2006年入社。文化くらし報道部やオピニオン編集部などを経て、エルサレム支局長。良質な「おしゃべり」のもとになる、オピニオンを発掘にあちらへこちらへと出没します。取材記者としての関心は、グローバル化に伴う消費や規制の変化、そして個人の能力のあり方、公平な社会の具体像・・・と、抽象度が高いのですが、具体的には社会思想や心のケア、消費のあり方の変容、デジタル時代の権利保護などを追っかけています。趣味はバレエ鑑賞。犬か猫かと聞かれれば、猫ですが、実は馬が大好きです。取材班、共著としての著書に「エマニュエル・トッド パンデミック以後」「コロナ後の世界を語る」など。
イスラエル軍の攻撃に対して、ヒズボラ側はどう対応するのか。イスラエル側の軍事専門家の多くは、抑制されたものになると見ています。そして今、ヒズボラの最高指導者ナスララ師はかなり難しい選択を迫られていると言われています。 これだけの攻撃を受
イスラエルのヒズボラへの攻撃のレベルがあがっています。ヒズボラが拠点を置くレバノン南部を中心にしたイスラエルの空爆で、死者500人近くに(現地時間24日0時過ぎ現在)上っていると報じられています。 イスラエルは、おもにヒズボラの軍事拠点や
危険だから退避するのは当然なのか。私はラファを拠点に取材を続けてきたマンスール通信員と退避について電話で話しをするなかで何度も考えました。この記事で書いているように、ラファで育った彼は最後までとどまり続けるかどうか迷っていました。 もちろ
私がスラーニさんにガザで初めて会ったのは2022年です。彼がトップを務めるパレスチナ人権センターのオフィスでした。当時、スラーニさんは、ロシアのウクライナの侵攻について批判をしながら、国際社会のガザの人権状況への関心の低さを二重基準だと強
イスラエル人、とりわけユダヤ人にとって10月7日以降がどんなものだったのか。それをケレットさんは実にたくみにわかりやすく語ってくれています。 イスラエルの友人にこんなことを言われたことがあります。 「ガザでたくさん子どもが殺されている
イスラエル人、とりわけユダヤ人にとって10月7日以降がどんなものだったのか。それをケレットさんは実にたくみにわかりやすく語ってくれています。 イスラエルの友人にこんなことを言われたことがあります。 「ガザでたくさん子どもが殺されている
アヤロン氏は海軍の司令官を経て、1995年にラビン首相が暗殺された後、シンベト(対ハマスなどの諜報担当機関)の長官に就任しました。近年も、テロ作戦についての分析や発信を続けています。特に、民主主義国家におけるテロ作戦の難しさと、ゆえに満たさ
イスラエル軍は絶対に民間人を標的にしないーーー。これだけの死者が出ていてなお、イスラエルで取材していると、確信に満ちたこのような言葉をいろんなところで聞きます。一般市民も、実際の兵士たちも(といっても、この連載で見てきたようにこの国では市民
エルサレムを拠点に、イスラエルとパレスチナを取材しています。 ガザについては、外部からガザの中に記者は入ることができないため、この記事を一緒に書いたマンスール通信員ら現地の記者たちが担っています。私たちは携帯電話がつながる限り、必ず毎日そ
この事件が起きた日に取材しました。発生当初、死者数についてはいろんな数字が飛び交いました。最初私が手にした情報は、「ガザ北部で支援物資を待っていた人たちが撃たれてたくさん亡くなっているらしい。数十から150人近くという話もある」でした。
筆者です。オスロ合意の調印式が行われたとき、私は中学生でした。 ベイリン氏自身「失敗」と言っているように、オスロ合意について手放しで評価する人は、今ほとんどいません。こちらでは「オスロは死んだ」。また強いイスラエル寄りのスタンスを取ったト
筆者です。入植地ってどんなイメージがありますか。言葉の語感はまがまがしく、意味も重いのですが、実際に行ってみると、正直拍子抜けします。少なくとも私が行ったことがある、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区や東エルサレムでは。記事の写真をみてもわ
筆者です。世界で最も解決が難しい問題。時にそう語られるのが「パレスチナ問題」です。正確に言うと、「そう語られていた」と過去形で表現した方が、今の現実に即しているかもしれません。ただし、過去形になったとすればその理由は、問題解決によってではな
筆者です。これは私自身の「くせ」みたいなものなのですが、デモやパレードでど真ん中にいる人よりも、ちょっと離れて、でも確実に「心」はこちらに向いている人が気になります。 マヤ・テベット親子、イツハク・シャニーさんもそうでした。マヤさんの
坂本龍一さんについて。いろんな情報が発信されると思いますので、最後の2作「async」と「12」のことだけを少し書きます。 前者は2017年、闘病後に発表された作品です。一般的なイメージの音楽とは違い、そこには様々な音や言葉が取り込ま
筆者です。初回の記事に書きましたが、私は42歳の男性です。結婚していて、そして子どもはいません。「子どもを産む」「子どもを育てる」ことについて狭義の意味では当事者ではありません。 すると、なぜこのテーマを取材しようと思ったのか。何か強い理
筆者です。子どもへのこだわりーー。これは一体何なのか。第1回の記事でも紹介したように、専門家に取材すると、ある程度共通の「定説」が語られます。 他方、あまり宗教的なこだわりがない人たちに、子どもを産むことが「普通」でしかも「3人が
筆者です。「あなたは、なぜ子どもがいないの?」 私がちょうど1年前に、エルサレムに赴任してきて自己紹介をしたとき、多くのイスラエルの人に聞かれた質問でした。確かに私は結婚していて子どもはいません。 「なぜ」と何度も聞かれたことでしょ
「だめ連」の神長さんのインタビュー、まったく「だめ」な言葉がありません。特に〈必要なのは「もっと本当の喜びと実りのある人生をみんなで生きたい」という当たり前の思いです〉という下りは、深く響きます。自分だけが生き残るのではなく、別の船をつくる
文章を読んでいると、ある地点で読み進めるのが止まる瞬間があります。多くの場合、とても興味深い文章で。この文章もそうでした。 〈人権ってなんかうさん臭いという偏見のなかで、多数決に勝つことを求められるのは、もううんざりだ・・・〉