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次世代中国 一歩先の大市場を読む

ファーウェイが目指す「ノアの方舟」~企業の競争力と国家の関係を考える

 アメリカ商務省が5月15日、中国の通信機器最大手、ファーウェイ・テクノロジーズ(華為技術、以下「ファーウェイ」)に対して事実上の輸出禁止措置を発表した。簡単に言えば、ファーウェイは米国企業の製品を買うことも、米国企業に製品を売ることもできなくなった。米国が海外の一民間企業に対して、ここまで厳しい措置を取るのは異例のことだ。

 今回の米中貿易摩擦(中国では「貿易戦争」と呼んでいる)は国と国の争いだから、どっちが正しいとか間違っているとか、ここで論じるつもりはない。5月16日付ロイター通信(香港/北京)日本語版は、中国に進出している米ハイテク企業の関係者の話として「米国はファーウェイを徹底的に叩くと決めたようだ。問題は、当面は米中貿易協議で妥結の見通しが立たたないため、米国がファーウェイの抹殺を急いだ点だ」とのコメントを報じている。「抹殺」とは穏やかでないが、確実なことは、米国政府が、政治の意志でそう決めたということである。

田中 信彦 氏

BHCC(Brighton Human Capital Consulting Co, Ltd. Beijing)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。

悲壮なメッセージ

 これに対してファーウェイ傘下の半導体企業で、世界トップレベルの技術力を持つハイシリコン(HiSilicon Technology、海思半導体有限公司)総裁、何庭波氏は17日未明、全社員に対して「総裁から従業員に送る一通の手紙」と題するメッセージを発信した。その悲壮なトーンがいま中国社会に大きなインパクトを与えている。そこで語られているのは以下のようなことである。

 「本意ではないが、米国企業との商売を禁じられた。残念だが、事ここに至っては止むを得ない。我々はこんなことは起きないと信じていたが、万一、このような日が来た時のために10数年前から膨大な資金と人材を投入して、独自の「スペアタイヤ(原文は「備胎」)を用意してきた。夜が明けたらメインのタイヤと置き換える。これからは自立の道を歩む。道は苦しいが、総員、奮励努力されたし」

 メッセージ全体は700文字ほどで、さほど長いものではない。参考までに概略を訳出しておく(訳および太線での強調は筆者)

  • 企業は顧客のために、どんなことがあっても生き延びなければならない
  • そのために、万一の事態に備え、海外からの技術が一切入らない状況になっても、自分たちの製品をつくり続けられる体制を整えてきた
  • 多数の若い人材が何年もかけて「スペアタイヤ」の準備に取り組んできた。私たちの製品は種類が多く、範囲も広い。苦しいことはたくさんあったが、この取組みを放棄しようと思ったことはない
  • ここしばらく、こうした準備は(幸いにして)無駄に終わるかと思われる日々が続いた。しかし今日、暗黒の日がやってきた。超大国が無情にも地球的規模の協力のネットワークを断とうとしている
  • 今日は歴史的な選択を行う。これまで準備してきた「スペアタイヤ」を夜が明けたらメインのタイヤと置き換える
  • それによって大部分の製品の継続供給を保障する。そしてこの暗黒の日、皆さんは英雄になる
  • ファーウェイの使命は、世界中の個人、家庭、組織にデジタルの力を提供し、世界中すべてのものがつながるインテリジェントな世界をつくることにある。この理想を実現するために、我々は新たな創造を続け、自立を実現しなければならない
  • これからは「スペアタイヤ」をつくる必要はない。すべての製品で自立の道を歩む
  • 前途は厳しいが、知恵と気力を持ち、背筋を伸ばして前進しよう。私たちの「ノアの方舟」をつくろう

 文末の「ノアの方舟」は少し説明が必要かもしれない。ファーウェイの創業者であり、グループの総帥、任正非氏は「常に危機感を持つ」こと強調する経営者として知られる。2000年代初頭から将来の米国との激突を予想し、対策を準備してきたという。また2009年に公開され、日本でもヒットした米国映画「2012」を鑑賞した同氏は、滅びゆく地球から脱出しようと試みる人々の姿勢に感銘を受け、企業としての同社にも万一のための「ノアの方舟」が必要と考えたとインタビューで語っている。メッセージ中の表現はそのことを踏まえてのものである。

「スペアタイヤ」は機能するか

 このメッセージで何総裁は、これまでの姿勢を転換し、外国企業に依存しない自主開発による新たな製品に全面的に置き換えることを宣言している。ここでいう「スペアタイヤ」が具体的に何を指すのか、現時点では明らかではない。万一の時のために十数年をかけて準備してきたという「スペアタイヤ」が、売上高12兆円、利益1兆円(2018年度)を超える巨大企業となった同社でうまく機能するのか、それもやってみなければわからない。

 しかし、少なくともこれまで企業理念としてグローバルかつオープンな姿勢を掲げ、米国政府に対しても協力姿勢を取ってきた同社が、やむにやまれぬ決断として「自立」の道を歩むと宣言したことの意味は大きい。政治と経済が一体不可分の関係にあり、仮に民営企業であっても「企業は国家の一部」といった観念が強い中国社会において、ファーウェイは積極的に世界のマーケットに打って出て、ユーザーの支持を勝ち取り、収益を挙げてきた企業である。そのような企業が、グローバル経済との強いリンクを、すべてではないにせよ、自らの手で断たざるを得なくなった。同社にとってはまったく不本意なことだったと思われる。

 そして、これはあくまで私の想像だが、ファーウェイの言う「自立」の対象は米国政府だけではない。その背後に自国の政府からの自立も含意されているのではないか。注意して読んでみると、今回の何総裁のメッセージは「超大国が無情にも地球的規模の協力のネットワークを断とうと~(原文は「超级大国毫不留情地中断全球合作的技术与产业体系」)とあり、「米国」を名指ししていない。米国の商務部ならびにトランプ大統領の決定を受けてのメッセージであるにもかかわらず、あえて「超大国が」としたところに、目指すのはあくまで「国家」からの自立であって、「米国か中国か」の選択ではない――との底意があると見るのはうがちすぎだろうか。

ファーウェイの5G実験の説明画像(ファーウェイのオフィシャルホームページより)

「反米情緒」盛り上げを狙うメディア

 この何総裁のメッセージがメディアに転載されると、反響は大きかった。最も目立ったのは、やはり米中対立の中でファーウェイを「中華民族の代表」ととらえ、米国の圧力に屈しない精神を讃える国有メディアの論評である。代表的なものが、中国共産党中央機関紙「人民日報」傘下のタブロイド大衆紙「環球時報」5月17日付に掲載された同紙編集長、胡錫進氏の「ハイシリコン総裁の手紙に感動する~中国人は幻想を捨てる時だ」であろう。

 この文章で胡氏は「過去に例のないこのような米国政府の大規模な圧力に対し、屹立して動かないファーウェイの姿勢は、毅然とした中国の姿勢の象徴である」と称賛し、「今回の行動で中国を押さえ込もうとする米国の悪辣な野心はいよいよ明らかとなった。譲歩で米国の善意を勝ち取るという幻想を中国人は捨てるべきだ。中国が強くなることが米国と共存する唯一の道である」と説く。そのうえで「国有企業だろうと民営企業だろうと、中国に属している限り同じ運命にある。一致団結して米国との長い戦いに勝利する以外に道はない」としている。

 同じく国営メディアの中国中央電視台(中央テレビ局)チャンネル6(映画チャンネル)は5月18日、予定されていた3本の米国を舞台にした映画を急遽差し替え、1950年代、中国人民解放軍が米軍と激しく戦った朝鮮戦争関連の映画を放送すると発表した。第二次世界大戦では中国と米国は共に連合国として戦った仲なので、「対米戦争」となると決まって朝鮮戦争が持ち出されるのである。あまりにもわかりやすい対応で、どうにも時代遅れだと思うが、権力者の発想の一端がうかがえる。

 こうした国営メディアのトーンからもわかるように、政府の思惑はファーウェイという世界的な実力を持ち、グローバルな発想が根底にある民営企業をいかに「中国」と一体化させるかにある。その点で今回の米国政府のファーウェイに対する措置は、政治的には中国の統治者にとって極めて都合がよい。それは中国国民の中でも、オープンな発想を持ち、外の世界との共存共栄を肯定的に見る人たちに対し、「ほら、外国人とはこんなに悪辣な連中なんだぞ。中華民族が団結して利益を守らなければ、やられてしまうぞ」と訴える格好の材料になるからである。「Googleやフェイスブックなどを遮断してきたのは、それみろ、正しかったではないか」と。