経世彩民 浜田陽太郎の目
座っていた椅子の硬さ、隣にいた編集長の様子、そして何より怒気に満ちた相手の表情……。今でも、はっきりと思い出す。
1996年2月、朝日新聞社が発行する週刊誌AERA(アエラ)の記者だった29歳の私は、バブル崩壊後の「就職氷河期世代」を取材していた。
書いた記事の一つが「とりあえずスネかじり」。急上昇する若年の失業率を詳しくみると、「親と同居する若者」が自発的に仕事を辞めるケースが多い。就職しても「自分にあった仕事を見つけたい」と「親のスネかじり」に逆戻りしている……。そんな内容だ。
当事者として取材に応じてくれたのが、E君(25)。大学を卒業後に就職した有名工務店を退職していた。測量士の資格をとるため専門学校で学んでいたので失業者ではない。自分の貯金もあった。
でも、岐阜の実家からの仕送り(家賃分6万5千円)がないとやっていけない。「豊かな社会で、恵まれていることを自覚しないとバチがあたる」と殊勝だった。
記事は、若者に対して辛口なトーンになった。「働いていない、というのは社会全体に寄生しているということ。このままでは、アジアとの大競争時代に、日本全体が負けてしまう。ぜいたくしないで、早く定職につけといいたい」。大学教授のこんなコメントを引用し、最後は「若者が『就職氷河期で厳しいね』と、世間の同情を受けていられるのも、そう長くはないかもしれない」と締めた。
その後、今に至るまで「就職氷河期世代」は苦難を味わい続け、引き続き「ロスジェネ」として認知されていった。若者の甘えや「自己責任」を強調した自分の記事はあまりに楽観的すぎたといえる。
今、こんな上から目線で「若…