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安倍昭恵年譜

1962年(昭和37年)

6.10 東京都にて出生。 父は森永製菓社長を務めた松崎昭雄。母は森永恵美子。3歳下の弟(松崎勲)がいる。

1969年(昭和44年)7歳

聖心女子学院初等科入学。

1973年(昭和48年)11歳

1ヶ月間カナダに短期留学。おっとりした話し方の目立たない子供だったが、海外体験をしたことで徐々に積極性が生まれたという。

1975年(昭和50年)13歳

聖心女子学院中等科入学。

1978年(昭和53年)16歳

聖心女子学院高等科入学。

1981年(昭和56年)19歳

聖心女子専門学校入学。

1983年(昭和58年)21歳

聖心女子専門学校英語科卒業。株式会社電通に入社。新聞雑誌局で勤務。

1985年(昭和60年)23歳

職場の上司を通じて安倍晋三を紹介される。

1986年(昭和61年)24歳

10月、晋三と婚約。

1987年(昭和62年)25歳

6月、晋三と結婚。

1993年(平成5年)31歳

6月、衆院選で晋三、旧山口1区から立候補し初当選。

1998年(平成10年)36歳

晋三の地元、下関市コミュニティ放送COME ON! FM』で、愛称でもある「アッキー」の名前でラジオパーソナリティを務める(~2002年)

2004年(平成16年)42歳

10月、日本財団のアフリカ視察旅行に特別に自費で参加。南アフリカマダガスカルの病院や学校、孤児院、エイズの施設などを視察して回る。

2006年(平成18年)44歳

9月、晋三の内閣総理大臣就任によりファーストレディとなる。

彼女の活動を補助する「内閣総理大臣公邸連絡調整官」なるポストが設けられ、宮家邦彦が就任。

11月、自身の公式ブログ「安倍昭恵のスマイルトーク」を開設(2011年11月12日まで更新)。

12.21 片岡鶴太郎の墨彩画教室に毎月参加していることをブログに投稿。

2007年(平成19年)45歳

1.27 ブログに韓国語で「당신을 잊지 못할 거야(あなたを忘れないだろう)」という映画の感想を投稿。

1.28 北九州市を訪れ、初の応援演説を行う(自由民主党公明党推薦の市長候補者の柴田高博)。

3.24 神戸で内戦を逃れて非難した難民キャンプで暴行を受け両足脱臼し歩くことができなくなったリベリア人の少女、マーサ・ターケットさんに会う。

4.19 日本財団のブログを見て興味を持ち、山谷にあるホスピス「きぼうのいえ」を訪問。

4.26~5.3 アメリカ外遊。ホワイトハウス訪問。ブッシュ大統領夫妻に会う。

5.14 福岡の不登校児や引きこもりの為の全寮制私塾「知心学舎」を訪問。

5.26 大阪西成区釜ヶ崎の「こどもの里」を訪問。

9.12 晋三、内閣総理大臣辞任。体調不良を3週間前から再三聞かされていたものの、辞任会見を開くことは事前に知らされておらず、友人からの携帯電話の電子メールで初めて知った。

2008年(平成20年)46歳

1月、第169回国会会期中、晋三と私的なスキー旅行に出かけ、メディアから批判される。

3月、中国の南京、泰山、大連に行く。南京記念館を訪ねる。

3.5 「第一回寅年の会」を開催。メンバーは乾晴彦、世耕弘成豊川悦司布袋寅泰堀木エリ子、馬衣真(後輩、料理研究家 ひとりだけ一回り下の子寅)、和田薫、渡辺満子

4.10 ダライ・ラマ14世がインドからアメリカ合衆国へ行く途中に日本へ立ち寄り、日本政府は中国への配慮から接触しないと公表していたが、ダライ・ラマと面会する。

4.22 3回目のインド訪問。「各地で撮った写真に白い玉のようなものがたくさん写っていました。これは精霊なのか、あるいは水滴や埃のような物なのか・・・。やはりインドは神秘的な所です。機会があれば次は南インドに行ってみたいと思っています。」

5.2 岩手県瀬織津姫を祀る神社に参拝。

5.11 下関赤間神宮境内大連神社の春の大祭に参列。

5.15 劉影(天野暁)、有吉与志恵の3人で伊勢神宮参拝。

6.12 増上寺内の講堂で開催された「ミャンマーシンポジウム」に参加。

6.24 曽野綾子カンボジアの「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」の活動見学。

6.25 タイのメーホンソンにある「第二次世界大戦博物館」訪問。

6.27 タイのエイズ患者のためのホスピス「ワット・プラバートナンプ」訪問。

8月、ミャンマー旅行。2年ぶり4回目。マンダレー寺子屋など回る。

8.21 水波動研究家・江本勝の事務所訪問。「江本先生とのご縁は遡ること20年ほど前。安倍の父が波動を調べて頂いたことがありました。最近になってなぜか気になり、ご連絡を取ってお会いすることに・・・。」

8.23 阿蘇の幣立神宮「五色神祭」に参加。

8.24 東中野「ポレポレ」で「受難と祈りー、チベットを知るための夏」というイベントに行く、「チベットチベット」の上映とキム・スンヨン監督のトークショー

11月、ミャンマー旅行。

12.2 江本勝夫妻、谷村新司と会食。

2009年(平成21年)47歳

2.11 林真理子と蒲田にあるお好み焼き屋「福竹」。

2.21 谷村新司宅でお味噌作り。

4月、中国訪問。上海、杭州、朱家角、北京、大連。

4.10 林真理子和田秀樹と神泉の寿司屋。

2010年(平成22年)48歳

6.6 北海道浦河にある精神障害者施設「べてるの家向谷地宣明小林絵理子の話を聞く。

12.1 山谷地区の在宅ホスピスケア施設「きぼうのいえ」でミサ。

12.3 五井平和財団主催の講演会「BELLA GAIA」に行く。

2011年(平成23年)49歳

2月、ミャンマー旅行。

3月、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修士課程修了、修士号(比較組織ネットワーク学)取得。修士論文は、「ミャンマー寺子屋教育と社会生活—NGO寺子屋教育支援—」。

3.26 下関出身の堤晋一が被災者の為にチャリティーライブをするということで、下北沢にある「またたび」へ。

3.27 「森のぞうさん'S」のメンバー3人と一緒に児童養護施設「福田会」を訪問。

3.30 『水からの伝言』の著者江本勝から「愛と感謝の祈りを福島原発の水たちに送ってください!!」というメッセージが届いたとブログに投稿。

7.8 瀬織津姫物語の著者・山水治夫の紹介で「瀬織津姫」シリーズ読者と淡路島の神社巡り。

9月、ミャンマーで竹内モハルが建てた寺子屋の開校式に出席。

2012年(平成24年)50歳

国産・無農薬・無添加の食材にこだわった「居酒屋UZU」を東京都千代田区に開店。

12.16 第46回衆議院議員総選挙自由民主党民主党から政権を奪還し、総裁であった晋三が同年12月26日に内閣総理大臣に再就任。再びファーストレディ(内閣総理大臣夫人)となる。

2013年(平成25年)51歳

12月、中日新聞社東京新聞の取材に対し、再生可能エネルギーへの転換、原子力発電所輸出への異論を述べる。

2016年(平成28年)54歳

1.7   長崎の超能力喫茶あんでるせんを訪ねる。

7.5 「昨日はこんな人たちとも写真を撮ったり、握手をしてみました」とコメントを添え「アベ政治を許さない」と書かれた紙を掲げる男性らと満面の笑みを浮かべる写真をインスタグラムに投稿。

11月、小池百合子との対談(週刊現代 2016年11月12日号)で「今、大麻に興味がある。ひとつは医療用、もうひとつは『祈祷用』」「日本古来の神とつながる精神性を得るためには、日本製の麻を使う必要があると思う。『日本を取り戻す』ことは『大麻を取り戻す』こと」などと発言。

2017年(平成29年)55歳

2.23 4月に就任予定だった森友学園の名誉校長を辞任。

3.14 内閣総理大臣夫人としての立場について、「内閣総理大臣の配偶者を指して一般的に用いられる呼称」であり、「公人」でなく「私人」であると閣議決定される。

2018年(平成30年)56歳

2.14 朝日新聞に、一連の内閣総理大臣夫人としての振る舞いについて、無所属の会江田憲司の「相手が一私企業や私人等の場合は宣伝等に利用されるリスクがある。国民からは『全体の奉仕者』である総理大臣の代理と見られる。個別事案によるが、公的団体以外は断るべき。総理秘書官ら官邸の夫人担当のさばきが甘すぎたのでは」との指摘が掲載される。

2020年(令和2年)58歳

3.15 新型コロナウイルス感染拡大中、大分に旅行し、約50人の団体とともに大分県宇佐市宇佐神宮を参拝したと週刊文春が報道。昭恵は、同行者に「コロナで予定が全部なくなっちゃったので、どこかへ行こうと思っていたんです」と語っていたという。

9.16 第4次安倍第2次改造内閣総辞職及び菅義偉内閣成立に伴い、7年8ヶ月務めたファーストレディを菅真理子に引き継ぐ。

2021年(令和3年)59歳

2.23 長年可愛がってきた愛犬「ロイ」が19年6ヶ月の生涯を閉じ、天寿を全うしたとインスタグラムで報告。

6.27 熊本県のブリーダー崩壊により保護されたミニチュアダックスフンドの「ロン」(推定5歳)を「家族」として迎えたことをインスタグラムで報告。

2022年(令和4年)60歳

6.18 愛犬「ロン」が近所の公園でドッグランデビューしたことをインスタグラムに投稿。

6.22 和歌山県みなべ町の梅農家で手伝いをしたことをフェイスブックに投稿。

7.8 晋三が奈良市近鉄大和西大寺駅前で参院選の応援演説中、改造銃で背後から2発撃たれ同日死亡。昭恵は病院に到着した後、人工呼吸器をつけてベッドに横たわる晋三の手を握り「晋ちゃん、晋ちゃん」と何度も名前を呼び続けたが、医師が輸血を大量に行うなど蘇生措置を実施したことおよび容態を告げ、最終的に「蘇生は難しい」と判断。

同日、晋三が関係する6つの政治団体のうち、資金管理団体「晋和会」と「自由民主党山口県第四選挙区支部」の2つの団体を継承し、代表に就任。晋和会についてはのちに資金管理団体の指定を解除。

7.21 自民党本部で開かれた清和政策研究会(安倍派)の総会に出席し、晋三の死去に伴う山口4区の補選について「立候補する考えはない」と話す。

10.31 「居酒屋UZU」閉店。

2024年(令和6年)62歳

12.12    スペイン・バスク自治州ビルバオで開かれた台湾の桜5本の植樹イベントに出席。

12.15 アメリカのトランプ次期大統領とフロリダ州の邸宅「マール・ア・ラーゴ」でメラニア夫人とともに面会する見通し。

たぶん超現実

youtu.be

 YOASOBIの曲でたぶん一番好きな曲を、AKMUのスヒョンと一緒にやるという夢のようなコラボが実現。

韓国の聴衆が大盛り上がりしてるのが嬉しい。

前日にはニュージーンズも登場した。とても素晴らしいです。

youtu.be

もっともっと文化交流を促進していくのが平和共存の唯一の道だと思う。

Without any fear

この曲は、オノとレノンが前の結婚のときに授かった子供たちに向けたクリスマスの挨拶で始まります。オノが「ハッピー クリスマス、キョーコ」とささやき、次にレノンが「ハッピー クリスマス、ジュリアン」とささやきます。

youtu.be

Happy Xmas / John Lennon & Ono Yoko

 

さてクリスマスだ

今年はどうだった

古い一年が終わって

新しい一年が始まる

そういうわけでクリスマス

今年は楽しめたかい

身近な人も愛しい人も

年寄りも若いのも

 

クリスマスおめでとう

そして新年おめでとう

いい年になりますように

何の恐怖もなしに

 

そういうわけでクリスマス

弱い人も強い人も

金持ちも貧乏人も

世の中は完全に間違ってる

 

クリスマスおめでとう

黒人も白人も

黄色人種も先住民も

争いなんか止めようよ

 

クリスマスおめでとう

新年おめでとう

いい年になりますように

なんの恐れもなしに

 

さてクリスマスだ

今年はどうだった

古い一年が終わって

新しい一年が始まる

そういうわけでクリスマス

今年は楽しめたかい

身近な人も愛しい人も

年寄りも若いのも

 

クリスマスおめでとう

新年おめでとう

いい年になりますように

なんの恐れもなしに

 

戦争は終わる 君がそれを欲するのなら

戦争は終わる 君がそれを本当に求めるのなら

ドナルド・トランプ年譜(随時追記)

引用は特記なき限り「Trump Revealed 」(Michael Kranish&Marc Fisher、2016)より

1946年(昭和21年)

6.14  Donald John Trump、フレッド・トランプとその妻メアリー・アンの第4子として、ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区にて出生。

父のフレッド・トランプは1905年10月生まれのドイツ系アメリカ人であり、ニューヨーク市の富裕な不動産デベロッパーであった。

ドナルドの父方の祖父フレデリック・トランプはもともとドイツ人で、1885年10月にドイツのラインラント=プファルツ州カルシュタットから渡米した移民であった。

ドナルドの母メアリー・アンは、スコットランドのルイス島生まれで1930年5月にアメリカに渡った。

ドナルドの両親は1936年1月に結婚し、5人の兄妹(女・男・女・男・男の順に生まれた5人兄妹)をもうけた(長女はドナルドより9歳ほど年上で、後に判事になる)。

1951年(昭和26年)5歳

私立キューフォレスト校(幼稚園から高校までのエスカレーター学校)に入る。

1954年(昭和29年)8歳

教室で教師の命令に反抗し、冗談や乱暴な言動で授業を妨害していた。

音楽教師(チャールズ・ウォーカー)を殴って痣を負わせる。

2015年に亡くなる直前、ホスピスのベッドに横たわっていたウォーカーは、トランプが大統領選への出馬を検討しているという報道を耳にした。「あの子が10歳のときでさえ、彼は小さなクソ野郎だった」とウォーカーは家族に語った。

野球に熱中。ワーカホリックだった父親(フレッド)の建設現場に同行し仕事のやり方を学ぶ。

几帳面でフォーマルな男性で、家にいるときでもジャケットとネクタイを着用していたフレッドは、陰気で社交的にぎこちないところがあった。妻のメアリーは注目を浴びるのが好きで、パーティーや社交の場の中心にいた。また、華やかさも大好きで、エリザベス女王戴冠式を何時間も座って見ていた。主婦のメアリーは慈善活動に熱心に取り組み、ドナルドが生まれたジャマイカ病院でボランティア活動もしていた。メアリーはさまざまな健康上の問題を抱えており、ロバートの誕生後に出血を起こして緊急子宮摘出手術を受けることもあった。ドナルドは母親から細菌感染に対する警戒心を受け継ぎ、大人になってから何年も握手を避けていた。

1959年(昭和34年)13歳

9月、息子の成長に不安を覚えたフレッド・トランプの方針により、ニューヨーク陸軍士官学校(クイーンズから75マイル北にある厳格な寄宿学校)に転校させられる。

キャンパスの文化は非常に厳格で容赦がないため、ある絶望した士官候補生は自由を求めてハドソン川に飛び込み、泳いで逃げたという噂があるほどだった。

元軍人の教師セオドア・ドビアスにより日常的に厳しい訓練を受ける。

一等兵から伍長へと着実に昇進し、3年生の時には補給軍曹となる。

1964年(昭和39年)18歳

士官学校を卒業し、実家近くのフォーダム大学に入学。一時は南カリフォルニア大学の映画学校への入学を考えていた。

フォーダム大学ではスカッシュチームに入り、第一線で活躍し、北東部と中部大西洋岸を遠征した。

1966年(昭和41年)20歳

ペンシルベニア大学ウォートン校経営学部に転校。

「トランプはいわゆる『知識人』ではなかった」とクラスメートのルイス・カロマリスは語った。「彼は愚かな男ではなかった。特定の興味を持っていた。試験のために勉強したことはなかったと思う。トランプはトレードやレバレッジ取引に興味を持っていた。…彼はプログラムを修了するために必要なことをした。」

トランプはキャンパス外の質素なアパートに住み、週末はほとんど町を離れていた。課外活動で目立つことはなかった。多くのクラスメートは彼のことを全く覚えていない。

1968年(昭和43年)22歳

経済学士号(BS〈ECon〉)を取得し同校卒業。父親の不動産会社(エリザベス・トランプ・アンド・サン社)に入社。

1971年(昭和46年)25歳

父親の不動事業を引き継ぐが、中低所得者向け住宅の管理事業に不満を持つ。住民が窓からゴミを捨てたり、家賃の回収に行くと撃たれる危険があるなど、低所得者層の住環境は劣悪だった。後に父のフレッドはその管理不足のためで刑事責任を問われることになる。

「私が父の事業から抜け出したいと思った本当の理由は、それが肉体的にも経済的にも厳しいという事実よりも、私にはもっと壮大な夢とビジョンがあったからだ」とトランプは書いている。「そして、郊外の行政区に住宅を建てることでそれらを実現する方法はなかったのだ」

マンハッタンのイースト75番街のビルの17階にあるアパートに引っ越し、インテリアデザイナーの助けを借りてベルベットのソファとクリスタルで家具を揃える。アイルランド人女性をメイドとして雇う。キャデラックのオープンカーを隣のガレージに停め、毎日かなりの距離を運転してアベニュー Z にあるトランプ マネジメントのオフィスに通った。

1973年(昭和48年)27歳

10.15 トランプ父子の所有する不動産が人種差別的慣行を行っていたとして米国政府から訴えられる。

訴訟が提起されて間もないある日、トランプと父親はニューヨークのトップ法律事務所を訪れたが、弁護士は政府に屈するように助言した。ドナルドは葛藤していた。その夜、決断について熟考していたドナルドは、マンハッタンのディスコに入った。そこで彼は、父親が表舞台から退き始めたときに彼の人生の方向性を決定づけることになる男と出会った。この新しい知り合いは、私的および公的権力の回廊をうまく操ることに長けており、市長、裁判官、上院議員と知り合いだった。彼はドナルド・トランプとはまったく別のレベルで動いていた。その男の名はロイ・コーンといった。

「私は弁護士が好きではない」とトランプはコーンに言った。

「弁護士がやることは取引を遅らせることだけだ。彼らの答えはいつもノーで、彼らはいつも戦うのではなく和解しようとしている」

コーンは同意した。

トランプは続けた。「私は屈服するより戦うほうがいい。一度屈服すると、すぐに臆病者という評判がつくからだ」

トランプはコーンが自分のような「無名」の話を聞いていることに興奮した。

トランプは政府から「一部の住宅開発で黒人を差別した」として訴訟を起こされたばかりだと説明した。トランプは差別はしていないし、生活保護受給者に賃貸するよう政府に強制されたくはないと述べた。「私はどうしたらいいと思う?」

「私の考えは、彼らに地獄に落ちろと言い、法廷で争って、差別したことを証明させるというものだ。白人であれ黒人であれ、好ましくない入居者に賃貸する義務はないと思うし、政府には事業の運営方法を指図する権利はない」

コーンはトランプに「きみは間違いなく勝つ」と保証した。

12.12 政府に対して1億ドルを求める反訴を提起することを発表する。代理人はロイ・コーン。

1975年(昭和50年)29歳

6.10 政府との訴訟で和解成立。「住宅の売買または賃貸の条件、条件、または特権に関して、いかなる人物に対しても差別をしないこと」を禁じる同意命令に署名。

1976年(昭和51年)30歳

父フレッドが集合住宅における一連の住宅法規違反で地元当局から逮捕状を示され、保釈金と罰金を支払う。

1977年(昭和52年)31歳

4月、ノーマン・ヴィンセント・ピール牧師の立ち合いの下、チェコスロバキア人でモデルのイヴァナと結婚。

ピール牧師は、1952年のベストセラー『ポジティブ思考の力』の著者で、アメリカの自己啓発文化の柱であり、ドナルドの両親が時折通っていたニューヨークのマーブル・コレッジエイト教会の牧師でもある。

ピール牧師は、父親以外でドナルドがメンターと呼んだ唯一の人物だった(彼はコーンに対してその言葉を使うのを拒み、コーンは「ただの弁護士、非常に優秀な弁護士」だと主張した)。ピール牧師は「誰よりも最高の説教をする、素晴らしい演説家だった」とトランプは語った。「彼は私が史上最高の生徒だと思っていた」。

トランプの両親が初めて彼をピール牧師の説教に連れ出したのは、1950年代初頭のこと。当時、この牧師は新聞のコラムやラジオ番組で何百万人もの視聴者を獲得し、名声の頂点にいた。 「神の助けがあれば掃除機を売ることができると知っている」とピールはかつて語ったが、この考え方はフレッド・トランプとその息子を含む起業家たちに訴えるものだった。ドナルド・トランプが成功すると、ピールはドナルドが「現代の最も偉大な建設者」になると予言した。一方トランプは、最良の結果だけを考えれば勝つことができるとピールから教わったと称賛した。「心はどんな障害も乗り越えられる。私は決してネガティブなことは考えない」

12.31 最初の子ドナルド・ジョン・トランプ・ジュニア誕生。

1978年(昭和53年)32歳

家族の最初のマンハッタンでの事業であるグランドセントラル駅に隣接する廃墟となったコモドアホテルの改修に着手し、世間の注目を集める。

コモドアホテルの近代化は大掛かりな事業になる予定だった。ホテルにはガレージがなく、2 つの地下鉄路線に囲まれた地下室は拡張できなかった。部屋は狭すぎてアパートに改装できず、近代的なガスや電気の配線もなかった。部屋は半分の時間空いており、数少ない薄汚い店先には、リラクゼーション プラスといういかがわしいマッサージ パーラーがあった。 (「プラスの意味を誰も理解しなかった」とトランプは冗談を言った。)不動産専門家は、その建物の価値は「土地の真の価値から取り壊し費用を差し引いた額」、つまりゼロだと見積もった。年間150万ドルの損失を出したこのホテルは、1976年の夏、ちょうど民主党全国大会がマディソン・スクエア・ガーデンで開催される頃に閉鎖される予定だった。

資金調達は父親が手配した4億ドルの市の固定資産税減免によって促進され、父親はまたハイアットと共同で7000万ドルの銀行建設ローンを保証した。

1978 年 5 月に解体作業員が作業に取り掛かると、予想以上に劣悪な環境が見つかった。ホームレスの男たちが、暖かくシラミだらけのボイラー室に引っ越していた。トランプが建設しようとしていた鉄骨は錆びて損傷していた。地下室では、作業員が巨大なネズミの群れを追い払うために猫を放ったが、猫は死に、ネズミは生き残った。費用はすぐに膨れ上がった。26階建ての外装の石造りは鏡張りのガラスで覆われ、フロア全体が取り壊されることになった。

1980年(昭和57年)36歳

6.5 トランプタワー用敷地の解体の際、アールデコの彫刻を解体。歴史的遺産の破壊として報じられる。

9.25 近代化されたグランド ハイアットが、トランプが最初にコモドールをターゲットにしてから6年後にオープン。

グランド ハイアットは、寛大な税控除、競合する利害関係を互いに利用すること、そしてかなりの金銭的大胆さと巧妙な手腕という、トランプの開発スタイルの典型であることが証明された。トランプは、このホテルがグランド セントラル地区の活性化とマンハッタンの新たな魅力の時代の到来に貢献したと主張した。トランプは、このプロジェクトが自分の人生を変えたと語った。「もし私が最終的に市を説得して、西34丁目の私の敷地をコンベンションセンターの建設地に選ばせ、その後グランドハイアットを開発していなかったら、今頃私はブルックリンに戻って家賃を徴収していただろう。」

1981年(昭和56年)35歳

4月、長女イヴァンカ誕生。

9.26 8歳年上の兄フレディが長年のアルコール依存症の末、心臓発作で亡くなる。享年42歳。

ドナルドは彼の死を「私が経験した中で最も悲しいこと」と呼んだ。彼は兄の失敗から「100%警戒を怠らない」ことを学んだと語った。「人間はすべての動物の中で最も凶暴であり、人生は勝利か敗北で終わる戦いの連続だ」とトランプは兄の死から2か月後に語った。「人にだまされてはいけない」。

2つの古い建物、バルビゾンプラザホテルと、その隣のセントラルパークサウス100番地にある15階建てのアパートを1,300万ドルで購入。1億ドルで買い手がなく、後にトランプパークイーストとトランプパークになった。

1982年(昭和57年)36歳

3.14 ニュージャージー州のカジノ管理委員会にカジノ免許を許可される。アトランティックシティでカジノホテル建設着手。

トランプタワー266戸マンション販売開始。マイケル・ジャクソンスピルバーグらが契約。

評判を上げるためにチャールズ皇太子とダイアナ妃が購入を検討してるとデマを流す。

『フォーブス』誌の富裕層リストに家族の推定純資産2億ドルのシェアを持っていると記載される。

1983年(昭和58年)37歳

不法移民にタワーの建設作業を許可したとしてハウスレッカーズ95支部の組合員から訴えられる。

新興のプロアメリカンフットボールリーグであるUSFLニュージャージー・ジェネラルズのオーナーとなる。NFLを反トラスト法で訴えるが敗訴し、USFLは1985年をもって消滅。

ロイコーンの口利きで姉マリアンが地方裁判所判事になる。

1984年(昭和59年)38歳

3月、トランプ一家(ドナルド、イヴァナ、3人の子供たち)、3階建てのペントハウスに引っ越す。

53 室の金箔張りの 3 階建ての建物には、高さ 29 フィートのリビングルーム、メイドの部屋、ルネッサンス様式の天使像の天井壁画、クリスタルのシャンデリア、リモコン式のロマネスク様式の噴水、「アフリカの最も深く暗い場所」から採掘された青いオニキス、専用のエレベーターが備わっていた。夫妻のバスルームは別々で、ドナルドのバスルームはダークブラウンの大理石、イヴァナのバスルームは半透明のピンクのオニキスだった。トランプは、輸入大理石のマントルピースがあるペントハウスの下の部屋を両親のために確保していた。両親は主にクイーンズに滞在した。

ホリデー・コーポレーションの資金援助と経営支援を受け、トランプ・プラザにホテル兼カジノのハラーズをオープン。利益が出なかったため、ホリデーに7000万ドルを支払い、1986年5月に単独経営権を握る。

1985年(昭和60年)39歳

フロリダ州パームビーチのマール・ア・ラゴ邸を購入。

未開業のアトランティック・シティ・ヒルトン・ホテルを購入し、トランプ・キャッスルと改名。妻のイヴァナに経営を任せる。

1986年(昭和61年)40歳

5.28 ニューヨーク市長に手紙を書き、ウォルマン・スケートリンクの修復を申し出る。予定より2か月早く予算内でリンクを修復させる。

8.2   ロイ・コーンがエイズで死去。

1987年(昭和62年)41歳

初の著書「Trump: The Art of the Deal」(邦訳『トランプ自伝―不動産王にビジネスを学ぶ』早川書房ちくま文庫)出版。

1988年(昭和63年)42歳

2月、ニュージャージー州カジノ管理委員会の免許審問に出頭。ブラックマンデー後の市場崩壊の余波の中でトランプがまだ資金を調達できるかどうかを質問される。

11月、メリルリンチ・キャピタル・マーケッツと契約し、メリルリンチは6億7500万ドルのジャンク債を発行して売却することに合意。

「ドナルド・J・トランプ財団」設立。1987年から2006年まで、トランプは財団に540万ドルを寄付したが、2006年末までに使い果たしていた。2007年から2008年にかけて合計6万5000ドルを寄付した後、彼は慈善団体への個人資金の寄付をやめた。同財団は、ビンス・マクマホンからの500万ドルを含む他の寄付者から数百万ドルの寄付を受け、健康およびスポーツ関連の慈善団体、保守派グループ、およびトランプ所有の施設でイベントを開催した慈善団体に寄付した。

1989年(平成元年)43歳

10.10 スティーブン・ハイド、マーク・グロシンジャー・エテス、ジョナサン・ベナナフの3人の重役を乗せたヘリコプターが墜落。

当時経営不振に陥っていた大手航空会社イースタン航空のニューヨーク発(ラガーディア空港)のシャトル便路線網を買収。自らの名を冠した「トランプ・シャトル」を興す。

『トランプ:ザ・ゲーム』というボードゲーム発売。

1990年(平成2年)44歳

4月、アトランティック・シティにカジノ「タージ・マハル」オープン。

財政的苦境に陥る。

1990年の春までに、トランプは崩壊の危機に瀕した帝国を監督していた。カジノ管理委員会の報告書によると、それは「キャッシュフロー不足の結果、深刻な財政難」に陥っていた。トランプシャトルは、その年の前半に3,400万ドルの損失を出し、トランプはヨットとともにそれを売却しようとしていた。タージの開業は当初は思いがけない利益をもたらしたが、それは長くは続かなかった。しかし、タージは彼の他のアトランティックシティの施設の売り上げを食いつぶしていた。

著書「Trump: Surviving at the Top」、翌年「Trump: The Art of Survival」

1991年(平成3年)45歳

連邦破産法第11章の適用を申請。再編協定の条項に基づき、当初の株式の半分を手放し、将来の業績を個人的に保証。 9億ドルの個人負債を減らすため、トランプ・シャトル航空会社、カジノにリースされ停泊していたメガヨット、トランプ・プリンセス、およびその他の事業を売却。

1980年代には、70以上の銀行がトランプに40億ドルを貸し付けていたが、1990年代初頭の企業破産後、ドイツ銀行を除くほとんどの大手銀行は彼への融資を拒否した。

1992年(平成4年)46歳

前年のカジノ倒産に続きホテルも倒産。「プラザ・ホテル」「トランプ・シャトル」も手放す。

モデルのマーラ・メープルズとの浮気が発覚、離婚訴訟。

3月、離婚成立。翌年12月、メープルズと再婚。

1994年(平成6年)48歳

巨額の借金を少しでも減らすために資産を売って借金の一部の返済に充てることにし、遊覧船事業と航空事業から撤退。マンハッタンの所有物件を多数中国系企業に売却。

1995年(平成7年)49歳

30億ドル以上の銀行融資を返済できず、貸し手は「大規模で屈辱的な再編」でプラザホテルと他の資産のほとんどを差し押さえ、トランプが個人破産を免れることを可能にする。主幹銀行の弁護士は、銀行の決定について「死ぬよりは生きている方がましだと全員が同意した」と述べた。

マール・ア・ラゴの邸宅を入会金と年会費を徴収するプライベートクラブに改装。引き続き邸宅の一角を私邸として使う。2019年にこのクラブを主な住居と宣言する。

1996年(平成8年)50歳

ウォール街40番地にある、ほとんど空き家だった71階建ての高層ビルを購入し、改装。このビルは後にトランプビルと改名。

ミス・コンテストのミス・ユニバース・ブランドを購入(2015年に売却)。

1997年(平成9年)51歳

著書「Trump: The Art of the Comeback」(『敗者復活 不動産王ドナルド・トランプの戦い』日経BP社)

1999年(平成11年)53歳

トランプ・オーガニゼーションがゴルフコースの建設と購入を開始。同社は世界中で14のトランプブランドのコースを所有し、3つのコースを管理。

6月、イタリア人モデルとの浮気が発覚、メープルズと離婚。

10.25 アメリカ合衆国改革党に入党。

2000年(平成12年)54歳

ロイ・コーンから紹介された共和党の政治顧問ロジャー・ストーンをブレーンに合衆国改革党の予備選挙に出馬。政治コメンテーターのパット・ブキャナンに敗れる。

財政赤字削減のために超富裕層に税率14.25パーセントを一度だけ課すことや、同性愛者差別を禁止するための1964年公民権法改正、法人税引き上げを財源に国民皆医療保険を実現することなどリベラルな公約を掲げていた。

著書「The America We Deserve」

同書の中で「われわれは今、テロ攻撃の脅威に晒されている。今度くるものは、あの(1993年WTC地下駐車場で起きた)世界貿易センター爆破事件なんてガキの爆竹に思えるぐらいの規模のものだ…。まともな頭のアナリストはその可能性さえ受け入れられないだろう。しかしその多くが自分と同じ思いで、事の成り行きを眺めている。知りたいのはIF(起こるかどうか)ではない。WHENだ」「ある日われわれは、オサマ・ビン・ラディンという住所不定の謎の人物がアメリカ最大の敵だという話を聞いた。米軍戦闘機がアフガニスタンの奴の拠点を荒らし…奴はどっかの岩の下に雲隠れした。そして世の中がすっかり忘れ去ったころに、奴は再び新たな敵、新たな危機としてわれわれの前に姿を現すのだ」と書いており、図らずも後の2001年9月11日に起こるアメリ同時多発テロを予言したような言葉を残している

2004年(平成16年)58歳

1月、リアリティ番組『アプレンティス』をプロデュースし、司会を務める(2015年6月まで)。「You're fired(お前はクビだ)」と宣告するセリフが人気となる。

ニューヨーク。私の街。グローバル経済の歯車が回り続ける街。ビジネス世界を駆り立てる比類なき力と目的を持った、コンクリートメトロポリス。マンハッタンはタフな街だ。マンハッタンは弱肉強食の世界だ。

注意していなければ、かみ砕かれて吐き出されてしまう(カメラがベンチで寝ているホームレスを映し出す。ビジネス的に敗れた男なのだろう)。だが、懸命に働けば大成功を収めることができる。桁外れの成功だ(ここでトランプの豪邸が映る)

私の名はドナルド・トランプ。ニューヨークで一番の不動産開発業者だ。だが、常に順風満帆だったわけではない。13年前は深刻な状況に陥っていた。多額の負債を抱えていたのだ。しかし私はその苦境と戦い、勝った。大実業家の地位を得た。

私はビジネスが何たるかをマスターし、「トランプ」という名を最高級ブランドに仕立て上げた。そして今、ビジネスの名人として、その極意を誰かに伝えたいと思う。私は探しているのだ。アプレンティス(弟子)を。

『アプレンティス』が子供の間にも人気が広がった時に、末期癌の子供の願いを叶える団体から依頼を受けて、トランプから「お前はクビだ」と言われたいという末期癌の少年に会いに行った。その際に少年は『アプレンティス』の出演者のようにスーツとネクタイを着用してトランプと対面したが、トランプは「お前はクビだ」とはどうしても言えず、「がんばれ。人生を楽しんでくれ」と言って帰ってしまったことがある。

著書「Trump: How to Get Rich」(『金のつくり方は億万長者に聞け!――大富豪トランプの金持ち入門』扶桑社)、「The Way to the Top: The Best Business Advice I Ever Received」、「Trump: Think Like a Billionaire: Everything You Need to Know About Success, Real Estate, and Life」

2005年(平成17年)59歳

1月、スロベニア出身でモデルのメラニアと結婚。翌年3月に息子のバロン生まれる。

不動産セミナーを最高3万5000ドルで販売する会社、「トランプ大学」を共同設立。ニューヨーク州当局が同社に対し、「大学」という名称の使用は州法に違反する(学術機関ではないため)と通告し、2010年に名称を「トランプ起業家イニシアチブ」に変更。

著書「Trump: The Best Golf Advice I Ever Received」

2006年(平成18年)60歳

著書「Why We Want You to be Rich: Two Men – One Message」(『あなたに金持ちになってほしい』筑摩書房

2007年(平成19年)61歳

4.1 WWE主催大会において、「バトル・オブ・ザ・ビリオネアーズ(Battle of the Billionaires、億万長者対決)」と題されたトランプとビンスそれぞれの代理レスラー(トランプの代理はボビー・ラシュリー、ビンスの代理はウマガ)の試合が行われる。

アメリカではそれぞれがかつらとの噂があり、その噂を皮肉った対決で、敗者は頭を剃ることになるルールであった。特別レフェリーの"ストーン・コールド"・スティーブ・オースチンの助けもあり、トランプ側が勝利し、その場でトランプがビンスの髪の毛を刈った。試合後にトランプもオースチンから必殺技のストーンコールド・スタナーを浴びた。

著書「Think Big and Kick Ass in Business and Life」(『大富豪トランプのでっかく考えて、でっかく儲けろ』徳間書店)、「Trump: The Best Real Estate Advice I Ever Received: 100 Top Experts Share Their Strategies」、「Trump 101: The Way to Success」(『トランプ最強の人生戦略』きこ書房

2008年(平成20年)62歳

シカゴの92階建ての多目的ビル「トランプ・インターナショナル・ホテル・アンド・タワー」オープン。

著書「Trump Never Give Up: How I Turned My Biggest Challenges into Success」

2009年(平成21年)63歳

2.17 「サブプライム問題」以降の不況を受け、社債の利子の支払い不能に陥るなど経営難に陥っていた「トランプ・プラザ」、「トランプ・マリーナ」、「トランプ・タージマハール」を経営する「トランプ・エンターテイメント・リゾーツ」が連邦倒産法第11章の適用を申請。

同社の創業者でもあるトランプはこれに先立ち、取締役会に対して「同社の株式をすべて購入する」との申し出を行ったが拒否されたことを不服として同社の取締役を辞職。

2月、「レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン」に出演した際に、同じく連邦倒産法第11章の適用を申請した「ゼネラルモーターズはつぶれるべきだ」と発言。しかし同社は翌年から急に業界の経営が上向いた。

6月、ビンスからRAW(WWEが毎週放送しているテレビ番組)を買収してオーナーに就任。翌週の放送は番組史上初のCM無し放送や観客の入場料全額払い戻しを実行するが、その日のうちにビンスが売却した倍額で買い戻し、オーナーアングルは1回限りで終了。

著書「Think Like A Champion: An Informal Education in Business and Life」(『明日の成功者たちへ』〔改題〕『トランプ思考――知られざる逆転の成功哲学PHP研究所

2009年(平成21年)63歳

11月、『フォーブス』が「アメリカのテレビ界で最も稼いでいる男性」のランキングを発表し、トランプは2008年6月~2009年6月の収入5000万ドル(日本円で約45億円)で2位にランクイン。

2010年(平成22年)64歳

9.9 「グラウンド・ゼロ」近くにイスラム教の文化センターが計画されている問題で、センター予定地を価格の25パーセント上乗せで買い取りたいと申し出る。

2011年(平成23年)65歳

4月、年一回開かれるホワイトハウス記者クラブ主催の晩餐会に出席。オバマ大統領に出生証明書を要求していた件で、オバマから「この問題が一件落着して、彼らはもっと重要な問題に取り組めるだろう。月面着陸は捏造だったのか? ロズウェルの真実は?」と陰謀論を唱える人物として公衆の面前で皮肉られる。

著書「Midas Touch: Why Some Entrepreneurs Get Rich-And Why Most Don't」(『黄金を生み出すミダスタッチ――成功する起業家になるための5つの教え』筑摩書房)、「Time to Get Tough: Making America No. 1 Again」(『タフな米国を取り戻せ――アメリカを再び偉大な国家にするために』筑摩書房

2012年(平成24年)66歳

2.2 前年4月の世論調査で2012年アメリカ合衆国大統領選挙における共和党の候補として2位の支持率を獲得していたが、共和党大統領候補としてミット・ロムニーを支持すると表明。

5.16 共和党予備選挙への不出馬を表明。

最後に付け加える形で、のちの大統領選に、再び「(政治)見習いのセレブ(Celebrity Apprentice)」として出馬する予定であるとも述べた。

2013年(平成25年)67歳

WWE殿堂入り。

ニューヨーク州がトランプ大学に対し、同社が虚偽の陳述を行い消費者を騙したとして4000万ドルの民事訴訟を起こす。さらに、連邦裁判所にトランプ氏とその企業に対する集団訴訟が2件起こされた。内部文書によると、従業員は強引な販売手法を使うよう指示されていたことが明らかになり、元従業員はトランプ大学が学生を騙したり嘘をついたりしたと証言。トランプは2016年の大統領選挙で勝利した直後、3件の訴訟を和解するために合計2500万ドルを支払うことに同意した。

2015年(平成27年)69歳

9月、子供に髪の毛を引っ張らせてカツラ疑惑を払拭したが、ハリウッドのスタイリストらはいまだカツラか自毛かで論争が続いているとAFP通信が伝えた。

著書「Crippled America: How to Make America Great Again」(『THE TRUMP 〜傷ついたアメリカ、最強の切り札〜』ワニブックス

2016年(平成28年)70歳

共和党員としてアメリカ合衆国大統領選挙に名乗りを上げ、16人の他の候補者を予備選挙で破る。民主党候補のヒラリー・クリントンを破って当選(一般投票数は下回る)。米軍及び合衆国連邦政府の役職に就いたことの無い初の大統領となる。

12月、「トランプ財団」解散。同団体は、ニューヨーク州司法長官から、財団が義務付けられている年次外部監査を受けずに寄付金を募ったことで州法に違反していると判断され、ニューヨーク州での募金活動を直ちに停止するよう命じられていた。

2020年(令和2年)74歳

8月、『フォーブス』に純資産21億ドルと報道される。

8.15 弟のロバート・トランプ死去。

11月、再選を目指し大統領選挙に出馬。民主党候補のジョー・バイデンに敗北。

2024年(令和6年)78歳

7.13 暗殺未遂事件。アメリカ東部のペンシルベニア州バトラーにて、選挙集会での演説中に銃撃され、右耳にけがを負う。

11.6 合衆国大統領選挙でカマラ・ハリスを破り再当選。大統領への返り咲きはグロバー・クリーブランド以来132年ぶり2人目。

NewJeans VS ADOR

NewJeansが、ADORが提起した訴訟についてコメントを発表した。

6日、NewJeansは「乱雑然とした状況の中で、このような立場文を公表することになり恐れ多い」と複雑な心境を吐露した。

そして「ADORは、専属契約の違反がなかったという事実をきちんと主張できておらず、ただ会社の支援と投資があったため、これを回収するまで専属契約の解除は不可能だという主張を繰り返している」とし「私たちはすでに投資を超えた利益をADORとHYBEに返した」と明かした。

続いて「HYBEは私たちの価値を下げるために陰謀や逆バイラル(ネガティブな口コミ)をするなど様々な妨害を試み、ADORは経営陣が変わった後、これを幇助した」と主張した。

NewJeansは「ADORはこの解除が法に従ったものであるか、裁判所の判断を求める訴訟を提起したが、これは事後的に裁判所の確認を得るための手続きに過ぎない。それにもかかわらず、契約が依然として有効であるかのように、人々をごまかすようなコメントを発表したことに遺憾の意を表する」と伝えた。

また「表では対話と和解を試みると発表しておきながら、裏では私たちを尾行し、害を与え、虚偽事実を流布した媒体の記事に触れた時、私たちは恐怖と嫌悪感を抱いた。しかし、いくら仲違いを試みようとしても、私たち5人は同じ気持ちで集まっており、誰も私たちを引き裂くことはできない」と強調した。さらに、現在自身たちをサポートしているスタッフも、「ADORとHYBEからノートパソコンを奪われ、予告なしに押しかけて調査を受けるなど、深刻ないじめに遭って泣いている様子も目撃した」とし、「このような非良心的で非人間的な会社によって被害を受ける方たちが私たちで終わるわけではない」と問題提起した。

これに先立ってADORは昨日(5日)、NewJeansを相手に専属契約が有効であることを確認する訴訟を提起した。

【NewJeans 公式コメント全文】

こんにちは、ミンジ、ハニ、ダニエル、ヘリン、ヘインです。

雑然とした状況の中で、このような立場文を公表することになり恐れ多いです。

最近、ADORが私たち5人を相手どり、専属契約が有効であるという確認を求める訴訟を提起したというニュースをマスコミを通じて知りました。ADORは公式コメントで、専属契約の違反がなかったという事実をきちんと主張できておらず、ただ会社の支援と投資があったため、これを回収するまで専属契約の解除は不可能だという主張を繰り返しています。

しかし、私たちはすでに投資を超えた利益をADORとHYBEに返しました。それにもかかわらず、HYBEは私たちの価値を下げるために陰謀や逆バイラルをするなど様々な妨害を試み、ADORは経営陣が変わった後、これを幇助しました。私たちを保護しなければならない会社が、自ら悪質なコメントを生み出したと変わらないことです。特に、このような信頼関係の破綻を考慮すると、私たちは今後さらに被害を受ける可能性が高いと判断しました。

所属アーティストを保護する義務すらしっかりと履行できず、何度も契約に違反したADORとHYBEに対する信頼はすでに崩れています。専属契約書に記載されているように、ADORとHYBEと一緒に働く理由はもうありません。

専属契約には、ADORが契約上の義務を履行しない場合、当社が契約を解除することができるという条項が明確に記載されています。

この信頼関係の破綻と契約違反にもかかわらず、私たちに5年以上仕事を強要することは非合理的であるだけでなく、非人間的な行為です。

私たちは、14日の猶予期間をADORに与え、契約違反事項を是正するよう要求しましたが、ADORはこれを全く是正しませんでした。これにより、専属契約に基づいてADORに契約解除を通知し、直ちに効力が発生しました。

ADORはこの解除が法に従ったものであるか、裁判所の判断を求める訴訟を提起しましたが、これは事後的に裁判所の確認を得るための手続きに過ぎません。それにもかかわらず、契約が依然として有効であるかのように、人々をごまかすようなコメントを発表したことに遺憾の意を表します。

もう一度はっきりと申し上げますが、私たちは2024年11月29日からADOR所属ではありません。ADORは私たちの活動に干渉したり、介入することはできません。

表では対話と和解を試みると発表しておきながら、裏では私たちを尾行し、害を与え、虚偽事実を流布した媒体の記事に触れた時、私たちは恐怖と嫌悪感を感じるしかありませんでした。しかし、いくら仲違いを試みようとしても、私たち5人は同じ気持ちで集まっており、誰も私たちを引き裂くことはできません。

私たちは専属契約の解除を発表した直後、まだ残っているADORとのスケジュールに約束した通り、誠実に取り組んでいます。しかし、そのスケジュールをサポートしてくださるマネージャーたちとプロデューサーたちがADORとHYBEからノートパソコンを奪われ、予告なしに押しかけて調査を受けるなど、深刻ないじめに遭って泣いている様子も目撃しました。残りのスケジュールを行うスタッフの方々に対するこのような行動が、私たちには納得しがたく、このような非良心的で非人間的な会社によって被害を受ける方たちが私たちで終わるわけではないということを辛く感じています。

これから、容易ではない道が予想されますが、私たちは健康的な音楽活動を通じて、私たちを愛してくださるファンの皆さんと一緒に歩む人生を夢見ています。そして必ずその夢を叶えたいです。

代表取締役が交代した後も、HYBEの様々な問題点が数回目に見えたにもかかわらず、ADORはこれを是正せず、私たちを保護するどころか名誉を毀損し、虚偽事実を流布した他のレーベルに対しても改善を要求しませんでした。これに加えて、言い訳で一貫していたADORが訴訟を提起したことは非常に遺憾です。しかし、裁判過程を通じて専属契約の解除を選択するしかなかった事情とADORの契約違反の理由が一つひとつ明らかになることを期待します。

私たちは勇気があり、健康な人になりたいです。

これまで応援してくださった多くの方々に心から感謝し、今後も私たち5人に注目していただき、愛してほしいです。

ありがとうございます。

 

 

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ADORがNewJeansを相手に専属契約が有効であることを確認する訴訟を提起した。

ADORは本日(5日)、公式コメントを通じて「3日、NewJeansとの専属契約が有効に存続することを法的に明確に確認してもらおうと、ソウル中央地方裁判所に専属契約有効確認の訴訟を提起した」と明らかにした。

続けて「NewJeansと一緒に歩んでいくというADORの立場は今も変わっていない」とし、「専属契約の効力に関して司法部の判断を求めることとは別に、アーティストと十分かつ真摯な議論が必ず必要だと思う」と伝えた。

そのうえで、「ADORの役職員が何度も懇願したにもかかわらず、まだアーティストとコミュニケーションの機会を作れていないが、私たちはアーティストと当社との間に生まれた不要な誤解を解消するため、絶えず努力する」と付け加えた。

先立ってNewJeansは先月13日、ADORに内容証明を送り、メンバーのハニに「無視して」と発言したマネージャーの公式的な謝罪、HYBE広報室長によるADORの成果に関する誹謗に対する措置、メンバーの同意なしに露出され、使用された写真や動画などの資料の削除、アルバム押し売り(制作会社が初動販売枚数を増やすために、販売会社に莫大な量を任せること)でNewJeansの評価が下げられた状況の解決、NewJeansのミュージックビデオ制作者であるイルカ誘拐団シン・ウソク監督との紛争による問題の解決などを要請していた。

その後、先月28日、NewJeansは緊急記者会見を開き、ADORが内容証明を受けた日から14日以内に違反事項を是正しなかったため、これ以上ADOR所属アーティストとして活動を続けることができないとし、「29日0時で専属契約が解除となる」と発表した。

・NewJeans、公式文書で改めて契約解除を通知「今日から自由に活動」

・NewJeans、ADORが送った内容証明に対する返信を公開「誤解が解けることを願っている」

【ADOR 公式コメント全文】

こんにちは、ADORです。

当社は12月3日、所属アーティストのNewJeansとの専属契約が有効に存続することを法的に明確に確認するため、ソウル中央地方裁判所に専属契約有効確認訴訟を提起しました。

所属アーティストとの問題が法的手段で解決されることを望んでいませんでしたが、会社とアーティスト間の専属契約が一方的な主張だけで簡単に解約されるものではないことを、アーティストはもちろん、様々な利害関係者に確認する必要があると判断し、やむを得ない決定を下しました。何よりも、アーティストと会社間の健全な信頼関係を基盤に成長してきたK-POP産業、さらには韓国大衆文化産業の根幹を守るための判断を裁判所から明確に求めるためです。

このような知らせをお伝えすることになり心苦しいですが、アーティストの方々が専属契約が適法に解約されたと誤解し、現在締結されている専属契約に違反する方法で芸能活動をしたり、それによって国内外の業界関係者に予期せぬ被害と混乱が発生することを防ぐためです。

今日のK-POPは、アーティストの才能と絶え間ない努力、ノウハウを持つ会社の全面的な投資と信頼、この二つの相乗効果で発展してきました。成敗を予想しにくい不確実な状況の中で、長期間会社の支援が先行しなければならないのが大衆文化、特にK-POP産業の必須不可欠な特性です。会社の先行的な支援は、一定期間、会社とアーティストが共に成長していくという期待と信念に基づいたものであり、これを前提に相互に同意し、合意したのが専属契約です。

この基本的な合意が守られなければ、長い間不確実性に耐えながら投資という名の全幅の信頼を送った会社の努力は無駄になり、どこにも補填されなくなります。つまり、この産業にこれ以上体系的な支援や投資とシステムの高度化は期待できなくなり、多くの人の汗と夢で急速に発展してきたK-POP産業の成長の好循環が途切れてしまうことを私たちは何よりも懸念しています。

NewJeansと共に歩んでいくというADORの立場は今も変わりません。専属契約の効力について司法部の判断を求めることとは別に、アーティストと十分かつ真摯な議論が必ず必要だと考えています。ADORの役職員が何度も懇願したにもかかわらず、まだアーティストとコミュニケーションの機会を持つことができていませんが、私たちはアーティストと当社との間に蓄積された不要な誤解を解消するために絶えず努力をするつもりです。NewJeansの音楽を愛してくださる方々に、より良い活動で報いることができるよう最善を尽くします。ADORとNewJeansのメンバー全員が賢明に現状を乗り越えられるよう、多くのサポートと応援をお願いします。

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株式会社日本総合研究所の調査によると、2024年のわが国の出生数(日本人)は、前年比5.8%減の68.5万人になる見通しだという。出生数は初めて80万人を割った22年からわずか2年で70万人割れとなる。出生数の減少ペースに明らかな加速が認められた2016年から2023年(昨年)までの年平均の減少率は4.0%であったことから、減勢は極めて強い状況。

上記見通し通りとなれば、国立社会保障・人口問題研究所による将来人口推計の中位推計で示された2024年の出生数に比べて7.0万人の下振れとなり、低位推計の66.8万人に迫る水準。また、1人の女性が一生涯に産む子どもの数に相当する合計特殊出生率は、過去最低だった前年の1.20を大きく下回り、1.15を割り込む見込み。

2024年の婚姻数は、前年比0.2%増の47.5万組となる見通し。コロナ禍で大きく下振れしたものの、2023年末以降は横ばいとなり、ようやく下げ止まりの兆し。徐々に2016~2018年トレンドの延長線に向けて回帰しつつある格好。

しかし、コロナ禍による婚姻数下振れが出生数に及ぼした影響は、看過できないレベル。コロナ禍によって失われた婚姻数を、2016~2018年トレンド線からの下振れ幅と同値と仮定して、2つの期間で試算。まず、2020年5月から2024年12月まで(コロナ禍以降)の期間におけるトレンド線からの下振れを積算すると、失われた婚姻数は11.3万組。コロナ禍直前に見られた「令和婚」などによる婚姻数先食いの影響を織り込むため、2018年10月以降についてみた場合は9.4万組に。

次に、9.4万組の婚姻数の減少がもたらす潜在的な出生数下押し効果を試算するべく、夫婦の完結出生子ども数(※)1.90(直近2021年値)を乗じると、出生数の下押し効果は17.9万人。この効果は、2020年以降の複数年にわたり出現していると考えられ、今後の出生数についても下押し影響が続く可能性がある。

※完結出生子ども数は、結婚持続期間15~19年の夫婦の平均出生子ども数と定義され、夫婦の最終的な出生子ども数とされる(国立社会保障・人口問題研究所の出生動向基本調査より)

 

ジャーナリスト・木野活明氏によれば、内閣府男女共同参画会議専門委員で、中央大学教授の山田昌弘氏が学生たちに「少子化問題」について尋ねると、男女とも同じ「お金がなければ子供は産めない」との言葉が返ってきたという。とくに男子学生からは、「今後就職して普通の給与をもらっても、子供が2人いたら2人を大学に行かせることは無理。自分の給与では結婚もできないし、子供をつくることはさらに無理です」

女性は結婚相手により人生が変わる可能性が大きいといえるが、男性は自分で家族を支えなければいけないという意識が強い。それだけに結婚は重荷になると考える若者が多く、婚姻数が戦後初めて50万組割れとなった大きな要因といえる。学生たちの声はまさに「少子化傾向」を象徴するそのものではないだろうか。

こうした未婚男女の意識は、国立社会保障・人口問題研究所が実施している、若者や子育て世代の結婚や出産をめぐる行動や意識の変化を捉えた「出生動向基本調査」にはっきり表れてくる(5年ごとに調査、2022年9月公表)。気になった結果を挙げてみる。

「いずれ結婚するつもり」と考えている18~34歳の未婚者では男性81.4%(前回85.7%)、女性84.3%(同89.3%)と男女とも減少。「一生結婚するつもりはない」と答える未婚者は男性17.3%(同12%)、女性14.6%(同8%)と、いずれも10%台だが、女性が大幅に増加していることが注目される。

「結婚の障害」では「結婚資金」を男性で47.5%、女性で43%が挙げている。そして、「結婚相手に求める条件」では、相手の女性に「経済力」を重視する男性が48.2%と約半数の人が女性の資金力を求めているのである。

賃上げを抑えられ、経済成長の停滞が長引くなか、まさに冒頭の男子学生の「お金がなければ結婚も、子育ても無理」とする現実を裏付ける調査結果だ。

政府の少子化対策の基本となる児童手当の対象拡大、所得制限撤廃、子育て世代の支援額倍増の3本柱は必要不可欠な重要課題だが、先の山田教授はさらにこう付け加える。「日本では子供の大学の学費は基本的に親が負担しています。しかし結婚して親になると、子供たちの将来の学費の負担ができないことを気にして結婚をためらい、子供の数を絞っているのが現実です。学費の無償化、軽減は少子化を反転させる転機になると思います」

 

ふと思うのだが、少子化というものを無理に反転させる必要はあるのだろうか。

もちろん子どもが生まれてくることは素晴らしいことだし、祝福すべきことである。

 

 

 

 

 

ふてほど戒厳令

まとめ

韓国のユン・ソクヨル大統領、突然発表した戒厳令を解除すると発表

戒厳令宣言から2時間も経たないうちに国会議員らは大統領に反抗し、国会に集まり大統領の動きを阻止する投票を行った。

バリケードを突破したり、フェンスをよじ登って建物内に侵入した者もいた。外では警察とデモ参加者の間で乱闘があった

突然の軍政導入に抗議するために議会の外に集まったデモ参加者たちは、同様に突然の軍事政権の逆転を今祝っている。

現在、国会議員とデモ参加者の両方から尹氏の弾劾を求める声が高まっている。

分析:ユン氏は論争に巻き込まれ、今年4月の総選挙以来レームダック大統領となっている、とジェイク・クォン氏がソウルで書いている

 

これまでに起こったことは次のとおりです

戒厳令解除を受けて安堵する韓国人
10:40に公開
デビッド・オー BBC韓国放送

今朝、韓国国民はユン氏が軍事政権への提案が覆されたことを受け入れたという知らせを聞いて、少し安堵して目を覚ました。

尹氏は火曜日深夜の驚くべき演説からわずか数時間後、国会議員が全会一致で戒厳令を否決したことを受け、戒厳令を解除すると発表した。

ここ韓国の多くの人にとって、戒厳令の布告は軍事政権の時代だった1980年の記憶を思い出させる。

ある人はソーシャルメディアに「今朝起きてニュースを聞いてパニックになった」と投稿した。

戒厳令が現実に行われるとは予想していなかった」と別の人は語った。

戒厳令の解除により、今のところは猶予が与えられるが、多くの人はまだ「次に何が起こるのか?」という疑問を考えている。

 

11:02
韓国統合参謀本部(JCS)議長は、尹大統領による戒厳令発動の短期間の決定を受けて数時間、国民を守る義務に集中するよう同国軍に呼び掛けた。

聯合ニュースによると、国家最高将軍である金氏は水曜日、主要司令官の緊急会議でこの発言を行った。

聯合ニュースによると、金氏はまた、国内危機が続く中、北朝鮮の脅威に対して「断固たる即応態勢」を維持するよう軍隊に呼び掛けた。


11:21に公開
韓国は、政治における激動の夜の余波に目覚めました。そして、この国が次に何が起こるかを見極めるために、私たちは今日も多くのことが起こることを期待しています。

現状を見てみましょう。

韓国の尹錫悦大統領は深夜のテレビ演説で、北朝鮮分子や「反国家勢力」から国を守るために必要だと主張し、民主主義国家に戒厳令を布告した。
2時間も経たないうちに、韓国議会は議員300人中190人の出席のもと、この措置を否決し、戒厳令は無効であるとの裁定を下した。
その直後、尹大統領は方針を転換し、戒厳令は解除された
大規模なデモは国会前で夜通し行われ、多くの韓国人が戒厳令解除の撤回に安堵の意を表明した
今朝早く、尹氏のスタッフらは総辞職を申し出たが、大統領自身はまだ公の場に姿を現していない
アントニー・ブリンケン米国務長官は、韓国にとって重要な戦略・防衛パートナーである米国は「政治的意見の相違が平和的に、法の支配に従って解決される」ことを引き続き期待していると述べた。

 

戒厳令宣言で韓国経済見通しへの懸念が高まる
11:31に公開
ジョアン・ダ・シルバ ビジネス記者

アナリストらは、政治的不確実性がアジア第4位の経済大国にどのような影響を与えるか、その兆候を注意深く観察している。

銀行大手INGのシニアエコノミスト、ミン・ジュ・カン氏はメモで「経済と政治を巡る不確実性は依然として高く、状況が続けばセンチメントが冷え込む可能性が高い」と述べた。

「現段階では不確実だが、これらの出来事が韓国のソブリン格付けに影響を与える可能性があることを懸念している。」

格付けは、政府が国際金融市場でお金を借りるのにかかるコストに影響を与えます。

しかしアナリストらは、韓国当局がこれまでに講じた措置が経済的打撃を和らげるのに役立つ可能性があるとも指摘した。

投資銀行シティグループの首席韓国エコノミスト、ジンウク・キム氏は「政治・経済環境の不確実性は積極的な政策対応を背景にすぐに緩和される可能性があるため、経済や金融市場への悪影響は短期的なものになる可能性がある」と述べた。

韓国はここ数十年で大幅に成長し、アジアで最も先進的な経済国の一つとなった。国際通貨基金は今年の成長率を2.5%と予想している。

 

11:40
午前2時に国会議員と話せることはめったにありませんし、事実上国会議事堂に侵入したばかりの議員と話すこともできることはさらに稀です。

しかし、それはBBCワールドサービスのニュースアワープログラムで以前に起こったことです。

ホン・ギウォン氏は最大野党「共に民主党」の国会議員。

同氏はBBCのティム・フランクスに対し、大統領が深夜に戒厳令を宣言したときは眠っていたと語った。ホンさんの妻はニュースを知らせるためにホンさんを起こした。

ホンさんは最初は信じられなかったと語った。それから彼は国会へ急いだ。

彼がそこに着くと、警察が入り口を封鎖していた。そこで彼は抗議活動参加者たちに自分が誰であるかを告げ、彼らは彼に壁を乗り越えるために足を上げさせた。

国会議事堂内では全員が団結していると同氏は語った。大統領自身の党員ですら、何が起こっているのか信じられないという。

「ここでは民主主義が強い」とホン氏は強調し、次のように付け加えた。

「軍は大統領の意見ではなく、我々の意見、憲法の意見に耳を傾ける必要がある。」

 

軍は戒厳令施行の「責任」を問われる
11:55
韓国国会事務総長は、尹大統領の短期間の戒厳令発令中に行われたあらゆる「身体的損害と不法行為」について軍関係者に「法的責任」を負わせると明言した。

韓国放送局MBCによると、キム・ミンギ氏は水曜の演説で「今日から国防部や警察などの国会への立ち入りが全面的に禁止される」と述べた。

ミンギ氏は、尹大統領の命令に従って国会に進入した「戒厳令部隊による違法行為」を捉えた「全ての監視カメラ映像を近く公開する」と述べた。

同氏は、国会議員が戒厳令解除を可決するまでの短期間に、約230人の武装部隊が少なくとも24回ヘリコプターで国会敷地内に進入したと付け加えた。

 

12:06
ユナ・ク BBC韓国放送、ソウルから報道

与党・人民力党は数時間にわたる総会を終えたが、野党よりもはるかに時間がかかった。

ハン・ドンフン党首は、内閣の完全総辞職、国防相の解任、大統領の離党要請という3つの問題が話し合われたと述べた。

党員は最初の議題と2番目の議題についてはほぼ合意したが、3番目については依然として議論が分かれている。同党は大統領の弾劾に対する野党の主張を注意深く監視しており、国民の力党はこの問題やその他の問題を議論するために今日午後に別の会議を開催する予定である。

 

韓国では弾劾はどのように行われるのか?
12:13
ベルント・デブスマン・ジュニア ワシントンからの報告

韓国の国会議員らが昨夜の出来事を理由に尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領を弾劾する方向で動いていると伝えられている。

韓国の大統領が弾劾されるのは初めてではなく、2016年に友人の恐喝を幇助したとして当時の朴槿恵大統領が弾劾されてから10年も経たないうちに弾劾される。

この国の弾劾手続きは比較的簡単だ。

そのためには、定数300の韓国国会の3分の2以上、少なくとも201票が弾劾に賛成票を投じる必要がある。

弾劾が承認されると、韓国政府各部門を監督する9人からなる評議会である憲法裁判所で裁判が行われる。

裁判所の委員のうち6人が弾劾支持に投票した場合、大統領は罷免される。

2016年には234人の国会議員が朴大統領の罷免に投票し、弾劾は成功した。

2004年には、もう一人の韓国大統領、盧武鉉氏が弾劾され、2か月の停職処分を受けた。その後、憲法裁判所は彼を職に復帰させた。

 

12:20

動画: デモ参加者が韓国国会前の交通を遮断

ソウルのデモ参加者は水曜日、尹大統領の短期間の戒厳令宣言に抗議するために再び街頭に出て、一部で交通を妨害した。

 

北朝鮮は沈黙を保っている
12:30
デビッド・オー BBC韓国放送、ソウルから報道

北朝鮮は今のところ、韓国の政治的混乱について沈黙を保っているようだ。

尹大統領は昨夜の演説で明らかに北朝鮮をターゲットにしており、戒厳令宣言は「北朝鮮共産主義軍の脅威から自由大韓民国を守る」ためであり、「卑劣な親北朝鮮反国家勢力を根絶するため」だと述べた。

このようなコメントは通常、北朝鮮からの反応を招くだろうが、同国の国営メディアからは依然として反応がない。

専門家らは、尹氏がなぜ北朝鮮の脅威に言及したのかはまだ不明だが、既に高まっている南北間の緊張にプラスの影響を与えることはないとの見方が多い。

 

12:40
BBCニュースのビジネス・トゥデイ番組での市場アナリストへのインタビューは、予想外の個人的な展開を見せた。

フィボナッチ・アセット・マネジメント・グローバルのチョン・インユン氏は、韓国の政治的混乱が市場に与える影響に焦点を当てる前に、真夜中に妻に起こされて「もし北朝鮮が攻撃してきたらどうする?」と尋ねられたことについて語った。そして「内戦が起きたらどうなるのか?」

チョン氏は続けて、兵士たちが国会に入場する様子を生中継で視聴するためにYouTubeなどのプラットフォームを利用した「多くの、あるいはほとんどの韓国人にとって非常に感情的な夜」だったと述べた。

同氏はまた、戒厳令が解除されたというニュースが出たときの全般的な安堵感についても述べた。チョン氏は、最悪のシナリオに備えるのではなく、これが「押し目買い」の瞬間になったと述べた。これは、一時的に価値が下がった資産を購入する機会を表すために投資家が使う表現だ。

 

12:58
韓国のカン・ギョンファ元外相は、大統領の戒厳令に反対する国民や政治家の素早い反応を挙げ、昨夜の混乱した出来事はこの国の民主主義の強さと回復力を証明したと述べた。

彼女はまた、粉塵が沈静化しつつあるようで「非常に安心している」とも述べた。

「私の最初の反応は、不安定な民主主義国家である私の国でこんな事が起こるはずがないということでしたが、活気に満ち、ますます成熟した民主主義国家であることは間違いありません」と彼女はBBCに語った。

カン氏は、戒厳令を発動するという尹氏の決定を「異常事態」と呼び、一夜にして起こった出来事は韓国の民主主義が依然として強いことを示していると述べた。

「夜通し何時間もかけて、国会が自らの役割を果たし、街頭で撤回を求める国民の姿を見て、最後に言わなければならないのは、我が国の民主主義が強固であり、弾力性がある。」

康氏は2017年から2021年まで文在寅前大統領の下で外相を務めた。

 

13:12
韓国の状況が進展し続ける中、インターネット上では「戒厳令とは何ですか?」という疑問が浮上している。

戒厳令は、文民当局が機能できないと判断された緊急事態において軍当局が一時的に設ける規則である。

戒厳令の施行は、通常の公民権の停止や軍法の延長などの法的影響を与える可能性がある。

理論的には、それは一時的なものですが、無期限に続く可能性があります。

最後に韓国に戒厳令が発令されたのは1979年で、当時同国の長期独裁者だった朴正熙氏がクーデターで暗殺された。

火曜夜の尹氏の宣言は、同国が1987年に議会制民主主義国家になって以来初めて発動された。

尹氏は深夜のテレビ放送で思い切った決断を宣言した際、その正当化として「反国家勢力」と北朝鮮の脅威を挙げた。

しかし関係者らは、尹氏が包囲下にある大統領のように行動し、彼の決断を促したのは外部の脅威というよりも、彼自身の絶望的な政治的困難だったと指摘する。

韓国の指導者は、4月の総選挙で野党が地滑り的な勝利を収めて以来、数カ月にわたってレームダック大統領となっており、今年はいくつかの汚職スキャンダルの影響で支持率の低下が続いている。

 

韓国銀行、「あらゆる選択肢をオープン」に
13:37
ジョアン・ダ・シルバ ビジネス記者

韓国中央銀行は、尹氏の戒厳令発動のニュースで韓国が一夜にして動揺したことを受け、金融市場を支援するために「あらゆる選択肢を残しておく」と述べた。

声明は、戒厳令解除後、市場は「ある程度」回復したと指摘した。

韓国のコスピ株価指数は損失を一部軽減し、午後早い時間の取引で1.8%下落した。ウォンも一晩の下落から回復した。

これに先立ち、当局は市場に「無制限」の現金を注入すると約束していた。

こうした公約にもかかわらず、アナリストらはタービンがアジア第4位の経済大国に与える影響について警告した。

ムーディーズ・レーティングスのアヌシュカ・シャー氏はメモで「経済活動に影響を与え、仕事の停止につながるような政治的紛争が長期化すれば、信用がマイナスになるだろう」と警告した。

信用格付けは、政府が国際金融市場でお金を借りるのにかかるコストに影響します。

 

尹氏は「現実離れ」-元外相
午後2時
韓国の外相を務めたカン・ギョンファ氏は、韓国のユン大統領の決定は、同大統領が「この国が現時点で経験している現実を全く理解していない」ことを示しているとBBCに語った。

カン氏はさらに、ユン氏の素行に関する質問への対応や妻を巡る最近の論争への対応で不人気が高まっており、国会でこれらの問題を不当に議論したとして野党を非難していると付け加えた。

次に何が起こるかは、すべてユン自身次第だとカン氏は言う。

「ボールは大統領のコートにあり、彼自身が仕掛けたこのコーナーから抜け出す方法を見つける必要がある」と彼女はBBCに語った。

 

首相と政府高官が緊急会合開催
14:16
韓国のハン・ドクス首相とその他の政府高官は現在(現地午後2時)緊急会議を開催する予定。

 

14:28
日本の石破茂首相は、尹大統領の戒厳令発令という短期間の決定に対して「異例かつ深刻な懸念」を表明し、隣国の状況を注意深く監視していると述べた。

石破氏は水曜日、記者団に対し、政府は在韓邦人の安全を確保するために「あらゆる可能な措置を講じている」とし、負傷者の報告は承知していないと述べた。

 

野党議員、尹大統領弾劾の動議を提出
14:50
韓国の野党議員らは、火曜日遅くに戒厳令を発動しようとして失敗したとして尹大統領を弾劾する動議を提出した。

この動議は、おそらく今週後半に採決に入る前にまだ議論する必要がある。

 

15:04
先ほど報じたように、韓国の野党議員が尹大統領の弾劾動議を提出し、おそらく数日かかるであろうプロセスが開始される。

弾劾法案が提案されれば、定数300の韓国国会の少なくとも3分の2が尹氏の弾劾に賛成票を投じる必要があり、これは少なくとも200票に相当する。

投票は 72 時間以内に行われなければなりません。

しかし、次のステップは、ウ・ウォンシク議会議長が動議を審議するための会議を開くことであり、早ければ2日以内に行われる可能性がある。

 

尹氏の隆盛と衰退の裏側
15:13
1980年代に自由な大統領選挙が実施され始めて以来、最も接戦となった2022年の大統領選でユン氏が当選した時、尹氏は比較的政界の新参者だった。

検事だった同氏は、2016年に弾劾された不名誉な朴槿恵前大統領に対する汚職事件を主導して全国的に有名になった。

63歳の大統領選挙期間中、彼は北朝鮮と二分化するジェンダー問題に対するより強硬なアプローチを主張した。

在任中の同氏は一連の失言や政治的スキャンダルで知られており、そのことが支持率を急落させ、政府の権力掌握を弱体化させ、昨夜の劇的な場面で頂点に達した。

 

「噂はあったが、私たちはそれを信じなかった」国会議員がBBCに語る
15:27
野党議員のキム・ジュンヒョン氏は少し前にBBCニュースチャンネルに出演し、戒厳令がどのようにして国を「完全な驚き」で捉えたかについて説明した。

「噂はありましたが、私たちはそれを決して信じませんでした。(私は)本当にショックを受けました」と、彼はすぐに国会議事堂に急いだ経緯を説明した。

「(警察は)私を阻止し、たくさん格闘しました...しかし、最終的には乗り越えました。」

金氏は今でも、なぜ尹氏が命令したのか理解できないと語った。

「とても衝動的なものだった。おそらく彼の頭は正気ではなかったのだろう」

「これで彼の大統領職は終わりだと思います…残る(問題は)それがいつ、どのように終わるかです。」

 

議会のムードは今のところ穏やか
15:37

ニック・マーシュ ソウルからのリポート

昨夜の混乱を経て、ここ国会前はかなり落ち着いた雰囲気になっている。

建物内で政治家らが危機協議を行っている一方で、数百人の野党支持者が国会の階段に集まり、尹大統領に戒厳令発令の決定に対する代償を支払うよう要求している。

首都の12月のさわやかな青空の下で、次々と発言者がマイクを握り、ひどいジョークを飛ばしたり、より力強く群衆を結集させたりする人もいた。

今のところ状況は平穏だが、韓国は現代政治史上で最も激動の時期の一つとなる可能性がある時期に備えて身構えている。

 

北朝鮮国営紙は韓国の混乱について沈黙
15:48
北朝鮮は韓国の政治的混乱に対してまだ公には反応していない、とソウルを拠点とするニュースウェブサイトNKニュースが本日報じた。

NKニュースの報道によると、北朝鮮の与党新聞「労働新聞」水曜版は戒厳令危機については言及しなかった。

同紙は代わりに、ユン氏の辞任を求める市民団体の要求を強調する短い記事を掲載した。尹大統領は「北朝鮮軍」の排除は戒厳令を敷くという最初の決定の一部だったと述べた。

 

15:56
韓国の野党指導者イ・ジェミョンは国民に「警戒し、共に戦う」よう呼び掛けた。

同氏は戒厳令について「状況が整理され改善されたら、(与党が)再び試みると思う」と考えていると付け加えた。

李氏は国会前での演説で、昨夜起こったことは「国民に対するクーデター」だと述べ、「偉大な韓国国民はこのクーデターを乗り越えた」と付け加えた。

 

政治家らは尹氏の「恥ずべき」行動の代償を求めている
ニック・マーシュ ソウルからのリポート

ソウル国会議事堂の外でも、政治家らは尹大統領の辞任を要求し、さもなければその結果に苦しむよう求めている。

野党民主党のヤン・ブナム氏は国会前で集まった支持者らと写真撮影中にBBCに対し、「非常に残念だ」と語った。

「大統領のしたことは恥ずべきことであり、私たちはそれについて叫ぶ必要がある。」

しかしヤン氏は、韓国は「混乱」ではないということを海外の人々に保証することに熱心だった。

「我々は強力な民主主義国家だ」と彼は言った。 「しかし、韓国国民は安全を望んでいる。ユン大統領は辞任しなければ弾劾されなければならない。」

 

16:15
国会議員らは尹大統領の弾劾を求める動議を提出した。弾劾プロセスについては先ほど少し詳しく説明しましたが、基本的にプロセスには数日かかり、議員の3分の2、つまり200人が賛成票を投じる必要があります。

野党はその数字をほぼ単独で把握している。大統領自身の党は大統領の行動に反対しているが、どう対応するかまだ決めているところだが、弾劾を成功させるためには党員のほんの少数が賛成票を投じるだけで済むだろう。

この動議が国会を通過すれば、尹氏の権限と職務は直ちに停止され、首相が大統領代行となる。

その後、韓国憲法裁判所が最終決定権を有する。弾劾が承認されれば大統領は解任され、60日以内に選挙を実施しなければならない。もし彼らがそれを承認しなければ、彼は大統領職に留まることができる。

 

大統領の最高スタッフが大量辞任に踏み切る
16:22
今朝早く、我々は、尹錫悦大統領の戒厳令発令という短期間の決定を受けて、そのスタッフが総辞職を申し出たと報じた。

これについては今なら詳しくお伝えできる――大統領府は、大統領の首席秘書官全員、大統領首席補佐官、国家安全保障問題担当補佐官、国家政策局長が今朝、全員辞任を申し出たと発表した。

ユン氏が辞任を発効するには辞任を受け入れる必要があるが、受け入れるかどうかはまだ明らかではない。

 

16:32
活動家らは今日から、尹大統領の辞任を要求する数日間にわたる全国各地での抗議集会を計画している。

韓国第二の都市釜山では、活動家らが来週、毎日集会を開催する予定だと聯合ニュースが報じた。

今晩、国の南西端にある都市光州で行われるキャンドル集会には約1,000人の国民が参加する予定だ。

また、南東部の大邱市と浦項市、そして済州島南部のデモ参加者らも午後に同様の集会を計画している。

これに先立ち、韓国の主要労働組合は尹氏が辞任するまで無期限のゼネストを宣言した。

 

16:43
米国は「韓国の民主主義の回復力に勇気づけられている」と駐韓国大使は同国の聯合ニュースに語った。

「我々は昨夜の出来事を懸念していた…米国は民主主義と韓国国民が平和的、民主的、そして憲法に基づいて問題を解決することを支持している」とフィリップ・ゴールドバーグ氏は言う。

昨夜、北朝鮮が韓国の混乱に乗じて緊張を高めるのではないかという懸念があったとゴールドバーグ氏は付け加えた。

同氏は、米国の韓国に対するコミットメントは「揺るぎない」ものであり、米国は「常に警戒し、準備を整えている」と述べた。

 

16:51
昨夜、大統領が戒厳令を布告した後、韓国軍が国会に突入した瞬間を映した監視カメラ映像の一部をまとめた。

 

16:59
テッサ・ウォン&リーヒョン・チェ ソウルからのリポート

本日早朝、ソウルの主要広場であり市内の集会の中心である光化門に数百人が抗議活動に集まった。

抗議活動はユン・ソクヨル氏の弾劾を要求し、国家ストライキを宣言した。

昼休みまでにデモ参加者は解散し、広場は写真を撮るいつもの観光客と、一日を過ごすソウルの住民で埋め尽くされた。

光化門の多くの韓国人は、昨夜戒厳令が出されたことを聞いたときの恐怖と衝撃を語った。

「最初は、今日は学校に行かないと思うと興奮していました。しかし、その後、圧倒的な恐怖感が定着してしまい、一晩中起きていました」と、15 歳のクォン・フーは言います。

この十代の少年は以前の戒厳令時代のことを思い出すには若すぎるが、夜間の門限が厳しい中での生活がどのようなものだったのかを父親から聞かされたという。

 

彼は辞任するのか、それとも弾劾されるのか?政治的瀬戸際に立たされたユン氏
17:09

ローラ・ビッカー 韓国特派員、ソウルからリポート

韓国の歴史の中で何と信じられないような24時間だろう。

まず第一に、昨夜遅くに戒厳令が発令されました。これは、尹大統領が北朝鮮共産主義勢力が国内で権力を掌握することを懸念して行った宣言だと述べた。そして彼は、しっかりと把握する必要があると言いました。

ここ韓国の国民はこれを受け入れないだろうし、韓国の政治家も受け入れないだろう。

混乱の6時間だったが、たったの6時間だった。

デモ参加者は少数ではあるが今もここにおり、同氏の辞任か弾劾を求めている。

尹大統領は非常に不人気な政治家だった。政権を握った瞬間からさえ、わずか0.7%の差で勝利した。これは韓国史上最も僅差だ。

そこで彼は壁に背を向け、思い切った行動をとることに決めた。この戒厳令は彼の目的を達成するのに何の役にも立たなかった。

彼は辞任するのか、それとも弾劾されるのか?彼はまさに政治的瀬戸際に立たされている。

 

NATOは状況を監視していると言う
17:24
NATOのマーク・ルッテ事務総長は、NATOは韓国の状況を「段階的に」監視していると述べた。

ルッテ氏は「韓国との関係が鍵であり、我々の関係は強固であり、それは変わらない」と付け加えた。

韓国はNATO加盟国ではないが、主要な同盟国である。

へるたーすけるたー(しっちゃかめっちゃか)

斎藤知事の公選法違反の件もミンヒジンとハイブの件も話が複雑すぎてついていけない。

Youtubeの解説動画を見ても混乱するだけで、ちゃんと読めば1分で分かることを2時間もかけてダラダラ喋られるので時間がもったいない。

一つ言えるのは、ニュージーンズの曲がサブスクで聴けなくなるのは困るということだ。他のKPOPソングと違っていくら聴いても飽きないし、普通つまらない出来になることが多いremixアルバムも元曲と同じかそれ以上に優れている。楽曲制作チームがとてつもなく有能なのだろう。これがミンヒジンの力なのかどうか分からないが、彼女がいなければ5人のメンバーが同じでも全然違うものになってしまうことは確かだろう。

兵庫 斎藤知事が所信表明 “ハラスメントのない組織づくりを”
2024年12月3日 13時17分 

兵庫県の斎藤知事は3日、知事選挙で再選したあと初めての定例県議会で所信を表明し、謙虚な姿勢で県政運営に臨むとしたうえで、公益通報窓口の整備やハラスメントのない組織づくりに早期に取り組む考えを示しました。

斎藤知事はことし9月に県議会が全会一致で不信任を議決したのを受けて失職し、11月の選挙で再び当選しました。

3日は、再選後初めての定例県議会で所信を表明し「3年前の就任以来、全身全霊を注いだのは、県民や兵庫のために新たな事業展開や改革に挑戦することだったが、その過程でおごりや慢心があったかもしれない。丁寧な対話と謙虚な姿勢で県政運営に臨む」と述べました。

そのうえで、パワハラの疑いなどで告発された問題について「県民への説明責任を果たすことは極めて重要で、百条委員会などの調査に誠実に対応していく。公益通報窓口の外部化や物品受領の厳格なルールづくりを早期に行い、ハラスメントのない組織風土づくりに取り組む」と述べました。

そして「県議会、市や町、県職員との信頼関係を構築し、ワンチームで、オール兵庫で、未来の扉を開いていきたい」と述べました。

今回の定例会は12月13日まで開かれ、6日には各会派の代表質問が行われます。

 

NewJeansに契約解除宣言の撤回を要求…韓国マネジメント連合がコメントを発表
12/3(火) 12:30配信

韓国マネジメント連合が、NewJeansに契約解除宣言の撤回を求めた。

NewJeansがHYBE傘下のレーベルADORに対して専属契約の解除を宣言した中、社団法人韓国マネジメント連合がコメントを発表し、早期に紛争を終え、正常な関係に戻るよう促した。

韓国マネジメント連合は「大衆文化芸術産業は、相互信頼を基に、同アーティストと所属事務所が締結した専属契約をお互いに尊重しています」とし「これは単純に何らかの問題が発生したからといってそれが契約解除の条件になるわけではないということを意味します」と指摘した。

続けて「現在のNewJeansの立場は、最初から契約の維持のために必要な相互努力を全く念頭に置いていない、もしくはそうする意思がなかったとしか解釈できません」とし、「私たちの法律は、基本的に締結された契約に対する保護を原則とし、契約が解除段階に至った場合、それに対する責任を問うことで紛争に対処しています。これは契約の完全な解除に至るまでは同契約を保護することに意義があると言えるので、現在NewJeansの契約解除の主張は理にかなっていないと言えます」と主張した。

同連合は「誰もが宣言だけで契約を解除することができるのならば、どのようにして専属契約の効力が保証され、不確実な契約を土台に誰が投資できるでしょうか」とコメント。特に「本連合はNewJeansが従来の立場を撤回し、事務所との協議に応じることを願い、紛争が終わることを心より願い、最悪の状況にならないことを切実に願っています」と強調した。

最後に「政府をはじめとする関係者らが同産業の長期的な発展のため原点から議論することを願っています。韓国の大衆文化芸術産業の持続的な発展のため、同連合も決して座視せず、この問題を持続的に見守り、積極的な対応をするよう最善を尽くします」と伝えた。

【韓国マネジメント連合 コメント全文】

最近、ADORとNewJeans間の紛争が激化し、韓国の大衆文化芸術産業に様々な悪影響を及ぼしています。今回の事案に対し、本連合はNewJeansというグループと、彼女たちによる専属契約の問題点、そしてこれを見守っている人々の視点や関係者らが受けた衝撃について吐露し、これに対する大衆文化芸術産業の従事者の立場から、私たち大衆文化芸術産業がもう一度飛躍することを願う気持ちで、コメントを発表致します。

大衆文化芸術産業は、相互の信頼を基に、同アーティストと所属事務所が締結した専属契約を互いに尊重しています。その根幹には、過去数十年間積み上げてきたアーティストと芸能事務所間の配慮と信頼があり、これは単純に何らかの問題が発生したからといって、それが契約解除の条件になるわけではないということを意味します。

しかし、すべての手続きを無視した現在のNewJeansの立場は、最初から契約維持のために必要な相互努力を全く念頭に置いていない、もしくはそうする意思がなかったとしか解釈できません。私たちの法律は、基本的に締結された契約に対する保護を原則とし、契約の解除段階に至った場合、これに対する責任を問うことで紛争に対処しています。これは契約の完全な解除に至るまでは、同契約を保護することに意義があるということを意味するため、現在のNewJeansの契約解除の主張は理にかなっていないと言えます。

また、このような一方的な契約解除の主張を通じた契約の効力喪失は、全般的な専属契約の信頼関係に大きな打撃を与えかねないものであり、非常に慎重にならなければなりません。アーティストとプロダクションは、単なる勤労関係ではなく、パートナーとして業務が行われます。専属契約上、アーティストは最善を尽くして自身の才能と資質を発揮し、所属事務所の活動に協力しなければならず、所属事務所はアーティストの才能と資質が最大限発揮されるよう様々な活動を支援しなければなりません。ところが、このような紛争が発生した時、このように宣言だけで専属契約が解除になる可能性があるという主張は、短期契約ではなく、数年間の長期契約、さらに練習生時代から投資を行う韓国の大衆文化芸術産業に致命的な結果をもたらします。誰もが宣言だけで契約を解除することが可能であれば、どのようにして専属契約の効力が保証され、このような不確実な契約を基に誰が投資できるでしょうか。このような視点で、契約解除には非常に慎重になるべきで、契約の維持と補完という大前提の中で、契約解除問題が取り上げられるべきだと考えます。

最後に、大衆文化芸術産業、その中でも特に歌手に対する韓国の産業は、過去から今まで「先投資後回収」の原則の下で行われてきました。事務所が優先的に投資を進めた以上、専属契約の弱者にならざるを得ません。特に、投資を通じて新人を育てた事務所は、少なくとも投資金以上の収益を生み出すまでは、同アーティストを最大限保護し、契約を維持し、収益を作り出すことが最大の課題です。言い換えれば、各アーティストと所属事務所間に紛争が発生した場合、徹底して「乙」の立場で専属契約の維持と保存を望むしかない立場だということです。しかし現行法では、このような事務所の立場を考慮した措置が全くない状況です。特に、悪意を持って契約を解除しようとする場合、最終的に損害賠償を請求すること以外に契約を維持するためのいかなる措置もできません。このような観点で、現在のNewJeansのようなアプローチは、韓国大衆文化芸術産業の根幹を揺るがす非常に悪質な方法だと言えます。

したがって、本連合はNewJeansが従来の立場を撤回し、事務所との協議に応じることを願い、紛争が終わることを心から願い、最悪の状況にならないことを切実に祈ります。

さらに、安定した契約を維持する上で、現行の法律にどれほど大きな弱点が存在するのか確認することができました。これに対し、政府をはじめとする関係者が同産業の長期的な発展のため、原点から議論することを願っています。私たち大衆文化芸術産業の持続的な発展のために、韓国マネジメント連合も決して座視せず、この問題を持続的に見守り、積極的な対応をするよう最善を尽くします。ありがとうございます。

ちょっと個人的にもしっちゃかめっちゃかの状況になっていて、肝心のコロンボ研究が進まない。コロンボは間違いなく強迫神経症の初期段階だが、いつも事件をスッキリ解決できたからまだいいようなものの、迷宮入りの事件ばかり抱えるようになったらきっと精神に異常をきたしたと思う。

dl.ndl.go.jp