行動分析学のススメ

考え方をアップデートしてくれるもの

何かと出会い、考え方がアップデートされるという経験はよくある。僕はこの本を読んだ時、今まで靄がかかっていた領域の一つが晴れた気がした。

この本はタイトルの通り、行動分析学 を解説した書籍だ。行動分析学的な考え方を身につけることで、僕は大きな成長を得られたと感じている。

有名な実験

行動分析学はスキナーという人が提唱して始まった学問であるが、彼が行った実験は スキナー箱 と呼ばれている。

その実験では、キーを押すと餌が出るようになっている箱の中に、ハト等の動物を入れる。そこで餌が出る条件を操作して、行動の法則を探っていくというものだ。

特に有名なのは、キーが押された時に餌がランダムに出るように設定するパターンだ。キーを押したら必ず餌が出る設定だと、キーを押しても餌が出ない設定に変えると、キーを押すのをやめる。しかし、出るか出ないかがランダムだと、キーを押しても出ない設定に変えても、ハトは延々とキーを叩き続けてしまう。

よくこの実験のハトが猿に置き換えられたり、パチンコ等のギャンブルに例えられたりする。「行動分析学」という言葉を知らなくても、この実験なら聞いたことがあるという人はいるのではないだろうか。僕もその一人だった。

この実験についての例え話は、なんとなく頷ける、いわゆる「あるあるネタ」でしかない。しかし実際の実験で得られたものは、なんとなく頷ける程度のちっぽけなものではなかった。体系的に整理された人間の行動の法則という、とんでもなく大きなものだった。あるとき僕はその事実を知り、行動分析学というものに興味を持った。

以下に行動分析学の概要を、上記の本を参考にしながらまとめてみた。

行動分析学の基本

行動分析学とは心理学の一分野であるが、心という曖昧なものを扱うふんわりとした学問ではない。行動分析学は読んで字のごとく 行動 を 分析 するものであり、行動に関する法則を見出す科学である。

行動分析が行わない説明

行動の原因を追求するために、行動分析学では 行わない 説明として以下の3つが提唱されている。

神経生理的な説明

これは要するに脳科学的な説明だ。例えば行動の原因として「アドレナリンが大量に出たから」と説明されても、それは正しいのだが「行動がどのようにして発現するか」でしかなく、十分な説明になっていない。そういった脳内の現象を起こした原因を追求しないといけない。

心的な説明

これは「優しい」だとか「そう思った」などの説明である。心が科学的に定義されていないならば、心を説明したら原因はそれ以上追求できない。

概念的説明

これは「文才があったから」だとか、「闘争本能があるから」といった類の説明である。これも心的な説明と同様で、そういう説明はほとんど意味をなさない。

行動分析学が受け入れる説明

行動分析学が受け入れる説明は以下の3つである。

  • 遺伝的な説明
  • 過去の環境要因による説明
  • 現在の環境要因による説明

このうち 現在の環境要因による説明 を最も重視する。なぜかと言えば行動分析学は分析だけではなく、その先の 改善 まで含めた科学だからである。改善するからには、なんらかの操作を行えないといけない。そのために、操作可能である 現在の環境要因による説明 が重視される。

行動分析学的な考え方

冒頭で挙げた書籍には例が書いてあった。その大まかな内容は以下だ。

女子学生の弟

ある家庭に、姉と弟がいた。弟はいつもこたつに左手を突っ込んだまま右手だけで食事をしており、親に見つかる度に叱責されていた。この弟が右手だけで食事をしているのを、親は「行儀が悪い」「だらしがない」という理由によると考えた。確かにそれはごく一般的な考え方だ。しかし行動分析学的ではない。

姉は行動分析学的に考え、現在の環境要因による説明 を試みた。そうして観察すると、あることに気付いた。弟の定位置の左側には扉があり、朝の慌ただしい時間帯だと、頻繁に開閉する。するとその度に冷気が流れ込んで来ているのだ。姉はそれから部屋の各所の気温を測定し、弟の左側が他より2度低いことを特定した。そこで推定する。「弟の左側の気温が低い」という環境要因によって、弟は左手をこたつにいれたまま食事するのではないか、と。

行動分析学的には、弟の性格も心情も、まったく関係ない。このように現在の環境要因に行動の原因を見出す。

書籍の説明ではさらに行動分析学的な実験も行うのだがそこは割愛する。

医学モデル

例にあった親のように、「行儀が悪い」や「だらしがない」を原因として考えるのはごく一般的だ。しかし、それは単に行動に対して貼られたラベルにすぎない。行動を表現した言葉であり、原因としての説明にはなっていない。

ラベリングは行動した本人の心的な要因によって問題が引き起こされていると考えてしまっているが、そのように問題の内部に原因があるとする考え方を行動分析学では 医学モデル と呼んでいる。医学では症状を引き起こしている体の内部に原因、つまり患部があると考えるからだ。

その医学モデルで考えてしまうと、行動の外部である、現在の環境要因から原因を見出すのを放棄することになる。それはすなわち操作による 改善 も放棄していることに他ならない。

行動随伴性

行動分析学的はこのように 行動 と 現在の環境要因 に徹底的にフォーカスする科学であるが、そのために 行動随伴性 という概念が用いられる。行動随伴性とは、行動とそれがもたらす効果のことであり、それによって行動をとらえる見方こそ、行動分析学である。

しかしこれだけでは何を言っているかよくわからないだろう。行動随伴性の説明の前に、まずそもそも 行動 とは何なのかを定義しなければならない。

行動の定義

行動分析学にもいくつか定義があるが、書籍で採用されているものこの説明でも挙げたい。

行動とは、 死人には出来ない活動 のことである。

だから

  • 車にひかれる
  • おこらない
  • 崖から落ちる
  • 静かにしている

などは行動とみなさない。受け身や、行動の否定や、状態を表現したものは、だいたい死人でも出来てしまう。

行動の種類

死人には出来ないことが行動だが、行動にも2種類がある。

レスポンデント行動

こちらはいわゆる刺激に対する反応を指す。目にホコリが入って涙を流すとか、口の中に食べ物が入って唾液が出るとかだ。この場合、時系列的には行動の前に原因が発生する。

オペラント行動

こちらは行動がもたらす効果が原因となって引き起こされる行動である。

たとえば「メガネをかける」という行動ならば、「よく見える」という効果がある。ではなぜ「メガネをかける」のかというと、「よく見える」からである。「よく見える」という効果の存在が、「メガネをかける」という行動を生み出しているのだ。

あるいは「電気のスイッチを押す」という行動ならば、「明るくなる」というのが行動のもたらす効果であり、それが原因となっている。心的な要素は考慮しない。少しややこしいが、あくまで行動と環境要因にフォーカスして考える。そうして医学モデルを排除するならば、たしかに効果として現れるものが存在していることが、原因となっている。もしその効果がなければ、原因となることはない。

このオペラント行動の場合はレスポンデント行動、時系列的には行動の後に原因が発生する。

オペラント行動は、このように行動とそれによる状況の変化によって成り立っている。そして、行動による状況変化が行動の原因となってるという関係性が、 行動随伴性 である。

行動の原理

直後とは

行動分析学では、行動の直後における状況の変化に注目する。ではそもそもの前提として、直後とは具体的にはどれくらいの時間を言うのか。

それは 60秒以内 である。状況の変化というのは、行動してから60秒以内に起こることを指す。

好子出現の強化

特定の状況下において、行動の直後に状況が変化するという経験をしたとする。すると再びその特定の状況下に置かれた際には、同じ行動が起こる可能性が高い。

例に挙げた弟だと、 左手が冷たい という状況下で、こたつに手を入れる という行動をし、直後に 左手が暖かい という状況の変化が起こっている。

このように行動の直後の状況変化によって行動の回数が増えることを、行動分析学では 強化 と呼んでいる。弟の例だと、こたつに手を入れる頻度の増加が、強化にあたる。

また、状況が変化する際に出現した要因を 好子(こうし) と言う。弟の例だと、左手が暖かいということが好子にあたる。ちなみに「好」という字を使っているが、行動した本人が好むものであるかどうかは関係ない。

これが人間の行動の法則の1つであり、 好子出現の強化 と言う。

好子出現の強化:行動の直後に好子が出現すると、その行動は将来繰り返される

トイレの例

電気をつける

トイレの電気をつけるという行動に関する行動と状況を時系列的に並べると、このようになる。

  1. トイレが暗い
  2. 電気をつける
  3. トイレが明るい

3の存在があるから2の行動が行われる。つまり3は好子である。1の状況下で2が行動されて3になる度に、2が強化され、2の行動が発生する頻度が上がる。文明開化のころならまだしも、現代では皆、1の状況下での2の発生率はほぼ100%にまで強化されている。

電気を消す

一方でトイレの電気を消すという行動ではこうである。

  1. トイレが明るい
  2. 電気を消す
  3. トイレが暗い

3の存在があるから2の行動が行われる、とは到底言えない。「トイレが暗い」「じゃあ電気を消そう」とはならないのだ。つまり、2の行動で状況は変化するものの、3は好子ではないのだ。そのため、2の行動は強化されず、頻度は自然には上がらない。

このような理由により、電気をつけるという行動よりも、消すという行動のほうが発生率が低くなるのは行動分析学的には必然である。だから「なんで電気消さないの!」という非難は的はずれである。「好子が随伴しない行動だから持ち前の意志力で電気消してね」といった行動分析学的皮肉でも飛ばしておけばいい。

嫌子消失の強化

行動が繰り返される原因はもう1つある。

たとえば「傘をさす」という行動だと、行動と状況の変化は以下のようになる。

  1. 雨に濡れる
  2. 傘をさす
  3. 雨に濡れない

状況変化よって2が強化されているが、これは1から3に状況が変化する際に、1の要素が消失している。先程の電気をつける例だと、1から3の変化で好子となる要素が出現しているのと対象である。

このように、行動が強化される際に、行動の直後に消失するものは、嫌子(けんし) という。「嫌」という字を使っているが、こちらも行動した本人が嫌っているかどうかは関係がない。

これが人間の行動の2番目の法則である 嫌子消失の強化 である。

嫌子消失の強化:行動の直後に嫌子が消失すると、その行動は将来繰り返される

嫌子出現の弱化

行動は強化されるばかりではない。状況の変化によって行動の頻度が落ちていくこともある。そちらは 弱化 と呼ばれる。

たとえば「ストーブにさわる」だと、1度経験すると、その行動の頻度が下がる。「熱さで手を引っ込める」というのは反射なのでレスポンデント行動だが、「ストーブにさわる」というのはオペラント行動だ。その行動と状況の変化はこうなっている。

  1. 手が熱くない
  2. ストーブにさわる
  3. 手が熱い

3の存在があることによって、2の行動をする頻度は下がる。行動を強化しないので、3は嫌子ということになる。その嫌子が出現することで、行動が弱化している。

これが人間の行動の3番目の法則である 嫌子出現の弱化 である。

嫌子出現の弱化:行動の直後に嫌子が出現すると、その行動は将来しなくなる

好子消失の弱化

強化の随伴性が2種類あるように、弱化の随伴性も2種類ある。

たとえば「崖から身を乗り出す」の行動と状況の変化だとこうなる。

  1. サングラスがある
  2. 崖から身を乗り出す
  3. サングラスがない

この経験をすると、むやみに崖には近寄らないようになるだろう。なので状況変化が行動の頻度に影響を与えている。ここでは1から3への変化で、1の要素が消失している。消失することで行動を強化する嫌子とは逆に弱化させており、これは好子である。その好子が消失することで行動が弱化している。

これが4番目の法則である 好子消失の弱化 である。

好子消失の弱化:行動の直後に好子が出現すると、その行動は将来しなくなる

消去と復帰

行動は随伴性によって変化する。ある行動が現在なされているのは、そこに強化の随伴性が働いているからである。

とはいえ、その行動が生涯続くとは限らない。たとえば行動しても何も起こらなければ、次第に行動はしなくなる。強化の働きをする随伴性がなくなれば、行動もなくなっていくのである。それを行動分析学では 消去 と言う。

それとは反対に、行動しても何も起こらないことが、行動の頻度を上げることもある。弱化の働きをする随伴性があることで、行動が抑えられていた場合だ。その場合、その弱化随伴性がなくなると、再び行動し始める。それを行動分析学では 復帰 という。

まだ入門ではない

上記が行動分析学の基本中の基本である。こんなに本の内容を説明しちゃっていいのかと自分でも一瞬不安になったが、実際は問題ないだろう。実はこれでも、5章あるうちの2章までの内容をさらっと触れただけにすぎない。

本にはさらに、 行動的翻訳、シェイピング、チェイニング、刺激性制御、般化、系統的再現、消去抵抗、バースト、スキャロップ、部分強化、連続強化 などの滅茶苦茶面白いトピックスがある。気になった人は是非この本を読んでほしい。僕のざっくりとした解説でも行動分析学を面白いと思ったのなら、読むとこんな風に思うかもしれない。

——今まで気づかなかったが、自分はずっとこの本を求めていた。

行動分析学の使い方

上記で行動分析学の解説をしたが、行動分析学は使ってナンボの学問だ。どう使うかを、例を挙げて説明したい。

紹介した本での例

紹介した本では、「夫が妻に暴言を吐く」というという事例が挙げられていた。

あるとき夫は脳卒中になり、それに起因して妻に暴言を吐くようになった。妻は必ずガツンと言い返して黙らせるのだが、しばらくすると夫はまた暴言を吐き始め、日に日にひどくなるという。

そこで分析医はどういう随伴性が生まれているか考えた。行動が強化されているので、好子が出現しているか、嫌子が消失しているかのどちらかであり、以下のように推測した。

  1. 妻が対応していない
  2. 夫が暴言を吐く
  3. 妻が対応する

3が好子となっているために、2が強化されてしまっている。「ガツンと言い返す」という嫌子を与えたつもりでも、それは好子となってしまっているので、余計に行動を強化しているのだ。

そう指摘され、妻は暴言を吐かれても聞こえない振り等で反応しないようにしてみた。そうして

  1. 妻が対応していない
  2. 夫が暴言を吐く
  3. 妻が対応していない

となったら、夫は暴言を吐かなくなったという。行動を強化する随伴性をなくしたことで行動の 消去 に成功した例である。

セクハラで考えみる

今度は自分で考えてみる。

たとえばいつも「若い女子社員のお尻を触る」という行動をする上司がいたとする。その際の随伴性は何か。行動が強化されているのだから、好子出現か嫌子消失である。

随伴性を探る

この行動ならば、普通は好子出現だろう。行動によって要素が消失するとは考えにくい。となると、出現した好子はなんだろうか。

単純に状況の変化を見れば、「指がお尻の柔らかさを感じる」というのが挙げられるが、おそらくそれは好子じゃない。もしそれが純粋な好子ならば、誰のお尻を触ってもいいはずで、自他のお尻を触りまくる人間になっていくはずだ。若い女子社員であるのには理由がある。

「女子社員の反応がある」というのも違うだろう。気づかない振りをしても、受け入れても、きっとセクハラ上司の行動は止まらない。

「性欲が満たされる」も少し違うだろう。それで性欲が満たされるのが一般的ならば、風俗街にはお尻を触るだけのお店が立ち並ぶことだろう。実際にはそういうお店もあるのかもしれないが、流石にマニアックすぎる。

おそらく好子は、「征服感がある」とかそこらへんだと思う。その場合の行動と状況変化はこうだ。

  1. 征服感がない
  2. 女子社員のお尻を触る
  3. 征服感がある

3の好子によって2が強化されているのだから、3を1と同じにして、状況変化をなくせばいい。つまり行動随伴性をなくして 消去 を狙うのだ。

3を1にして行動随伴性をなくす

では征服感をなくすリアクションとはなんだろうか。ざっと考えられるのは、

  • マウンティング
  • イジり

あたりだろう。会話しながらのセクハラならば、その上司より優れていることを主張するマウンティングを行う。もしくはその上司のコンプレックスをイジる。要するに、女子社員側が征服感を味わえるような行為をするのだ。

または、ごく自然に出来るならば「急にどうしたんですか? 何かストレスでも抱えているのでしょうか?」といったような優しい言葉をかけるのもいいだろう。優しさを投げかけるが、あくまで上司を「弱者」として扱う。

とはいえ、セクハラを我慢できないほど器の小さい人間にとっては、下に見ている人間にそのような行為をされるのはたまったもんじゃない。だから女子社員側から操作してやめさせるのは容易ではない。古い体質の会社でセクハラが起こりやすいのは、そういった構造的問題もあるだろう。この線では外部の力を借りるしかない。

1を3にして行動随伴性をなくす

しかしまだ随伴性をなくす方法はある。「征服感がない」→「征服感がある」という変化をなくせばいいのだから、「征服感がある」→「征服感がある」でも随伴性がなくなり、行動を消失させられる。

そもそも「征服感がない」というのが状況として成立するレベルなのだから、セクハラ上司は人に認められる機会が少なすぎる状態で過ごしている可能性がある。だから普段から征服感を味わえるくらい褒めてあげると、随伴性がなくなり、行動は消去されるかもしれない。

しかしまぁ、これはなかなか難しい問題である。随伴性をなくそうと試みるより、強烈な嫌子を出現させる荒業のほうが手っ取り早いかもしれない。

Webサービスで考えてみる

基本的にWebサービスの機能において「優れていること」と「使われること」は別の問題である。ただ機能だけあっても、ユーザーはそれを使ってくれないのだ。

だから使わせたい機能の周辺の細かい仕様を、行動を強化する構造にしていって初めて、「ユーザーに使われる機能」になっていく。

行動を定める

まずはユーザーにしてもらいたい行動は何なのかを決める必要がある。ここではよくある機能における行動である、「投稿ボタンを押す」で考えてみる。

随伴性を考える

行動分析学的には行動を強化するものとして、

  • 好子出現の強化
  • 嫌子消失の強化

が挙げられる。なのでいかに好子を強くして嫌子を弱くするかを考える。

行動の直後にポジティブな要素を出現させ、ネガティブな要素を消失させるというのが常套手段である。随伴性において好き嫌いは関係ないのだが、ポジティブな感情を想起する要素ほど好子になりやすく、ネガティブな感情を想起する要素ほど嫌子になりやすいので、要素を生み出す際には考慮すべき点だ。何か役立つ情報を提示するというのもいい。

たとえば「投稿ボタンを押す」だと、

  • 投稿が完了した旨を伝える文言を、より達成感が感じられるようなものにする
  • 投稿後に表示するページのファーストビューに、投稿内容を編集できるボタンが入るようにして、ミスがあったらどうしようという不安を軽減する
  • 投稿後に表示するページで、自分の活動に関するデータを表示する

などが考えられる。

また、現状の好子と嫌子のパワーバランスも考えたほうがいい。強すぎる嫌子があるならば、どんなに好子を増やしても無駄かもしれない。また、好子が弱すぎると、どんなに嫌子を減らしても無駄かもしれない。

たとえば

  • 投稿後に、過去の投稿に寄せられたネガティブなコメント等が目に入る
  • 投稿後に、ちゃんと投稿できたのかがよくわからない

などの要素があるなら、細かい随伴性の前にまずはここを直さないといけない。

小説で考えてみる

行動が関わるものならば、たいだい行動分析学が使える。それは小説でも同じだ。

たとえば女性の主人公が、とある男性に会いたくなったとする。しかしそこで「会いたい」という気持ちとともに、その理由をくどくどと説いても面白くはない。あまり説明せず、なるべく短い時間で読者に「だよねー!」と納得してもらえるようにすると面白い。

行動分析学的なやり方でいくと、「会いたい」と恋心を自覚するまでに、好子が出現する小さなイベントと、嫌子が消失する小さなイベントを積み重ねて置くのがいいだろう。そうした上で、主人公がつらい時に「なぜだか彼に会いたくてたまらない!」とガッツリ恋心を自覚させると、説明なんかしなくてもその恋心に対して「だよねー!」と納得してもらいやすい。

これはストーリーのある創作なら、小説に限らないことである。こんな風に学術的な法則に従って進めるが、その法則を読者に知らせないようするのは創作者の常套手段だ。うまくいけば、センスがなくても魂がこもってなくても、読者にとっては「センスがある」だとか「魂が伝わる」だとか感じられる作品になり得る。

インセンティブと行動分析学

よく「インセンティブ で行動を促すといい」だとか言われている。しかし行動分析学を知ってしまうと、それでは片手落ちだと感じる。

少しズレてはいるものの、インセンティブは概ね好子にあたる要素だ。したがって嫌子も考慮しないと、大きなインセンティブを与えているのに行動が強化されないなんてこともあり得るし、その状況を把握するもの難しい。行動分析学で補完することで、インセンティブによる思考の一歩先が見えてくるはずだ。

ゲーミフィケーションと行動分析学

ゲーミフィケーションに関しても、行動分析学的な知識がないと片手落ちに感じる。

ゲーミフィケーションというのは言ってみれば行動を強化する手法なのだが、ゲーミフィケーション自体は「ゲーミフィケーションがなぜ有効なのか?」という問いに答えられない。行動分析学で明らかになっている法則あってのゲーミフィケーションだ。その法則を知ることで、より強力なゲーミフィケーションを行えるようにもなると思う。

おわりに

行動分析学をどうやって使っていくかについては、いくらでも書けそうに思える。それくらい行動分析学は汎用性が高い。

しかしその割にはあまり普及していない。マネジメントの分野では少し使われたりもするが、もっといろんな分野で使われるべきものではないだろうか。

特に日本では、論理的に考えるべきところでも、物事に何かと人格的理由をつける。「あの人は◯◯だから駄目だ」「あの人は◯◯だからできた」なんて具合に。しかしそれは行動や結果を個人の感想で言い換えただけで、まったく理由になっていない。実に馬鹿げている。

とはいえ日本で育った以上、僕だってその思考モデルに洗脳されている。深く考えないと、「あの人はすごいからなー」なんて結論を下してしまう。後から「『すごい』って何だよ」と思う。

でもだからこそ、その思考モデルを排除して考えられるモデルが必要なのだ。それが医学モデルを排除して考える、行動分析学という思考モデルだ。行動分析学はおそらく、我々日本人に染み付いた悪い意味での「日本人的思考」をいくらか薄めてくれるはずだ。

そういうわけで、僕は多くの人に行動分析学をススメたい。