|
|
||||||
新婚旅行はバリかグアムに行け。この間そんな話を聞いた。バリやグアムは言うまでもなく新婚旅行の定番である。そこらじゅうにいるカップルを「敵」と見なすことで、その夫婦のアイデンティティが確立され強力になる、というのだ。人のいない閑散とした土地では敵となるのは自分の相手しかおらず、その結果、一時期流行した成田離婚が発生する可能性が高い、と。確かに、結婚した瞬間に夫婦のアイデンティティが確立されるとは思えず、自分たち夫婦という存在を他人に証明するために新婚旅行はよいきっかけになるのだろう。 一概に正しいとは思えないが、面白いのは、アイデンティティを強力にするには「敵」を作ること、という部分である。それは誰に対しても敵が存在しない絶対的な世界を求めるとき、アイデンティティなどむしろないほうがよい、とも読み取れる。個性を持て、という今日の風潮の逆をいく発想である。新婚旅行の話では2人という集団だったが、個人を考えたときにも同じことが言えるはずだ。他者のアイデンティティを認めない、という方法により自己のそれを強固なものにする場合、時として他者との間に対立が起こることはよくある。認めることのできる他者は好敵手となり、できなければただの敵だ。しかし他者から認められることもアイデンティティの一要素とするなら、それはアイデンティティとは呼べない。敵対することでいくら強固なアイデンティティを作り上げたように思えても、実は基盤が弱くて崩れやすいのではないだろうか。敵がいなくなればそこに自己の存在意義を見出すことはもうできない。 例えば、違いのない、違うことを望まないクローン的な人間だけの世界では対立は起こらず、社会はうまく、綺麗に回るのだろうか。個々のアイデンティティはおろか、向上心を持たず成長することも求めない画一的な世の中が完成したとき、それもひとつの平和状態と言えそうな気もする。しかし、敵ではない、いいライバルができれば自分も成長することができるのだ。平和は求めるにしても自我の成長しない世界に生きていたくはない。 宮崎裕介(立教大学在学)
|
10┼1 web siteに掲載のテキスト・写真の著作権は、テキスト・写真の著者・撮影者に帰属します。 特に断りのない限り、著作権法に定められた著作物の利用規定を逸脱し、記事・図版を転載使用する事はお断り致します。 Copyright © 2001-2003 INAX All Rights Reserved |