようと一九一六年(大正五年)、『アイヌが見たければ、我が家へ来なさい』という主張のもと、自宅を改造して川村アイヌ記念館を開設した。これが現記念館の起こりだ」
「川村イタキシロマは一九四三年(昭和十八年)に他界。同館は戦争のため休館状態となり、戦後になって、父・カネトゥッカアイヌ(カ子ト、鉄道の測量技師として長野県飯田線を開通させる難工事を担当したことでも知られる)が、川村カ子トアイヌ記念館と自身の名前を付けて再開した」
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友の会は、設立の趣旨について、「先住民族であるアイヌの人々から言語や文化、土地、財産を奪い、人権を否定した原因の多くは和人にある」とした上で、同館について、「後世に残して行くことは、今を生きる私たちの使命である」としている。
「四つの活動理念」として、①日本最古のアイヌ博物館、また上川アイヌ文化の発信基地としての充実、②研究及び学習会の運営、歴史の記録保存、歴史講座やアイヌ文化体験ツアー等の実施、③学校教育上での利活用の要請、④自然環境と調和した上川アイヌ文化・生活様式の伝承・紹介、を掲げている。
会長には山内亮史氏(旭川大学理事長・学長)が就任。副会長に斉藤傑氏(元旭川市博物館学芸員)と高原一記氏(元旭川市議)が就いた。十八人の役員の中には、あさひかわ新聞で連載コラムを執筆している寺島一男氏(大雪と石狩の自然を守る会代表)、高橋基氏(アイヌ語地名研究会幹事)も名を連ねている。